フロスト×ニクソン(アメリカ映画・2008年) |
<東宝東和試写室>
2009年2月9日鑑賞
2009年2月12日記
映像化不可能!そう言われていた舞台向きのフロスト×ニクソンのトークバトルが、スクリーンに登場!田原総一朗クラスならまだしも、若手の軟弱な司会者ではニクソンからウォーターゲート事件の反省と謝罪を引き出すことなど、とてもムリ!誰もがそう思っていたが・・・?アカデミー賞作品賞、監督賞、そしてニクソン役のフランク・ランジェラが主演男優賞にノミネートされたのは当然と思える力作だが、反対尋問に35年間苦しんできた弁護士の私の目には、なぜ最終回にフロストが逆転ホームランが打てたのかが、若干説明不足・・・?
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監督・製作:ロン・ハワード
脚本・原作・製作総指揮:ピーター・モーガン
リチャード・ニクソン(第37代アメリカ合衆国大統領)/フランク・ランジェラ
デビッド・フロスト(テレビ司会者)/マイケル・シーン
ジャック・ブレナン(ニクソンの腹心の部下)/ケビン・ベーコン
キャロライン・クッシング(フロストの恋人)/レベッカ・ホール
スイフティー・リザール(ニクソンの代理人の大物エージェント)/トビー・ジョーンズ
ジョン・バート(ロンドン・ウィークエンド・テレビのプロデューサー)/マシュー・マクファディン
ボブ・ゼルニック(ジャーナリスト)/オリバー・プラット
ジェームズ・レストン(ノンフィクション作家)/サム・ロックウェル
2008年・アメリカ映画・122分
配給/東宝東和
<やっぱりアメリカは民主主義の国!>
百年に1度という未曾有の経済危機の中、日本の政治は①麻生総理の漢字読み取り能力テスト、②自民党最大派閥である町村派の内で吹き荒れたコップの中の嵐、③消費税をめぐるブレがやっと収まった途端に発生した、麻生総理の郵政民営化と4社分社化への賛否をめぐる発言のブレ、等々いかにもバカげた、非生産的な政局に明け暮れている。そんな中、2009年2月10日付朝日新聞は麻生総理の支持率が14%に低下したことを報じたが、これでは衆議院の解散・総選挙はますます遠のくばかり?
こんな体たらくの日本の政治状況と比べれば、オバマ新大統領の誕生をめぐるアメリカの2年弱にわたる政治ドラマを見ても、あるいは2月10日の夕刊各紙で報じられた、「失われた10年」に陥った日本の教訓を挙げて景気法案の早期成立を訴えた、大統領就任後はじめての公式記者会見でのオバマ大統領のアピールぶりを見ると、アメリカでは政治のダイナミズムがまだまだ生きていることを実感。
昨今のこんな動きを見てもやっぱりアメリカは民主主義の国だと痛感するが、1970年代に起きたニクソン大統領によるウォーターゲート事件が舞台のみならず映画のテーマとしても登場し、アカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞(ニクソン役のフランク・ランジェラ)にノミネートされるなど多くの国民に支持されていることにビックリ。
ちなみに日本で今、「総理の犯罪」と代呼ばれた亡田中角栄総理のロッキード事件をテーマとして映画を作ろうとしても、そんな難しい映画には誰も出資しないだろうし、アホバカバラエティー番組に慣れてしまい、政治に関心を失ってしまっているアホバカ日本国民は誰もそんな映画を観に行かないのでは・・・?しかして、ウォーターゲート事件とは?フロスト×ニクソンとは?
<雄弁VSテレビ討論>
2009年2月7日付毎日新聞の「近聞遠見」で毎日新聞客員編集委員の岩見隆夫氏は、①1月15日の東京帝国ホテルの新春セミナーで行われた中曽根元首相による恒例の基調講演、②1月28日の麻生太郎首相初の施政方針演説、③1月30日の自民党の尾辻秀久参院議員会長による代表質問の3つの演説を取りあげ、「雄弁」をテーマとし「『本能寺の変』が起きる?」という重大な問題提起をした。これは、中曽根元首相が基調講演で「日本は昨年の<乱>から<変>の時代へ大きく転換する」と語ったことをテーマとした興味ある分析。私がこの映画を観ながら思い出したのは、そこで傍論として述べられていた「最近は演説の巧拙が話題になることはほとんどない。かわって、テレビでの討論、座談に関心が向く。だが、そこに練り上げたスピーチの迫力、妙味はない。テレビ政治と演説の衰退は深くかかわっている」との文章だ。
私は毎週日曜日にフィットネスクラブで2時間50分かけて20kmを走りながら、『サンデープロジェクト』『サンデージャポン』『NHK杯将棋トーナメント』をチャンネルを切り換えながら観ているが、『サンデープロジェクト』に出演している政治家たちの討論術は概ね未熟で、田原総一朗の司会術の低下とあわせてどんどん劣化している感がある。それに比べれば、メディア向けのしたたかな計算を含んだ橋下徹大阪府知事の討論術、演説術は立派なもの。太郎(自民党総裁の麻生太郎)と一郎(民主党代表の小沢一郎)をはじめとする日本の政治家に、オバマ新大統領ばりの演説力を期待するのはムリだとしても、せめてテレビカメラの前での討論術くらいはもっと磨いてもらいたいものだ。そんな観点から、『フロスト×ニクソン』のテレビカメラの前における「バトル・トーク」をみると・・・?
<演劇向きと思っていたら、案の定・・・?>
ウォーターゲート事件は、1972年6月に当時野党であった民主党全国委員会本部のあるウォーターゲートビルの中に、盗聴器を仕掛けようとして不法侵入した5人の男が現行犯逮捕されたことに始まった一大政治スキャンダル。これに共和党のニクソン大統領とホワイトハウスが関係しているのではないか、との疑惑が生まれたわけだ。ニクソンは最後まで関与を否定したが、結局2年後の1974年8月大統領職を辞任することに。
この映画が描く、フロスト(マイケル・シーン)による元アメリカ大統領ニクソンへのインタビューが行われたのは1977年だが、それが実現できたのはテレビ司会者として全米進出の野望を持つフロストの申出を、政界復帰の望みを捨てきれないニクソンが受け入れたため。つまり、プレスシートが紹介しているように、フロストとニクソンの2人はそんな動機で2時間×4回「メディアという名のリングの上に立ち、言葉のグローブを交えた」わけだ。その結果「2人の熾烈なトークバトルは4500万人の国民を釘付けにし、アメリカのテレビ番組史上最高の視聴率をはじき出した」とのことだ。
そんなインタビュー形式による2人のトークバトルを描くのなら、映画より演劇の方が向いているのでは?そんな風に思いプレスシートを読んでみると、案の定、これは元々『クイーン』(06年)や『ラストキング・オブ・スコットランド』(06年)を監督したピーター・モーガンが書き、大成功を収めていた舞台劇。いかにも舞台劇にピッタリの2人芝居で、現実に大ヒットしている舞台劇を映画化するのは至難の業だからこれは「映画化不可能な舞台劇」と言われていたらしい。プレスシートによると、原作者、製作総指揮者でこの映画の脚本を書いたピーター・モーガンが、「『誰かに映画にしないの?』と聞かれた時、『頭がおかしいんじゃない?』と言ったことがあったよ」と語っていることからもそれは明らかだ。元々そんなすばらしい舞台劇が、どんな演出によってアカデミー賞監督賞、作品賞、主演男優賞にノミネートされるほどのすばらしい映画に・・・?
<イギリスの軟弱なテレビ司会者が、なぜ?>
私はニクソン大統領やウォーターゲート事件のことはある程度知っているが、フロストはこの映画で初めて知った人物。政治をテーマとしたテレビ司会者として日本で今もっとも権勢をふるっているのは田原総一朗氏だろう。それに比べると、ニクソンへの1対1のインタビュー番組を企画した当時のフロストは、母国イギリスとオーストラリアでトーク番組をもつ人気司会者というだけの、どちらかというと「軟弱なテレビ司会者」だったらしい。この映画前半は、その出演交渉ぶりが描かれる。
フロスト側でプロジェクトを仕切るのは、ロンドン・ウィークエンド・テレビのプロデューサーである、ジョン・バート(マシュー・マクファディン)。他方、60万ドルという法外なギャラの要求を承諾して前払金20万ドルを既に支払ったものの、3大ネットワークはこの企画を拒否。それは、フロスト程度の軟弱な司会者にニクソンのような大物政治家を追及するインタビューなどできるはずがないと評価したためだ。そんな中フロストが新たにうち出したのは、番組を自主制作して放映権を売却するというアイディアだが、さて資金は集まるの?フロスト自身によるスポンサー探しは大変では?
そんな企画のためにフロストが新たに雇ったのは、放送界で活躍するジャーナリストのボブ・ゼルニック(オリバー・プラット)、そしてアンチ・ニクソン派を代表するノンフィクション作家のジェームズ・レストン(サム・ロックウェル)だが、当の本人のインタビューに向けた準備は大丈夫?スポンサー探しや資金集めと、トークバトルへの準備を、フロストはちゃんと両立できるの?
<ニクソンの話術に感心!>
映画前半の舞台裏における攻防戦が終わると、後半は舞台劇さながらのフロスト×ニクソンのトークバトルの開始!そう期待したのだが、きっと私と同様そんなあなたの期待は裏切られるはず。なぜなら、明らかな準備不足、突っ込み不足のフロストに対し、悠然と構えたニクソンの話術の優位が明らかだから。これでは一方的なニクソンのトークショーの様相になってしまったのは当然だ。
もちろん、フロストだって多少の反則技も仕方なしと考えていたようで、ウォーターゲート事件に関する質問は最後にするとの取り決めは無視して、最初にいきなり「録音テープ問題」から質問したのだが、ニクソンはそれに狼狽するどころか、逆に「ホワイトハウスではあらゆることを録音している」云々と話を繋げていったからフロストの質問は完全な空振りに。その後の質問に対しても、笑みを絶やさずソフトに「解説」していくニクソンは絶好調。これでは、フロストは聞き役で、ニクソンの話術の引き立て役。一体何がトークバトルなの?やはり田原総一朗ばりに(?)、突っ込んだり、挑発したり、反論したり、多少ムリ筋でも確認・念押しをしていかなくちゃ・・・。
<フロスト陣営は、空中分解寸前?>
1回目のインタビューは、トークバトルとは程遠い内容で完全にフロストの敗北。レストンもゼルニックもそう判断し、2回目以降の態勢の立て直しをフロストに進言したが、フロストはそれ以上にスポンサー探しを優先?
2回目は、ベトナム戦争がテーマ。フロストは「カンボジア侵攻は誤りだったのでは?」と質問し、カンボジア侵攻に伴う悲惨な状況をVTRで流したが、ニクソンは「もっと早くカンボジアに侵攻していれば、もっと多くの米兵を救うことができた」と反論したため、それに対して有効な再反論ができないフロストはまたしてもギャフン。そして、3回目はニクソンの得意な外交分野だから、これがニクソンの一人舞台になってしまったのは予想どおり。
60万ドルもの資金を集めたこの企画は何だったの?これは何を目指したもの?それは、ウォーターゲート事件について突っ込んだインタビューを行い、トークバトルをくり広げるなかでニクソンの反省と謝罪の言葉を引き出すことではなかったの?ところが過去3回のインタビューはその目的達成に程遠いばかりか、逆にニクソンの独演会になっているのでは?レストンとゼルニックはそんな不平不満をフロストにぶつけたから、今やチーム・フロストは空中分解寸前!さて4回目、最終のインタビューに向けて、フロストとフロスト陣営はどんな風に態勢を立て直すの?
<最終回に向けた追い込み態勢は?>
この映画には1人だけ女性が登場する。それがキャロライン・クッシング(レベッカ・ホール)。キャロラインは、フロストがニクソンへのインタビュー交渉のためアメリカに向かう飛行機の中で出会い、ナンパ(?)の結果、交際をスタートさせた女性。これを見てもフロストの「軽さ」が明らか。つまりフロストは、もともとコメディアンとしてテレビの仕事を始め、司会者になってもバラエティー番組やセレブを招いたトークショーを担当していただけだから、もともと政治問題のトークバトルには不向き?キャロラインとの交際ぶりや、バースデーパーティーでのはしゃぎぶり、そして過去3回のインタビュー風景をみていると、私にはどうしてもそう思えてしまう。
4回目、最終回のインタビューに向けてフロストは今ホテルのスイートルームに泊り込んでいたが、そこにもなぜかキャロラインが・・・?最終回に向けての追い込み勉強の合宿地に女性を連れ込み?これじゃとても最終回での逆転ホームランはムリ。私にはそう思えたが・・・。
<弁護士の華は、反対尋問!>
インタビュアーの良し悪しは、ターゲットへの質問内容によって判断される。したがって、凶悪犯罪や暴走運転で父親や母親を亡くした遺族に対して、「今のお気持は?」などと通り一辺の質問をするバカなインタビュアーは論外。つまり、インタビュアーの華はターゲットへの質問の切り口と鋭さだが、弁護士の華は相手方申請の証人(敵性証人)に対する反対尋問。だって、敵性証人は相手方弁護士との事前の打合せにもとづいてストーリーを組み立てて整然と証言するのが普通だから、その証言のどこに弱点を求め、どんな切り口で反対尋問をして狼狽させ、主尋問の印象を弾劾するかはきわめて難しいと同時にすごくやりがいのある作業だ。最悪の反対尋問は、「今あなたが証言したことはホントですか?」と質問し、「ホントですよ。私はウソなどついてません!」と主尋問の内容を補強してしまうこと。反対尋問はそれほどに難しいから、それが成功するケースはせいぜい100件に1つ・・・?
デビッド・フロストが60万ドルという法外なギャラを払ってまで実現させたリチャード・ニクソン(フランク・ランジェラ)に対するインタビューは、2時間×4回の持ち時間での勝負。その時間内でフロストは、ニクソンがウォーターゲート事件において重大な誤りを犯したことを告白させなければならないのだが、そんなことはホントに可能?弁護士だったリンカーンがある殺人事件で成功させた反対尋問は、フランシス・ウェルマン著、梅田昌志郎翻訳の『反対尋問』(旺文社)で詳しく紹介されているが、もしフロストがこのインタビューに成功すれば、リンカーン以上の大成果。
<起死回生の逆転ホームランは?>
弁護士として反対尋問に向かう時の事前準備は大変な作業。それは、膨大な記録にすべて目を通し、ポイントを整理したうえ、全体の流れを頭に入れ、証人の証言内容に応じて臨機応変に質問を考え、かつ資料を突きつけていかなければならないからだ。最終回のフロストに求められているのは、そんな弁護士として反対尋問に臨む時と同じ事前準備だ。
1977年に行われたフロスト×ニクソンのインタビューでニクソンがウォーターゲート事件を謝罪することになったのは歴史的事実だから、演劇にしても映画にしてもそこまでの道筋をいかにスリリングに見せていくかが第1のポイント。そして第2のポイントは、ニクソンが反省と謝罪の言葉を語る苦渋の表情をいかにカメラが映しとるかということだ。
この映画がアカデミー賞監督賞、作品賞、主演男優賞にノミネートされたのはそんなポイントの演出が見事だったからだが、私には2つの点で不満がある。それは第1に、確かにフロストは最終回で逆転ホームランを放つわけだが、なぜそれができたのかについての検証が不十分なこと。フロストは最終日に向けて、ワシントンにいるレストンにウォーターゲート事件の再調査を依頼し、その結果ニクソンが嘘をついていたことを示す新たな証拠を入手することができたというストーリーなのだが、思いつき的な再調査でそんな決定的な新証拠が入手できるの?そりゃあまりに安易すぎるのでは?
そして第2はこれがこの映画の大きなポイントだが、最終回に向けてホテルの中でフロストが悩んでいる時、ニクソンから直接フロストに電話がかかってくること。それは一体なぜ?また、その電話の中でニクソンは一体何を語ったの?それは、是非あなた自身の目で。
ニクソンからフロストにかかってきたこの1本の電話が、落ち込んでいたフロストの対抗心をかき立てたわけだが、常識的にはそんな電話はありえない話。これはきっと舞台と映画両方の脚本を書いたピーター・モーガンが考え出したアイディアだろうが、そんな設定の是非は?
<グッチの靴っていくらくらいするの?>
法廷での証人尋問でも、国会での討論でも、本筋の追及の前後合間にふっと雑談めいた話を入れることによって、より本筋の話が浮かびあがることがある。またこれには、緊張し身構えている相手をひとことでリラックスさせる効用もある。フロスト×ニクソンのインタビューをみていると、そんな観点からも余裕があるのがニクソンで、フロストは口をカラカラにして緊張している感じ。
ピーター・モーガン監督は、そんな2人の力関係を象徴するものとして、バトル開始直前に「君はいい靴をはいているね」とニクソンがフロストに話しかけるシーンを入れている。互いに足を組み向かい合って座っているから、靴が目立つのは当然だが、そこでそんな言葉をかけるとは何とも意外。プレスシートを読むと、それはグッチの靴らしい。ところでグッチの靴っていくらくらいするの?そこまでプレスシートに書いていないから自分で調べてみなくては・・・。
それは冗談として、グッチの靴をめぐる2人の世間話は、映画のラストに面白いシーンとして再登場するから、それにも注目したい。
2009(平成21)年2月12日記