いのちの戦場 アルジェリア1959(フランス映画・2007年) |
<試写会・リサイタルホール>
2008年11月23日鑑賞
2008年11月29日記
アメリカにとってベトナム戦争が負の遺産なら、フランスのそれは「アルジェリア戦争」。1974年生まれのフランスの若手俳優ブノワ・マジメルが立案・主演して、それにまっすぐに向き合ったのは立派。さすがフランス革命の国・・・?数々の戦闘シーンの迫力も満点だが、テリアン中尉とドニャック軍曹を軸とする「いのちの戦場」での人間性の追求がメイン。よくぞ2時間弱でうまくまとめたものと感心。平和ボケの中、軍事音痴となってしまった日本人には、こりゃ必見の映画!
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督:フローラン=エミリオ・シリ
脚本:パトリック・ロットマン
テリアン中尉(フランス正規軍)/ブノワ・マジメル
ドニャック軍曹/アルベール・デュポンテル
ヴェスル少佐/オーレリアン・ルコワン
ベルトー大尉(フランス軍情報将校)/マルク・マルベ
拷問官/エリック・サヴァン
捕虜/モハメッド・フラッグ
ルフラン/ヴァンサン・ロティエ
サイード(フランス軍兵士、アルジェリア人)/ルネ・タザイール
ラシード(ドニャックの部下、アルジェリア人)/アブデルハフィド・メタルシ
2007年・フランス映画・112分
配給/ツイン
<まずは、俳優ブノワ・マジメルに注目!そしてその意欲に注目!>
フランス映画は小難しい、多くの日本人にはそんなイメージがある。そして多分それは正しい認識だが、同時にそれがハリウッド映画とは全然違うフランス映画の魅力。そんなフランス映画界をけん引するのが、今やフランスを代表するトップ俳優となったブノワ・マジメル。
私は、彼の出演作を①『石の微笑』(04年)(『シネマルーム15』137頁参照)、②『クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち』(04年)(『シネマルーム4』247頁参照)、③『裏切りの闇で眠れ』(06年)(『シネマルーム19』195頁参照)で観ている。これらはそれぞれ小難しい映画だったがその内容はすばらしく、星の数は5点、4点、4点と高得点。そんなブノワ・マジメルが「アメリカがベトナム戦争を描いたように、フランスもアルジェリアを描かねばならない」と考えて立案し、かつテリアン中尉役で主演したのがこの映画。
彼は1974年生まれだから、1954年から1962年まで続いたアルジェリア戦争については、「戦争を知らない」世代。そんな彼がなぜそんな立案を?それは映画を観てじっくりと感じてほしいが、彼の立案に応じて結集したフローラン=エミリオ・シリ監督と脚本のパトリック・ロットマンとのチームワークによって、この映画はセザール賞の最優秀撮影賞、最優秀音楽賞、最優秀音響賞ノミネートというすごい評価を。
これによってブノワ・マジメルの映画人としての人生がワンランクアップしたことは確実で、次なる展開が期待される。
<キーマンはドニャック軍曹。こんな部下がいればこそ・・・>
映画冒頭、ある兵士の顔が極端なアップで映し出される。字幕によると、小隊は1959年7月の今、カビリア地方のどこかの山岳地帯で、フェラガの指導者スリマンという男を探しているらしい。暗闇の中、緊迫感いっぱいで小隊は他の小隊と連絡をとりながら移動を続けていたが、どうも作戦ミスが起きたようだ。そして激しい銃弾戦の結果、隊を率いていた中尉が戦死した。冒頭に映ったアップの顔がドニャック軍曹(アルベール・デュポンテル)だとわかるのは、新たに赴任してきたテリアン中尉(ブノワ・マジメル)がヴェスル少佐(オーレリアン・ルコワン)から軍曹に紹介されたため。
テリアン中尉はなぜこんな激戦地に志願でやってきたの?理想に燃えるテリアン中尉と現場の悲惨さを知りつくしたベテラン軍曹ドニャックの価値観は本来相容れないはず。厳しく突き刺さった2人の視線は今後の試練を予告するかのようだが、ドニャック軍曹のような歴戦の勇士がそばでアドバイスしてくれてこそ、指揮官としての職責が務まるもの。テリアン中尉は独断専行に陥らず、ドニャック軍曹の意見をきちんと聞かなくちゃ。
<立入禁止区域での攻防戦には難しい判断力が>
この映画は、アルジェリア戦争に真正面から向き合ったものだが、そこで描かれるのはアルジェリア民族解放戦線(FLN)とフランス正規軍との正面衝突ではなく、武装ゲリラ部隊とテリアン中尉たちとの戦い。そんな設定にしたのは、戦闘行為そのものを描くより、対ゲリラ戦の中で浮かびあがるテリアン中尉たちの人間性を描くことにポイントを置いたためだ。
テリアン中尉たちの任務は、カビリア地方のどこかに潜んでいるらしいフェラガの指導者スリマンを探し出すこと。フェラガとは、プレスシートによると、アルジェリア人のゲリラ兵をフランスが軽蔑的な意味をこめて呼んだ呼び名。アルジェリア人は自らをフェラガとは決して呼ばず、ムジャーヒド(聖戦の兵士)とかムサーベル(農民などの非正規兵)と呼んでいたとのこと。彼らはFLNの指揮下で戦っていたわけだ。したがって、同じアルジェリア人の中から、フェラガかそれとも一般の村民かの区別をつけるのは大変。
カビリア地方ではゲリラ対策のために「立入禁止区域」が設けられ“立ち入る者はすべて撃つ”が掟だが、それを徹底させるとパニック状態になってしまうから、そこの判断が難しい。ベテランのドニャック軍曹ならともかく、人間は善であると信じている理想主義者のテリアン中尉では、正確な判断は到底ムリ。その結果、テリアン中尉が次々と犯す失敗とは?この映画を観ていると、観客の私たち自身がその現場でどう判断すべきかを問われているような気がしてくるはず・・・。
<救助したアマール少年がキーマンに>
カビリア地方にもたくさんの村落があり、そこで多くの村人たちが生活しているのは当然。タイダはフランス軍とFLNの境界にあるため、双方から協力を強制される板ばさみの村。そのタイダがある日フェラガに襲撃され、村民たちは皆殺しに。何とも悲惨な状況にテリアンは目を覆ったが、これが戦争の実態だ。
そんな中、井戸の中に隠れていたため救出されたのがアマール少年。テリアンはこの少年を基地に連れて帰り面倒をみることにしたが、実は彼の兄はフェラガらしい。したがって、今は面倒をみてくれているテリアンに協力しているが、いつ裏切るのかわからないのでは?テリアンはそんなことに備えて用心をしているの?
そんな風に心配していると、案の定ラストでは、このアマール少年がキーマンになることに・・・。
<ラシードとサイードにも注目!>
ドニャック軍曹が信頼している部下のラシード(アブデルハフィド・メタルシ)は、アルジェリア人。つまり、ドニャックが寝返らせたわけだ。またサイード(ルネ・タザイール)もアルジェリア人兵士で、第二次世界大戦のモンテカシノの英雄らしい。もっとも、そのおかげでフェラガに目をつけられて家族を殺されたため、今は完全にフランス軍の立場に。
正規軍同士の大激突ではなく、何年も続く山岳地帯での対ゲリラ戦ともなれば、このように敵国人の兵士を使うことも多くなるから話はややこしい。すると、歴戦のベテラン戦士であるドニャック軍曹の過去は?家族は?今ここにいる兵士たちがそれぞれ微妙な過去を持っているのは当然。したがって、母国で自分の帰りを待っている美しい妻や息子のことを語り始めたテリアン中尉に対しては、ドニャック軍曹から「あんたは帰った方がいい」ときついひとことが・・・。
この映画は緊迫感あふれる戦闘シーンも見どころだが、こんなシビアな人物描写も見どころだから、十分に観察しておきたい。そうすれば、その後にラシードに訪れる悲劇の理解が深まるし、サイードのあまり感心できない姿にも理解が・・・?
<情報将校ベルトー大尉との議論は?>
もう1人フランス軍側で注目すべき人物はベルトー大尉(マルク・マルベ)。情報将校である彼の任務は、捕虜を尋問することによって情報を引き出すことだが、それって拷問とイコール?正義感あふれるテリアン中尉がそんなベルトー大尉とくり広げる議論は興味深いが、ここでもかつてレジスタンスの闘士であったベルトーの最後の言葉は「君もそのうち俺たちのようになる」といういかにも突き放したもの。
しかして、その後フェラガとの死闘をくり返していく中、テリアン自身が捕虜に対して、ベルトー以上の尋問=拷問を加えることになろうとは・・・。また、安全な後方任務であるはずのベルトーがテリアンたちの救助にやってくる中、無残な姿になろうとは・・・。
この映画の登場人物はかなり多いし、それぞれの関係は複雑だが、キャラがよく整理されているのできちんと観ていれば十分理解可能。したがって、こんな情報将校ベルトー大尉のキャラと位置づけについても、しっかり確認を。
<拷問は?ナパーム弾は?>
この映画に再三登場するのが拷問のシーン。対ゲリラ戦では情報が命運を左右するのだから、尋問がエスカレートした形としての拷問はやむをえない・・・。そう言ってしまったのではダメなことはわかっているが、さていのちの戦場では・・・?
また、ベトナム戦争の時にさかんに使われたナパーム弾は、その後残酷で非人道的な兵器だと非難され使用禁止にされたはず。ところが、危機に陥ったテリアン中尉たちの小隊を救出するために使用されたのは、特殊爆弾と名前を変えたナパーム弾。一瞬にして一面を焼け野原とし、人間を丸焼きにしてしまうその恐ろしさにテリアンたちは息をのんだが、これもいのちの戦場ではやむをえないもの・・・?
それにしても、こんな風に何度もテリアン中尉の小隊が危機に出会うのは、ひょっとしてドニャック軍曹が言うように、アマール少年がスパイ・・・?
<ドニャック軍曹の苦悩をどう理解?>
私はこの映画を観ながら、多くの確執をはらみながらも、いのちの戦場におけるテリアン中尉の人間としての成長を見守り手助けする役割がドニャック軍曹だと理解していたが、夢中で捕虜を拷問するテリアン中尉、村民全体を皆殺しにする命令を下すテリアン中尉をみていると、完全に正気を失っていることがよくわかる。私はそんな中でもドニャック軍曹はしっかり自分をキープしていると思っていたのだが、休暇から戻ってきたテリアン中尉が見たドニャック軍曹は・・・?
それはあなた自身の目でしっかり確認してもらいたいが、なるほど、あれほどの歴戦の勇士でも、いのちの戦場はドニャック軍曹の心を狂気に変えていたわけだ。
<静かで悲しい結末は?>
1時間52分の問題提起作もいよいよ終わりに近づいてきた。今日は、基地でのクリスマスパーティーの日。この日だけは、戦闘のことを忘れて楽しむことができる。そこで開かれたのが、死亡した兵士が撮りためていたフィルムの上映会。当初は「俺が映っている!」とはしゃいでいた面々も、死んでしまったあの戦友、この戦友の顔が映し出されてくると次第にしんみりと。そんな中、ドニャック軍曹が姿を消してしまったが、それは一体なぜ?
翌朝、そんなドニャックを探してテリアン中尉は1人外に出かけたが、クリスマスイブの翌日のそこは戦場とは思えないほどの静けさ。そんな中、テリアンの目に映ったのがイノシシの姿。そして、テリアンの緊張が一瞬緩む中、鳴り響いた一発の銃声は・・・?
そんな静かで悲しい結末をじっくり味わいながら、テリアン中尉の人生やドニャック軍曹の人生、そしてアルジェリア(独立)戦争の意味をしっかり考えたいものだ。
2008(平成20)年11月29日記