長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語(秉愛)(中国映画・2008年) |
<松竹試写室>
2009年2月4日鑑賞
2009年2月7日記
水没間近の、長江の女たちばかりを7年間もビデオで撮り続けている異色の女性監督が、力強いドキュメンタリーを完成!身体の不自由な夫に代わり一家を養うビンアイの、大地に根ざした力強い生き方をしっかり味わいたい。しかし、彼女はなぜそこまで立退きに抵抗を?それがこの映画のテーマ!ビンアイの人生観とともにそれをじっくりと考えたい。またこれを機会に、「土地使用権の売買」など中国の法制度と、一党支配下での公共事業のあり方のお勉強も・・・。
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監督・製作:馮艶(フォン・イェン)
秉愛(ビンアイ)
熊雲建(ション・ユンジェン)(秉愛の夫)
昌文(チャンウェン)(秉愛の長男)
霊芝(リンジ)(秉愛の長女)
2008年・中国映画・117分
配給/ドキュメンタリー・ドリームセンター
<すばらしいドキュメンタリー映画の誕生に拍手!>
遼寧省の瀋陽にあった国営企業の衰退ぶりを描いた王兵(ワン・ビン)監督の『鉄西区』(03年)は9時間5分の大作だが、見応えタップリだった(『シネマルーム5』369頁参照)。このドキュメンタリー作品は国の制度や政策に重点をおいて、衰退していくかつての労働者のまち瀋陽と巨大国営企業の姿を描いたが、馮艶(フォン・イェン)監督の『長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語』は『秉愛』という原題どおり、ビンアイという女性への7年間の密着撮影の中、三峡ダム建設に伴う立退きに最後まで抵抗する姿に焦点をあてて描いたもの。
ビンアイが夫の熊雲建(ション・ユンジェン)、長男昌史(チャンウェン)、長女霊芝(リンジ)と生活するのは長江のほとりだから、彼女たちの家は海抜135mまでの第1水没予定地域に入るため、2003年には必ず立退かなければならないもの。フォン・イェン監督のカメラが入った時2人の子供はまだ小さかったが、7年の歳月が流れる中、息子は高校生となり、ビンアイの髪にも白髪がチラホラ。
ビンアイはなぜ最後まで立退きに抵抗を?そして、なぜフォン・イェン監督はビンアイを主人公としたこんなドキュメンタリーを完成することができたの?最初からビンアイをターゲットに?いやいや、そんなことはないはず・・・。また、スクリーン上には立退きを迫る村の幹部たちとビンアイが激しい議論を展開するシーンが数回登場するが、これらはすべて撮影オーケーだったの?そして何よりも、この映画は日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭2007でアジア部門のグランプリである小川紳介賞等を受賞しているが、中国では上映可能なの?
そんなさまざまな疑問と問題意識を持って、フォン・イェン監督がホレ込んだ女性ビンアイの生きザマをこの映画でじっくり鑑賞し、考えたい。そんなすばらしいドキュメンタリー映画の誕生に拍手!
<『長江哀歌』も良かったが・・・>
三峡ダム建設は、20世紀はじめの孫文の時代から検討(構想?)された国家百年の計。これによって、世界最大の発電力が実現し、大型船が重慶まで通れるようになる等のメリットがある反面、①生態系の破壊、②三国志時代の史跡建造物の水没、③沿岸地域に住む140万人の人の立退き等の大問題が発生する。三峡ダム建設計画は中国共産党が1992年4月1日の第七次全国人民代表大会第5回会議で正式に決定したものだから、それに正面切って反対することは誰もできないが、中国人民の中に反発や不平不満があるのは当然だ。
2009年には水没してしまうまちを、どのように人々の記憶に留めるの?そんな問題意識で三峡ダム建設の現場を何度となく訪れ、完成させた映画が賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の『長江哀歌』(06年)。彼の初期の作品である『一瞬の夢』(98年)、『プラットホーム』(00年)、『青の稲妻』(02年)は中国では上映禁止とされたが、その後の『世界』(04年)で世界的「映画作家」となった時点では、さすがに中国もその上映を認めざるをえなくなったとみえて、『長江哀歌』は2006年12月14日に中国各地で劇場公開され大反響を呼んだらしい(『シネマルーム17』283頁参照)。第63回ベネチア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞したこの『長江哀歌』も良かったが、ビンアイの人間性とその生きザマに焦点を絞って完成させたフォン・イェン監督のこのドキュメンタリー映画は、それ以上にすばらしい。多分三峡ダム建設に絡む映画やドラマは他にもたくさんあるのだろうが、私が観たこの2本の映画はホントに最高!
<フォン・イェン監督とは?>
1980年代に第5世代監督として中国ニューウェーブを牽引した、張藝謀(チャン・イーモウ)監督や陳凱歌(チェン・カイコー)監督は今や世界的巨匠。またジャ・ジャンクー監督は第6世代監督の旗手。さらに、『ハッピー・フューネラル』(01年)、『わが家の犬は世界一』(02年)、『イノセントワールドー天下無賊ー』(04年)等で張藝謀監督、陳凱歌監督以上の国民的人気を得ていた馮小剛(フォン・シャオガン)監督は、『女帝 エンペラー』(06年)に続いて『戦場のレクイエム』(07年)でハリウッド進出に大成功!しかして、馮小剛(フォン・シャオガン)監督と同じ姓の馮艶(フォン・イェン)監督とは?
他方、日本の河瀬直美監督やデンマークのスサンネ・ビア監督らと同じように、中国でも最近女性監督の進出が目覚ましい。『キムチを売る女』(05年)のチャン・リュル監督には大注目(『シネマルーム17』455頁参照)だし、中国四大女優の1人である徐静蕾(シュー・ジンレイ)が『見知らぬ女からの手紙』(04年)でみせた監督としての才能にも注目(『シネマルーム17』312頁参照)!
そんな視点でみると、1962年天津生まれの女性フォン・イェン監督の経歴は異色だ。プレスシートによると、彼女は日本に留学して13年間滞在したが、そこで学んだのは農業経済学。彼女が映画を学び、ドキュメンタリー映画製作を開始したのは1994年以降とのこと。また本作の原点ともいえる『長江の夢』(97年)が最初の長編作品であり、本作に続く一連の作品群の集大成となる『長江の女たち』を目下編集中とのこと。つまり、三峡ダム建設によって水没していく長江沿岸部に住む農民たちの暮らしを撮ることが、彼女の映像作家としてのすべてということだ。
<なぜビンアイに焦点を?>
そんなフォン・イェン監督が結果的にビンアイを主役に据えた本作を完成させたのは、フォン・イェン監督がビンアイの生きザマにホレ込んだため。プレスシートによれば、フォン・イェン監督は4人の女性に絞って撮影を続けており、ビンアイはその中の1人だったが、次第にその「特殊な存在」としての価値が高まり、結果的に彼女が唯1人の主人公となるドキュメンタリーになったらしい。しかして、その「特殊な存在」とは、フォン・イェン監督の言葉によれば「ちゃんと自分の耕す土地に立っていて、自分の考えを持っている、都会と農村の違いについて考えている」ということ。そうだからこそ、フォン・イェン監督は「そのビンアイがどういうふうに生まれて、何を今まで経験して、どうやってこの決定をしたのかということを、知りたかった」というわけだ。
この映画には、そんなフォン・イェン監督が注目し知りたかったことがいっぱい詰まっているうえ、それが映像技術的に見事に編集されている。しかもプレスシートによれば、日本での一般公開にあたっては、映画音響の菊池信之による新たなサウンドヴァージョンに衣替えしたとのことだ。その効果が最も目立つのは、代替地の上に座ってビンアイが村の幹部と話をする時に聞こえてくるビュービューと吹きすさぶ風の音。フォン・イェン監督がほとんど1人で撮影・録音したビデオカメラが、プロの音響マンの参加によっていかに変わるのかも、大いに注目したい。
<立退きに伴う正当な補償とは?>
2008年8月8日に開催された北京五輪に向けての「北京のまちづくり」は全世界的に注目された。都市問題をライフワークとする私は長年にわたってそれを注目し、中国の伝統的なまちなみである胡同(フートン)の解体とそれに伴う立退きの風景を興味深く観察してきた。日本には都市計画法や土地収用法がある。また、土地区画整理法や都市再開発法がある。これらはいずれも、公権力の行使として行う都市計画(まちづくり)について、詳細な手続を定めたものだ。そして、国の行う都市計画事業(公共事業)によって国民が財産権を侵害される場合、国はそれに対する正当な補償を支払わなければならないが、この国民に支払うべき「正当な補償」の理論的根拠は、日本では憲法29条の第1項「財産権は、これを侵してはならない」と第3項「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」の規定にある。
しかして、1978年以降の改革開放政策によって著しい経済的成長を遂げた中国の、近時の目覚ましい都市開発における正当な補償とは?2008年末に訪れたアメリカ発の世界的金融危機の前に中国も例外ではなく、従前のような年8%の経済成長を維持できなくなったし不動産バブルも弾けてしまったが、その中で顕著になったのが民工の反乱。つまり、戸籍を持たないまま内陸部、農村部から沿岸部、都市部に出稼ぎに出かけて生計を立てていた民工たちが、世界的金融危機の煽りを受けて各地で「反乱」を起こしているわけだ。中国の特徴は、その怒りのターゲットが党と政府の腐敗した幹部に向けられているところだが・・・。
<ビンアイはなぜ移転に反対を?>
フォン・イェン監督が7年間にわたって撮り続けたビデオカメラに映るビンアイの姿は、決してこのような反乱する農民ではない。むしろその逆で、足の悪い夫の代わりに懸命に畑で働き、家族の生活を支えていこうとしているごく一般的な女性。そんなビンアイがなぜ、三峡ダム建設に伴う立退きに反対を?
それがこの映画の根本的な問題提起。この映画を観て私が理解したところによれば、この事業では代替地も世話してくれるし、移転に伴って政府から1人650元の移転補償費も支払ってくれるらしい。しかし「立退き補償の金さえたくさんもらえるのなら、移転はウエルカム」というのは、日本人的な金の亡者たちの発想では?ビンアイはなぜ最後まで立退きに抵抗したの?それをじっくり考えることが、ビンアイの人間性に迫ることであり、かつこの映画のすばらしさを理解することに通じるはずだ。
<「陸の孤島」VS「川辺の孤島」>
2009年2月6日付産経新聞は、中国の重慶に出現した「陸の孤島」の実情を報じた。その写真を見れば、立退き要求に最後まで抵抗したため周囲の地面が掘削され、今にも崩れそうな状態で1軒だけ陸の孤島状態で残っている家屋の異様さがよくわかる。屋根には中国国旗が掲げられ、壁には「市民の合法的な私有財産を侵すことはできない」などと書かれた垂れ幕が数本・・・。重慶では一昨年にも開発業者に自宅周辺を約10メートル掘り下げられながら闘い続けた夫婦がいたし、北京にも陸の孤島が出現したことがあることは私も新聞でしっかりと確認している。
これらはまさに「陸の孤島」だが、この映画にみるビンアイの場合は川辺の孤島。すなわち、村の人たちはビンアイを除いてすべて立退きを完了したため、ビンアイの家が一軒だけ川辺にポツンと残っているわけだ。これでは村の幹部たちのメンツが立たないのは当然。しかも三峡ダム建設は国家の威信をかけた大事業だから、村の幹部たちのビンアイに対する立退き要求が次第に厳しくなっていったのは当然。さて、それに対してビンアイたちは・・・?
<土地使用権の売買とは?>
私の弁護士生活は2009年3月で丸35年になるが、公害問題や都市問題を一生懸命にやってきた中で強く感じるのは、日本人は集団として反対運動をやるのは得意だが、1人ではなかなか動けないということ。日本人は、徳川時代から「お上」という意識が強い。それが今でもアメリカ流の民主主義が根付かず、実質的な官僚支配国家に成り下がっている原因だ。
それに対して、新生中国すなわち日本帝国主義を駆逐した後の国共内戦で蒋介石率いる国民党も駆逐し、中国共産党の一党独裁国家を樹立した中国では、良くも悪くも中国共産党が「お上」。つまり、新生中国は中国共産党とその意向を受けた政府が、13億の人民を仕切っている国なのだ。したがって、党や政府の幹部が人民のために真に奉仕する政治を行えば、民主主義制度以上に効率的な国家運営が行えるはず。しかし現実は?とりわけ、1978年の改革開放政策以降の高度経済成長の恩恵を受けた党と政府の幹部たちの私腹の肥やしぶりは・・・?
「土地はすべて国家の所有である」(土地公有制)という共産主義の原則を少しだけ修正して、土地使用権の売買を認めたのは1988年の憲法改正によるもの。つまり、土地の所有権と使用権を分離することによって、土地公有制の原則を崩さない限度で土地使用権のみの売買を認めたわけだ。ところが、折しも土地開発(都市開発、住宅建設)ブームが沸騰する中、この土地使用権の売買(払い下げ)をめぐって、党と政府幹部による汚職が顕著になったから皮肉なもの。しかも、その腐敗ぶりは田中角栄による日本列島改造論に端を発した日本の開発フィーバーに伴うものをはるかに超える規模だ。
<興味深い交渉風景をじっくりと!>
もっとも、この映画を観れば、三峡ダム建設に伴う立退きについては詳細な規定があり、それなりに立退き補償はなされている様子。しかも、この映画に登場する村の幹部や共産党書記のビンアイに対する粘り強い(しつこい?)説得ぶりを見ると、日本とは全然違うことが興味深い。弁護士の私が実際に体験したたくさんの公共事業における立退き補償の交渉事例では、行政はひたすら低姿勢、そして同じ条件の機械的なくり返し。ところがこの映画をみると、ビンアイの交渉の仕方や要求も自分の言葉に根付いたものなら、それに対する村の幹部の答えや説得(脅し?)も自分の言葉に根付いたもの。私はたくさんの中国人留学生と接しているが、そこに共通するのは日本人とは明らかに異なる自己主張の強さ。
この映画に登場するビンアイと村の幹部との交渉ぶりをみれば、中国人の自己主張の強さが顕著だが、ビンアイの自分の言葉による交渉ぶりに注目したい。
<結末をどう見る?>
ビンアイが望んだのは、身体が不自由なため十分働けない夫に代わって自分が懸命に働き、家族を養っていくことだけ。そのためには、小さな家と一定の畑が必要なわけだ。それなのに、なぜそれを取り上げられるの?代わりの家と畑はあるの?立退料をもらって移転しても、住む家と耕す畑がなければ私たちは生きていくことができないのに・・・。ビンアイの要求はそれだけだ。
そんな強情さを持った女性ビンアイの「自分が死んだ後、こう言われたい。“あの人は骨身を惜しまず、よく夫や子どもの面倒を見たね”ー最高の誉め言葉よ」というセリフは印象深い。ビンアイはいったんは村の幹部が提示した代替地への移転を承諾したが、結局そこには引っ越さず、道路のそばの小屋を購入して生活しているとのことだ。結果的には立退かざるをえなくなったわけだが、その結末とビンアイの抵抗の姿をあなたはどう見る?
パール・バックの『大地』という有名な小説では大地とともに生きる中国人の姿が力強く描かれていたが、ビンアイはこの主人公と同じように大地に根を張った力強い現代中国女性の一つの典型。私たち日本人がそんな彼女から、そしてこの映画から学ぶことは多いと思うのだが・・・。
2009(平成21)年2月7日記