人間失格(日本映画・2009年) |
<角川映画試写室>
2010年1月18日鑑賞
2010年1月21日記
酒と女と放蕩の日々。それが津軽の資産家のお坊っちゃまの生きザマだが、それは生来のもの?それとも・・・?なぜ、葉蔵はこんなに女にもてるの?なぜ、堀木は葉蔵を嫌ったの?そんな男の嫉妬心を踏まえながら、『人間失格』のサマをしっかりと!そしてくれぐれも、こんな生きザマをカッコいいと思わないように・・・。
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監督:荒戸源次郎
原作:太宰治『人間失格』
大庭葉蔵(津軽の資産家の息子)/生田斗真
堀木正雄(葉蔵の画塾仲間にして悪友)/伊勢谷友介
常子(葉蔵と心中する女中)/寺島しのぶ
中原中也(実在の詩人、映画オリジナルキャラクター)/森田剛
静子(子持ちの未亡人)/小池栄子
平目(煙たがられる後見人)/石原蓮司
良子(葉蔵が初めて結婚する娘)/石原さとみ
礼子(下宿先の娘)/坂井真紀
寿(薬屋の女主人)/室井滋
律子(BAR「青い花」のマダム、本作の語り部)/大楠道代
鉄(葉蔵の世話をする最後の女)/三田佳子
竹一(葉蔵のクラスメイト)/柄本佑
2010年・日本映画・134分
配給/角川映画
<堀木正雄VS大庭葉蔵の関係は、岩崎弥太郎VS坂本龍馬と同じ?>
2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』は面白そうだ。その主役はもちろん福山雅治扮する坂本龍馬だが、第1回、第2回で目立つのは、オーバーアクション気味ながらその個性が際立つ香川照之扮する岩崎弥太郎。同じ土佐出身ながら、岩崎弥太郎が坂本龍馬のことをあんなに嫌いだったとは!岩崎弥太郎が坂本龍馬を嫌ったのは、龍馬があまりにも女にモテたうえ、人たらしの名人だったため。つまり、龍馬は誰からも愛されたわけだ。もっとも、龍馬にしてみればそれはごく自然に振る舞っていることの結果なのだが、誰からも愛されたことのない弥太郎にはそれがまた気に入らないことになる。つまり、自分はとても龍馬のような生き方はできないと自覚しているわけだ。
本作において、大庭葉蔵(生田斗真)を悪の道に誘う「遊び人」堀木正雄(伊勢谷友介)は、いわば『龍馬伝』における岩崎弥太郎のようなもの?『龍馬伝』は「龍馬は俺の一番嫌いな男じゃった」という弥太郎の告白から始まったが、本作では大庭がいよいよ破滅しようとする直前に堀木が言い放つ、「俺はお前が一番嫌いだった」との告白を聞けば、それは明らかだ。紫式部VS清少納言の関係をはじめとして、女同士の嫉妬心はすさまじいというのが昔からの通説だが、男同士の嫉妬心だって何の何の、それに負けるものではないことをあらためて痛感!
<「破滅型」を美化しすぎるのは、ちょっとヤバイ?>
1949年生まれの私はいわゆる「団塊世代」だが、その特徴は「体制」に対する文句や批判の多さ。それに対して、平成生まれの成人が大量に発生してきた昨今では、大学生を含む多くの若者は体制順応型?「草食系男子」などという言葉の定義はその最たるものだ。
他方、小説家太宰治の分身のような男葉蔵は、お坊っちゃま育ちにもかかわらず(逆にそうだからこそ)破滅型。小学生時代に同級生の竹一(柄本佑)から、道化によるごまかしの生き方を指摘された葉蔵はショックを受けたが、同時に竹一から聞いた①お前は女にモテる、②お前は偉い絵描きになるとの予言には、自分でも納得?もともと自分が何モノかよくわからないうえ人間とは何かがよくわからない葉蔵にとって、人生の転機になったのは遊び人堀木との出会いだ。もっとも、私に言わせればこれは単なるきっかけで、本来葉蔵の生き方は遊び人で破滅型。
現在の若者は大卒の就職率が73.1%に落ちても、給料やボーナスが下がっても、年金をもらえる可能性が限りなく弱くなっても文句を言わず、あるがままの状況を受け入れることに慣らされているから、反乱も革命も起こらず天下太平だが、太宰治生誕100年を記念して葉蔵のような破滅型男があまり美化されると世の中ちょっとヤバくなってくるのでは?だって今ドキの草食系男子は単純だから、みんなが葉蔵の髪形や仕草をまね、葉蔵のように女に頼りながら酒ばかり飲み仕事をしなくなってくる危険があるのでは?
<日本のランボーは、かっこいい?>
フランスの詩人アルチュール・ランボーは中原中也が心酔した早熟の天才詩人で、中也は死亡直前に『ランボオ詩集』を出版したほど。他方、山口市の湯田温泉にある「中原中也記念館」は、私がその前で写真だけとったことのある場所だ。中原中也は「日本のランボー」ともいうべき天才詩人だが、惜しくも1937年に30歳の若さで死亡した。そんな中原中也と太宰は若い時に現実に交流があったらしいが、本作ではV6の森田剛演ずる中原中也の存在感がえらく光っている。
「バーに集まる文豪たち」は絵になる風景だが、本作は最大限にそんなシーンを活用している。「戦争の色は何色だ?」という葉蔵に対する中原中也の質問はかなりキザだが、本作を観ていると日本のランボーこと中原中也はかっこいい。それに比べると、マンガのさし絵を書いているだけの葉蔵は、まだまだ未熟?
<女心は不可解!>
葉蔵は、貴族院議員で津軽では有名な資産家の息子。しかも、美男子で絵がうまい。それなら女にモテるのは当たり前。それはそれで納得できるのだが、家から勘当同然とされ、金のなくなった葉蔵が女にモテるのはなぜ?私にはイマイチそれがよくわからない。したがって、現在婚カツに苦労している若者諸君は、それを本作から勉強する必要があるのでは?
葉蔵の最初の女は、カフェの女給常子(寺島しのぶ)。常子は葉蔵にトコトン尽くしたうえ、さらになぜ自分が働いてまで葉蔵を養おうとしたの?また大量の睡眠薬を飲み、赤いひもで足をつないだまま二人で鎌倉の海の中に入って行ったの?それをきちんと分析できれば、たいしたものだ。
第2の女礼子は下宿先の娘だが、本作における礼子の描き方はかなり不自然。礼子を演じる坂井真紀も『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』や『ノン子36歳(家事手伝い)』(08年)での自然な演技とは大違いで、オーバーアクションが目立つ。そんな礼子は葉蔵といったいどんな関係に?第3の女である、あの当時のかっこいい子持ちの職業夫人の静子(小池栄子)は、なぜ葉蔵にあそこまで親切にしたの?さらに第4の女、タバコ屋の看板娘良子(石原さとみ)は、なぜとことん葉蔵の言うことを信用するの?これって、ひょっとしてバカなだけ?
この4人の女たちはなぜそこまで葉蔵に惹かれたのか?それが私にはよくわからない。つまり、私には本作に登場する女たちの女心は不可解ということだ。
<良子はなぜ?>
本作は134分と長いが、ストーリーにそれほど抑揚があるわけではない。少なくとも前半は淡々と葉蔵の堕落ぶりと女遍歴を描いていくだけだから、ハッキリ言って少し退屈。そのうえ中盤葉蔵が良子と結婚したところから葉蔵は安穏な生活に入っていくから、このまま進めば葉蔵の将来も安定し大丈夫。そう思ったところに現れるのが、おじゃま虫(?)の堀木だが、そこで堀木が大変な状況を目撃したところから、以降葉蔵の人生は一変することに。
葉蔵が良子に惹かれ、結婚まで決意したのは、良子の純真無垢な心に感動したため。つまり、私が単なるバカじゃないかと思ったほど、葉蔵が酒をやめると言ったらそれを信じてしまう純真無垢さに惹かれたわけだ。そんな純真無垢さを持った良子だが、あの当時の女性であれば、今ドキの女の子のように何人もの男と平気で肉体関係をもつという感覚はないはず。しかるに、堀木が目撃し、わざわざ葉蔵を呼んでまで確認させた、ある状況とは?
良子はなぜそんな行為を?それが私にはさっぱりわからない。こうなると余計に、女心は不可解?
<年増女もオーケー?>
葉蔵が関係を持った女(?)は常子、静子、礼子、良子だが、これらはいずれも若くて、魅力的な女たち。それに対して、「キスしてあげるから」という殺し文句に惹かれて葉蔵にモルヒネを次々と与えるのが、薬屋の女主人寿(室井滋)だ。これを見れば、葉蔵は若い女でなければダメというわけではなく、年増女もオーケー(?)ということがよくわかる。
文豪たちが集うバー「青い花」のマダム律子と葉蔵は男女関係はなかったようだし、放蕩の果てに辿り着く青森の茅屋の最後の女鉄(三田佳子)とも男女関係はなかったようだが、律子にとっても、鉄にとっても葉蔵は魅力的な男に映っていたことはまちがいないようだ。「お前は女にモテる」というのは、小学生時代に同級生の竹一が予言したものだが、葉蔵の人生はその予言どおりに進んでいった。しかもそれが、若い女から年増女までオールラウンドだから私はビックリするばかり。
しかし、葉蔵はなぜそんなに女にモテるの?そして年増女もオーケー?私にはそれがどうしても理解できないから、本作ではそこらあたりをもう少し説得力をもって描いてほしかったと私は思うのだが。
<決してこんな生きザマをカッコいいと思わないように!>
本作にみる葉蔵の生きザマは、酒と女そして放蕩三昧の日々。葉蔵に言わせれば、それは親が悪いからとか、自分がよくわからないからとか、あるいは良子に裏切られたからとか、それなりの理由があるのだろうが、基本的にこんな生き方はダメ。葉蔵だってマンガのさし絵を描いたらそれなりのものが描けるのだから、自分の分をわきまえてそれなりの社会的な責任を果たさなければ。
他方、女は基本的に頼りになる男を求める生きモノだが、同時に母性本能を持っているから、葉蔵のように毛並みはいいのにいかにも頼りなさげで誰かの助けを必要としているハンサムボーイには母性本能がくすぐられるもの?葉蔵はそれを計算しそれを求めて女に頼っているわけではないが、バカでない限り、そんな自分の生き方は認識しているはず。
しかして、問題は今はやりの草食系男子。彼ら全員が葉蔵ほど繊細でナイーブな精神を持っているわけではなく、ただ気が弱いだけの出来の悪い奴らが多いのだが、それでもそんな草食系男子に年増女は母性本能をくすぐられることがあるのかもしれない。そこで、本作を契機として、そんな出来の悪い草食系男子が葉蔵のような生き方を真似したら大変だ。
葉蔵の生き方は決してカッコいいものではなく、脱落者の生き方だということを本作鑑賞後、しっかり頭の中に叩き込む必要があるのでは?
2010(平成22)年1月21日記