デビルズ・ダブル-ある影武者の物語-(ベルギー映画・2011年) |
<GAGA試写室>
2011年11月9日鑑賞
2011年11月15日記
「男はつらい」ことは寅さんシリーズで明らかだが、影武者はもっとつらくて過酷。黒澤明監督の『影武者』(80年)でも、本作でもそれは同じだ。本作では正反対の役柄を演じたドミニク・クーパーの1人2役に注目!もっとも、影武者を放棄して彼女と共に逃げるのなら、なぜウダイを殺さなかったの?そんな疑問が湧いてくるが、それは実話にもとづくが故の本作の弱み?
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監督:リー・タマホリ
原作:ラティフ・ヤヒア
ウダイ・フセイン(サダム・フセインの息子)/ドミニク・クーパー
ラティフ・ヤヒア(ウダイの影武者)/ドミニク・クーパー(2役)
サラブ(ウダイの情婦)/リュディヴィーヌ・サニエ
ムネム(ウダイの側近)/ラード・ラウィ
サダム・フセイン/フィリップ・クァスト
ラティフの父親/ナセル・メマジア
2011年・ベルギー映画・109分
配給/ギャガ
<影武者の悲劇は日本でも?>
民主主義の国では「影武者」はありえず、「職務代行者」や「代理」の制度になってしまうが、トップリーダーとして常に生命の危険にさらされる国では、自分によく似た者を影武者として活動させることは誰でも思いつく知恵。本作はイラクの独裁者として君臨していたサダム・フセインの長男ウダイ・フセイン(ドミニク・クーパー)の影武者を演じさせられることになった男ラティフ・ヤヒア(ドミニク・クーパーが2役)の自叙伝にもとづいて作られた問題作だが、影武者は日本にも?
織田信長が「本能寺の変」の時に影武者を使っていれば、日本の歴史は大きく変わっていたはずだが、さて織田信長には影武者は?歴史上影武者の存在が確認されている(?)のは、織田信長が最も恐れた武将・武田信玄。上洛を目指していた武田信玄はある城攻めの際何者かに狙撃されて死亡したが、「信玄死す!」のニュースが国内に広まれば大問題。そこで武田家ではこの事実を隠すため、信玄とウリ2つだった、盗みの罪で処罰されようとしていた男を信玄の影武者に仕立てることに。
それを描いた映画が黒澤明監督の『影武者』(80年)だが、これは主役を演じるはずだった勝新太郎の降板劇、その代役としての仲代達矢の登場もあって大ヒットし、80年のカンヌ国際映画祭でグランプリまで受賞した。この映画でも当初その役割を嫌がっていた男は逃亡を企てたが、次第に影武者としての任務と人生を受け入れ、大成功していくことになったが、さてウダイ・フセインの影武者の場合は?
<見どころその1-ウダイのバカ息子ぶり>
現在の北朝鮮では、独裁者金正日の3番目の息子である金正恩が後継者になりそうだが、成蕙琳との間に生まれた長男金正男のヤクザぶりと放蕩ぶりは?独裁者の息子として生まれ幼い頃から絶大な権力を我が手にしながら成長すれば、概ね出来の悪い大人になることが予想されるが、ウダイはまさにその典型。本作の見どころその1は、そんなウダイのワガママぶり、とりわけ女に対する欲望に際限のないウダイの異常ぶりだ。
数多くの「喜び組」と呼ばれる美女たちをはべらせた金正日の女好きも相当なものらしいが、本作にみるウダイの女好きとセックスへの欲望はチト異常。ベイルート1の美女というサラブ(リュディヴィーヌ・サニエ)だけはまともに女として扱っているようだが、ウダイにとってそれ以外の女はすべて欲望の対象らしい。街でつかまえたまだ十代前半の女子学生から結婚式の最中の花嫁まで手当たり次第だから、相手の女性は迷惑千万。もっとも、それらのシーンは園子温監督作品のようにストレートに描かれず、サラリと描写されるだけなのは少し肩透かし?
また、権力者につきものの暴力は父親以上で、フセインの片腕と言われた男とパーティーの席で口論になるや、激情にまかせて片足を切り取った挙句、拳銃でズドン。フセインは「生まれた時に殺すべきだった」と嘆いていたが、一国の独裁者としてそれではダメ。かわいい息子であっても、やはり教育的配慮から何らかの手を打たなければ・・・。まあ、そんなこんなのウダイのバカ息子ぶりが本作の見どころその1だが、さてあなたはそれをどうみる?
<見どころその2-1人2役の怪演>
本作の見どころその2は、性格も立場も全く異なるウダイとラティフの1人2役を演じたドミニク・クーパーの怪演ぶり。独特のファッションで、若き日の長嶋茂雄さんのような甲高い声でわめきちらすウダイは、動きが派手だから俳優としてはやりやすいだろうが、押さえたアクションの中で内面の気持を表現しなければならない影武者の演技は難しいはず。しかし、ドミニク・クーパーはその2役を見事に演じている。
黒澤作品では影武者が逃げ出したのは1度だけだったが、本作ではラティフは影武者になり切ることを決断しその任務を遂行しながらも、ずっと逃げ出すことを考えていたようだ。サラブもラティフもウダイにとっては「子供のおもちゃ」のような存在。そんな共通項でラティフの気持を理解している美しいサラブからモーションをかけられるや、側近のムネム(ラード・ラフィ)から「ウダイが本気の女にだけには手を出すな」と言われていたのに、ラティフがそれに応じてしまうのはちょっと甘い気もするが、抑圧された状況下でのラティフの気持の揺れは当然だろう。影武者としての任務を重ねるにしたがってモンスターになっていくことも考えられるが、ラティフはそうではなかったようで、湾岸戦争が始まり、アメリカからのイラク攻撃が強まる中、遂にラティフはサラブと一緒に脱出することを考え始めたが、この独裁国家でホントにそんなことが実現できるの?
<実話であるが故の弱みも>
本作は1964年にイラクのバグダッドに生まれたラティフ・ヤヒアの原作にもとづくもので、このラティフ・ヤヒアこそ本作でウダイの影武者になった男その人だ。彼がウダイの影武者として過ごしたのは1987~91年の4年間で、その後はヨーロッパへ亡命し、作家、国際法律博士になったというからたいしたものだ。
しかし実話であるため、一方ではリアルさが増すものの、他方では実話であるが故の映画としての面白みに弱みも。私が最も不満なのは、影武者が本気でウダイを殺す気になればそれは容易で、いつでも実行可能なはずだと思うこと。映画ではあるシーンでラティフがウダイに発砲することになるのだが、なぜもっといいタイミングで発砲しないの?それをちゃんと計画的に実行し、計画的に逃亡すれば本作のような暗殺未遂に終わらなかったうえ、本作に描かれたよりは楽に逃亡できたのでは?
もう1つの不満は問題提起としては面白いが、タイミングがイマイチということ。すなわち、2010年から2011年にかけて南アフリカのチュニジアで始まった「ジャスミン革命」と呼ばれる革命運動(民主化運動?)がエジプト等のアラブ諸国にも広がり、さらに長年カダフィ大佐の独裁体制が続いたリビアでも2011年10月にカダフィ大佐が死亡するという今日的なニュースが今や注目の的。そんな昨今、1991年の湾岸戦争やサダム・フセイン政権の崩壊という事件は既に過去のもので、興味はイマイチ?
2011(平成23)年11月15日記