息もできない(韓国映画・2008年) |
<GAGA試写室>
2010年2月16日鑑賞
2010年2月19日記
債権取り立て屋といえば、大阪人はすぐに『ミナミの帝王』の萬田銀次郎を思い出すが、監督・脚本・製作・編集・主演を一人でこなしたヤン・イクチュン演ずる取り立て屋は、暴力、暴力、また暴力。そんな男に真正面から文句をつける女子高生も大したものだが、そうなったのは2人とも家庭が悪く、育ちが悪いから?そんな偏見は、本作のすばらしい完成度を観れば吹き飛ぶはず。とりわけ、女子高生のひざ枕でひげ面の中年男が涙するラブシーン(?)は感動的。韓国映画の頑張りに大拍手!ちなみに、原題『糞バエ』と邦題との対比もお忘れなく。
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監督・脚本・製作・編集:ヤン・イクチュン
サンフン(取り立て屋)/ヤン・イクチュン
ヨニ(女子高生)/キム・コッピ
ヨンジェ(ヨニの弟)/イ・ファン
マンシク(サンフンの友人、取り立て屋の社長)/チョン・マンシク
ファンギュ(サンフンの子分、ヨンジェの友人)/ユン・スンフン
スンチョル(サンフンの父)/パク・チョンスン
ヒョンイン(サンフンの甥)/キム・ヒス
2008年・韓国映画・130分
配給/ビターズ・エンド、スターサンズ
<暴力、暴力、また暴力。しかし・・・>
本作の主人公は、俳優から本作で初長編作品の監督・脚本・製作・編集に挑んだヤン・イクチュン演ずるサンフン。サンフンの職業は債権取り立て屋だが、その仕事ぶりはまず今の日本社会では想像できないものだ。金融屋とか取り立て屋というと、大阪人はすぐに『ナニワ金融道』の灰原達之や『ミナミの帝王』の萬田銀次郎を思い浮かべるが、萬田銀次郎の貸し付け方と取り立て方は意外に知的かつ紳士的(?)で、決して暴力的ではない。ところが、古くからの友人マンシク(チョン・マンシク)が社長となっている小さな取り立て屋は萬田金融のオフィスほど豪華ではないうえ、取り立て専門だから社長代行ともいうべき立場のサンフンの他チンピラが数人いる程度。そして二人一組で行う債権取り立ては、まさに暴力、暴力、また暴力。
韓国人は何かと日本人より荒っぽいが、こんな違法な取り立てがホントにまかり通っているのだろうか?弁護士の目で見ると当然そんな疑問が湧いてくる。借金を返さない債務者が違法な取り立てから丁重に保護される日本、近時は家賃を払わない賃借人さえ悪質な家賃取り立てから守るべく賃借人保護法の立法化が進められている日本では、到底考えられない暴力的な取り立て風景にビックリするとともに、こんな仕事に就いている男の気持は?と考えてしまったが・・・。
<この悲惨な家族は、ヤン・イクチュン監督の体験談?>
映画冒頭の暴力シーンも刺激的なら、仏頂面で汚い言葉をまき散らしながら日々暴力的な取り立てを行っているサンフンの姿も迫力がある。暴力がここまで徹底すれば、取り立ての成果も上がろうものだが、なぜサンフンは暴力を振るうことに全く抵抗がないの?それは、サンフンが小さい頃、父親スンチョル(パク・チョンスン)が母親に振るい続けていた暴力を見てきたため?今は、逆にサンフンが父親を罵倒し殴りつけているが、それは母親への徹底した暴力行為で母親と妹を殺してしまった父親に対する憎しみが今なお全く消えないため?
サンフンがぶっきらぼうながらも少しだけ優しさを示すのは、腹違いの姉の幼い一人息子ヒョンイン(キム・ヒス)に対してだが、この姉が父親のスンチョルに優しさを示すとたちまちサンフンは牙をむくから大変だ。私も小学生の頃時々父親から暴力を振るわれたが、その体験は逆に自分の子供には絶対暴力を振るわないという主義になった。ところが、サンフンは全く正反対。プレスシートを読むと、ヤン・イクチュン監督が2007年に本作の脚本を書き、本作を自ら監督・製作・編集・主演したのは「自分は家族との間に問題を抱えてきた。このもどかしさを抱いたままでは、この先生きていけないと思った。すべてを吐き出したかった」との思いかららしいが、この悲惨な家族のありようはまさにヤン・イクチュン監督の体験談?もっとも、ヤン・イクチュン自身は俳優として、そして本作でたくさんの賞に輝いた監督として大成功をおさめているから、サンフンの生き方とは大違いだが、ちょっとまちがえばヤン・イクチュン監督だって、サンフンと同じ生きザマと死にザマを・・・?
<あっちの家族も悲惨なら、こっちの家族も・・・>
サンフンの家族が悲惨なら、サンフンが吐いた唾をモロに受けたことがきっかけで知り合いとなった(?)女子高生ヨニ(キム・コッピ)の家族も悲惨だ。ひげ面の恐そうな兄ちゃんに対して堂々と「謝れ!」と抗議するヨニは立派を通り越して向こう見ず。案の定、そんなヨニの顔にサンフンのノックアウトパンチが飛んだから大変だ。
殺人罪で懲役15年の刑を終えたサンフンの父親は今家にいるが、ベトナム戦争の帰還兵であるヨニの父親は精神的な後遺症で仕事ができないばかりか、母親がある事件で暴力団に殴り殺されてしまったことを理解することができず、家の中でワケのわからないことばかりを言っているから、その面倒をみなければならないヨニは大変。またヨニの弟ヨンジェ(イ・ファン)は高校にも行かず、家事全般を担当しているヨニに金をせびるばかりか、姉にも父親にも暴力的だから最低の野郎。あっちの家族も悲惨なら、こっちの家族も悲惨だ。
<なぜ2人は魅かれあったの?>
本作では主役のサンフンが終始暴力を振るい続けるから、ラスト近くには観客もそれに馴れてくる(?)が、いつまでもそんな行為が続くはずはない。そこで本作では、あっと驚く結末とも言えるし、ワルの当然の帰結ともいえる結末が待っているから、それに注目。
暴力シーンばかりが目立つにもかかわらず、本作がすばらしいのは、共に悲惨な家族を抱え自分の居場所を発見することができず日々悶々としているサンフンとヨニが、なぜか友達となり互いに魅かれあうこと。サンフンがはじめてケータイを買うシーン、そのケータイでヨニに電話するシーン。ぶっきらぼうなモノ言いだが、それによってサンフンはヨニに一体何を求めているのだろうか?他方、あんなに気が強く口の悪いヨニの方も、なぜかサンフンと波長が合うらしく、お互いに口は悪いが何となく2人はいい雰囲気に。ロミオとジュリエットにはほど遠いそんな2人が漢江の畔に座って語り合い、サンフンがヨニのひざ枕で涙を流すシーンは近時のラブシーン(?)の中でも出色だ。
日本は格差格差と叫ばれ、年末の年越し派遣村などが注目されているが、本作にみるサンフンやヨニの悲惨さに比べればそんなものは屁みたいなもの?まさにどん底にある男と女がはじめて少しだけ心を開き、女子高生のひざ枕でひげ面の中年男が涙を流すシーンのアピール力は圧倒的だ。ヤン・イクチュン監督が私財を投じてまで本作を完成させたことに拍手を送りたい。
ちなみに、本作で韓国・大鐘賞新人女優賞などを受賞したキム・コッピは時々宮崎美子の若い時によく似た顔となっていたが、そんな風に思ったのは私だけ?
<高校生にはこの職業は?>
高校生のヨニはアルバイト募集の張り紙があった食堂でバイトを始めたが、その時給は知れたもの。それに対して、高校生の身分を隠してマンシクの経営する取り立て屋のチンピラとして取り立て稼業を手伝っているのが大柄なファンギュ(ユン・スンフン)。マンシク社長はサンフンとは全く違うタイプで、明るく人当たりがいいうえ褒めどころを心得ている。したがって、こんなチンピラでもうまくおだてながら使っているからえらい。そして、何回かチームを組んでいるうち、サンフンとファンギュのチームは成績が上がったから、予定外のボーナスをもらったファンギュは大喜び。
そんなファンギュは金に困っている友人のヨンジェを紹介したが、家庭では暴力に馴れているヨンジェが暴力的取り立てへの対応力が全くダメだったのは意外。せっかく暴力的取り立ての見本を見せてやっているのに、全く暴力を振るうこともできず、現場でビビっているだけのヨンジェに対してサンフンが罵声を浴びせたのは当然だが、そんな試練の中ヨンジェは一人前の取り立て屋に成長していくの?それとも・・・?日本でも中国でも大学生の就職難が続いているが、韓国では高校生のバイト先も少ないようだ。しかし、高校生にはやっぱりこの職業は絶対ダメ!
<タイトルはどちらが?>
本作の原題は「糞バエ」という意味らしい。1月27日に死亡したJ・D・サリンジャーの著書『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳・白水Uブックス)には「sunobabitti(スノバビッチ)」=俗物という言葉がよく登場したが、本作では原題どおり、韓国の口汚い言葉が次々と登場する。日本語でいえば、さしずめクソアマ、クソガキなどの言葉だ。
それに対して邦題は『息もできない』。これは、英題の『Breathless』つまり①息切れした、②息もつけない、③死んだ;微風一つない、静かな、とほぼ同じだが、さてその意味は?原題をそのまま日本語に訳したのでは文部科学省から文句が出そうだが、英題とほぼ同じ「息もできない」は抽象的で何となく美しいイメージ。私は本作を観ていて暴力の連続に息もつけなかったから、邦題(=英題)はそんなイメージ?
しかして、あなたは本作の原題と邦題どちらが好き?ちなみに、私は原題をそのまま日本語に訳してほしかったが、それは本作の「迫力」をそのままタイトルに生かしたいと思うから。
2010(平成22)年2月19日記