細雪(日本映画・1983年) |
<DVD鑑賞>
2008年10月12日鑑賞
2008年10月20日記
アメリカに『若草物語』あれば、日本に『細雪』あり。4人姉妹の着物姿の美しさと、市川崑監督特有の桜と紅葉の映像美にうっとり。他方、本家VS分家の確執、三女雪子の再三のお見合い話、四女妙子の男騒動(?)など、蒔岡家も大変。しかして、その結末は・・・?
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監督:市川崑
原作:谷崎潤一郎
蒔岡鶴子(長女)/岸恵子
蒔岡幸子(次女)/佐久間良子
蒔岡雪子(三女)/吉永小百合
蒔岡妙子(四女)/古手川祐子
蒔岡辰雄(鶴子の夫、銀行員)/伊丹十三
蒔岡貞之助(幸子の夫)/石坂浩二
板倉(カメラマン)/岸部一徳
奥畑啓三(船場のボンボン)/桂小米朝
東谷(雪子の見合い相手、東谷子爵家の次男坊)/江本孟紀
三好(バーテンダー)/辻萬長
陣馬仙太郎/小林昭二
1983年・日本映画・140分
配給/東宝
<市川崑監督は吉永小百合と4作品を>
吉永小百合を起用した監督で1番作品が多いのが、斎藤武市監督と西河克己監督で各14本。市川崑監督は浦山桐郎監督、中平康監督と並ぶ6位タイで、各4本。『細雪』『おはん』(84年)、『映画女優』(87年)、『つるー鶴ー』(88年)の4本だ。
谷崎潤一郎原作の『細雪』は、大阪船場の旧家の美しい4姉妹を主人公とした名作。『細雪』のストーリーは吉永小百合演ずる三女雪子の見合い話を軸として展開されていくが、雪子が飛び抜けた主人公ではなく、ルイーザ・メイ・オルコットの『若草物語』のストーリーが次女ジョーを軸として展開していくのと同じような役割。しかし、『細雪』ではじめて吉永小百合を起用した市川崑監督が、以降1988年までの間に4作品も集中して起用しているところを見ると、よほど女優吉永小百合が気に入ったのでは?『細雪』のストーリーは多くの方がご存知だと思うので、ここではストーリーの紹介はせず、私なりのポイントだけを。
<美しさのポイントは桜、紅葉そして着物>
スカパーの座談会ではアシスタントのH嬢が、「さゆり伝説」の話題の流れの中、「思いっきり凍えそうな寒いロケだったんじゃないですか?」と質問するところから『細雪』の話題に入っていったが、これはもちろん台本上のテクニック。「タイトルに『雪』がついているし、吉永小百合演ずる三女の名前も雪子なので、H嬢は『細雪』も寒い物語と思ったのかもしれないが、これは桜と紅葉が見モノですよ」とやんわり解説したのが私。雪はラストのお見合いのシーンで少し登場するがそれだけで、圧倒的に印象に残るのは、京都嵯峨野の桜と大阪箕面の紅葉。ちなみに、この桜も紅葉もそしてラストの雪も、すべて雪子のお見合いの席で登場するから、そのお見合い話のストーリー展開にも注目したい。
また映像美を誇る市川崑監督は『細雪』を撮ることが長年の夢だったそうだが、その思いをしっかりとスクリーンに実現させていることは作品を観れば明らか。すなわち、4人の美女が着る総額1億円という着物の美しさをタップリと堪能したい。
<4姉妹は誰が?>
『細雪』の映画化は今回が3度目で、2度目は1959年の島耕二監督(大映)作品。そこでは長女の蒔岡鶴子を轟夕起子が、次女の幸子を京マチ子が、三女の雪子を山本富士子が、四女の妙子を叶順子が演じていた。また『細雪』は舞台でも再三上演されているから、この4人姉妹を演じた女優はたくさんいる。
しかして、市川崑監督の1983年版の『細雪』の4人姉妹は、長女の蒔岡鶴子を岸恵子が、次女の幸子を佐久間良子が、三女の雪子を吉永小百合が、四女の妙子を古手川祐子の4人が演じている。
<4人姉妹のキャラは?勢力図は?>
『若草物語』でも、長女が4人姉妹の支柱として母親代わりの役割を果たすという点は同じだが、本家VS分家の確執というテーマは存在しない。しかし、昭和13(1938)年という日中戦争が本格化する直前という世相の1つとして、旧家では本家と分家の確執があったようだ。蒔岡家にもそれがあり、大阪の上本町にある本家の鶴子、辰雄(伊丹十三)夫婦と、兵庫県芦屋市にある分家の幸子、貞之助(石坂浩二)夫婦との間はどこかギクシャク・・・?
映画冒頭は、京都嵯峨野の料亭での4人姉妹の集まりからスタートする。そこでの話題の中心は雪子の縁談だが、四女の妙子がかねてから希望していた遺産を分けてもらって独立したいと言い始めたから、たちまち議論は紛糾。それを「まあまあ」となだめ、「桜の見物に行きましょう」ととりなしたのは、いつもそんな役割を果たしている感じの幸子の夫貞之助。そんな冒頭のシーンから、既に蒔岡家4姉妹の前途は、迫りつつある戦争の流れと合わせて不安がいっぱい。
<美しい関西弁にも注目!>
船場の商家では良家の末娘のことを「こいさん」と呼ぶから、みんなから「こいさん」と呼ばれているのは、四女の妙子。この映画の「聴きどころ」は美しい関西弁。今は明石家さんま、島田紳助を頂点とする「吉本」の関西弁が東京でも席巻しているが、ホンモノの関西弁、船場言葉を学ぶなら是非この映画で。
ちなみに、四女が「こいさん」なら、三女は「きあんちゃん」、そして次女は「なかあんちゃん」。そんな言葉をもしあなたが知ってるとしたら、あなたはよほどの良家のお嬢さん・・・。
<あの時代に、こんな「こいさん」が>
戦後は民主主義が導入された中、「職業婦人」を目指す自立した女が次々と登場したが、1938年という時代に、しかも船場の「こいさん」が人形づくりという仕事によって自立した道を歩もうとしていたことにビックリ。四女妙子は4人そろう時にはちゃんと着物を着ているが、他の3人がいつも着物姿オンリーであるのに対し、普段は洋服姿を見せてくれるから、私には逆にそれが新鮮。
妙子の先取性はそんな服装や職業観のみならず、当然男性観にも。ストーリー中に登場する妙子をめぐる男性模様は、①船場の啓ボンこと奥畑啓三(桂小米朝)、②啓ボンの家の元番頭で今はカメラマンの板倉(岸部一徳)、さらに③バーテンダーの三好(辻萬長)と実に多彩。妙子にとって結婚相手は自分で決めるというのが絶対譲れない価値観だが、姉の雪子がまだ結婚していないのに妹の自分が先に嫁に行くことについては明らかに遠慮していたようだ。もっとも、それは単なる順番へのこだわりだけではなく、「5年前の駆け落ち事件」と「その新聞報道の誤り訂正事件」のこだわりがあることが明らか。さて、この少しミステリーじみた(?)5年前の事件とは?それは、あなた自身の目でしっかりと。
<掴みどころのないキャラ、それが雪子!>
ブルーリボン賞主演女優賞を受賞した『キューポラのある街』(62年)でも、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した『北の零年』(05年)でも、あるいは『戦争と人間』(72年、74年)の五代順子役でも、吉永小百合はしっかりとした自分の意思を持ち、あくまで前向きに生きていく女性という役。そしてそれが、頑張り屋で完璧主義者(?)の女優吉永小百合に1番ピッタリの役。
ところが、『細雪』の三女雪子はそれらと正反対で、掴みどころがなくヌーボーとしており、自分の意思を全然見せない不思議なキャラ。さらに、雪子は窮屈な本家を飛び出し、四女妙子と共に芦屋の幸子方に住んでいるのだが、何やら幸子の夫貞之助とヘンな雰囲気も・・・。こりゃ一体ナニ?
また、鶴子、幸子をはじめ周囲の人たちは何かと雪子の縁談を気にかけいろいろと紹介してくれるのだが、雪子はそれらを「あんな田舎に住むのは」などと理由をつけて断ってばかり。もっとも、いくら蒔岡家のお嬢さんとはいえ、何度も、何度も見合いを重ねていると次第に相手もカスが多くなってくることが、この映画を観ているとよくわかるから、それもお楽しみに。
<残りものに福あり?>
もっとも、「残りものに福あり」というように、粘るといいことがあるもの。雪子の最後のお見合いの相手は華族サマで、東谷子爵家の次男坊(江本孟紀)とのこと。この手の血筋にはヘンな男が多いはず(?)だが、意外と彼は良かったよう。そのため、話はトントン拍子に進んでいくことに。
この縁談が決まったことを市川崑監督はボンヤリと暗示するだけだが、それについての反応が面白い。すなわち、鶴子と幸子は「あの人、粘らはったなあ」「雪子ちゃんか。粘らはっただけのことあったなあ」と語り合っていたが、さてこれをどう理解すれば・・・?また東谷との玉の輿結婚が決まった後、「ニヤリ」とするだけで何の感想も述べない吉永小百合の反応も不気味。さて、これもどう理解すれば・・・?
さらに不思議なのが、貞之助の反応。あれほど雪子の縁談のために努力していたのに、いざそれが決まると徳利を並べながらヤケ酒(?)をあおっているのは一体ナゼ?女心も複雑だが、男心だってかなり複雑・・・。
<辰雄の転勤問題が、後半大きな焦点に>
映画前半は、①雪子の再三の見合い話、②妙子の仕事と男遍歴(?)、③本家と分家の確執などのテーマでストーリーが展開していく。ところが後半に入りがぜん深刻になるのが、銀行員である鶴子の夫辰雄の東京への転勤問題。
これは栄転だから、百貨店勤めをしている貞之助はそれを聞いて「兄さん、おめでとう」と思わず言ってしまったが、鶴子にしてみれば、本家が東京に移転するなんてもってのほかで、到底考えられないこと。これによって本家には大きな波風が立つことになるのだが、さてその結末は・・・?
<あの時代の吉兆の栄光は?>
「使い回し事件」で大問題となったうえ、記者会見で考えられないようなボロを出し、遂に廃業に追い込まれたのが船場吉兆。といっても、この船場吉兆は1991年に創業者の湯木貞一が息子や娘婿たちに暖簾分けの形で独立させたうちの一つで、三女の婿が継承したもの。本吉兆は長男が承継し、長女の婿が東京吉兆を、次女の婿が京都吉兆を、四女の婿が神戸吉兆をそれぞれ承継している。ちなみに湯木貞一が大阪市西区新町で「御鯛茶處吉兆」を開業したのは1930年。
1938年の時代を描いた『細雪』には、そんな創業間もない吉兆の話題が2度登場するが、1937年11月には吉兆は旧大阪市南区島之内畳屋町の新店舗に移転したらしい。1度目の登場は蒔岡家の姉妹たちが音楽会に出かける話の時。つまり、そんな晴れのおでかけの後は食事と決まっているが、その食事は当然吉兆らしい。
そして2度目の登場は、蒔岡家の全員が集まった法事の席。時世厳しき折りから、蒔岡家の法事も地味になったらしいが、それでも法事の後みんなで食べる弁当はやはり吉兆のお弁当。
1938年の市川崑監督作品を、吉永小百合祭りのゲスト出演のために再度鑑賞したところ、吉兆のこんな昔の栄光にめぐり合うとは・・・。
2008(平成20)年10月20日記