チェ 28歳の革命(スペイン、フランス、アメリカ映画・2008年) |
<試写会・TOHOシネマズ梅田>
2008年11月14日鑑賞
2008年11月18日記
1959年1月1日のキューバ革命から50年。今アメリカは、ブッシュからオバマへ、共和党から民主党への大転換期を迎えたが、キューバもフィデル・カストロが引退し、新たな局面に。そんな中、英雄チェ・ゲバラの生と死を描き、カンヌ国際映画祭を悲鳴と喝采で包んだ話題作が遂に公開!人間ゲバラの魅力をタップリと。それにしても、麻生サン。マンガばかりにうつつを抜かさず、漢字の勉強はもちろん、この映画にみるゲバラのすばらしい国連演説を勉強する必要があるのでは・・・。
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監督・撮影:スティーヴン・ソダーバーグ
プロデューサー:ローラ・ビックフォード、ベニチオ・デル・トロ
脚本:ピーター・バックマン
エルネスト・チェ・ゲバラ(医者、革命家)/ベニチオ・デル・トロ
フィデル・カストロ(革命の指導者、後の首相)/デミアン・ビチル
カミロ・シエンフエゴス(革命軍の太陽的存在)/サンティアゴ・カブレラ
セリア・サンチェス/エルビラ・ミンゲス
アレイダ・マルチ(女性活動家、後にチェ・ゲバラと結婚)/カタリーナ・サンディノ・モレノ
ラウル・カストロ(フィデル・カストロの弟)/ロドリゴ・サントロ
リサ・ハワード(テレビ・ジャーナリスト)/ジュリア・オーモンド
2008年・スペイン、フランス、アメリカ映画・132分
配給/ギャガ・コミュニケーションズ、日活
<すごい映画がカンヌを席巻!>
プレスシートによると、2008年5月の第61回カンヌ国際映画祭は「悲鳴と喝采」で沸いたらしい。それは、キューバ革命の英雄であり、ボリビア解放闘争の中で死亡したチェ・ゲバラの生と死を描く『CHE』2部作、総上映時間約4時間30分が、20分の休憩を挟んで一挙上映されたためだ。
1960年代後半に学生運動にのめり込んでいた私にとっても、もちろんイメージ上だけながら、チェ・ゲバラはヒーローだったし、多少勉強もした。すなわち、高度に発達した資本主義国である日本における革命と、1950年代のキューバや南米諸国における革命とは、全くそのやり方が違うのは当然。したがって、カストロやゲバラの武装闘争方式が、そのまま全世界に輸出されたら大変なことになるが、キューバ革命で成功したゲリラ闘争方式はアフリカ諸国や南米諸国ではなお有効?そして不可欠・・・?
そんなことをいろいろ考えていたものだが、最近の日本の若者たちはチェ・ゲバラの名前すら知らないのでは?しかし、さすがはフランスのカンヌ。そんな4時間30分の大作が、「悲鳴と喝采」を受けたのだから。
<チェ・ゲバラについて、こんなこと知ってる? その1>
麻生総理は「頻繁」を「はんざつ」、「未曾有」を「みぞゆう」、「踏襲」を「ふしゅう」と読みまちがえていることが大きく報道されていたが、こりゃ単なる読みまちがいではなく、きっともともとの国語力不足。私の大学時代にも、吉田満の『戦艦大和ノ最期「さいご」』を「さいき」と読み、絶対それで正しいと言い張っていた友人がいたが、これも明らかな国語力不足。そんな失敗をしないためには、知らないことは知らないと認め、1つ1つ学んでいくことが大切だ。しかして、あなたはチェ・ゲバラについて、こんなこと知ってる?
第1は、この映画の原題は『CHE』だが、チラシによると「『チェ』は本名ではなくあだ名だということ。また、「チェ」とはアルゼンチン人が相手に呼びかける時に使う口癖で、『ねぇ君』とか『君さぁ』といった親しみをこめた響きがあります。彼が常に周りの人にこう呼びかけることから、いつしか『チェ・ゲバラ』と呼ばれるようになりました」とのこと。なるほど、なるほど。
<チェ・ゲバラについて、こんなこと知ってる? その2、その3>
その2は、彼はキューバ人ではなく、アルゼンチン人だということ。そこで気になるのは、なぜ彼がキューバに入り、キューバ革命に命を捧げたのかということだが、その決定的要因は1955年にフィデル・カストロと出会ったこと。
その3は、彼はもともとは医者だったということ。彼が医師資格を取得して大学を卒業したのは1953年。つまり、この時点まで彼は革命ともマルクス主義とも関係なく、良き医者になることを目指して頑張っていた若者だったということ。ちなみに、1952年当時の若き日の彼の姿をみずみずしく描いた映画が『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04年)(『シネマルーム7』218頁参照)だ。
<キューバは、今どんな状況に?>
キューバ共和国が成立したのは1959年1月1日だから、2009年1月1日はキューバ革命50周年。そんな「キューバ革命50周年」の2009年1月に、『CHE』2部作がアメリカ、ヨーロッパ、アジア、オセアニアなどの主要各国で上映されるのは、キューバ国民にとって名誉なことだが、キューバは今どんな状況に?
カストロと呼ばれていたキューバの首相がフィデル・カストロであると私がしっかり認識できたのは、『ぜんぶ、フィデルのせい』(06年)(『シネマルーム18』94頁参照)のおかげ。他方、キューバ革命成功からずっと、そして1976年以降は国家評議会議長として50年近くトップの座に君臨してきた彼が、病気のため療養生活に入ったのは2006年7月。この時に、権力を暫定的に実弟のラウル・カストロに移譲したが、遂に08年2月19日にフィデル・カストロは引退を明らかにし、2月25日には正式にラウル・カストロが国家評議会議長に就任した。これが現在のキューバの状況だ。ここらあたりの情報の透明性が、08年9月重病で倒れたらしいにもかかわらず、数カ月間その情報が全く明らかにならない北朝鮮とはえらく違うところ。
なお、『CHE』には当初から兄フィデル・カストロ(デミアン・ビチル)と共に活動を続け、特にフィデルとゲバラ(ベニチオ・デル・トロ)が出会う歴史的な瞬間をつくったラウル・カストロ(ロドリゴ・サントロ)の姿も描かれているから、それにも注目を。
<なぜアメリカが?なぜスティーヴン・ソダーバーグ監督が?>
1991年のソ連邦の崩壊後、キューバはアメリカにとっての大きな脅威ではなくなったが、1959年1月1日のキューバ革命成立直後のキューバは、アメリカにとって喉元にドスを突きつけられたようなもの。そこでアメリカは、1961年にはキューバとの外交関係を破棄したが、翌1962年にはケネディ大統領とフルシチョフ首相との間で、深刻なキューバ危機が発生した。その様子は『13デイズ』で明らかだ(『シネマルーム1』63頁参照)。
なぜ、そんな敵国キューバの英雄の映画をアメリカが?さらに、私が意外だと思ったのは、これをスティーヴン・ソダーバーグが監督したこと。私のイメージでは、彼の監督作品には『エリン・ブロコビッチ』(00年)、『トラフィック』(00年)などの問題提起作もあるが、どちらかというと『オーシャンズ11』(01年)、『オーシャンズ12』(04年)、『オーシャンズ13』(07年)という娯楽大作のイメージが強かったから。しかしよく考えてみれば、彼はプロデューサーとして、『エデンより彼方に』(02年)、『グッドナイト&グッドラック』(05年)、『フィクサー』(07年)などの問題提起作を手がけているから、そんな彼が人間チェ・ゲバラを描くことに執着しても全然不思議ではない。
<日本も後に続かなければ・・・>
プレスシートによると、「どこまでが真実で、どこからがフィクションですか?」というバカげた(?)質問に対してスティーヴン・ソダーバーグ監督は、「僕らが勝手な想像力ででっちあげたようなシーンはひとつもない。すべてのシーンは、細部を含め、きちんとしたリサーチやインタビューに基づいている。僕らが作り出したエピソードやストーリーはひとつもないよ。」と毅然と答えているが、これを読むと、相当な自信と覚悟がうかがえる。
08年9月末に発生したアメリカ発の金融危機の世界的広がりが、自らの金融政策の誤りであったと、西欧諸国と日本を含むG20の諸国から指摘されたアメリカは、今ブッシュからオバマへ、そして共和党から民主党へと大転換しようしているが、この映画のように、敵の懐深く入り込んで研究し、映画を完成させるという姿勢は立派なもの。元航空幕僚長である田母神俊雄氏の論文の内容の是非や懸賞論文応募への手続問題は別として、日本でも「あの戦争」についてのもっと突っ込んだ研究とその映画化を求めたいものだ。
<3つのストーリーが同時展開!メインストーリーは?>
『CHE』第1部のメインストーリーは、1956年11月25日のカストロ兄弟やチェら82名の兵士がメキシコからキューバへ出発しキューバ南東のコロラダス湾に入港するところから、1959年1月1日に北西部にある首都ハバナを陥落させるまでの武装闘争を描くもの。スティーヴン・ソダーバーグ監督と脚本のピーター・バックマン、そしてプロデューサーも兼ねてチェ・ゲバラ役で出演したベニチオ・デル・トロらは、7年にも及ぶ綿密なリサーチを経て、この2年余りの困難な武装闘争を丁寧に描いていくが、いかんせんキューバの地理や地名、そしてカストロ兄弟とゲバラ以外誰も名前を知らない多くの日本人は、それを1つ1つきちんと理解するのは難しい。したがって、この武装闘争の内容をホントに理解するためにはプレスシートはもちろんネット情報を集めての勉強が不可欠だ。
<3つのストーリーが同時展開!あとの2つは?>
面白いのは、この武装闘争の展開と同時並行的に2つのストーリーが描かれること。その1は、ケネディ政権とキューバの橋渡し役となったアメリカのテレビの女性ジャーナリストであるリサ・ハワード(ジュリア・オーモンド)のインタビューに答えるゲバラの姿を描くことによって、現在進行形としてスクリーン上で示される武装闘争の展開を解説させる役割を持たせていること。なるほど、こんな手法もあり・・・。
その2は、1964年12月9日にニューヨークで開催された国連総会での歴史に残るゲバラの名演説を小出しにしながら、観客に見せていくこと。アメリカをはじめ、たくさんの国から出されたキューバに対する批判に対してゲバラの反論は、簡にして要を得た実にお見事なもの。麻生総理も9月25日国連で演説をしたが、原稿の棒読みに近い麻生総理の演説と対比すれば、威厳度は段違い!とりわけ、最後の「革命においては、勝利か、さもなければ死しかない」のフレーズは、胸にジンと響くはずだ.
こんな風にうまく3つのストーリーが同時展開していくから、2時間12分が過ぎるのはあっという間。
<一挙上映してほしかった>
ゲバラは39歳で死亡したが、それはボリビアでのゲリラ闘争に失敗し、捕らえられ処刑されたため。キューバ革命に成功した後、政府の重要な役職に就いていたのに、ゲバラはなぜそれらを全て放棄して、ボリビアの解放闘争に参加したの?それを描くのが、『CHE』2部作の第2部『別れの手紙』だ。
映画を1日に2本も3本も観ることに馴れてしまっている私としては、ぜひこの2部作を一挙上映してほしかったというのが正直なところ。ちなみに、五味川純平の原作を小林正樹監督が映画化した『人間の條件』6部作(59年~61年)や、同じく五味川純平原作、山本薩夫監督の『戦争と人間』3部作(70年~73年)を、私はそれぞれ2度オールナイト一挙上映で観たことがあるが、集中度と感動度は正比例するもの。
『CHE』第1部の公開前にそれは無理な注文かもしれないが、せっかくいい映画を観たのに、私には少し欲求不満が・・・。
2008(平成20)年11月18日記