ショパン 愛と哀しみの旋律(ポーランド映画・2002年) |
<角川映画試写室>
2011年2月15日鑑賞
2011年2月16日記
「ピアノの詩人」ショパンと、年上のしかも2人の子持ちで男に自由奔放な女流作家ジョルジュ・サンドとの恋。それは「短くも美しく燃え」とはいかずトラブルの連続だったが、その原因は2人の子供とショパンとの確執。耳では美しいピアノの旋律を、目では4人の愛憎劇をタップリ楽しみたい。なお本作は、ショパンと同時期を生きた「ピアノの達人」リストとカロライン・サインウィットゲンスタイン公爵夫人の悲恋を描いた『わが恋は終りぬ』(60年)と対比してみると、一層興味深いかも?
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監督:イェジ・アントチャク
フレデリック・ショパン/ピュートル・アダムチク
ジョルジュ・サンド(女流作家)/ダヌタ・ステンカ
ソランジュ・サンド(サンドの娘)/ボジェナ・スタフーラ
モーリス・サンド(サンドの息子)/アダム・ヴォロノーヴィチ
ミコワイ・ショパン(ショパンの父)/イェジー・ゼルニク
コンスタンチン大公/ヤヌシュ・ガヨス
2002年・ポーランド映画・126分
配給/ショウゲート
<ショパン生誕200年!>
今年は1810年の3月1日に生まれた(出生証明は2月22日とのこと)ショパンの「生誕200年」となるため、1929年生まれのポーランド人監督イェジ・アントチャクがポーランド人の俳優を使って、「生」のショパンに迫るショパン映画を完成させた。
モーツァルトを描いた映画は『アマデウス』(84年)をはじめたくさんあるし、私が中学生の時に観た『わが恋は終りぬ』(60年)はピアノの達人フランツ・リストを描いたもの。ネットで調べてみると、「ピアノの詩人」と称されるショパンを描いた映画は、『楽聖ショパン』(44年)、『即興曲/愛欲の旋律』(91年)などがあるが、私はそれらを観ていないからショパンを描く映画は本作がはじめて。
<「ワルシャワ蜂起」180年!「わが祖国」は?>
ショパンがポーランド生まれであることはよく知られているが、あなたは1830年に起きた「ワルシャワ蜂起」を知ってる?映画は冒頭、暴君コンスタンチン大公(ヤヌシュ・ガヨス)のご機嫌とりを強要される20歳のフレデリック・ショパン(ピュートル・アダムチク)の姿が描かれるとともに、コンスタンチン大公の暗殺を計画したという士官たちに対する処罰の様子が描かれる。そう、これが1830年当時、ロシアの支配下にあったポーランドの姿なのだ。
歴史的には、1930年11月29日に士官学校の生徒たちが武装してコンスタンチン大公が住むベルヴェデル宮殿を襲ったのが「ワルシャワ蜂起(11月蜂起)」と呼ばれる事件。この蜂起はその後のロシア・ポーランド戦争に拡大したが、1831年10月にはポーランドの首都ワルシャワは陥落しロシアの占領下に入った。ショパンがワルシャワを出たのは1830年10月だが、翌31年パリでワルシャワ陥落の知らせを聞いたショパンが練習曲第12番「革命」を作曲したというのは有名なお話だ。
「モルダウ」は今や誰でも知っている名曲だが、これを含むスメタナの交響詩のタイトルは「わが祖国」。スメタナのわが祖国はボヘミアだし、「わが祖国」が作られたのは1870年代だが、ショパンのわが祖国はポーランド。本作は39歳で亡くなったショパンの心臓を姉のルドヴィカがパリからポーランドへ持ち帰るシーンで終わるが、20歳の時にポーランドを離れたショパンは二度と生きて祖国に戻ることはなかったわけだ。ショパンのピアノ曲を味わうについてはその旋律の美しさだけではなく、「わが祖国」に対するショパンのさまざまな思いを十分理解する必要がある。
<パリの社交界では・・・?>
1830年と言えば日本では幕末の時代で、1868年に成立した明治維新の38年前。そして坂本龍馬が生まれた1836年の6年前だ。そんな1830年代、パリの社交界ではリストはカロライン・サインウィットゲンスタイン公爵夫人と恋に落ち、ショパンは困難な離婚訴訟を闘い抜いてやっと離婚を成立させた女流作家ジョルジュ・サンド(ダヌタ・ステンカ)と恋に落ちていたわけだ。
『わが恋は終りぬ』では、ローマ法皇から離婚不許可の通知が届いたため結局公爵夫人との結婚をあきらめたリストが、その後次々と名曲を発表していくサマが描かれていた。それに対して本作では、2人の子持ちの離婚女ジョルジュ・サンドからの露骨かつ積極的なアプローチの前に屈服したショパンが、母親のような献身的な愛の中で作曲に精を出す姿が描かれる。繊細でナイーブそして傷つきやすいショパンだが、こんな肝っ玉母さんのようなジョルジュ・サンドの愛と庇護があれば大丈夫。一瞬そんな錯覚に陥ったが、現実はそうはいかないことが映画後半次々と。
<この共同生活は土台ムリ!よく8年間も!>
ショパンは1849年に39歳の若さで亡くなったが、ジョルジュ・サンドはショパンと別れた1847年にショパンとの関係を題材にした小説(?)『ルクレツィア・フロリアーニ』を発表したり、パリで起きた1848年の「2月革命」に参加したりと、その活動は活発だった。さらに、その後もヴィクトル・ユーゴーら多くの文学者との交際を続け、多くの文学作品を書き続けたから、その生命力は明らかにショパンより数段上!そのことは本作全般を通じて明らかだ。
しかし、いくら献身的で母親のような愛をショパンに注ぎかつ金銭的な援助も惜しまなかったとはいえ、根が自由奔放な性格である2人の子持ちの年増女ジョルジュ・サンドと神経が繊細で(つまり嫉妬深く)身体が病弱(つまり世話が必要)なショパンとの愛は、土台ムリ。
その論点を弁護士らしく整理すると、第1はショパンと子供たちと両方にいい顔をしようとするジョルジュ・サンドの奪い合い。それは、画家への道を歩もうとする息子モーリス・サンド(アダム・ヴォロノーヴィチ)のショパンの音楽的才能への嫉妬を軸としたショパンとの男同士の確執としてあらわれる。第2は少女から女へと成長したモーリスの妹ソランジュ・サンド(ボジェナ・スタフーラ)が、同性である母親への反発心からショパンに対して見せ始める愛情と嫉妬心いっぱいの女の闘いぶり。「これでもか、これでもか」というほどいろいろなパターンで展開されるこの4人の愛憎劇は、離婚や相続をめぐって展開される訴訟や紛争を数多く代理人として見てきた私にも凄味を感じさせてくれるほどだ。そう考えると、この4人の共同生活は最初から土台ムリ!すると逆に、よく8年間ももったなと誉めてあげるべき・・・。
<この端正な顔は、どこかで?>
映画冒頭に登場する20歳のショパンはまだ両親や姉たちと一緒にワルシャワで生活していたが、コンスタンチン大公のご機嫌とりを強要されてしぶい顔。また、ワルシャワ自体がロシアの圧制下にあるから、当然ショパンも陰気でしゃべるセリフは少ない。さらに、せっかくパリでの生活を始めたのに、パリがコレラに襲われたこともあって、ショパンの顔は曇る一方だ。ショパンがはじめてジョルジュ・サンドと顔を合わせたのはそんな悲惨な状況下でのパリだが、ショパンはともかく、恋多き女ジョルジュ・サンドの方はその時はじめて見たショパンの端正な顔立ちが目に焼きついたらしい。しかして、私もずっとこのショパンの憂いを含んだ端正な顔を見ながら、「これは誰かに似ているな」とずっと考えていたのだが、ある時点で「ああ彼だ」と思い出したのが、デビッド・マッカラム。
そう、かつて1960年代に大人気だったテレビ番組『0011ナポレオン・ソロ』でロバート・ボーン扮するナポレオン・ソロの相棒役をつとめた俳優だ。国際秘密諜報機関アンクルの特別捜査官イリヤ・クリアキンはクールで女など目にかけないキャラだったが、それを演じたのがデビッド・マッカラム。しかして彼にそっくりのポーランド人俳優ピュートル・アダムチクが演じるショパンのクールさは?その繊細さは?そして、最愛の女性ジョルジュ・サンドに対する愛の注ぎ方は?
こんな比較をしたのは私だけかもしれないが、1人くらいはショパンの端正な顔を見て同じように連想した人がいるのでは・・・?
<本作には2つの違和感が・・・>
本作はストーリーの重厚さと音楽の美しさが見事に融合した秀作だが、私には2つの点で違和感がある。その第1は、年齢設定。ネットで調べたところでは、ジョルジュ・サンドは1804年生まれだからショパンより6歳だけ年上。ところが、映画の中では「15歳も年下の男と寝て・・・」というセリフがあった。それは、なぜ?また、ショパンとジョルジュ・サンドが愛を交わし始めた頃娘のソランジュはまだ少女だったが、それから数年経つと演じる女優も変わり、突然母親とショパンをめぐって張りあう女の姿になる。ストーリーとしては違和感はないが、こりゃ年齢的にどうも・・・。
第2の違和感は、なぜか本作を英語劇としていること。『カティンの森』(07年)のアンジェイ・ワイダ監督(『シネマルーム24』44頁参照)や、『アンナと過ごした4日間』(08年)のイエジー・スコリモフスキ監督(『シネマルーム23』80頁参照)はポーランド人だから当然のようにポーランド語で映画を製作していたが、ポーランド人俳優を使った本作でポーランド人監督のイェジ・アントチャクはなぜポーランド語を使わないの?その違和感が1番大きかったのはクエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』(09年)だったが、ヒトラー暗殺を狙うナチス将校に扮するブラッド・ピットが、私にも聞き取れるような英語でしゃべっていたこと(『シネマルーム23』17頁参照)。さすがに「ハイル・ヒットラー!」だけはドイツ語だった(?)が、その違和感は全編を通じて払拭することができなかった。まさかそれは、本作の俳優陣がポーランド語をしゃべれないため?それはないと思うのだが・・・。
2011(平成23)年2月16日記