プライドと偏見(イギリス映画・2005年) |
<三番街シネマ>
2006年2月2日鑑賞
2006年2月3日記
18世紀末のイギリスの片田舎を舞台に展開される2つの恋愛模様は、今も共通する論点ばかり。しかし、女の子に相続権がないあの時代では、財産のある男との結婚が、最大のテーマ。「あいつは偏見に満ちた奴」そして「プライドの高い女は嫌い」なはずだが、さて意外な恋の成り行きは?今どきの単純な「純愛ドラマ」ではなく、骨太で複合的、それでいてスピード感に満ちた恋愛模様をタップリと楽しめるはず。それにしても20歳のキーラ・ナイトレイは、きれいだよ・・・。
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監督:ジョー・ライト
ジェーン(長女)/ロザムンド・パイク
エリザベス(次女)/キーラ・ナイトレイ
メアリー(三女)/タルラ・ライリー
キティ(四女)/キャリー・マリガン
リディア(五女)/ジェナ・マローン
Mr.べネット(父)/ドナルド・サザーランド
Mrs.べネット(母)/ブレンダ・ブレッシン
Mr.ダーシー(プライドの高い青年)/マシュー・マクファディン
ジョージアナ(ダーシーの妹)/タムジン・マーチャント
Mr.ビングリー(大金持ちの独身男性)/サイモン・ウッズ
キャロライン(ビングリーの妹)/ケリー・ライリー
Mr.ウィッカム(ダーシーの幼友達)/ルパート・フレンド
Mr.コリンズ(エリザベスの従兄)/トム・ホランダー
シャーロット(エリザベスの友人)/クローディ・ブレイクリー
キャサリン夫人(ダーシーの叔母)/ジュディ・デンチ
UIP配給・2005年・イギリス映画・127分
<今も息づくイギリスの近代文学>
イギリスの近代文学の名作はたくさんあるが、2月11日に公開されるロマン・ポランスキー監督の『オリバー・ツイスト』は、1812年生まれのチャールズ・ディケンズの原作で、19世紀半ばのロンドンを舞台とした社会派ドラマ。これに対して、1775年生まれのジェーン・オースティン原作の『高慢と偏見』(他に『自負と偏見』という訳もあり)は、18世紀末のイギリスの片田舎を舞台としたもので、女性作家らしい(?)恋愛ドラマ。多分、自分の体験も踏まえたストーリーの組み立てなのだろうが、「ハンカチを落として気を引く」という見え透いたテクニックの紹介から、「プライドと偏見」の本質に切り込んでいく手法は、骨太でダイナミックそしてスピード感いっぱい。
物語の最初の軸となるのは、長女のジェーン(ロザムンド・パイク)とビングリー(サイモン・ウッズ)との恋愛模様だが、終始本命として描こうとしているのは、次女エリザベス(キーラ・ナイトレイ)とダーシー(マシュー・マクファディン)との恋愛模様。そして、それをドラマチックに盛り上げるために登場する多様な人物たちを紹介すれば、まずはべネット家の面々としては、エリザベスの父親(ドナルド・サザーランド)、母親(ブレンダ・ブレッシン)そして三女メアリー(タルラ・ライリー)、四女キティ(キャリー・マリガン)、五女リディア(ジェナ・マローン)。そしてただ1人の男の従兄であるコリンズ(トム・ホランダー)。
他方、ダーシーの関係では、妹のジョージアナ(タムジン・マーチャント)と叔母のキャサリン夫人(ジュディ・デンチ)。ダーシーの親しい友人がビングリーであり、ウィッカム(ルパート・フレンド)はダーシーと腐れ縁のある幼なじみ。また、人の良いビングリーにいつも寄り添っている(?)のが、妹のキャロライン(ケリー・ライリー)。
そんな人間模様をまず頭に入れておく必要があるが、これほど重層的にさまざまなキャラを持った人間を配置させながら描く恋愛模様は、今ドキ大はやりの「純愛モノ」とは大きく異なる一大叙事詩・・・?今も息づくこんな大作恋愛ドラマをじっくりと学べば、あなたの恋愛テクニックも更に上達するのでは・・・?
<恋愛・結婚にも「下部構造」の影響が・・・>
「上部構造」と「下部構造」の分析は、18世紀末というこの映画の時代から約100年後のマルクス・エンゲルスの登場を待たなければならない。18世紀末におけるイギリスの恋愛・結婚において、娘の結婚には家長たる父親の同意が必要という古い「家の思想」(上部構造)があるのは当然だが、女性やその親にとっては、いかに財産を持った男と恋愛・結婚するか(下部構造)が最大の関心であり、テーマ。もちろん、ハンサムでやさしく、人柄が良ければそれにこしたことはないが、お金と人柄のどちらを優先すべきかは明らかなこと。
したがって、そんな時代における女性の結婚の価値観に忠実(?)で、現実論者であるエリザベスの幼なじみのシャーロット(クローディ・ブレイクリー)が、エリザベスに振られてしまったコリンズとあっさり結婚すると決意したのは、ある意味当然。彼女が言う、「私だってもう27歳よ。現実を見つめなければ・・・」という言葉の重みがズッシリと響いてくる・・・。
<大前提としての相続に関する法律知識>
日本では今でこそ、①相続は男の子も女の子も平等、②子供はすべて均等に相続、というのが当たり前になっているが、日本でも戦前すなわち明治31年の相続法においては、江戸時代の武家相続の影響のもとに「家督相続」と規定されていた。そして、家督相続の順位は、第一順位の法定推定家督相続人として「被相続人の家族たる直系卑属」と規定されていた他、①親等の遠い者より近い者を、②女子より男子を、③非嫡出子より嫡出子を、④年少者より年長者を優先する、との考え方のもとに、第五順位まで詳細に規定されていた。したがって、これは多くの場合長男の単独相続を意味することになり、A家からB家に嫁いだ女の子が家督相続をすることはあり得ないことだった。
こんなあの時代の常識のもとに、弁護士の私は今でもまれに「嫁に出た娘にも、家を継いだ長男と全く同じ相続分があるんですか?」という時代錯誤的な質問や感想を聞くことも・・・。それが、わずか100年前の日本の姿。そして、それより昔の18世紀末のイギリスの相続においては、女の子には全く相続権がなかったということ。したがって、5人も女の子がいても、父親が死んでしまったら、父親の財産はすべて遠縁の男、すなわちこの映画では従兄のコリンズが継ぐことになるらしい。そうすると、5人の娘たちの恋愛・結婚は単なるお楽しみゴトではなく、どんな資産家の男と結婚するかは、将来の命運をかけた人生最大の賭けとなることは明らか。したがって、当人はもちろん、母親が必死になるのは当然。
この映画における恋愛の駆け引き模様を楽しむ(?)ためには、前提としてこのような相続に関する法的知識が不可欠。もっともそれは、私もこの映画を観て、パンフレットを読んではじめて知ったことだが・・・。
<タイトルのテーマは昔も今も同じ・・・>
男女の恋愛模様に絡んでいつも存在し、そしていつもその成就の邪魔をする感情が、この映画のタイトルとなっている「プライドと偏見」・・・。「偏見」はない方がいいに決まっているが、人間は誰もが持っているもの。また、「プライド」はなくてはダメだが、あまり高すぎるとかえって邪魔になることが多いもの・・・。「あいつは偏見に満ちた奴だ・・・」とか、「あの女はプライドが高すぎて・・・」とかの表現は、この映画の舞台である18世紀のイギリスの片田舎に登場するだけではなく、現在の日本の恋愛模様をめぐる会話でも、常に登場するもの。
この映画の主人公であるエリザベスとそのお相手となるダーシーは、外面こそ全くタイプが違うが、その本質は多分同じ、2人とも本好きで思慮深く、何事も自分の頭の中でアレコレと考えて組み立てていくタイプ。それがプレイボーイ(?)のウィッカムや彼と駆け落ちしていく三女のメアリーなどとは、根本的に違うところ。
また、もう1組の注目ペア、長女のジェーンと誰にでも好かれる人当たりの良い資産家のビングリーとの仲が、一見順調そうに見えながら破綻した(?)のは、割と単純な理由。すなわち、ジェーンが内気だったために意思の疎通が少しだけ不足したこと。したがって、その誤解を解くちょっとしたきっかけさえあれば、あとは一発オーケー・・・。
しかし、エリザベスとダーシーの場合は、お互いのプライドと偏見が何重にもぶつかり合ったうえ、他の登場人物たちの人間関係が複雑に絡んでくる中で、「誤解」という第3の要素も深まってくるから大変。お互いのプライドと偏見がぶつかり合う中、あらゆる局面において深刻に対立してしまった2人の間は、破綻していくしかない、と誰もが思うのは当然だった・・・。そしてそれは、観客それぞれが自分の体験に照らしての判断であったことも当然だった・・・。
<「集団見合い」、今は合コン、昔は舞踏会>
2006年1月16日のライブドア本社への強制捜査、1月23日の堀江貴文他4名の逮捕によって、若者の憧れの的であった「ヒルズ族」にも少し陰りが出てきた感が・・・。そしてその直後は、ホリエモンの30億円のプライベートジェット機によるお忍び旅行のお相手であった吉川ひなのが叩かれたが、その後ももぐらたたきの大好きな週刊誌は、ジェット機への過去の同乗者やホリエモンと食事をしていたテレビ局の女子アナのリストアップに一生懸命・・・。彼ほど派手に遊んでいなくても、今ドキの男女の出会いの場は、昔流の堅苦しいお見合いではなく、お手軽な「合コン」となっている。この映画を観て思ったのは、18世紀末のイギリスの上流社会で開催されていた(プライベートな)舞踏会は、いわば今ドキの合コンの規模を大きくしたもので、その狙いはズバリ集団見合いの場所だということ。男女が着飾って、大っぴらに踊りながら手を握ったり、自由に会話を楽しんだりすることができるこの舞踏会で、あくまで狙っているのは「本命さがし」・・・。
映画では最初、空家となっていた豪邸ネザーフィールド宅にビングリーが引っ越してきたことによって開催された舞踏会の中で展開される「男さがし」の様子が詳細に描かれるが、これは「さすが女流作家の目によるもの」と思わせる非常に面白いもの。そして、2度目に登場するキャサリン夫人が住む超広大なロージングス邸における舞踏会で、エリザベスはダーシーとはじめて踊ることになるが、その経過と行き着くところは最悪!
オードリー・ヘップバーン主演の『戦争と平和』(56年)やヴィヴィアン・リー主演の『風と共に去りぬ』(39年)にも登場する舞踏会のシーンは華やかさを強調するだけだが、レイモン・ラディゲの名作『ドルジュル伯の舞踏会』で描かれる人間模様は興味深いもの・・・?そして、この映画が描く2つの舞踏会の様子は、私が今まで全く知らなかった視点を提供してくれたもの。何事もしっかり勉強しなければ・・・。
<5人の姉妹だが、実質は・・・?>
4人姉妹の物語で最も有名な小説は、アメリカのルイーザ・メイ・オルコット原作の『若草物語』。そして日本では谷崎潤一郎の『細雪』。また、3人姉妹で最も有名な映画は『宋家の三姉妹』(97年)。これら3~4人姉妹の物語では、多少のバラツキはあっても姉妹の描き方は平等で、それぞれの姉妹のキャラが全面的に展開される。しかしこの映画では「べネット家の5人姉妹」といいながら、実質的に描かれるのは長女と次女の2人だけで、三女以下はいわばお飾り。そうなるのは、この映画と同じく5人姉妹が登場するミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』(64年)でも同じ・・・。
ダーシーの叔母でコリンズの後見人である高慢ちきなキャサリン夫人が、エリザベスに対して浴びせかける質問は、いずれもエリザベスの両親の生き方や子供の教育方針を全否定するもので、エリザベスには納得いかないものばかり。しかし、15歳の三女メアリーやその下の妹たちの、行儀もわきまえず、男さがしばかりに熱を入れている様子を観ていると、その批判にはかなり正当な面も・・・。
また物語の展開において、長女ジェーンとビングリーとの結婚について、ダーシーが「ジェーンには何の問題もないが、母親や妹たちに問題あり」とアドバイスしたことが明らかになるが、これは決してエリザベスの家族を中傷したのではなく、真摯なアドバイスだったことも何となくわかってくるもの。それほど5人姉妹のべネット家においては、父親も認めているように、まともなのは長女のジェーンと次女のエリザベスだけ・・・?
<キーラ・ナイトレイの美しさだけでも一見の価値が・・・?>
私はよく知らなかったが、パンフレットのインタビュー記事を読んでいると、エリザベス役を演ずるキーラ・ナイトレイは「エリザベス役は小さい頃からの夢」とイキイキと語っている。このキーラ・ナイトレイはイギリスのテディントン生まれだから、早熟なイギリス人の少女が少女時代に「ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』を読んで、女主人公のエリザベス・べネットみたいなロマンスをしたいって胸をときめかせていたのよ」と語るのはもっともなこと。そんなキーラ・ナイトレイの意気込みが、この映画でのエリザベス役にしっかりと伝わっていることが、観ているとよくわかる。
また、『パイレーツ・オブ・カリビアン』(03年)での行動的な美女役(『シネマルーム3』102頁参照)や、『キング・アーサー』(04年)での美しい弓矢の女戦士役(『シネマルーム6』121頁参照)など、さまざまな役を演ずる彼女の美しさに私は前からゾッコンだったが、今回もそれは全く同じ。いやむしろ、こんなエレガントな美しさは今回がはじめてで、なお魅力的。
彼女は1985年3月26日生まれだから、今ちょうど20歳。その美しさにはますます磨きがかかっているうえ、彼女が今回演ずる芯の強いエリザベス像は、あの時代の女性としてはちょっと考えられないような魅力がいっぱい。彼女の美しさを観るだけでも一見の価値があることはたしかだ。06年と07年には『パイレーツ・オブ・カリビアン』の続編2作が予定されているとのことだから、それも楽しみにしておこう。
なお、ここで1つお詫びして訂正しておかなければならないことができた。それは、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のパンフレットには、キーラ・ナイトレイは1983年3月22日生まれと書いてあったため、それを前提として『シネマルーム3』には、「エリザベスを演じるキーラ・ナイトレイは1983年生まれだから今ちょうど20歳」と書いたこと(『シネマルーム3』102頁参照)。しかし、今回の『プライドと偏見』のパンフレットには彼女は1985年3月26日生まれとあり、また『キング・アーサー』のパンフレットには1985年3月26日生まれ(22日の説もあり)とある。したがって、私としては1985年3月26日が正しいものとしたい。パンフレットにも意外と単純なミスがあるものだということをあらためて再認識した次第・・・。
2006(平成18)年2月3日記