さまよう刃(日本映画・2009年) |
<東映試写室>
2009年9月25日鑑賞
2009年9月26日記
少年たちに愛娘をレイプされ殺されてしまった父親のとるべき行動とは?他方、少年の逮捕と殺人者となった父親の二方面捜査を余儀なくされた警察の正義とは?予定調和(?)の結末もあっと驚くオチも演出過剰気味だが、考える素材としては十分。構成上の難点もチラホラだが、裁判員裁判と裁判への被害者参加が始まった今、こんな映画からあなたの価値観をしっかりと。
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監督・脚本:益子昌一
原作:東野圭吾
長峰重樹(絵摩の父、建築士)/寺尾聰
織部孝史(担当刑事)/竹野内豊
真野信一(担当刑事)/伊東四朗
木島和佳子(隆明の娘)/酒井美紀
木島隆明(長野のペンション・クレセントのオーナー)/山谷初男
島田(警視庁捜査一課捜査班の班長)/長谷川初範
伊藤(捜査班員)/木下ほうか
田中(捜査班員)/池内万作
菅野カイジ(絵摩を襲った少年)/岡田亮輔
中井誠(使いっぱしりの少年)/佐藤貴広
伴崎アツヤ(絵摩を襲った少年)/黒田耕平
2009年・日本映画・112分
配給/東映
<物騒なタイトルと少年犯罪>
本作は『容疑者Xの献身』(08年)をはじめとして、次々とその原作が映画化されている現在最も人気のあるミステリー作家の一人東野圭吾の物騒なタイトルの小説を映画化したもの。『さまよう刃』は2004年12月に発売されたもので、2人の少年によって拉致されたうえ、薬物を注射され強姦されて死亡した一人娘絵摩の父親長峰重樹(寺尾聰)が、2人の少年に対して復讐をするというのが基本ストーリー。
少年による凶悪犯罪は、1997年に神戸で起きた「酒鬼薔薇聖人」と名乗る14歳の少年による殺人事件をはじめとして近時顕著となったため、少年法は2001年4月1日、2007年11月1日、2008年12月15日にそれぞれ改正された。また2009年8月3日に第1号が実施された裁判員裁判と軌を一にするかのように、2008年12月1日からは被害者の刑事裁判への参加制度が実現した。本件の主犯菅野カイジ(岡田亮輔)と伴崎アツヤ(黒田耕平)が少年事件としてではなく、刑事事件として起訴された場合の罪名は、共謀による強姦監禁致死と死体遺棄。また、車を提供し絵摩を拉致するところまでは協力したが、急遽父親に車を返さなければならなくなったため、カイジとアツヤらをカイジのアパートに送り届けただけで別れた中井誠(佐藤貴広)の罪名は微妙。彼らの蛮行によって被害を受けた少女は絵摩の他にも十数名にのぼるらしいから、被害者やその遺族たちは当然彼らに極刑を求めるはず。しかし、残念ながら(?)現行の少年法では、18歳未満の少年の最高刑は無期懲役で死刑はない。
さあ、そんな少年法の規定と少年による凶悪犯罪の現実に直面した時、「さまよう刃」はいかなる方向に?
<刑事の正義とは?刑事の価値観とは?>
私が断トツのトップに挙げている邦画は、松本清張原作、野村芳太郎監督による『砂の器』(74年)だが、そこでは今は亡き丹波哲郎扮するベテラン刑事今西栄太郎と、今は千葉県知事に華麗なる転身を遂げた森田健作扮する若手刑事吉村正のコンビが「これぞ理想的な日本の刑事!」というべき活躍をみせていた。本作で、それと同じような(?)役割を演ずるのが、絵摩の強姦監禁致死事件とその直後に起きた長峰によるアツヤ殺害事件の担当刑事となる真野信一(伊東四朗)と織部孝史(竹野内豊)。
弁護士は医者と違ってイヤな依頼者の事件を断ることができるから、私は出来の悪い依頼者の事件を断るワガママ弁護士として35年間やってきたが、公務員で上司の命令は絶対という刑事の仕事はそうはいかないのは当然。長峰が愛娘の復讐のためにアツヤを殺害したことを正当化することはできないものの、共感と同情を示した織部刑事が、長峰を殺人事件の被疑者として逮捕することに少なくとも感情的に難色を示したのは当然。ところが、そんな織部刑事に対し「いいか、遺族はどんなことでも知りたがる。だけど知れば知るほど苦しむことになる。あえて、知らせないことがあってもいい」と説教を垂れる。さらに、「俺たち警察は、市民を守っているわけではない。警察が守ろうとしているのは、法律の方ってことですか」と問題提起をする織部に対して、「長峰にはもう未来なんてないんだよ」と突き放すベテラン刑事真野の正義とは?そしてその価値観とは?
60作以上にのぼる東野圭吾の小説の多くがベストセラーになったのは、あっと驚く最後の結末(オチ)があるため。きっと本作でもそれがあるはずだが、その結末(オチ)をしっかり理解するためには、長峰の心理的な葛藤だけではなく、人間の機微を知り尽くしたベテラン刑事真野と、目の前にみる人間の理性や感情に真正面から立ち向かおうとする(?)若手熱血刑事織部の正義と価値観に迫っていかなければ。
<相変わらず渋い演技だが・・・>
円熟味が増すにつれて、とみに父親の名優、宇野重吉そっくりの顔になってきたのが寺尾聰。彼の『半落ち』(04年)での演技はそりゃ見事だった(『シネマルーム4』230頁参照)。1981年に『ルビーの指環』の大ヒットで第23回日本レコード大賞を受賞した彼はどちらかというとヤンキー的な雰囲気だったが、黒澤明監督の『乱』(85年)への出演以降、父親そっくりな名優としての存在感を徐々に確立させてきた。益子昌一監督がそんな寺尾聰に本作で長峰の役をやらせようとしたのは当然だ。彼はその期待どおりの演技をみせているが、弁護士としての私の目や、ヘソ曲がりな性格の私の目にはいくつかの不自然な点が目につくので、まずはそんな指摘を。
まず第1にくだらない指摘をすれば、「今帰っているところだから」「気をつけて帰れよ」という会話を電話で交わした愛娘の死体確認のため警視庁へ向かった長峰が、なぜスーツ、ネクタイ姿なの?いくら建築士という高い社会的立場があっても、そんな電話を受ければ服装なんかには目もくれず、髪を振り乱して駆けつけていくのが当然では?
第2に、謎の若者から「絵摩さんはスガノカイジとトモザキアツヤに殺されました。トモザキアツヤの住所は…」との密告(タレ込み)を受けた長峰が頼りにならない警察に報告せず、自らそのアパートに赴いたのは誰もが理解できるはず。ところが、その部屋の中で、犯人たちにレイプされる愛娘のビデオテープをみた長峰が、部屋の中でアツヤが帰って来るのを待ち、いきなり背後から彼を包丁で刺したのは不可解。だってこの金髪のチャラチャラした若者が犯人のアツヤだということを確認しないまま、いきなり背後から刺し殺していいの?ひょっとしてこれがアツヤを訪ねてきた、犯行とは無縁の友人だったらどえらい「錯誤」だ。第3の疑問は、映画後半に展開される長野のペンションにいるというカイジを捜しに行く長峰の行動。カイジの居場所を尋ねる長峰に対してアツヤが死ぬ直前に残した「長野のペンション」という言葉だけを頼りに、一体どうやってカイジを捜しあてるの?私の目には、このような長峰の行動に何の計画性も合理性も見出せなかったが・・・。その他、寺尾聰の渋い好演にケチをつけるつもりはないが、いくつかの不自然な演出はいかがなもの?
<そこまで踏みこむか?この父娘?>
佐藤浩市が犯罪加害者の家族を守る刑事勝浦卓美役を好演した秀作『誰も守ってくれない』(08年)では、マスコミの追及から逃れるため殺人犯の妹船村沙織(志田未来)を連れた勝浦刑事が逃げ込むペンションが登場した。そして、それを経営する本庄圭介(柳葉敏郎)と本庄久美子(石田ゆり子)夫婦が重要な役割を演じていた。勝浦刑事がこの夫婦経営のペンションに逃げ込んだのはそれなりの必然性があった(『シネマルーム22』258頁参照)が、本作でみる限り、長峰が軽井沢のペンション・クレセントに泊まったのは全くの偶然。
しかるに、ワケありげな中年男長峰の来訪を受けたペンション経営者の娘木島和佳子(酒井美紀)は、気持ちよく長峰の宿泊を了解したばかりか、ある日、この宿泊客が新聞報道でアツヤ殺人の犯人だと直感した和佳子は「死んだ娘は父親の復讐を望んでいないと思う」などと、いらざるおせっかいを。さらに娘と長峰との会話を聞き流していたかのように見えた父親の木島隆明(山谷初男)は、翌日長峰に対して刑事の目の前で弾が2発も入った猟銃を奪われる(手渡す?)という大芝居を演じたが、それは一体なぜ?
長峰の気持をどう理解するかは別として、初対面の長峰に対してペンションの経営者にすぎない隆明と和佳子がなぜそこまで踏みこむの?
<日本の警察って、こんなレベル?>
被害者の遺族の気持を積極的に社会に対して発信し続けているのが、山口県光市母子殺害事件の本村洋氏だが、さて長峰は?プレスシートの最初の頁には、アツヤ殺害事件直後警視庁に届いた「伴崎アツヤ殺害事件を担当しておられる警察関係者のみなさまへ」と題する長峰からの手紙全文が掲載されている。またスクリーン上でも、島田班長以下全捜査員が織部刑事が朗読するこの手紙を聞くシーンが登場する。
しかして、一人でこっそりアツヤを殺害した長峰は、なぜ引き続きカイジ殺しを予告するようなこんな手紙を警視庁へ送ったの?怪人二十面相などの特殊な「愉快犯」以外にも自己顕示欲の強い犯罪者はいるものだが、長峰は決してそうではないはず。娘をレイプして殺した少年は、逮捕され裁判にかけられても現行の少年法下では遺族が望むような極刑は到底ムリ。したがって自らの手で処罰を下すしかない。まさかそんな論理を本気で考えていたわけでもないはず。そこらあたりの長峰の心の機微が私にはよく理解できないため、原作を含めた全体のストーリー構成が観客(読者)の興味をひくためのテクニカルな設定づくりに見えてくる。
カイジとアツヤの使いっぱしりの少年中井誠は、あの時車で一緒にいたことを自供しているのだから、カイジの足どりを追うくらいのことは、日本の警察ならすぐにできるのでは?しかるに、軽井沢の廃屋となっているペンションにいるはずのカイジの追及がこんなに鈍いのはなぜ?すでに長峰は軽井沢に向かっているが、それが何を目的としたものかは捜査陣にはすべてわかっているはず。そうすると警察の目的は一日も早くカイジを逮捕し、長峰に無用な第2の殺人を犯させないこと。ところが、中井誠の取り調べ方、長野への飛び方、ペンション捜索のしかた、長峰発見時の体たらく、そんなトロくさい捜査をずっとみていると、思わず日本の警察ってこんなレベル?とすっかり絶望的に・・・。
<軽井沢でも女子高生(?)売春が?>
2009年9月26日付産経新聞には、黒田勝弘氏の署名入りで「海南島の〝恋〟」という面白いコラムが載っていた。これは売春防止法が施行されてから5年になる韓国で、その効果のほどがあらためて話題になっていることを面白く(皮肉っぽく?)論じたもので、結論は売春はなかなかなくならないということ。そして「近年、韓国人の中国各地への観光旅行は実に旺盛だ。南部の海南島にもソウルから直行便がある」としたうえ、タイトルどおり「国内が厳しくなれば海外があるか?」がオチ。
本作を観てビックリしたのは、避暑地のメッカ軽井沢でも廃屋となったペンションを利用した女子高生売春があり、何とカイジは女子高生(中学生?)を活用したそんな「仕事」をしているらしいこと。コンビニの客に「いい娘がいますよ」と声をかけてペンションに連れ込むらしいが、今ドキ軽井沢まで行ってそんなヤバい売買春話にハマるバカおやじがいるの?そう思っていると織部や真野さらに伊藤(木下ほうか)、田中(池内万作)たち捜査員が一斉に突入した廃屋ペンションには女子高生(中学生?)が一人バスタブの中に隠れていたから、カイジの商売はホント。もっとも、こんな絶好の捕り物帳においても、捜査陣はカイジを取り逃がしてしまうことになるからこりゃ一体ナニ?もっとも、これが翌日の川崎駅午後2時の待ち合わせというハイライトシーンに結びつくことになるから、脚本構成上は成功だろうが、捜査陣としては明らかな大失態。
<さあ、予定調和の(?)ハイライトへ>
川崎駅で午後2時に待ち合わせるのは、電話連絡がとれたカイジと誠。捜査陣にとって、誠はカイジを逮捕するための囮だが、さてその首尾は?他方、軽井沢で警察に姿を発見され、ペンションの主から猟銃を奪った(もらった?)ものの、あの廃屋でカイジを取り逃がしてしまった長峰はどうするの?捜査がここまで進展すれば、本来長峰は蚊帳の外に置かれているはずだが、それでは映画として成り立たない。ハイライトに向けて長峰が猟銃を持って登場し、カイジと対決するシーンが不可欠だ。さあそんなシーンはどうやって実現するの?他方、警察は長峰が登場する前にカイジを逮捕し、長峰の発砲を未然に防ぐことができるの?
そんな予定調和(?)のハイライトシーンは、あなた自身の目で。もっとも、東野作品らしく最後のオチ(?)もしっかりと設定されているから、それを見逃さないように。
2009(平成21)年9月26日記