12人の怒れる男(ロシア映画・2007年) |
<松竹試写室>
2008年7月31日鑑賞
2008年8月20日記
まさか、ロシアで「あの名作」が50年ぶりにリメイクされるとは!いや、これはリメイクではない。2時間40分のロシア版は、新たな重厚かつヒューマンな問題提起。陪審員として評決を下すことは、自分の人生と向き合うこと。評議の中で展開される1人1人の人間ドラマを観れば、そう実感するはず。09年5月以降、4911分の1の確率で裁判員に選ばれるはずのあなたは、こんな映画を観て今からしっかり勉強しておかなくては・・・。
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監督・脚本・製作:ニキータ・ミハルコフ
陪審員1(ロシアと日本の合弁会社のCEO、論理的であらゆる可能性を探る、
自暴自棄に暮らした過去をもつ)/セルゲイ・マコヴェツキイ
陪審員2(陪審員長、冷静だが、心の奥では情に厚い元将校で
引退後に趣味で絵を描いている)/ニキータ・ミハルコフ
陪審員3(タクシードライバー、外国人を毛嫌いし、
チェチェンの少年にも偏見を抱いている)/セルゲイ・ガルマッシュ
陪審員4(ユダヤ人、穏やかな性格、注意深く考えようとする)/ヴァレンティン・ガフト
陪審員5(素朴な人柄で単純、
深く考えずに人の意見を信じてしまう)/アレクセイ・ペトレンコ
陪審員6(母親が経営するTV会社の取締役、
金持ちの小心者で人の意見に左右されやすい)/ユーリ・ストヤノフ
陪審員7(カフカス地方出身の外科医、
苦労してロシアの医大を出た)/セルゲイ・ガザロフ
陪審員8(ひょうきん者の旅芸人、
半分ユダヤ人の血をひいている)/ミハイル・イェフレモフ
陪審員9(墓地の管理責任者、愛国心を持つ一方、
新体制に批判的)/アレクセイ・ゴルブノフ
陪審員10(論理的で理屈っぽい人柄、
現ロシアの体制に批判的)/セルゲイ・アルツィバシェフ
陪審員11(冷静な建築家、業界の裏ビジネスに
精通している)/ヴィクトル・ヴェルジビツキイ
陪審員12(話し方は小心者の印象、
物事は論理的に考えようとする)/ロマン・マディアノフ
廷吏/アレクサンドル・アダバシャン
ウマル(チェチェンの少年)/アプティ・マガマイェフ
2007年・ロシア映画・160分
配給/ヘキサゴン・ピクチャーズ、アニープラネット
<これも約50年ぶりの・・・>
なぜか、最近約50年ぶりのリメイクが多い。日本では黒澤明監督の『椿三十郎』(62年)や『隠し砦の三悪人』(58年)、ハリウッドではロナルド・ニーム監督の『ポセイドン・アドベンチャー』(72年)など。また、デジタル・リマスター版によってフランスのアルベール・ラモリス監督の『白い馬』(53年)、『赤い風船』(56年)が甦った。しかし、アメリカのシドニー・ルメット監督、レジナルド・ローズ脚本のアメリカ映画の1957年の名作『十二人の怒れる男』(以下アメリカ版)がまさかロシアでリメイクされるとは思わなかった。だって、アメリカが陪審制の国だということはよく知っているが、そもそもロシアの裁判制度がどうなっているのか私たちは全然知らないのだから。
そりゃ映画はつくりもの、仮定の物語だから、基本的に何でもあり。したがって、法制度や裁判制度が全然異なっていても、人間ドラマとしての『12人の怒れる男』はどの国でも描くことは可能かもしれない。しかし、人治から法治への移行を目指しているものの、共産党の一党独裁の中国で『12人の怒れる男』がつくられるとは到底考えられないだろう。それと同じ意味で、私は「まさかロシアで・・・?」と思ったわけだが、鑑賞後の私の感想は、ニキータ・ミハルコフ監督・脚本のロシア版『12人の怒れる男』(以下ロシア版)をアメリカ版の「リメイク」と表現するのは不適当。つまり、95分のアメリカ版に比べて2時間40分と重厚・長尺になったロシア版は、アメリカ版の陪審ドラマのエッセンスを単にロシア風にリメイクしただけではなく、新たにたくさんの重厚かつヒューマンな問題提起を!
<ロシア版が重厚になるのは、あの例をみても>
トルストイの『戦争と平和』はドストエフスキーの『罪と罰』と並ぶロシア文学の最高峰だが、その『戦争と平和』を1957年に映画化したのはハリウッド。この映画への出演を契機としてオードリー・ヘップバーンとメル・ファラーが結婚にゴールインしたのは有名な話だ。私がこのハリウッド版『戦争と平和』を観たのはきっと中学生の時だが、ピエールとアンドレイとの間で交わされる難しい哲学的な会話と、アンドレイが去っていったことによって「All is over」と泣き崩れるナターシャをピエールが慰めるシーンは、中学生だった私の記憶の中にハッキリと刻まれている。
その『戦争と平和』がソ連で映画化されると聞いて、私がその第1部(65年)を観たのは多分高校1年生の時。そして、第2部(完結編)(67年)を観たのは多分大学1年生の時。ヘップバーンが演じたナターシャ役をソ連版で演じたのは、ソ連の名花リュドミラ・サべーリエワということもハッキリと覚えている。そして、戦争 シーンよりナターシャとアンドレイ、ピエールの人間関係に重点を置いたアメリカ版(?)に対し、1部と2部に分かれ計7時間10分の大作となったソ連版は、第1部のアウステルリッツの戦い、第2部のボロジノ大合戦を壮大なスケールで描いたのが特徴で、当時としては観客の度肝を抜いたものすごいスケールのもの。さすが社会主義国ソ連が国の総力を挙げてつくった映画、と感心したものだ。
しかして、今回のロシア版『12人の怒れる男』。これも95分のアメリカ版に比べるとその重厚さが際立っている。ソ連からロシアに変わり、また社会主義体制でありながら市場経済に大きく軸足を移したとはいえ、やはりソ連はソ連、そしてロシアはロシア。その重厚さに変化はないようだ。
<評議の舞台は体育館!>
日本では2009年5月から裁判員制度が施行されるが、それは2004年5月の「裁判員法」の制定によって決まったもの。それが決まるや日本では、裁判員用法廷への改修や裁判員用の評議室を作るなど、まず形から入っていったが、それはごく一部だけ。このように、いつでも「戦力の逐次投入」という誤りを犯すのが日本流で、いよいよ来年から本格的に裁判員制度が始まれば、その程度の施設の改修では対応しきれないないことは明らかだ。しかし、何でも大切なのは形よりも中身。たとえオンボロ法廷やオンボロ評議室でも充実した法廷の審理や裁判員の評議ができることもあるが、肝心の裁判員が無能で意欲が無ければ、いくら立派な施設を作っても所詮ダメ。
さてロシア版『12人の怒れる男』の場合、廷吏(アレクサンドル・アダバシャン) に案内されて12人の陪審員が入ったのは、何とだだっ広い学校の体育館。「こんな所で評議するの・・・?」と12人は一様に驚いたが、どうせちょっとした時間だけ。「隣の工事の音がやかましくても、体育館の電気設備が悪くても、大きな影響はないワ」と思っていたが、一人の陪審員が無罪に挙手したため、意外にもこのオンボロ体育館が評議の舞台として大きな役割を果たしていくことに・・・。
<日本版『12人の怒れる男』は?>
裁判員制度の施行に向け、近時はさまざまな官制の(?)啓蒙ドラマが作られているが、陪審制度復活を求める運動の盛り上がりの中で最初に生まれた陪審モノの日本映画は、1991年に製作された『12人の優しい日本人』。「別れた夫と口論のうえ、走ってくるトラックに夫を突き飛ばして殺害したという殺人罪」成否をめぐっては、28歳の会社員である陪審員2号が、「いいんですか、こんなんで。もう一度集めて下さい。僕、話し合いがしたいんです」と言い始めたことによって、正当防衛が成立するか否かが大きな争点になっていく。
当初私はアメリカ版の単なるパロディと思っていたが、何の何の。これは日本人による、日本の裁判制度での、日本人のための陪審ドラマの秀作だ。明確にテーマを設定し、議論のやり方を訓練すれば、日本人だって捨てたものではないと実感したものだ。
<12人はどんな事件の評議を?>
ロシア版の個性溢れる12人の怒れる男たちが評議するのは、アメリカ版と同じ第一級殺人事件。その殺人の状況はアメリカ版とよく似ている。しかし全然違うのは、被告人はチェチェン人の少年で、被害者はその少年の養父で元ロシア軍将校という、いかにも現在のロシア的な属性を与えていること。そのため、ロシア版では評議の合間に再三再四フラッシュバック的に生々しいチェチェンでの戦いの様子が登場する。
また、アメリカは日本とともに死刑制度のある国だが、ロシアは死刑制度がなく、最高刑は一生刑務所に拘束される終身刑。3日間にわたる審理が終了し、あとは12人の陪審員の評決を待つばかりだが、有罪となればあのチェチェン人の少年は、きっと求刑どおり終身刑となるはず。さて、そんな事件を12人の陪審員はどんな風に評議するのだろうか・・・?
<アメリカ版「陪審員8号」は誰?>
さっさと評議を終えて帰りたい考えているのは、ロシア版もアメリカ版と同じ。アメリカ版では、11名の陪審員が「有罪」に挙手する中、ヘンリー・フォンダ扮する「陪審員8号」がただ1人無罪に手を挙げたところから物語がスタートしたが、ロシア版でその役を演ずるのは誰・・・?
最初の注目点はそれだが、アメリカ版の「陪審員8号」役は、ロシア版では陪審員1号(セルゲイ・マコヴェツキイ)。彼はロシアと日本の合弁会社のCEOだが、その言い分はアメリカ版の陪審員8号ほど説得的ではない。つまり、彼が無罪に挙手したのは、「結論を出すのは早すぎるのではないか」という論拠だけのようだ。したがって、他の陪審員から白い目が向けられると、彼は「再度投票を行い、無罪に挙手するのがやはり自分1人だけだったら、有罪に同意する」とワケのわからない主張に変更したのは、私にはちょっといただけない。もっとも、ここで彼が「挙手では意見を述べにくいし、考える時間を稼ぐためにも記名投票を」と食い下がったのは立派。だって、それによって現実に1人無罪票が出たのだから・・・。
<投票の結果は?>
「それじゃ」ということであらためて無記名投票をしてみると、何と今度は陪審員4号(ヴァレンティン・ガフト)が無罪に票を入れていたことが判明。ユダヤ人である彼は「ユダヤ人特有の美徳と思慮深さで考え直した」と前置きしたうえ、被告人についた弁護士にやる気がなかったのではないか、と問題提起をしたから、「なるほど、それも一理ある」という雰囲気となり、いよいよ本格的な評議(?)が始まることに。
やはり、何ゴトも簡単に全員一致としてはダメ。アメリカ版における陪審員8号すなわちロシア版における陪審員1号のような「異端派」の存在が大切だ。
<陪審員長の存在感に注目!>
12人の陪審員が評議するには陪審員長を選任しなければならないが、陪審員2号(ニキータ・ミハルコフ)が陪審員長に選ばれたのは、きっと彼の抜群の存在感のため。実はこの陪審員2号を演ずるのは、この映画の監督・脚本をしたニキータ・ミハルコフその人。
この陪審員長の評議のリードの仕方は、非常に民主的で妥当なもの。また、あまり自分の意見を言わず他の陪審員の発言を促す姿勢も好感が持てる。ただ、評議が熱気を帯び熟していく中、次第に有罪から無罪に転ずる陪審員が増えていくのに、彼がずっと有罪の立場をキープしているのが少し気がかり・・・。
<有罪説は陪審員3号ともう1人?>
アメリカ版ではリー・J・コッブが演じていた強硬な有罪派の陪審員3号を、ロシア版では陪審員3号のセルゲイ・ガルマッシュが演じている。タクシー運転手の陪審員3号は、もともと外国人を毛嫌いし、チェチェンの少年にも偏見を抱いていたから、ハナから有罪と信じ込んでいるタイプ。最終的にそんな陪審員3号が遂に無罪に転じたところで、がぜん存在感が強まるのが陪審員長。つまり、「少年は無罪で、評議終了」となりかけた中、彼は「ちょっと待った。陪審員長も一票の評決権を持っている」と述べ、あくまで有罪の立場をとったわけだ。
そこで注目されるのが、彼が有罪だと主張する根拠だが、それはあなた自身の目で。ここらあたりが、アメリカ版と大きく異なる、ニキータ・ミハルコフ監督のオリジナリティ。そしてまた、1957年のアメリカ版から約50年後の今、ロシアでつくられた映画だということを実感させられる大きなポイント。
<評議にはそれぞれの人生が・・・>
アメリカ版も陪審員としての評議の中に、12人それぞれの人生が映し出されていたが、ロシア版はそれを徹底的に追及しているところがすごい。陪審員1号からのちょっと頼りない(?)無罪の問題提起がなければ、評議は1分で終了していたはず。しかし、評議が熱を帯びてくるにつれて、少年を有罪とするか無罪とするかについては、陪審員1人1人の人生そのものをぶつけなければならないことに。
この映画評論の冒頭に、あえて陪審員1号から12号のキャラをプレスシートの紹介どおり書いたのはそのためだ。もちろん、それだけで簡単に理解できるはずはないが、2時間40分の重厚な密室ドラマに飽きることなく引き込まれていくのは、各陪審員が自分の人生と向き合った真剣勝負を見せてくれるから。
<その1例、2例、3例は・・・?>
例えば、苦労してロシアの医大を出て外科医となったカフカス地方出身の外科医である陪審員7号(セルゲイ・ガザロフ)の独白はなるほどと思わせる。また、そんな彼には後述のとおり意外にもナイフの特技があり、評議に大きな影響を及ぼすことに。
また、半分ユダヤ人の血をひいているひょうきん者の旅芸人陪審員8号(ミハイル・イェフレモフ)の心の叫びは痛々しく、人生がタップリと詰まっている。
そして興味深いキャラは、母親が経営するTV会社の取締役でありながら、小心者で人の意見に左右されやすい陪審員6号(ユーリ・ストヤノフ)。彼は他の陪審員からコケにされながらも、なお陪審員としての義務を果たそうとするが、いったん無罪に意見を変えながら、陪審員3号から車イスに乗せられた状態である厳しい想定を突きつけられると、再び有罪に転ずるという体たらくぶり。
ロシア版最大の特徴は、こんな風に1人1人の陪審員の人生を生々しく映し出していること。これはその1例、2例、3例にすぎないが、1人の少年の有罪・無罪を決定するについては、ここまで徹底的に自己と向き合うことが必要なのだ。
<論点の追及と検証は?>
アメリカ版において有罪か無罪かの論点となったのは、次の5点。すなわち、①電車の轟音の中で証人が聞いたという、「殺してやる」との少年の言葉の信憑性は?②通り過ぎる電車の窓越しに倒れる父親を目撃したという証言の信憑性は?③アパートのじいさんは、本当に殺しの15秒後にベッドから起き上がりドアに駆けよって、少年が階下へ駆け下りて逃げ出すところを目撃したのか?④ナイフを使い馴れた人間なら、ナイフを低く構えて上へ突き上げるはずだ。そうであれば被害者の心臓のナイフの傷は?⑤目撃証人の鼻には傷跡があった。それは眼鏡の跡だ。すると目撃証人はベッドの中で眼鏡をかけて寝ていたのか?等々。
他方、ロシア版も⑤を除いて、また電車の轟音か隣の建築現場の轟音かの違いを除いてほぼこれと同じ。とりわけ、評議において大きな論点となり、追及・検証されるのは、論点③と④。論点③については、体育館をいっぱいに使った「実験」が試みられることになるが、それを率先したのは陪審員1号。他方、論点④について、意外なナイフの達人としての技を披露するのが陪審員7号。
なるほど、12人も集まればいろいろな特技をもった人間がいるものだと感心!
<陪審員11号の仮説の説得力は?>
いかにも現在のロシアで起きた第一級殺人事件の評議だと感心させられるのは、映画後半に登場してくる陪審員11号(ヴィクトル・ヴェルジビツキイ)の提起するある仮説。冷静な建築家であり業界の裏ビジネスに精通している陪審員11号が提起する仮説は実に説得力があり、私もなるほどと思えるものだ。
彼の仮説は、隣にデッカイ建物を建築中の建築業者が、邪魔になる少年の家を含む2世帯を立ち退かせるために仕組んだ殺人事件だということ。つまり、少年の家の隣に住む老人の証言は真っ赤なウソで、これは建築業者がそう言わせたもの。なぜなら、その老人は証言が終わるやすぐに娘の住所に移っているからだ。そして、少年がその養父を殺したことになれば、邪魔になっていた2世帯の立退きはまんまと成功し、証言した老人も建築業者も万々歳ということになる。なるほど、なるほど。この仮説の説得力は・・・?
<陪審員9号の「埋葬論」も面白い・・・>
陪審員11号の陰謀説に納得して無罪に転じたのが陪審員9号(アレクセイ・ゴルブノフ)。墓地の管理責任者であり愛国心を持つ一方、新体制に批判的である彼が語る埋葬論も面白い。彼に言わせると、墓穴にわざわざ水を入れておき、遺族から墓穴を乾いたものに交換してくれと言わせるように仕向けるのは日常茶飯事らしい。つまり、遺族を値踏みしたうえで、このように交換を仕向けて金を出させ、終わればまた次の墓穴に水を入れていくことのくり返しというわけだ。
彼の説が面白いのは、そんなふうにして儲けた金で学校を建て、ホームレスの面倒をみているらしいこと。つまり、生きた者に対して金を使うことが大切だという彼の人生訓だが、さてその賛否は・・・?
<「あの名作」以上の「この名作」は必見!>
今、私の手元にレジナルド・ローズ著、額田やえ子訳による『十二人の怒れる男』(1979年・構想社)がある。これは『十二人の怒れる男』全3幕の戯曲の脚本だが、全体で約150頁ほどのコンパクトなものだから、きわめて読みやすい。この本はアメリカでは1956年に出版されたが、それと前後して映画化された『十二人の怒れる男』は大好評。もっとも、この他に『路上の犯罪“Crime in the Street”』も映画化されているとのことだが、残念ながら私は知らない。
アメリカ版『十二人の怒れる男』はアメリカ映画の名作中の名作だとずっと言われてきたが、今回のロシア版『12人の怒れる男』はそれ以上の名作と言うべき。それはなぜなら、「この名作」には「あの名作」にはなかった、陪審員1人1人の人生論が詰まっており、陪審員があの少年の犯罪を裁くについて、どうしてもそれと向き合わざるをえないことを説得力をもって教えてくれるからだ。
もっとも、そのために2時間40分という長尺となったことは、ある意味この映画をヒットさせるについての難点かもしれない。しかし、たまには軽薄短小を排して重厚長大路線に回帰することも必要では・・・。とにかく、「あの名作」以上の「この名作」は必見!
<裁判員に選ばれた場合、あなたは?>
09年5月に実施される裁判員裁判は04年5月の「裁判員法」にもとづくもの。そんな中、08年8月4日付読売新聞が「裁判員に選ばれる確率、最高は大阪の『2894人に1人』」と発表したので、それに注目!裁判員裁判では1件あたり裁判員6人、補充裁判員2人が選ばれるため、国民がそれに選ばれる確率は、全国平均で有権者4911人に1人の計算。しかし、犯罪の発生率は地域ごとにバラつきがあるため、裁判員に選ばれる確率も地域ごとに差異が出る。裁判員裁判対象事件は強盗殺人、殺人、現住建造物等放火、強姦致死傷等の「重罪」だが、その発生数は大阪306件、東京255件、千葉214件の順。したがって、国民が裁判員候補者に選ばれる確率が最も高いのが大阪で、2894人に1人となるらしい。さて、あなたが選ばれた場合積極的に参加できる・・・?
<あちこちで米、日、露の一挙上映を!>
裁判員裁判の実施に向けて、政府も法曹界も啓蒙活動に躍起だが、国民の盛り上がりは低いばかりか、裁判員制度絶対阻止という反対運動も強い。そんな「逆風」の中、裁判員制度に興味を持ってもらうためには、こんな映画の上映会をやるのが1番。もっとも、ロシア版だけでは難しすぎてしんどすぎるので、比較対照してもらう意味も込めて、米、日、露の3作品の一挙上映を、採算を度外視してくり返しやるのがベスト。
法学部のある大学や法科大学院では、シンポジウムや対談をセットして秋の文化祭で是非そんな上映会を企画してほしい。また、弁護士会も、しゃべり方教室や模擬裁判だけではなく、「映画から学ぶ裁判員制度」というキャッチフレーズで、大々的に上映会を展開するべきだ。現状では官製のくだらない(?)講演やシンポジウムをいくらやっても、裁判員制度の実施向けて盛りあがる見込みは薄い。
裁判員制度について私は、数年やってみたものの、国民の反対が強いため中止という予想をしているが、選挙権のある日本国民のせめて1割くらいが『12人の怒れる男』を観たというレベルにならなければ、裁判員制度の実施なんてとてもムリ・・・?
2008(平成20)年8月20日記