彼とわたしの漂流日記(韓国映画・2009年) |
<東映試写室>
2010年6月28日鑑賞
2010年6月30日記
『東京島』(10年)に続いて、漂流モノを鑑賞。女1人に男23人の漂流も大変だが、男1人での漂流はロビンソン・クルーソー並みに大変!とはいっても、なぜソウルの中心を流れる漢江(ハンガン)の中に孤島が?自殺男の死にザマと生きザマを観察するのは、超望遠レンズをつけたデジカメで月を撮影する引きこもり女。2人の対話のきっかけは「訓練空襲」だから、ここでも日韓の違いは顕著!タイムリーなキャラ設定の面白さ、そして孤独と対話、絶望と希望という深遠なテーマへのチャレンジに拍手!
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監督・脚本:イ・ヘジュン
キム(漢江に身投げしたサラリーマン)/チョン・ジェヨン
“わたし”(引きこもりの少女)/チョン・リョウォン
2009年・韓国映画・116分
配給/CJ Entertainment Japan
<奇抜な設定に拍手!>
冒頭から約20分間にわたって描かれるのは、自殺男キム(チョン・ジェヨン)の死にザマと生きザマ。リストラ・借金・失恋の三重苦が自殺の原因だが、ソウルの中心を流れる川・漢江(ハンガン)に身を投げたものの死にきれず、パム島に漂着したという設定が本作第1のミソ。
ロビンソン・クルーソーの漂流はとことん深刻だが、本作の漂流はパム島のすぐ上を道路が走っているうえ、漢江に沿って林立する高層ビル群は美しく、観光遊覧船も行き交っているから、漂流の深刻性は本来は弱い。しかし、それでは物語に深みを持たせることができないため、キムを泳げない男に設定したのが本作第2のミソだ。
都市計画をライフワークとしている私が何より驚いたのは、漢江に浮かぶこの小さな島を「生態景観保全地域」に指定することによって一般人の立ち入りを禁止していること。その立法趣旨をしっかり押さえながら、漂着したパム島でロビンソン・クルーソー並みの生活を強いられるキムの喜怒哀楽を感じとらなければ・・・。
<タイムリーなテーマ設定に拍手!>
松たか子主演の問題作『告白』(10年)には中学1年の引きこもり生徒の生態が赤裸々に描かれていたが、本作では漢江対岸の高級マンションの一室で3年間にわたって引きこもり生活を続けている女性“わたし”(チョン・リョウォン)が登場する。中学生の引きこもり方はまさに異常だったが、“わたし”の場合は独自のルールをきっちり守っているから、その引きこもり方はかなり健全?
パソコンと向かい合う日課を終えた後の“わたし”の唯一の趣味は、超望遠レンズをつけたソニーのデジカメで月を撮影すること。その理由は、「月には誰もいないから、さみしくない」ためらしいが、さてそのココロは?
本作には基本的に2人の人物しか登場しない。1人が前述の自殺男で、もう1人がこの引きこもり女という設定は、現在のような不安いっぱいの時代、いかにもタイムリー!
<孤独と対話、絶望と希望を2人が熱演!>
現代社会は他人との接点を希薄にしているから、現代人は概して孤独なもの。本作が描くキムと“わたし”はその典型だ。ところが面白いのは、とことん孤独なはずのそんな2人に対話が生まれてくること。イ・ヘジュン監督の狙いはまさにそこにある。
小さな砂浜にキムが最初に刻んだメッセージは「HELP」だったが、キムを地球外生命体と認識した“わたし”の観察が2カ月になるころ、それは「HELLO」に変わっていた。それは一体ナゼ・・・?ロビンソン・クルーソーが漂流生活の中でいろいろ工夫したことはよく知られているが、映画中盤に展開される、ジャージャー麺を食いたいという欲求にかられたキムの工夫とは?
他方、人間いくら孤独でも生きていればいい事があるもの。ある日キムが見つけたワインボトルの中には、「HELLO」の文字がプリントされた白い紙が。こりゃきっと自分へのメッセージ!そう、ここからキムと外部の何者かとの間に対話が生まれたため、砂浜のメッセージは「HELLO」からある日「HOW ARE YOU?」へ。
こうなりゃしめたもの。2人の心が結ばれてさえいれば、遠距離恋愛だって成立するのだから、こんなすぐ近くの距離ならばキムと“わたし”の結びつきは以降一直線・・・?そんな甘いものではないが、孤独と対話、絶望と希望を巡る2人の熱演に注目!
<スパイスは、訓練空襲>
ノー天気で平和ボケした日本人とは違い、常に北朝鮮と緊張関係にある韓国では年2回春と秋に訓練空襲が行われるらしい。これは全国民が一斉に屋内に避難し、交通手段も停止する大規模なもので、その時間は約20分らしい。
“わたし”がパム島のキムを発見したのはこの訓練空襲の時だが、本作ではこの訓練空襲がいくつかの場面でスパイスとして効いてくる。激しい台風の後、島を訪れた浄化作業員たちにキムが発見され、島から連れ出される様子はあっけないが、今のキムにとって島から連れ出されることは唯一の希望であった外部との対話がなくなってしまうということ。そしてそれは、希望を失い、再び絶望の世界に入ってしまうこと。
それを知った“わたし”の、あっと驚く火事場のクソ力的な行動が本作のハイライトだが、そこでも訓練空襲がスパイスとして効いてくるから面白い。韓国人にとって、年2回の訓練空襲はうっとうしい時間のはずだが、なるほどこんな効用も・・・。
<わたしの名前は、キム・ジョンヨン。あなたは?>
団塊世代以上の日本人なら「君の名は?」と問われれば「真知子」と答えるはずだが、本作では砂浜に刻まれた「WHO ARE YOU?」の問いかけに対する答えは全くないまま。もし、ワインボトルにメッセージを入れたのが、引きこもり女の気まぐれだとしたら、そりゃかえって罪なこと?それはともかく、キムがパム島でのロビンソン・クルーソー的生活を続けている限りは、キムと“わたし”との対話が可能だが、キムが島から連れ出されてしまうと、2人の接点は完全になくなるから対話は不可能に。そして、「わたしの名前は○○」と名乗るチャンスも、永久になくなってしまうことに。
去る6月23日に観た日本版の漂流モノ『東京島』(10年)は1人の女に23人の男という設定と日本人グループVS中国人グループの対比が面白かったが、登場人物が多すぎたのが玉にキズ?それに対して、韓国版漂流モノの本作は、登場人物はキムと“わたし”の2人だけだから焦点が絞りやすい。『君の名は』では春樹と真知子の再会がいつになるのかがポイントだったが、本作では「わたしの名前は、キム・ジョンヨン。あなたは?」と名乗るのは一体いつ?
2010(平成22)年6月30日記