東南角部屋 二階の女(日本映画・2008年) |
<GAGA試写室>
2008年9月17日鑑賞
2008年9月20日記
東京芸大大学院映像研究科の第1期卒業生コンビが世に問う新たな感性とは?若手実力派俳優西島秀俊、加瀬亮と日本の大女優香川京子の出演は、そんな才能への期待値を込めたもの。奇妙なタイトルの理解には、借地権の知識が必要・・・。そんなことを言うのは、悪しき法律家だ。大切なのは、2階の「東南角部屋」から何を感じ、何を学ぶのかということ。一見頼りない若者たちも、きっとこの貴重な体験を元に今旅立っていくのだろう・・・。
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監督:池田千尋
脚本:大石三知子
野上孝/西島秀俊
三崎哲(孝の後輩)/加瀬亮
豊島涼子(フリーのフードコーディネーター)/竹花梓
野上友次郎(孝の祖父)/高橋昌也
夏見藤子(アパートのオーナー、居酒屋“ふみと”の女将)/香川京子
石山清六(“ふみと”の常連客、畳屋)/塩見三省
2008年・日本映画・104分
配給/トランスフォーマー、ユーロスペース
<東京芸大卒の同級生コンビに注目!>
私が07年10月10日に特別講義をした北京電影学院は、世界的に有名な国立の総合映画大学だが、日本にはこのような大学は存在しない。しかし、芸大の映画科ではそれなりの専門的な勉強をしているはず。
1980年生まれというえらく若い新人女性監督池田千尋は東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域に、この映画の脚本を書いた1965年生まれの大石三知子は東京藝術大学大学院修士課程映像研究科映画専攻脚本領域に、それぞれ05年に入学し、07年に卒業した第1期生。したがって、1966年から始まった文化大革命が終焉した1977年の直後1978年に再開された北京電影学院に第1期生として入学し、1982年に卒業した張藝謀(チャン・イーモウ)監督や陳凱歌(チェン・カイコー)監督たちチャイニーズ・ニューウェーブの旗手たちと同じようなピカピカの秀才だ。まずは、そんな東京芸大卒の監督・脚本コンビに注目!
<芸達者な2人がなぜ?>
西島秀俊と加瀬亮のギャラが今いくらくらいか?どれくらいのランクなのか?私は全然知らないが、今やこの2人は人気抜群の実力派俳優。したがって、そんな2人が27歳の新人女性監督の映画に出演していることに、私はまずビックリ。これは、きっと2人が池田千尋監督の才能を認めたため。
<香川京子がなぜ?>
他方、『キネマ旬報』10月上旬号は、「特別企画 映画女優 香川京子」を組み、125本の香川京子出演作品の中から、これだけは絶対に観たい作品22本を厳選して紹介しているが、これは『東南角部屋 二階の女』に香川京子が出演したことを契機としたもの。その中で香川京子は、『東南角部屋 二階の女』に出演するに至った経緯を縷々述べているが、「池田さんは27歳の若い女性で、とてもしっかりしていて、落ち着いた印象で、“この方なら大丈夫、きっといいお仕事ができるはず”と、それでお引き受けしたんです」と述べている。そこまで評価されたのだから、池田千尋監督はすごい。
張藝謀監督が『紅いコーリャン』(87年)で、新人女優鞏俐(コン・リー)を発掘したというレベルは到底ムリだとしても、人気の若手実力俳優2人と天下の大女優香川京子が池田千尋監督の求めに応じて快く出演したのは、このようにきっと池田千尋監督の才能への期待値を込めたもの。さあ、そんな映画の出来は・・・?
<頼りない3人の若者たちにイライラ・・・>
もっとも、映画の中での西島秀俊と加瀬亮の2人はあまりカッコいい役ではない。まず野上孝(西島秀俊)がきわめて安易に(?)会社を辞め、それにつられるかのように突発的に三崎哲(加瀬亮)も会社を辞めてしまったから、こりゃ2人とも今ドキのこらえ性のない若者の典型・・・?思わず私がそう思ったのは当然だ。さらに、会社を辞めたことによってそれまで一緒に生活していた恋人からも見限られ、家を出ていかざるをえなくなった三崎が、いとも簡単に夏見藤子(香川京子)が経営しているボロアパートに住むと言い出す姿には唖然。
そしてそれは、フリーのフードコーディネーターをしている豊島涼子(竹花梓)も同じで、更新料を支払うお金がないからという理由だけで、同じ安アパートに引っ越してくる涼子の安易さにもビックリ。こんな安易な若者たちが次々と繁殖していけば、ニッポン国はホントに大丈夫?頼りない3人の若者たちに、私はイライラ・・・。
<日本特有の借地権制度のお勉強を>
野上が会社を辞めたのは、莫大な借金を残して死亡した父親に代わって借金返済をするため。つまり、サラリーマン生活では到底追っつかず、土地を売却して借金を清算するしか方法がないと考えたためだ。現在土地は祖父友次郎(高橋昌也)の所有名義。そして、その土地の上には友次郎の居宅の他、藤子名義の木造2階建てアパートが建っていたが、現在は入居者がない状態。したがって、このアパートを取り壊して更地にし、居宅部分以外の土地を売却すれば借金の返済は可能。野上はそう考えたわけだ。しかし、第1にアパート取り壊しのためには、借地権者でありアパートの所有権者である藤子の協力(借地権付建物の買い取り)が必要。第2に、建物の所有名義人である友次郎の売却の同意が必要だ。私としては、この映画から日本特有の制度である借地権の勉強をしてほしいが、そこまではムリだとしても、この映画の観客にはせめてそれくらいの法的前提知識は理解してもらいたい。
こんなふうに借地権を介在して権利が絡まっているから、現実問題としてはこんな土地の売却は容易ではない。もっとも、この映画はそんな法的トラブルの処理方針をガイドするものではなく、こんな権利関係を提示する中で友次郎と藤子の微妙な人間関係を明らかにし、また野上孝の決断の是非を問うもの。
ちなみに、ほとんどセリフゼロに近い寡黙な友次郎に代わって、友次郎と藤子の関係を説明してくれるのは、藤子が経営している小料理屋“ふみと”の常連客で畳屋を経営しているロクさんこと石山清六(塩見三省)。それによると、藤子は友次郎の弟の許嫁だったが、戦争で弟が亡くなった後、結婚もせず友次郎夫婦とは家族のように接してきたらしい。そして、友次郎が妻と死別した今は・・・?
今や日本は男性78.7歳、女性85.7歳という超長寿社会になっているところ、この友次郎と藤子の仲睦まじい姿は、夫婦ではないにもかかわらず、不思議な安定感が・・・。
<売却?それとも現状維持?>
中心商業地では地価の80~90%が借地権というところもあるが、通常の借地権VS底地権の割合は6対4。したがって、藤子が野上孝に対してアパートの権利証(登記済証)を黙って渡し、アパートの解体を無条件でオーケーしてくれたのは、借地権を放棄するという意思表示だから、土地の売却を考えている野上にとってはこれ以上ないありがたい話。そして、友次郎からも売却オーケーの確認をとった以上、後は事務的に不動産屋に仲介注文を出すだけ。そう思いながら観ていると、アレレ、話は映画中盤からそれとは逆の方向に・・・。
映画づくりの方向としては、そりゃそうだろう。だって、そうでなければこの映画は何の変哲もない不動産売却顛末記になってしまうから。そこで問題は、なぜ野上孝はここにきて土地売却かそれとも現状維持かを迷うようになったのかということ。さあ、皆さんそれをよく考えてみよう。こういう問題を明確に提示するのが、池田千尋監督の手腕というものだ。
もっとも、弁護士として私が野上孝の相談を聞いた場合は、現状維持のためにはどれだけの費用がかかり、収入はどれだけになるのか?、他方売却した場合は?という経営的視点一辺倒になるから、その答えは当然決まっている。しかし、人間必ずしも数字どおり動かないのが面白いところ・・・?
<台風の夜、東南角部屋で見たものは?>
去る9月13日~15日の3連休に台湾を襲った台風13号は、17日~20日に日本を襲ったが、進路が北東から東にずれたため、大きな被害が生じなかったのはラッキー。しかし、友次郎と藤子が仲良く旅行に出かけた時台風が東京を襲ったから、こんな雨風にあうとオンボロ木造アパートにはきつい。私に言わせれば、台風に備えてあらかじめ防災対策をしておくべきなのだが、藤子から臨時に任されたお店の対応で精一杯だった野上孝、三崎、涼子の3人は、雨風が強まる中、開かずの部屋だったアパート2階の東南角部屋の雨戸を修理していると、逆に雨戸が外れてしまうことに。やむをえずそこから部屋の中に入り込んだ3人が、そこで見たものは・・・?
これ以上書くと怒られそうだからその中身は書かないが、この部屋にかつて住んでいた藤子がそこに置き残していたものとは?また、それが意味するものは?そんな、藤子と友次郎の人生がいっぱい詰まった2階東南角部屋から、3人の若者は何を感じ取り、何を学びとるのだろうか・・・?
2008(平成20)年9月20日記