ココ・アヴァン・シャネル(フランス映画・2009年) |
<梅田ピカデリー>
2009年9月21日鑑賞
2009年9月23日記
男だって女だって、時代を切り開き、人間の価値観を変えるのは異端児。そんな真理が、19世紀末から20世紀初頭の時代を女だてらに自立しようともがくオドレイ・トトゥ演ずるシャネルの姿を観ればよくわかる。もっとも、銀座のママさんたちの出世競争と同じく、あの時代ではなおさら女の武器の活用と男の援助は不可欠?2人の男との絡みの中、若き日のシャネルが示す生きザマは、まさに「ファッションは廃れても、スタイルは廃れない」との名セリフどおりだ。さて、不安で不透明な今の時代、彼女の生き方から何を学ぶ?
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監督・脚本:アンヌ・フォンテーヌ
ガブリエル・シャネル(愛称ココ)/オドレイ・トトゥ
エティエンヌ・バルザン(上流階級の将校)/ブノワ・ポールブールド
ボーイ・カペル(イギリスの青年実業家)/アレッサンドロ・ニボラ
アドリエンヌ(ガブリエルの姉)/マリー・ジラン
エミリエンヌ(バルザンの元愛人、レビューの踊り子)/エマニュエル・ドゥボス
2009年・フランス映画・110分
配給/ワーナー・ブラザース映画
<なるほど、シャネルとはこんな女性>
女性のファッションやブランドに全然詳しくない私でも、シャネルの名前はよく知っている。また「寝る時に身につけるものは何?」と聞かれた時に答えた、マリリン・モンローの「シャネルの5番だけよ」という名セリフもよく知っている。しかし、1883年に生まれたガブリエル・シャネルが、①少女時代を姉アドリエンヌと共に孤児院で過ごしたこと、②青春時代は昼間はお針子として、夜は田舎のキャバレーの歌手として懸命に働いていたこと、③2人の男との出会いを経て、あの時代にしては珍しく「自立する女」としての道を歩んでいったこと、は本作を観るまで私は何も知らなかった。
今年は『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』『斜陽』『人間失格』『パンドラの匣』という太宰治の4作品が映画化されるが、これは今年が太宰治生誕百年という記念の年だから。他方、シャネル生誕125周年となった2008年にはシャーリー・マクレーン主演のシャネルの伝記映画『ココ・シャネル』がつくられ、それに続いて2009年にオドレイ・トトゥ主演の本作がつくられた。さらに、ヤン・クーネンの新作『ココ・シャネル&イーゴル・ストラヴィンスキー』も来年には公開されるらしい。なぜ太宰治に続いて、シャネルに世間がそんなに注目?それは先行き不透明な時代、不安の時代を迎えた今、あらためてシャネルの力強い生き方が注目されたため?、無理矢理そんなこじつけをする必要はないが、女性がみんな窮屈なコルセットを身につけ、派手はフリルや羽飾りで着飾っていた19世紀末から20世紀初頭の時代において、そんな価値観を全否定し、新たなファッションとスタイルを切り開いていったシャネルの生きザマはたしかに革命的で、まさにアヴァンギャルド。なるほど、シャネルとはそんな女性だったのか、とわかっただけでも本作を観た価値があったというものだ。
<アンヌ・フォンテーヌ監督と、オドレイ・トトゥに拍手!>
本作の脚本を書き、監督したのはフランス出身の女性監督アンヌ・フォンテーヌ。私は本作でその名前をはじめて知ったと思っていたが、パンフレットを読むと、彼女は香港の美人女優張曼玉(マギー・チャン)が流暢なフランス語を操っていた秀作『オーギュスタン/恋々風塵』(99年)(『シネマルーム9』329頁参照)の監督だった。「シャネルの伝記映画を撮らないか?」という誘いを受けたアンヌ・フォンテーヌ監督が考えたのは、「それなら絶対有名になる前の話を撮った方が面白い」ということだったらしい。そんなアンヌ・フォンテーヌ監督の狙いは、映画冒頭の母親を亡くし、父親にも捨てられたシャネルと姉のアドリエンヌが孤児院に入れられる何とも陰鬱なシーンに表現されている。
他方、『アメリ』(01年)におけるエキセントリックな少女役で一躍有名になったフランス人の女優オドレイ・トトゥが本作でも、どこまでも変わりモノで時代の異端児となる青春時代のシャネルを存在感タップリに演じている。退廃的な貴族であり将校でもあるエティエンヌ・バルザン(ブノワ・ポールブールド)が、田舎のキャバレーで姉アドリエンヌ(マリー・ジラン)と共に歌い踊っていたシャネルに興味を示し、自分の城館に連れていったのは一体ナゼ?それはきっと、シャネルが他のどんな女とも似ていなかったから。また、バルザンと行動を共にしていたイギリスの青年実業家ボーイ・カペル(アレッサンドロ・ニボラ)が、真剣にシャネルを愛したのは一体ナゼ?それもきっと、シャネルが他のどんな女とも似ていなかったから。そんな時代の異端児シャネルを、オドレイ・トトゥが強い目力で熱演している。
シャネルの映画を「伝記モノ」としなかったアンヌ・フォンテーヌ監督の視点と、オドレイ・トトゥの熱演に拍手!
<女の武器の活用と男の援助をどう理解?>
銀座のママさんたちの成功物語に必ずパトロンの存在があるのと同じように、シャネルが社交界でデビューし、27歳で帽子店をオープンするについては、エティエンヌ・バルザンとボーイ・カペルという2人の男の援助があったことが本作を観るとよくわかる。シャネルがバルザンの城館を訪れ、そのまま滞在するようになったのはいわば押しかけ愛人のようなものだから、本来ならシャネルの「先輩格」であるバルザンの愛人エミリエンヌ(エマニュエル・ドゥボス)とシャネルは敵対関係になってもおかしくないはず。ところが、レビューの踊り子であったエミリエンヌはシャネルからもらった帽子が気に入り、何かとシャネルにやさしくしてくれたからシャネルはラッキー。もっとも、シャネルが当然のようにバルザンと肉体関係を持つとともに、何の保障もない召使いのような愛人生活の中で過ごしていたのは私には少し意外。もっとも、よく考えてみればそれ以外に彼女が上流階級の中で生きていく道はなかったから、それはある意味当然?つまり、銀座の世界におけるママさんたちの競争とそれは全く同じ?
本作におけるシャネルとバルザンの関係にみる、女の武器の活用と男の援助をどう理解するかは、きわめて難しいポイントだ。
<男よりも仕事の方が好き?>
本作では、シャネルが唯一人愛した男ボーイ・カペルとシャネルとの真剣な恋模様が描かれていく。そこで面白いのが、自分の召使いであり便利な愛人だったはずのシャネルをボーイ・カペルが真剣に愛していることを知ったことによって、バルザンが強烈な嫉妬心に見舞われること。これは何とも不思議な現象だが、そこらあたりの男女間の機微を女流監督アンヌ・フォンテーヌが見事に演出している。もっとも、シャネルがなぜこれほど真剣にボーイ・カペルを愛することになったのか?そこらあたりは男の私には少し未知の世界だ。
もし、シャネルがすんなりボーイ・カペルと結婚していたら、どうなっていたのだろうか?クレオパトラの鼻がもう少し低かったら?という歴史的の「もしも・・・?」が何の意味もないように、そんな仮説も全く意味がない。たしかにそうかもしれないが、そんな仮説を立てた場合予想される答えは、シャネルの成功はなかっただろうということ。つまり、もしシャネルがボーイ・カペルと幸せな結婚生活に入ってしまったとすれば、きっとシャネルの仕事への執念はなかっただろうということだ。そうすると、あの時ボーイ・カペルが交通事故で死亡し、ボーイ・カペルとの結婚を諦めざるをえなかったことは、シャネルにとってラッキー?
男よりも仕事の方が好きな女性はたくさんいるだろうが、シャネルにとって唯一人愛した男が交通事故で死亡したことが、シャネルが仕事で大成功を収めた1つの原因だったとは・・・。
<「ファッションは廃れても、スタイルは廃れない」の名セリフは?>
近年女性の生き方論として注目されているのが勝間的な生き方、つまり勝間和代の生き方とそれを解説した勝間本だ。例えば、『断る力』や『勝間和代のインディペンデント的な生き方実践ガイド』だが、あまりにも急激に人気が出たためか、最近は反勝間的な意見も出はじめているらしい。つまり、勝間的生き方の人気もかつてのホリエモン的生き方の人気と同じように、短命なバブル的人気にすぎないのかも?そう考えると、シャネルの「ファッションは廃れても、スタイルは廃れない」という言葉は含蓄がに富んでいる。
シャネルのファッションが世界の女性から受け入れられたのはそのエレガントな機能性によるものだが、所詮ファッションはファッション。つまり、時代と共に、流行と共に変化していくもの。そしてまた、人々の嗜好性も変化していくもの。ところが、スタイルつまり人間の生き方は時代や流行に左右されないから、シャネルの毅然とした生き方は永久に歴史に残るもの。もちろん、ホリエモンだって勝間和代さんだって自分のスタイルを貫いた生き方をしているつもりだろうが、それがシャネルのように歴史に残るためには、70年、80年と続く必要がある。そう考えると、政権交代が実現し、今やしっちゃかめっちゃかの状態に陥っている自民党の中で、今なお毅然とした姿勢で理路整然とした発言を続けている今年91歳の中曽根康弘元総理には、ココ・シャネルと同じように「ファッションは廃れても、スタイルは廃れない」の言葉がいかにもピッタリ?
2009(平成21)年9月23日記