純喫茶磯辺(日本映画・2008年) |
<試写会・朝日生命ホール>
2008年7月8日鑑賞
2008年7月10日記
吉田恵輔監督のオリジナル脚本は、芸達者な宮迫博之、ふくれっ面が魅力の「小娘」仲里依紗、そしてピンサロまがいのミニスカートがよく似合う麻生久美子を迎えて、大開花!映画中盤の「2つの大事件」を経て訪れるケッタイな結末に、あなたの心が温かくなること確実!秋葉原事件や食品偽装のオンパレードとイヤなご時世だが、たまにはヘンな人間とヘンなストーリーにクスクス笑いながら、前向きの人生を確認したいもの。そんな気持にしてくれる『純喫茶磯辺』は、今年の邦画ベスト3を争うのでは・・・?
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監督・脚本・編集:吉田恵輔
磯辺裕次郎(水道工)/宮迫博之
磯辺咲子(裕次郎の娘、高校生)/仲里依紗
菅原素子(「純喫茶磯辺」のアルバイト)/麻生久美子
麦子(裕次郎の元妻)/濱田マリ
柴田(常連客)/斎藤洋介
小沢(常連客)/ダンカン
本郷(常連客)/ミッキー・カーチス
安田(常連客、小説家)/和田聰宏
江頭麻美(「純喫茶磯辺」のアルバイト)/近藤春菜(ハリセンボン)
2008年・日本映画・113分
配給/ムービーアイ
<やはり映画はオリジナル脚本で勝負!>
『キネマ旬報』7月下旬号は『純喫茶磯辺』を「作品特集」で取りあげている。それによれば、『純喫茶磯辺』を監督・脚本・編集した1975年生まれの吉田恵輔のプロとしてのキャリアは、塚本組(塚本晋也監督)の照明技師から始まったとのこと。そして、『A SNAKE OF JUNE 六月の蛇』(02年)でもわかるように(『シネマルーム3』359頁参照)、「ビジュアル面を重視した塚本作品と吉田監督の作風は、一見相容れないように思える」との問題提起をはじめとして、吉田恵輔監督についてさまざまな分析がなされているから、これは必読。
といっても、私はこの映画を観るまで吉田恵輔監督の名前も知らなかったのだが、彼は『キネマ旬報』2007年12月上旬号特集「映画評論家が推す9人の監督たち」で紹介されたくらいだから、きっとすごい才能を持っているのだろう。プレスシートの紹介でも、「本作『純喫茶磯辺』の小説版を自らが執筆するなど多才な才能を発揮。30代の次世代を担う監督の一人として注目されている」と書かれているから、今日の試写会の舞台あいさつで間近に見た彼の「しゃべり」をしっかりインプットし、今度の活動に注目しなければ。
それにしても、昨今原作モノに頼る傾向が強い邦画界だが、この映画を観ていると、やはり「映画はオリジナル脚本で勝負!」と痛感!
<遺産が入ると・・・?>
2008年7月8日付朝日新聞は、沢木耕太郎氏の『純喫茶磯辺』についての評論を載せたが、その書き出しは荻上直子監督の『かもめ食堂』(05年)との対比から。しかし、私は弁護士らしく(?)、『純喫茶磯辺』の評論の書き出しは、予想外の遺産が入るとロクなことはないという切り口から入りたい。
この映画冒頭は、とある工事現場における何ともダラけた朝礼(?)のシーンから始まる。いくら日本の公共事業がヘタリ気味とはいえ、ここまで落ちぶれてはいないと思うのだが、この映画の主人公磯辺裕次郎(宮迫博之)は、そんな工事現場の作業員。彼は妻の麦子(濱田マリ)と離婚し、高校生の娘咲子(仲里依紗)と団地で2人暮らしをしているようだ。そんな「負け組」とは断定しないまでも、それに近い主人公が何とか生きているのは、少なくとも食事の世話はしてくれている、しっかり者(?)の娘のおかげ・・・?ところが、次のシーンでは「おい、じいちゃん死んだぞ」という裕次郎のセリフに戸惑う咲子の姿が登場し、「多分、私死んだ人間を見たのはこれがはじめて」という何とも率直な(?)咲子の独白シーンが登場する。
面白いのは、そんな人情論と平行して、裕次郎が父親の「ちょっとした遺産」を相続することになったこと。しっかり者の娘なら、それをきちんと父親に確認して、父娘の今後の行き方を相談するはずだが、どうもこの父娘にはそんな信頼関係はなさそう・・・?したがって、この後娘には何も相談しないまま、裕次郎の独断専行による遺産の有効活用法が進行していくことになるのだが、さてその方向性は・・・?
<素子のキャラも、吉田監督の創作!>
この映画が面白いのは、裕次郎VS咲子=父親VS娘(女子高生)という基本軸(対決?)の中に、赤の他人ながら、一見誰にでも好かれそうな美女菅原素子(麻生久美子)を絡ませたこと。
もともと女に目のない裕次郎だから、こんな楚々とした美女(?)に魅かれたのは当然。そこで彼は、喫茶店のオーナーという地位と権限をフルに利用して、それまでバイトで雇っていたブスで太っちょの江頭麻美(近藤春菜)のクビを切ったうえ、素子にピンサロまがいのミニスカートの制服を着せ、そのゲットまで狙うのだから、まさにバカにつける薬はなし。ところが、そんな裕次郎を決してバカにすることができないのは、私たちの本性とよく似たところがあるから。そこが私も、あなたもちょっと辛いところ・・・?
吉田恵輔監督が「映画評論家が推す9人の監督たち」に選ばれたのは、こんな魔性の女(?)素子のキャラを創造できる才能を持っていたから・・・?
<喫茶店あれこれ・・・>
素人が一定の自己資金で起業家を目指す場合、最も手っとり早いのは喫茶店の経営。というのは、古き良き日本の話・・・?今やスターバックスやドトールコーヒー、そしてマクドナルドやモスバーガーなどのチェーン店は至るところにあるが、純喫茶やコーヒー専門店として生き残っているのはごくわずか。
ところが、どちらかと言うと「負け組」で、女子高生の娘を持つメタボ腹の主人公裕次郎が思いつくのはせいぜいそんなもの。しかも、たまたま入った喫茶店で、マスターがお客様らしき美女と楽しく語り合っていたから、「こりゃいいや」「これに決めた」というレベルだから、底が浅いのは当然。なまじっかヘンなコンサルタントに相談しなかったのはまだマシだが、裕次郎の猪突猛進ぶりを見ていると、もう少し自分のセンスを磨くために周りの意見を聞く必要があるのでは・・・?誰もがそう思うはずだが、猪突猛進の結果、多額の資金をつぎ込んで完成した、角地にある約30坪の喫茶店の内装、看板、雰囲気は惨憺たるもの・・・?
<ヘンな客も、すべて吉田監督の創作!>
ヘンなオーナー、ヘンな雰囲気の喫茶店に客は全然入らなかったが、そこにヘンな制服が加わると客が急に増えたから不思議。もっとも、そこに集まるのはヘンな客ばかりだったが・・・。ヘンな客の面々は、
①誰が見てもこれが店のマスターと見られる雰囲気で、いつもカウンターに座っている本郷(ミッキー・カーチス)、
②誰に対しても「あなたの出身はどこですか?僕は九州」としゃべりかけてくるヘンなおじさん柴田(斎藤洋介)、
③コーヒー1杯で、後は水のおかわりばかり注文する売れない作家安田(和田聰宏)、
④毎回ウェイトレスにセクハラまがいの行動をとる中年おじさん小沢(ダンカン)ら。
本郷と柴田は毒にも薬にもならない客だったが、安田と小沢は、後日大問題を起こすことになるから、それに注目。これらのヘンな客のキャラもすべて吉田監督が創作したものだから、その柔軟な発想とストーリーの構成力に感心。
もっとも、私だって麻生久美子扮する素子があんなカッコいい(恥ずかしい?)ミニスカートの制服で店内を闊歩する喫茶店があれば、きっと安田のようにコーヒー1杯と水のおかわりだけで、2、3時間は原稿書きにいそしむはず・・・?
<この、「小娘」に注目!>
私はすぐに麻生久美子の名前に注目してしまったが、彼女はこの映画で「疾風のように現れて、疾風のように去っていく、正義の味方、月光仮面」ではなく、純喫茶磯辺と裕次郎・咲子父娘間にトラブルを持ち込んだ挙げ句、去っていく魔性の女を演じている。しかし、あくまで彼女は準主役であり、NO3の位置づけ。つまり、この映画の主役はあくまで父親の裕次郎と娘の咲子であり、テーマはあくまで父娘の絆なのだ。
『ぜんぶ、フィデルのせい』(06年)で観た9歳の少女アンナのふくれっ面も良かった(『シネマルーム18』94頁参照)が、『純喫茶磯辺』で咲子が見せるふくれっ面も最高!①はじめて見る店の看板や内装のダサさ、②開店記念品として配布するケータイストラップのダサさ、③起死回生策として裕次郎が示した制服のケバさ、をはじめとして再三再四見せる咲子のふくれっ面は、ある意味でこの映画の生命線・・・?とはいっても、裕次郎に養ってもらっている高校生の咲子としては、そんな劣悪な状況下(?)でも家庭を守り、店を手伝っていかなければならないから大変。
そんな咲子役を1989年生まれの「小娘」仲里依紗が見事に演じている。私が彼女を見るのはこれがはじめてだが、長澤まさみや沢尻エリカや堀北真希や上野樹里らに続く若手女優の成長株として注目しなくては!この映画で咲子役の女優に要求されるセンスは多岐にわたるから、それに10代の若さで見事に応えた仲里依紗に大きな拍手!
<『ショムニ』の濱田マリもいい味を・・・>
この映画には、1998年に人気TVドラマ『ショムニ』の映画化で銀幕デビューし、『血と骨』(04年)、『アンフェア the movie』(07年)、『バッテリー』(07年)、『あの空をおぼえてる』(08年)等で存在感を示している女優濱田マリが、裕次郎の離婚した妻麦子役で出演している。
私が注目した「小娘」仲里依紗演ずる咲子が率直に自分を出せるのは、この離婚した母親麦子と会話している時くらいだが、これは麦子がきわめて率直に自分の気持を娘に語っているおかげ。つまり麦子は、離婚した裕次郎と麦子は今は全く別の生活があることを前提として、咲子に対して適度な距離感を保つことを教えているわけだが、それが率直な語りかけであるだけに説得力十分。
ヘタすると殺伐とした関係になりがちな、離婚した両親と咲子との関係と距離感を温かく描いた吉田恵輔監督の手腕に拍手するとともに、その要請に見事に応えた女優濱田マリにも拍手!
<ヘンな映画の、ヘンな結末は・・・?>
吉田恵輔監督のオリジナル脚本は、自由奔放、変幻自在、融通無碍・・・?そのため(?)、映画中盤には注目すべき大事件が2つ発生する。第1は、咲子が思いを寄せる(?)安田との間に発生する奇妙な事件だが、これはいかにもイマ風の大事件・・・?
第2は、素子に対してセクハラまがいの行動をくり返していた小沢と裕次郎との間で起きる大乱闘だが、これは単純な裕次郎おじさん(?)なればこそ起きる大事件。そしてまたこれは、とある焼きとり屋で展開された裕次郎と咲子、素子間の「話し合い」(?)の中で突如登場した、素子による「私、小沢さんと寝ましたから・・・」発言によって生まれたもの。そんな2つの大事件を経る中、純喫茶磯辺の経営は・・・?
まずあなたには、その予測を立ててもらいたい。そして、その上で裕次郎と咲子の父娘関係はその後どのようになるのだろうかという予測とともに、純喫茶磯辺を去っていった素子が、その後どこで、どんな人生を送るのかについても予測してもらいたい。素子は咲子に対して「故郷の北海道に帰る」と言い残して空港に向かった(?)ため、その日裕次郎は予想どおりの(?)ある行動をとったのだが、さて魔性の女素子は今どこで、何を・・・?
吉田恵輔監督が描くヘンな映画のヘンな結末は、バカでかいヘンな「どら焼」が重要な小道具となる。それにしても、あんな「どら焼」がホントにあるの・・・?それはともかく、あなたはそんなケッタイな演出にあっと驚くとともに、あなたの心がハートフルな温かさに包まれること確実。こりゃ、今年の邦画のベスト3を争う作品になるのでは・・・?
2008(平成20)年7月10日記