2008年 10月 15日
ブラインドネス(カナダ、ブラジル、日本合作映画・2008年) |
洋08-254 ★★★★
<GAGA試写室>
2008年9月24日鑑賞
2008年9月25日記
突然の「白い闇」の発生と強制隔離。「ブラインドネス」の驚異的な伝染力に広がる恐怖。そして、強制収容所内で展開されるドラマティックな人間模様と権力闘争。ショッキングな状況設定と、想像を絶する世界観の広がりには、あなたはきっと驚くはず。あらためて、目が見えることを感謝するとともに、たまには目を閉じて人間のこと、世の中のことに思いをめぐらせなければ・・・。
本文はネタバレを含みます!!
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ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
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監督:フェルナンド・メイレレス
原作:ジョゼ・サラマーゴ『白い闇』(NHK出版刊)
医者の妻/ジュリアン・ムーア
医者/マーク・ラファロ
サングラスの娘/アリス・ブラガ
最初に失明した男/伊勢谷友介
最初に失明した男の妻/木村佳乃
黒い眼帯の老人/ダニー・グローヴァー
バーテンダー、第三病棟の王/ガエル・ガルシア・ベルナル
2008年・カナダ、ブラジル、日本合作映画・122分
配給/ギャガ・コミュニケーションズ
<ハリウッド映画に非ず!これはカナダ、ブラジル、日本合作映画!>
この映画のタイトルを聞き、『エデンより彼方に』(02年)、『めぐりあう時間たち』(02年)等のジュリアン・ムーア主演、『コラテラル』(04年)、『エターナル・サンシャイン』(04年)、『ゾディアック』(06年)等のマーク・ラファロ共演と聞けば、誰だって「こりゃ、ハリウッド映画」と思うはず。しかしこれは、『シティ・オブ・ゴッド』(02年)と『ナイロビの蜂』(05年)で有名なブラジル人監督フェルナンド・メイレレスの監督3作目。そして、脚本・製作・衣装ではカナダ出身者が、最初に失明した男として伊勢谷友介、その妻として木村佳乃が出演しているから、掛け値なしのカナダ、ブラジル、日本合作映画。
そんなハリウッド製ではない、インディペンデントプロダクションによる世界への挑戦が、2008年5月の第61回カンヌ国際映画祭でオープニング作品選出とコンペティション部門出品という快挙を成し遂げた理由。
<原作は?>
この映画の原作は、1995年に刊行されたポルトガル生まれのノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴの『白い闇』だが、プレスシートのプロダクションノートによれば、原作における登場人物はすべてに名前も経歴もないらしい。また、フェルナンド・メイレレス監督がジョゼ・サラマーゴからこの原作の映画化オーケーをとるにはかなり苦労したらしい。それは「映画は想像力を破壊する」と考えるジョゼ・サラマーゴが映画化の提案を一切拒否していたためだが、フェルナンド・メイレレス監督たちは、「インディペンデントの手法で映画製作をおこなう自分たちには、メジャー・スタジオが関与しないことで、配役や撮影方法などが自由に行えることを説明し、サラマーゴの承認を遂に得た」とのこと。
そんな事情のため、この映画の登場人物たちは名前がつけられていないという異例さ。
<登場人物たちは?>
すなわち、ジュリアン・ムーアが演じるのは医者の妻だし、マーク・ラファロが演じるのは医者。そして『スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ』(07年)で見事な英語力を発揮した伊勢谷友介と木村佳乃は、最初に失明した男とその妻として、日本語と英語のチャンポンでその存在感を示している。
もう1人興味深いキャラが、収容所内の「第三病棟の王」として君臨するバーテンダーの男だが、これを演じるのは『キング 罪の王』(05年)、『バベル』(06年)等で印象的な演技を見せたメキシコ出身の俳優ガエル・ガルシア・ベルナル。さらに、サングラスの娘を演じるのがブラジル出身の女の子アリス・ブラガだし、黒い眼帯の老人を演ずるのが『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(01年)や『ドリームガールズ』(06年)などのアメリカ出身俳優ダニー・グローヴァー。これらを見れば、フェルナンド・メイレレス監督がいかに幅広く各国から個性派俳優を集めたかがよくわかる。近時アジア圏でも、中国、香港、台湾、韓国、日本の合作映画が増えているが、その傾向が全世界的に広がっていることがこの映画を見れば明らかだ。
アメリカ発のサブプライムローン問題がたちまち全世界を駆けめぐって不動産不況を引き起こしたうえ、米証券大手リーマン・ブラザーズの破綻に端を発した全世界的な金融再編成が今始まっていることを考えれば、映画界においても合作傾向が広がるのは当然のこと・・・。
<ショッキングな映像は、伊勢谷友介から!>
膨大な量の車の流れを合理的に制御するためには、信号機の設置と信号を守るという国民の法令順守の姿勢が不可欠。ところが、信号待ちの車の中で突然目の前が真っ白になり、白い闇で見えなくなれば、そんな約束ゴトは吹っ飛んでしまう。『ブラインドネス』の冒頭にフェルナンド・メイレレス監督が見せるのは、そんなシークエンス。そして、その主役は最初に失明した男(伊勢谷友介)だ。
信号が青に変わっても走り出すことができない伊勢谷が乗った車は、当然後方からブーイングの嵐を浴びるが、そんな最悪の事態を打開すべくすぐに助っ人が登場するから、さすがアメリカは民主主義の国と思ったのだが、実はそれは車泥棒というから、やっぱりアメリカは恐い。助っ人が伊勢谷を自宅まで送り届けたのは決して親切心からではなく、部屋の中を物色するためだったことは明らかだ。したがって、その後部屋に戻ってきた木村佳乃演ずる彼の妻はビックリ。妻に付き添われて病院に連れて行かれた伊勢谷は医師(マーク・ラファロ)の診察を受けるが、眼球等に何の異常もないため、失明の理由がわからないのが不気味。伊勢谷がその日不安な夜を送ったのは当然だが、医者の方も大変。だって、彼も翌朝目を覚ましてみると、なぜか急にブラインドネスになってしまったのだから。これは昨日の患者から感染したもの。すぐにそう理解した医者は妻に対して、「俺に触れるな」といかにも医者らしい指示をしたが・・・。
<妻の強気の源泉は?>
いくら固い絆で結ばれた夫婦でも、医者である夫が患者から強い感染力を持った伝染病をうつされたと知れば、妻は夫との接触を避け、夫の隔離を求めるはず。ところが、ジュリアン・ムーアはそうではなく、昨夜ずっとベッドで一緒にいたのだから、うつるのならもううつっているはずと至って強気。
私にはその強気の源泉が何なのか全然理解できないが、そんな状況下でも夫のまぶたにキスをする妻の姿は、まるでマリア様のよう。少なくとも、口では「俺に触れるな」と言っていた夫はそう思い、感激したはず・・・。
<アメリカ政府の強制隔離策は、タイムリーかつ適切!>
世界的金融危機の広がりに対するFRB(連邦準備制度理事会)やアメリカ政府の対応は、極めてタイムリー。これは、1990年代に不良債権の処理に苦しんだ日本政府の対応が後手後手に回り、タイムリーな対策をとれなかったことと好対照だ。それと同じように、原因不明の「ブラインドネス」が広がる中、アメリカ政府がとったとりあえずの隔離政策はタイムリーかつ適切な処置。だって、ブラインドネスの感染を防ぐには、それ以外の方策は考えられないのだから。
そんな強制隔離政策をとる場合最も適切な施設は、誰が考えても厳重な隔離体制が可能な精神病院。その結果、最初の感染グループは政府の発動した緊急隔離政策によって、かつて精神病院だったという収容所に強制収容されることに。その後急速に収容者が増えていく中、最初に失明した男と車泥棒が出会い、さらに最初に失明した男とその妻が収容所の中で出会えたのは何ともラッキー・・・?しかし、こんなペースで感染者が増えていけば、収容施設の維持は大丈夫・・・?
<面白い設定は、医者の妻の潜入>
感染者の収容は国家権力による強制的なもの。したがって、感染していない者、つまり目の見える者が感染者と一緒に収容されることは本来ありえない。ところが、医者の妻は自ら医者と共に収容所行きの車に乗り込んだからビックリ。もちろん、防護服に身を包んだ警備員たちは「感染者以外は車に乗れません」と叫んだが、妻本人が「私も今、目が見えなくなったの」と答えれば、オーケーしたのは当然かも。だって、自ら進んで感染者を集める強制収容所に入ろうとする健常者がいるなんてことは、誰も予想しないから。
その意味では、医者の妻が医者に付き添って一緒に収容所の中まで入っていったというのはストーリー展開上の設定としては面白いが、現実にはちょっとありえない話・・・?ちなみに、『ベン・ハー』(59年)を観れば、イエス・キリストはらい病患者を隔離した谷の底に入って行き、ベン・ハーの母と姉のらい病を見事に治したが、この映画の中で医者の妻が見せる勇気は、まさに『ベン・ハー』におけるイエス・キリスト並み・・・。
<「隔離社会」での濃密な人間ドラマは?>
この映画のメインは、医者の妻の目を通して描かれる、ブラインドネス集団で構成された隔離社会における濃密な人間ドラマ。収容所は政府の厳格な管理下に運営されているから、ベッドや食料その他の待遇はそれなりのレベルが保証されているはず。しかし、その実態は・・・?次々と収容者が増えているということは、外界は一体どうなっているの?
面白いのは、人間は集団生活になれば必ず「派閥」(?)が生まれること。当初は当局からの指示で各病棟1名の代表者を選んでいたが、医者を代表者とする民主主義体制の第一病棟に対して、第三病棟に銃を持った自らを王と称する独裁者が登場したから大変。彼が支配下におこうとしたのは食料品。銃の力を利用して食料を独占した彼は、「食いたければ金を払え」ときたからビックリ。さらに、収容者の金目のものが底をついたと知ると、今度は何と「女を出せ!」と理不尽な要求を。こりゃ、某国の某独裁者以上の暴挙だが、そんな中で提示されるさまざまな人間ドラマは秀逸。それをじっくりと。
<「全世界、失明」とはどんな世界?>
日本は10月末~11月はじめにいよいよ太郎(自民党)VS一郎(民主党)による一大政治決戦を迎えるが、ここ収容所での第一病棟(民主主義国)VS第三病棟(独裁国)の対決はどんな結末に?それはあなた自身の目で確認してもらいたいが、フェルナンド・メイレレス監督は、映画の後半4分の1で「全世界、失明」という未曾有の世界をスクリーン上に描いていく。
ホントにすべての人間が視力を失った場合、果たして人間は生きていくことができるのかは難しいテーマだが、スクリーン上で観る風景はホントにショッキングなもの。あの強制隔離の収容所から逃げ出し、広い世界に転出してきた今、医者の妻だけ目が見えていることのメリットは絶大なもの。全世界の宝石を集めたより、目が見えることの価値の方が大きいことは明らかだ。
そこで注目は、彼女たちはそんな世界の中でどんな生活を営むのかということだが、そこらあたりの描き方について、私は若干異議あり・・・。
<登場人物たちはどんな結末を?そして世界は?>
この映画は、『シックスセンス』(99年)に代表されるインド人監督M・ナイト・シャマランの作品のように、大上段から「映画の結末は絶対に明かさないでください」と要求していない。しかし、こんな衝撃的な設定と問題提起の深さと鋭さからして、その結末を明かすことができないのは当然。せいぜい評論で書けるのは、収容所という狭い隔離された世界での人間の営みから、「全世界、失明」ながらフリーな広い世界での人間の営みに移行したことの説明くらい。
もちろん、それが可能となるのは医者の妻の目によってだが、そんな秩序は永久に続くの?それとも、伊勢谷の目がある日突然見えなくなったように、ある日突然何らかの別の異変が起きるの?そんな、登場人物たちが迎える結末と世界の結末については、あなた自身の目で・・・。
2008(平成20)年9月25日記
<GAGA試写室>
2008年9月24日鑑賞
2008年9月25日記
突然の「白い闇」の発生と強制隔離。「ブラインドネス」の驚異的な伝染力に広がる恐怖。そして、強制収容所内で展開されるドラマティックな人間模様と権力闘争。ショッキングな状況設定と、想像を絶する世界観の広がりには、あなたはきっと驚くはず。あらためて、目が見えることを感謝するとともに、たまには目を閉じて人間のこと、世の中のことに思いをめぐらせなければ・・・。
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監督:フェルナンド・メイレレス
原作:ジョゼ・サラマーゴ『白い闇』(NHK出版刊)
医者の妻/ジュリアン・ムーア
医者/マーク・ラファロ
サングラスの娘/アリス・ブラガ
最初に失明した男/伊勢谷友介
最初に失明した男の妻/木村佳乃
黒い眼帯の老人/ダニー・グローヴァー
バーテンダー、第三病棟の王/ガエル・ガルシア・ベルナル
2008年・カナダ、ブラジル、日本合作映画・122分
配給/ギャガ・コミュニケーションズ
<ハリウッド映画に非ず!これはカナダ、ブラジル、日本合作映画!>
この映画のタイトルを聞き、『エデンより彼方に』(02年)、『めぐりあう時間たち』(02年)等のジュリアン・ムーア主演、『コラテラル』(04年)、『エターナル・サンシャイン』(04年)、『ゾディアック』(06年)等のマーク・ラファロ共演と聞けば、誰だって「こりゃ、ハリウッド映画」と思うはず。しかしこれは、『シティ・オブ・ゴッド』(02年)と『ナイロビの蜂』(05年)で有名なブラジル人監督フェルナンド・メイレレスの監督3作目。そして、脚本・製作・衣装ではカナダ出身者が、最初に失明した男として伊勢谷友介、その妻として木村佳乃が出演しているから、掛け値なしのカナダ、ブラジル、日本合作映画。
そんなハリウッド製ではない、インディペンデントプロダクションによる世界への挑戦が、2008年5月の第61回カンヌ国際映画祭でオープニング作品選出とコンペティション部門出品という快挙を成し遂げた理由。
<原作は?>
この映画の原作は、1995年に刊行されたポルトガル生まれのノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴの『白い闇』だが、プレスシートのプロダクションノートによれば、原作における登場人物はすべてに名前も経歴もないらしい。また、フェルナンド・メイレレス監督がジョゼ・サラマーゴからこの原作の映画化オーケーをとるにはかなり苦労したらしい。それは「映画は想像力を破壊する」と考えるジョゼ・サラマーゴが映画化の提案を一切拒否していたためだが、フェルナンド・メイレレス監督たちは、「インディペンデントの手法で映画製作をおこなう自分たちには、メジャー・スタジオが関与しないことで、配役や撮影方法などが自由に行えることを説明し、サラマーゴの承認を遂に得た」とのこと。
そんな事情のため、この映画の登場人物たちは名前がつけられていないという異例さ。
<登場人物たちは?>
すなわち、ジュリアン・ムーアが演じるのは医者の妻だし、マーク・ラファロが演じるのは医者。そして『スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ』(07年)で見事な英語力を発揮した伊勢谷友介と木村佳乃は、最初に失明した男とその妻として、日本語と英語のチャンポンでその存在感を示している。
もう1人興味深いキャラが、収容所内の「第三病棟の王」として君臨するバーテンダーの男だが、これを演じるのは『キング 罪の王』(05年)、『バベル』(06年)等で印象的な演技を見せたメキシコ出身の俳優ガエル・ガルシア・ベルナル。さらに、サングラスの娘を演じるのがブラジル出身の女の子アリス・ブラガだし、黒い眼帯の老人を演ずるのが『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(01年)や『ドリームガールズ』(06年)などのアメリカ出身俳優ダニー・グローヴァー。これらを見れば、フェルナンド・メイレレス監督がいかに幅広く各国から個性派俳優を集めたかがよくわかる。近時アジア圏でも、中国、香港、台湾、韓国、日本の合作映画が増えているが、その傾向が全世界的に広がっていることがこの映画を見れば明らかだ。
アメリカ発のサブプライムローン問題がたちまち全世界を駆けめぐって不動産不況を引き起こしたうえ、米証券大手リーマン・ブラザーズの破綻に端を発した全世界的な金融再編成が今始まっていることを考えれば、映画界においても合作傾向が広がるのは当然のこと・・・。
<ショッキングな映像は、伊勢谷友介から!>
膨大な量の車の流れを合理的に制御するためには、信号機の設置と信号を守るという国民の法令順守の姿勢が不可欠。ところが、信号待ちの車の中で突然目の前が真っ白になり、白い闇で見えなくなれば、そんな約束ゴトは吹っ飛んでしまう。『ブラインドネス』の冒頭にフェルナンド・メイレレス監督が見せるのは、そんなシークエンス。そして、その主役は最初に失明した男(伊勢谷友介)だ。
信号が青に変わっても走り出すことができない伊勢谷が乗った車は、当然後方からブーイングの嵐を浴びるが、そんな最悪の事態を打開すべくすぐに助っ人が登場するから、さすがアメリカは民主主義の国と思ったのだが、実はそれは車泥棒というから、やっぱりアメリカは恐い。助っ人が伊勢谷を自宅まで送り届けたのは決して親切心からではなく、部屋の中を物色するためだったことは明らかだ。したがって、その後部屋に戻ってきた木村佳乃演ずる彼の妻はビックリ。妻に付き添われて病院に連れて行かれた伊勢谷は医師(マーク・ラファロ)の診察を受けるが、眼球等に何の異常もないため、失明の理由がわからないのが不気味。伊勢谷がその日不安な夜を送ったのは当然だが、医者の方も大変。だって、彼も翌朝目を覚ましてみると、なぜか急にブラインドネスになってしまったのだから。これは昨日の患者から感染したもの。すぐにそう理解した医者は妻に対して、「俺に触れるな」といかにも医者らしい指示をしたが・・・。
<妻の強気の源泉は?>
いくら固い絆で結ばれた夫婦でも、医者である夫が患者から強い感染力を持った伝染病をうつされたと知れば、妻は夫との接触を避け、夫の隔離を求めるはず。ところが、ジュリアン・ムーアはそうではなく、昨夜ずっとベッドで一緒にいたのだから、うつるのならもううつっているはずと至って強気。
私にはその強気の源泉が何なのか全然理解できないが、そんな状況下でも夫のまぶたにキスをする妻の姿は、まるでマリア様のよう。少なくとも、口では「俺に触れるな」と言っていた夫はそう思い、感激したはず・・・。
<アメリカ政府の強制隔離策は、タイムリーかつ適切!>
世界的金融危機の広がりに対するFRB(連邦準備制度理事会)やアメリカ政府の対応は、極めてタイムリー。これは、1990年代に不良債権の処理に苦しんだ日本政府の対応が後手後手に回り、タイムリーな対策をとれなかったことと好対照だ。それと同じように、原因不明の「ブラインドネス」が広がる中、アメリカ政府がとったとりあえずの隔離政策はタイムリーかつ適切な処置。だって、ブラインドネスの感染を防ぐには、それ以外の方策は考えられないのだから。
そんな強制隔離政策をとる場合最も適切な施設は、誰が考えても厳重な隔離体制が可能な精神病院。その結果、最初の感染グループは政府の発動した緊急隔離政策によって、かつて精神病院だったという収容所に強制収容されることに。その後急速に収容者が増えていく中、最初に失明した男と車泥棒が出会い、さらに最初に失明した男とその妻が収容所の中で出会えたのは何ともラッキー・・・?しかし、こんなペースで感染者が増えていけば、収容施設の維持は大丈夫・・・?
<面白い設定は、医者の妻の潜入>
感染者の収容は国家権力による強制的なもの。したがって、感染していない者、つまり目の見える者が感染者と一緒に収容されることは本来ありえない。ところが、医者の妻は自ら医者と共に収容所行きの車に乗り込んだからビックリ。もちろん、防護服に身を包んだ警備員たちは「感染者以外は車に乗れません」と叫んだが、妻本人が「私も今、目が見えなくなったの」と答えれば、オーケーしたのは当然かも。だって、自ら進んで感染者を集める強制収容所に入ろうとする健常者がいるなんてことは、誰も予想しないから。
その意味では、医者の妻が医者に付き添って一緒に収容所の中まで入っていったというのはストーリー展開上の設定としては面白いが、現実にはちょっとありえない話・・・?ちなみに、『ベン・ハー』(59年)を観れば、イエス・キリストはらい病患者を隔離した谷の底に入って行き、ベン・ハーの母と姉のらい病を見事に治したが、この映画の中で医者の妻が見せる勇気は、まさに『ベン・ハー』におけるイエス・キリスト並み・・・。
<「隔離社会」での濃密な人間ドラマは?>
この映画のメインは、医者の妻の目を通して描かれる、ブラインドネス集団で構成された隔離社会における濃密な人間ドラマ。収容所は政府の厳格な管理下に運営されているから、ベッドや食料その他の待遇はそれなりのレベルが保証されているはず。しかし、その実態は・・・?次々と収容者が増えているということは、外界は一体どうなっているの?
面白いのは、人間は集団生活になれば必ず「派閥」(?)が生まれること。当初は当局からの指示で各病棟1名の代表者を選んでいたが、医者を代表者とする民主主義体制の第一病棟に対して、第三病棟に銃を持った自らを王と称する独裁者が登場したから大変。彼が支配下におこうとしたのは食料品。銃の力を利用して食料を独占した彼は、「食いたければ金を払え」ときたからビックリ。さらに、収容者の金目のものが底をついたと知ると、今度は何と「女を出せ!」と理不尽な要求を。こりゃ、某国の某独裁者以上の暴挙だが、そんな中で提示されるさまざまな人間ドラマは秀逸。それをじっくりと。
<「全世界、失明」とはどんな世界?>
日本は10月末~11月はじめにいよいよ太郎(自民党)VS一郎(民主党)による一大政治決戦を迎えるが、ここ収容所での第一病棟(民主主義国)VS第三病棟(独裁国)の対決はどんな結末に?それはあなた自身の目で確認してもらいたいが、フェルナンド・メイレレス監督は、映画の後半4分の1で「全世界、失明」という未曾有の世界をスクリーン上に描いていく。
ホントにすべての人間が視力を失った場合、果たして人間は生きていくことができるのかは難しいテーマだが、スクリーン上で観る風景はホントにショッキングなもの。あの強制隔離の収容所から逃げ出し、広い世界に転出してきた今、医者の妻だけ目が見えていることのメリットは絶大なもの。全世界の宝石を集めたより、目が見えることの価値の方が大きいことは明らかだ。
そこで注目は、彼女たちはそんな世界の中でどんな生活を営むのかということだが、そこらあたりの描き方について、私は若干異議あり・・・。
<登場人物たちはどんな結末を?そして世界は?>
この映画は、『シックスセンス』(99年)に代表されるインド人監督M・ナイト・シャマランの作品のように、大上段から「映画の結末は絶対に明かさないでください」と要求していない。しかし、こんな衝撃的な設定と問題提起の深さと鋭さからして、その結末を明かすことができないのは当然。せいぜい評論で書けるのは、収容所という狭い隔離された世界での人間の営みから、「全世界、失明」ながらフリーな広い世界での人間の営みに移行したことの説明くらい。
もちろん、それが可能となるのは医者の妻の目によってだが、そんな秩序は永久に続くの?それとも、伊勢谷の目がある日突然見えなくなったように、ある日突然何らかの別の異変が起きるの?そんな、登場人物たちが迎える結末と世界の結末については、あなた自身の目で・・・。
2008(平成20)年9月25日記









