イントゥ・ザ・ワイルド(アメリカ映画・2007年) |
<東宝試写室>
2008年7月29日鑑賞
2008年7月31日記
文明を捨て、アラスカの荒野の中へ!複雑な家庭に育ち、優秀な成績で大学を卒業したクリスは、なぜそんな生き方を選んだの・・・?そして、彼が迎えた結末とは・・・?ショーン・ペン監督が描く何とも重いテーマは、しんどいが必見!あなたはクリスの生き方に賛成、それとも反対・・・?賛否にこだわらず、活発な議論の展開を期待したい。
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督・脚本・プロデューサー:ショーン・ペン
原作:ジョン・クラカワー『荒野へ』(集英社刊)
クリストファー・マッカンドレス(22歳の青年)/エミール・ハーシュ
ビリー・マッカンドレス(クリスの母親)/マーシャ・ゲイ・ハーデン
ウォルト・マッカンドレス(クリスの父親)/ウィリアム・ハート
カリーン・マッカンドレス(クリスの妹)/ジェナ・マローン
レイニー(海洋コーディネーター、ヒッピーのカップル)/ブライアン・ダーカー
ジャン・バレス(ヒッピーのカップル)/キャサリン・キーナー
ウェイン・ウェスターバーグ(サウスダコタ州で大農場を営む男)/ヴィンス・ヴォーン
トレイシー・タトロ(16歳の少女)/クリステン・スチュワート
ロン・フランツ(カリフォルニア州ソルトン・シティの老人)/ハル・ホルブルック
2007年・アメリカ映画・148分
配給/スタイルジャム
<これは一体何の映画?>
これはタイトルだけでは何の映画かサッパリわからないが、ハリウッドの名優ショーン・ペンが10年近くも映画化権取得に執念を燃やしてやっと製作した映画、と聞くと、あなたもきっと身構えるはず。
ジャーナリストにして登山家であるジョン・クラカワーが1996年に発表したベストセラー・ノンフィクション『荒野へ』は、1992年夏アメリカ最北部アラスカ州の荒野で死体として発見されたクリストファー・マッカンドレスという当時24歳の青年の2年間の冒険の旅を追ったもの。そして、これはつくり話ではなく現実に起こった話だから、大切な息子を失ったマッカンドレス家の人たちが、その映画化を了解するのにかなりの時間、心の準備が必要だったことは容易に想像できる。そんな長年の苦労の末にやっと完成した映画が、ショーン・ペンが監督・脚本・プロデュースした『イントゥ・ザ・ワイルド』(直訳すれば『荒野の中へ』)なのだ。
さあ、クリストファー(以下クリス)が言う荒野とは・・・?そして、クリスはなぜそんな荒野の中を目指したの・・・?
<大学卒業までは?卒業した後は?>
1949年生まれの私の両親からの「自立」は、松山の高校を卒業し、大阪大学に入学するべく1人で下宿した1967年4月からだった。これに対し、クリス(エミール・ハーシュ)の父親ウォルト(ウィリアム・ハート)と母親ビリー(マーシャ・ゲイ・ハーデン)からの「自立」は、ジョージア州アトランタのエモリー大学を優秀な成績で卒業した1990年夏、22歳の時から。
私が高校を卒業するまでは、いくらイヤでも大学入試のため親の期待どおり勉強を頑張らなければならなかったのと同じように、クリスも大学卒業までは親の期待どおりの自分を演じなければならなかったようだ。大学に入り親の束縛から解放された私は学生運動にのめり込んだが、クリスが秘かに計画していたのは、私などとても及びもつかない途方もないことだったから、大変・・・。
<物語の展開はカリーンの解釈によって>
昨今日本で多発している、若者たちによる無差別、無軌道な大量殺人事件の最大の特徴は、「誰でもよかった」こと。そんな事件を犯す若者たちに共通するのは孤独感、疎外感そして絶望感だが、興味深いのは彼らの家庭は必ずしも貧乏とか片親とか暴力とかのマイナス要素ばかりではなく、一見幸せそうな家庭が結構多いこと。
この映画の主人公であるクリスは、『俺たちに明日はない』(67年)のボニーとクライドのように「人殺し」で全米に有名になったわけではなく、2年間の放浪の旅の末、アラスカで発見された彼の死(餓死)があまりにも謎めいていたためだ。エモリー大学を優秀な成績で卒業したクリスが、なぜ一見幸せそうな家族を捨て、荒野の中へ旅立ったの・・・?この物語の展開は妹のカリーン(ジェナ・マローン)の解釈によってなされる。たしかにそれは興味深いが、それがホントに正しい解釈かどうかは別問題・・・。
<愛すべき自然と恐ろしい自然>
この映画の主人公クリスは、私の目には「哲学者」と言ってもいいほどのものすごい読書家。したがって、映画の中でも彼が愛する多くの作家のさまざまな印象深い文章が引用されている。
映画の冒頭に登場するのは、バイロン卿の「道なき森に楽しみあり 孤独な岸に歓喜あり 誰も邪魔せぬ世界は深い海と波の音のそばに 我 人間より自然を愛す」だが、結果的にクリスは激流と化した川のために、住まいにしていた「バス」を去ることができなくなり、また結果的に食料難の中で誤って食べた木の実のために身体が動けなく、結局餓死することになったのだから、自然は愛すべきものであると同時に恐ろしいもの。
この映画によってひしひしとそんな実感をした直後、7月28日に日本国を局地的に襲った積乱雲の発達による集中豪雨は、①金沢市の浅野川が55年ぶりに氾濫して、下流の茶屋街が土砂にまみれ、②神戸市灘区の六甲山から急傾斜を流れ出した都賀川では、4名の児童らの死亡という予測もしない大被害を生み出すことになった。
今回日本で起きた局地的な集中豪雨による被害と、クリスが見舞われたアラスカの奥地での交通遮断被害とは全然意味合いは異なるものの、自然の恐ろしさという点では全く同じ・・・。
<束縛VS自由>
アメリカ南部のジョージア州に生まれたクリスが最北部のアラスカの荒野を目指したのは、完全に文明を拒否しようとしたため。大学の卒業祝いに新車を買ってやると言われたら、100人中99人までが有頂天になるところだが、クリスが「新しい車なんて欲しくない。何もいらない」と拒否するシーンに彼の意思の固さが読みとれる。しかし、紙幣を焼き、身分証明書を焼いて放浪の旅に出発したのにはさすがにビックリ。
彼の究極の目標は、アラスカの荒野の中での独り暮らしだが、そこに至るまでにはさまざまな訓練が必要。今や彼は家族からも社会的な地位からも何ら束縛されず、すべてにおいて自由だが、それは同時に彼が頼れるものは何もなくなったことを意味している。「お金さえあれば・・・」「有力な父親さえいれば・・・」などという拠り所を自らすべて捨てたわけだ。フーテンの寅さんは旅が大好きで日本全国を駆け回っていたが、彼だってテキ屋という1つのシステムの中で社会生活を送り、かつ葛飾柴又にはいつでも温かい親戚が待っているという状況下で、精一杯束縛を嫌い、自由を満喫していたわけだ。しかし、今やクリスはすべての束縛を捨てたことによって、すべての拠り所も同時に失ったから、究極の自由の代償はすごく大きいはず・・・。
<アカデミーの冷たい仕打ちは、なぜ?>
ショーン・ペン監督が、クリスの放浪の旅とアラスカの荒野の中で餓死に至った状況をどのように描くのか、大いに興味のあるところ。第1の特徴は、上映時間が2時間28分と長いことだが、多分これはマイナス要因。第2の特徴は、クリスがアラスカの荒野の中でたまたま発見したオンボロバスを根城とした生活をメインとして描きながら、過去2年間の放浪の旅をふり返るという手法をとったこと。これは映画ならではの手法だが、これによってクリスの気持の動きや成長の過程(?)が手にとるようにわかるから、私は大賛成。
もっともネット情報によれば、評論家の予想では、『イントゥ・ザ・ワイルド』はアカデミー賞レースにおいて監督賞、作品賞の他主演男優賞(エミール・ハーシュ)、助演女優賞(キャサリン・キーナー)のノミネートは固いと言われていたのに、82歳のベテラン俳優ハル・ホルブルックの助演男優賞と脚本賞という2部門のノミネートにとどまったらしい。このように、アカデミーから「冷たい仕打ち」をされたのは、ショーン・ペン監督本人に対する反発(?)の他、ひょっとしてこんなテクニカルなつくり方への批判があるのかも・・・?
<クリスと登場人物たちとの心の交流もしっかりと・・・>
この映画はいくつかの章に分けて、クリスが交流を深めることになる人物たちを登場させている。その名前だけ挙げれば、①気ままに車で旅するヒッピーのレイニー(ブライアン・ダーカー)とジャン(キャサリン・キーナー)、②サウスダコタ州で大農場を営むウェイン(ヴィンス・ヴォーン)、③アウトサイダーたちが集まるスラブ・シティのコミュニティで出会った16歳の少女トレイシー(クリステン・スチュワート)、④カリフォルニア州のソルトン・シティで出会った老人ロン・フランツ(ハル・ホルブルック)たちだ。
クリスが決して人間嫌いでなかったことは、彼らとの交流のサマを見ればよくわかる。つまり、クリスにとって「荒野の中へ」という生き方は、人間との心の交流以上に大きくかつ絶対的な価値があったわけだ。クリスと彼らとの心の交流の様子は、是非あなた自身の目で。
<クリスの生き方には賛否両論が・・・>
クリスの餓死はちょっとした手違いによるものだが、その手違いが厳しい荒野の中で命とりになったのは当然。厳しい荒野の中で1人で生きていくためのクリスの努力の様は、彼の日記を読めば明らかだから、まさに彼は自分の理想どおりの生き方をしていたことになる。したがって、「これぞ自然との共生」「文明社会を否定した人間的な生き方」と手放しで賛美する人もいるだろうが、他方、「あまりにも独善的」「自分勝手」「両親や家族がかわいそう」と批判する人も多いはず。
作家のジョン・クラカワーがクリスの生き方と死に方に興味を持ったのも、ショーン・ペン監督が執念を持ってこれを映画化したのも、まさにそれを考える格好の素材と考えたから。愛する息子が何を考えていたのかサッパリわからず、戸惑いながら2年間も息子の帰りを待つうち、価値観や考え方はもちろん、顔つきまで大きく変わってしまったという両親、そしてクリスの気持を最もよく理解しながらも、最後までついていくことはできなかった妹のカリーンと対比しながら、クリスの生き方を真剣に論じたいものだ。
2008(平成20)年7月31日記