メッセージ そして、愛が残る(ドイツ、フランス、カナダ映画・2008年) |
<GAGA試写室>
2010年8月31日鑑賞
2010年9月2日記
今ではM・ナイト・シャマラン監督の『シックス・センス』(99年)のネタは明らかだが、本作のタイトル「メッセージ」の特別な意味とは?冒頭にみる交通事故のシーンを見ると、思わず「人の命の儚さよ」と思ってしまうが、だからこそ人生は面白い?しかして、フランスのベストセラー小説のテーマは、「人の命の期限が見えるとしたら・・・」というもの。さあ、そんな中で描かれる大人の愛の姿とは?そして、生きることの大切さとは?
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監督・脚本:ジル・ブルドス
原作:ギヨーム・ミュッソ『メッセージ そして、愛が残る』(小学館文庫刊)
ネイサン(敏腕弁護士)/ロマン・デュリス
ジョセフ・ケイ(セントルイス病院の医局長)/ジョン・マルコヴィッチ
クレア(ネイサンの妻)/エヴァンジェリン・リリー
トレイシー(ネイサンの娘)/サラ・ウェイスグラス
アンナ(ネイサンの大学時代の恋人)/パスカル・ブシェール
2008年・ドイツ、フランス、カナダ映画・107分
配給/日活
<なるほど、「メッセージ」にはこんな意味が・・・>
M・ナイト・シャマラン監督の『シックス・センス』(99年)が公開された時は、いつ「その意味」がわかるのかが大きな話題となったが、本作における「メッセージ」や「メッセンジャー」という言葉は「特有の意味」で使われているから、まずそれに注目!人生においてある特殊な経験を経てきた、本作におけるジョセフ・ケイ(ジョン・マルコヴィッチ)のような人間には、人の命の期限が見えるらしい。今年の夏はクソ暑い日が続いたが、夏の日の陽炎が差す中に人間が立つと、一瞬白く光って消えてしまうように見えることがある。するとそんな体験を持つ私も、ひょっとしてメッセンジャー・・・?
本作の主人公は、幼い息子を失ったショックで、今は愛する妻・クレア(エヴァンジェリン・リリー)や娘のトレイシー(サラ・ウェイスグラス)と別れて1人ニューヨークで仕事に没頭している敏腕弁護士のネイサン(ロマン・デュリス)。せっかく頑張って1人で生きているのに、突然目の前に現れたケイからワケのわからない思わせぶりなことばかり言われるのは、えらい迷惑。映画前半は静かな流れの中、ネイサンとケイの一見奇妙なやりとり(問答)が続けられるが、「あの話」や「この体験」を経る中、次第にケイがメッセンジャーであると認めざるをえなくなってきたネイサンは?
<はっきり言わないところがミソ?>
今の日本の政治家の最大の欠点であるとともに、「日本病」の最もひどいところは、物事をはっきり言わないこと。とりわけ、悪いことを明確に告げず、あいまいにしたり先送りにしてしまうことだ。そんなイライラ感を持っている私の目には、いかにも静かで説得力あるしゃべり方ながら、物事を明確にネイサンに伝えないケイの思わせぶりなしゃべり方が少し気に入らない。「人の命の期限が見える」「それは人間の力ではどうすることもできない」「自分はそんな人を秘かに手助けするだけ」というケイの立場もわからないではないが、はっきりメッセージを伝えなければ、本作に見るような大きな誤解が生じるのでは?
映画中盤、大学時代の恋人であった美しいアンナ(パスカル・ブシェール)の命が危ういことをケイから伝えられたネイサンが、その運命を変えるべく努力する姿が描かれる。そして、一度はネイサンの努力によって死の運命をアンナではなく、アンナの父親に振り替えることができたが、それだってケイに言わせれば所詮無意味なこと?そんな絶対に避けることのできない事態が誰かに迫っているのなら、ケイはもっと明確にそれをネイサンにメッセージするべきでは?
<クレアが戸惑うのは当然!月下美人は美しいが・・・>
本作の底を流れるテーマは、愛する息子を失うことによって生じたネイサンとクレアの心の空白と夫婦の絆の崩壊。そして、その再生。本作を見ていると、夫婦の空白感はネイサンが敏腕弁護士として何事にも完璧性を求めるA型人間(?)であることによって、より拡大されたようだ。したがって、今は遠く離れたニューメキシコの地で娘と2人で生活を続け、今やっとそれに慣れたクレアに対して夜中に突然電話をかけてきたり、突然見知らぬ男・ケイと一緒にやって来て「身体は元気か?」と言われても、クレアが違和感を覚えたのは当然。現局面の状況説明が難しいネイサンの立場もわかるが、敏腕弁護士ならそこはそれなりにクレアにわかるように説明する「説明責任」があるのでは?
そんな風に思い、かつ日常生活においても何事もはっきりさせたいという指針で生きている私としては、そこらあたりでついイライラ。これではクレアが戸惑うのは当然だ。今、クレアは年に一度わずかの時間だけ開花するという月下美人を撮影するため砂漠へ出かけていたが、わざわざそんな忙しいタイミングを選んでクレアの元を訪れなくてもいいのでは?
<たしかに、大人の愛の1つの姿だが・・・>
本作は、フランスで120万部を突破したギヨーム・ミュッソのベストセラー小説を映画化したもの。もちろん私はその原作を読んでいないが、「メッセージ」や「メッセンジャー」という言葉に特別な意味を込めたことを軸として展開される、ネイサンとクレアの愛の物語はたしかにユニーク。邦画で次々とつくり出される、単純な純愛モノとは違う複雑さがあることはまちがいない。そして、どこに行っても「ハンサムさん」と呼ばれるネイサンの端正かつクールな容姿と生き方が、ケイの登場によって少しずつ乱されていく過程は興味深い。また、一度は切ってしまったはずのネイサンからのちょっと奇妙なアプローチに対して、戸惑いながらもそれに応えようとしていくクレアの女心もいじらしい。
しかして、本作が大ヒットしたのは、その後に訪れるドンデン返しのせい?さて、そのあっと驚くドンデン返しとは?結局誰が長生きし、誰が早死にするかなどということは、所詮人間にはわからない方がいいのでは?それが、本作を見て私が抱いた感想だが・・・。
2010(平成22)年9月2日記