うつせみ(空き家/Bin-Jip)(韓国・日本映画・2004年) |
<ヘラルド試写室>
2006年3月29日鑑賞
2006年3月31日記
キム・ギドク監督第11作はセリフなしの2人の主人公を登場させた超異色作!不幸な人妻はたくさん存在するはずだが、天才監督には現実的にはありえないような、まさに「うつせみ」の世界が見えるのだろう・・・。静かな展開の中に漂う緊張感は、2004年9月のべネチア国際映画祭で監督賞受賞にふさわしいもの。是非多くの人がこの映画を観て「キム・ギドク論」を展開してもらいたいものだ。
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監督・脚本:キム・ギドク
ソナ/イ・スンヨン
テソク(若者)/ジェヒ
ミンギュ(ソナの夫)/クォン・ヒョゴ
ハピネット・ピクチャーズ、角川ヘラルド・ピクチャーズ配給・2004年・韓国・日本映画・88分
<原題と邦題、あなたはどっち・・・?>
この映画の原題は『空き家』だが、邦題は『うつせみ』。原題はキム・ギドク監督が主人公として設定した若者テソク(ジェヒ)の、何とも不可思議な行動に焦点を当てたもの。空き家に入ったテソクがとる行動は常人にはとても想定できないもので、天才監督の頭の中だけで描ける世界。私たち凡人は、スクリーン上に表現されていく空き家の中でのテソクの行動を見つめる中で、その意味を考えていかなければならないことに・・・。
他方、邦題の『うつせみ』は、この映画の本質をズバリと言い当てたタイトル。韓国語にこれと同じ単語があるのかどうか知らないが、「禅の世界」「虚の世界」「無の世界」を表現する思想や言葉が多い日本語ならではの、いかにもピッタリしたタイトル。もっとも映画の前半では、この邦題の意味はなかなか理解できないが・・・。
その意味で、この映画は前半と後半に分け、前半が『空き家』、後半が『うつせみ』というタイトルにすれば、なおさらピッタリだと思うのだが・・・。
<主人公の空き家探しのテクニックは?>
この映画の一方の主人公は、不思議な若者のテソク。映画の中に彼のセリフはひと言もないが、これは決して彼が聾唖(ろうあ)者だというわけではなく、キム・ギドク監督がセリフによる表現を完全に禁止しているためだ。そんな彼が映画の冒頭から次々と見せる空き家探しのテクニックは、①まずチラシを何十軒も各家の玄関に貼り、②1、2日後(?)にそれがそのまま残っている家に、今はやりの(?)ピッキング技術によって入り込んでいく、というもの。一体彼は何のためにそんな行動をとるのか?また、空き家に入り込んだ彼はそこで一体何をするのか?それが天才監督が描こうとする、人間の姿の1つのポイント・・・。
<整理整頓されている空き家の連続にビックリ・・・>
テシクが見事な手口で入り込んでいく空き家は、標準的なマンションから庭付きの豪華な一戸建てまでさまざまだが、私が感心するのは、各家ともその中がえらくきれいに整理整頓されていること。何日も家を留守にするのは、家族旅行中とか取材旅行中とかだということは、テシクが真っ先にボタンを押して聞く留守番電話でわかるのだが、スクリーン上に登場する各家の中は、見事に整理整頓されている。
そんな有り様を観ていると、わが家が家族旅行をしている間にテシクに入られるとちょっとカッコ悪い・・・?いや、かえってそんなわが家にテシクが「不法侵入」してきたら、逆に掃除、洗濯、片づけなどをしてくれて、大いに助かるかも・・・?
これは決して冗談で言っているのではなく、現に何軒目かに、テシク「ら」が入り込んだ空き家で発見したのは倒れ込んだおじいさんの死体だったのだから、そこで彼らが何をしたのかが大問題・・・。
<2人の出会いは・・・?>
キム・ギドク監督は、『空き家』というタイトルがピッタリのテソクの行動を最初にタップリと観客に示した後、数軒目に入った庭付きの立派なお屋敷において、はじめてもう1人の主人公である美しい人妻、ソナ(イ・スンヨン)を登場させる。
テシクは建物の中に入った後、「ルス電」を聞き、用心深く誰もいないことをたしかめたうえでリラックスして、CDをかけたり、ゴルフの打ちっ放しをしたり・・・。さらに風呂に入る時に気づいた壊れている体重計の修理をしたり、さらには風呂場の中で住人の脱いだ下着を手でゴシゴシと洗濯をしたり・・・。
ところが、そんなテシクの様子をいかにも不思議そうな目でジッと観察していたのがソナ。ソナは亭主関白で独占欲の強いミンギュ(クォン・ヒョゴ)からひどい暴力を受けて、唇から血を流し、頬を腫らした状態で、部屋の片隅でひざを抱えて泣き続けていたため、侵入してきたテシクもこれに気づかなかったというわけだ。ソナにジッと見つめられていることなどつゆ知らずリラックスしているテシクだったが、突然電話が鳴り、ルス電に対して亭主ががなりたてている話を聞くと、ひょっとして妻は家の中に・・・?こんな何とも微妙な雰囲気を、天才監督キム・ギドクが見事に描いているので、是非それは劇場で・・・。
<テシクとソナの距離感は・・・?>
もちろんソナが隠れたままの状態でいれば2人の接点はありえないのだが、それではこの映画は成り立たない。どんな状況下で2人の視線が出会うのかが1つのポイントだが、それ以上に面白いのが視線を合わせた後の2人の距離感だ。まず直感的に、お互いに不幸のどん底にあるということの共通の認識はできたとしても、次のステップにどう飛び込んでいくのかは、また別の問題。現にテシクは、ソナに発見された後、ソナから何の非難も受けていないにもかかわらず、静かに家を出て行ったのだが・・・。
<ソナの選択は?>
それで終わったのでは、2人の主人公の心理描写が甘すぎるというもの。バイクをあるところで停め、これからどうすべきかを迷った挙げ句、テシクは結局またソナの住むお屋敷へUターンすることに・・・。するとソナは1人風呂に入り、大声で泣きじゃくっていた。テシクと同じように、ソナもこの映画の中では一切のセリフが禁じられているが、泣き声だけは例外的にオーケー・・・?
そんなソナの姿を見たテシクがとった行動は・・・?それは映画を観てのお楽しみに・・・。そんな2人がいるところに、思いもかけず突然帰宅してきたミンギュがテシクに対してかけた言葉は?そしてミンギュに対してテシクがとった行動は・・・?それは何と、庭に出てゴルフクラブを振り、ミンギュに対してボールを打ちつけること・・・。そういえば、こんな行為を暗示するシーンが映画の冒頭に・・・?しかし、これって多分殺人未遂罪あるいは少なくとも傷害罪に該当するのでは・・・?こんなテシクとミンギュの行動を一部始終黙って見ていたソナが、家の外でバイクのエンジン音をふかしているテシクに対してとった行動は・・・?
<気ままな逃避行はまさに天国・・・?>
キム・ギドク監督が描く、テシクとソナ2人の気ままな逃避行(?)の様子も興味深いもの。それまで常に1人で「空き家」に侵入していたテシクだったが、玄関へのチラシ貼りの協力からピッキングの際の見張りまで、ソナがいてくれれば、何かと心強い限り・・・。しかして、2人が次々と入っていく空き家の主たちの実生活が、ソナの写真を壁に飾っている写真家やプロのボクサー夫婦など、これまた面白い人たちばかり・・・?こんな楽しい(?)逃避行の間も、2人はひと言も口をきかないが、それは言葉によってお互いの気持を伝える必要がなく、目と表情そして行動によってすべてが通じ合うから・・・?そんな2人が、「男と女の関係」になるのはごく自然のことだったが・・・。
<おじいさんの死体を発見した2人がとった行動は・・・?>
こんなテシクとソナの行為が住居侵入罪の構成要件に該当することは明らかだが、ある日入り込んだ狭いアパートの中で2人が発見したのは、血を吐いて死亡しているおじいさんの姿。こんな姿を目にすればすぐに逃げ出せばいいのだが、そうはせず、その後2人がとった行動をみれば、彼らが殺人者でないことはもちろん、超法規的かつ超人間的な行動であることは明らか・・・。なぜ2人はそんな行動を・・・?それは映画を観ながらじっくりと考えてみる必要がある。
<あいかわらず(?)無茶苦茶な韓国の警察>
『シネマルーム8』は韓国映画特集として22本の韓国映画を紹介したが、それを含めた韓国映画を観て私がいつも不当だと思うことの1つは教師の横暴さであり、もう1つは警察の横暴さ。日本の「民主警察」に慣れている私にとっては、韓国映画に登場する捜査段階での殴る、蹴るが当たり前の取り調べはあまりにも前近代的・・・。その姿がこの作品にも登場する。
ソナは失踪届けが出されていたため、亭主のミンギュと連絡がとれたので、テシクによって連れ回された被害者として釈放された。しかし、テシクには、殺人罪、誘拐罪、強姦罪、住居侵入罪などたくさんの容疑がかけられたのは当然。しかも容疑者のテシクがうすら笑いを浮かべるだけで、自己の行動の意味を全く説明しないため、取り調べの刑事がイラつくのも当然。ところがそこで明らかになったのは、おじいさんの死は肺ガンであったという意外な事実。そうすると、彼らがおじいさんの死体に対して肉親以上の手厚い葬儀を施して、棺に収め、地中に埋めたのは一体何のため・・・?
<『3-Iron』とは?>
この映画はゴルフクラブの3番アイアンがよく効いている・・・?ふつうアイアンは5番が打ちやすく、3番アイアンを使いこなすのは難しいとされているが、テシクも木にくくりつけたゴルフボールでの日頃の練習(?)のおかげで、またミンギュも自宅の庭にセットした練習場での練習のおかげで2人ともかなりの腕前・・・?テシクからゴルフボールを打ちつけられた恨みを持つミンギュは、取り調べの警察官を買収してその復讐の場をセットしてもらうが、そこで使用されるのも3番アイアン・・・。こんなバカなことは日本では到底考えられないことだが、キム・ギドク監督の母国、韓国ではあり得る話・・・?
さらに、いったんはミンギュから多額の金をもらうことによって、ミンギュの復讐心を満足させてやった刑事だったが、きっちりとその落とし前をテシクから受けることに・・・。これぞキム・ギドク監督の哲学である因果応報だが、ここでも3番アイアンが・・・?
インターネット資料によれば『3-Iron』が英題とのことだが、この『3-Iron』とは、ゴルフクラブの3番アイアンのこと・・・?ああ、なるほど・・・?
<刑務所(?)に入ったテシクは・・・?>
おじいさん殺しの容疑こそ、おじいさんが肺ガンで死亡したこと確実という鑑定結果によって否定されたものの、ソナの夫のミンギュにしてみれば、何日間も美しい妻が若い男と一緒に逃避行を続けていたのだから、その間強姦を含む性的被害を受けたと理解したのは当然・・・。しかしなぜかテシクは、いくら殴られても、また刑事と結託したミンギュによって私的制裁を受けても、ひと言も弁解しようとしなかった。その結果、突然シーンが変わり、囚人服を着て狭い独居房の中に服役しているテシクの姿が・・・。そしてここまでは原題の『空き家』がすんなりと頭に入るタイトルで、これ以降が邦題の『うつせみ』がピッタリする展開となるから、十分に留意されたい。1度ならず2度、3度と狭い空間の中で姿を消そうとするテシクの行動が意味するものは・・・?
<「サランエ」というセリフは誰に対するもの・・・?>
この映画の後半は、まさにキム・ギドク監督独特の神・仏の世界・・・?独房内で示すテシクの「奇行」と、今や夫ミンギュに対しても強い態度をとることができるようになったソナが示す「奇行」が、順次入れ替わりながらスクリーン上に示されていく。
そしてある時、ソナはこの映画ではじめて笑顔を見せるとともに、ミンギュに対して(?)はじめて「サランエ(愛してる)」というセリフを・・・。しかし実はこれは、ミンギュに対するセリフではなく、ソナだけに見えているミンギュの背後にいるテシクに対するセリフ・・・。多くの観客はそんなバカな、と思うはずだが、そうかといって、この映画はマンガかそれともSFか、と思う観客はいないはず。なぜならそれは、それだけキム・ギドク監督による2人の人間像の描き方に説得力があるから・・・。
<体重計ゼロは、何ともにくい演出・・・>
キム・ギドク監督の脚本は丹念に推敲されたものだから、スクリーン上に登場する1つ1つのシーンにはすべて明確な意味が込められている。ゴルフボールを打ちつけるシーンもそうだが、例えば、テシクが最初にミンギュのお屋敷に侵入し、風呂に入る時故障に気づいて修繕した体重計が、映画のラストにおいて大きな意味を持つことになる・・・。
ミンギュは、ある日突然明るさを取り戻したソナの姿を見て上機嫌だが、実はこれは、ソナの目に見えているのがミンギュではなく、テシクであるため・・・。そんなソナとテシクがある時抱き合ったまま、今は正確に体重を計れるはずの体重計に乗ったのだが、スクリーン上に示されるその目盛りはゼロ。これはまた体重計が故障したの?それとも・・・?
<イ・スンヨンはイ・ヨンエと寺島しのぶにそっくり・・・?>
パンフレットによれば、ソナを演じたイ・スンヨンは1986年生まれで、大韓航空のスチュワーデスとして3年間勤務した後、1992年のミスコリア「美」に選ばれて芸能界にデビューしたが、主としてテレビドラマで活躍していた女優。それが今回キム・ギドク監督によって一躍主役に抜擢されたわけだが、その顔は私の目には、『宮廷女官 チャングムの誓い』『JSA』(00年)、『親切なクムジャさん』(05年)の美人女優イ・ヨンエとそっくりに見える。とりわけ、映画のラスト近くになって「うつせみ」状態(?)のテソクと互いに見つめ合いながら微笑む美しい顔立ちを見せた時がそう・・・。
他方、まことに失礼ながら、亭主から殴られて顔にアザをつくり、テソクとの逃避行もジ・エンドとなって終了、再び亭主の家に連れ戻されたため、ずっと演じているブスッとした顔立ちの時は、日本の「演技派」女優、寺島しのぶにそっくり・・・。
<キネ旬チョイスでも・・・>
また『キネマ旬報』3月下旬号はキネ旬チョイスで『うつせみ』を取りあげ、キム・ギドク監督との興味深いインタビューと西脇英夫氏の「絶望の中に希望を見る世界」と題する作品評を載せているので、これは是非勉強してもらいたいもの・・・。
<キム・ギドク監督第11作目はベネチア国際映画祭で監督賞受賞>
私はかねてよりキム・ギドク監督に大いに注目しており、『春夏秋冬そして春』(03年)(『シネマルーム6』68頁参照)、『サマリア』(04年)(『シネマルーム7』396頁参照)、『受取人不明(Address Unknown)』(01年)(『シネマルーム8』77頁参照)の3作についてかなり詳しい評論を書いている。したがって、彼の第11作目の『うつせみ』は是非観たいと思っていた作品だったから、今日観ることができてホントに幸せ・・・。
『サマリア』が2004年2月にベルリン国際映画祭で「銀熊賞」を受賞したうえ、同じ年の9月に、第61回ベネチア国際映画祭で『うつせみ』が「銀獅子賞(監督賞)」を受賞するという快挙を成し遂げたキム・ギドク監督は、韓国政府から文化勲章を授与され、今や「世界のキム・ギドク」と賞賛されている存在。彼の第12作目は『弓/THE BOW』とのことだから、これにも是非注目したいものだ。
2006(平成18)年3月31日記