いちご白書(アメリカ映画・1970年) |
<テアトル梅田>
2011年12月17日鑑賞
2011年12月28日記
カラオケの愛唱歌「『いちご白書』をもう一度」の時代は、今から約40年前の1968年。あの時代の学生運動って一体何だったの?そんな時代的切り口で観るもよし、キレイな女の子に魅せられたノンポリ学生の成長(?)物語として観るもよし。考えるネタには絶好だ。とりわけ、今や60歳をえた団塊世代が考えるべき人生の総括と展望は?
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監督:スチュアート・ハグマン
原作:ジェームズ・クーネン
サイモン(ボート部の大学生)/ブルース・デイヴィソン
リンダ(サイモンの恋人、大学の女性解放委員)/キム・ダービー
エリオット(ボート部の大学生、舵手)/バッド・コート
ジョージ(右翼のボート部員)/マーレイ・マクロード
エリオット(学生、学生運動のオルガナイザー)/ボブ・バラバン
チャーリー(サイモンの友人で同居人、ボート部員)/ダニー・ゴールドマン
ルーカス/ブッカー・ブラッドショー
スワッチ/マイケル・マーゴッタ
議長役の学生/ジェームズ・クーネン
ベントン博士/イスラエル・ホロヴィッツ
1970年・アメリカ映画・109分
配給/アンプラグド
<あの時は観れなかったが・・・>
バンバンが歌った「『いちご白書』をもう一度」は私のカラオケでの愛唱歌の1つだが、この曲がヒットしたのは1975年。私が弁護士登録した1974年の翌年だ。ユーミンこと松任谷由実(当時荒井由実)が本作を観た思い出をもとにバンバンに提供したこの曲は、ミリオンヒット・オリコンチャート1位を記録したが、「僕は無精ヒゲと髪をのばして、学生集会へも時々出かけた」、「就職が決まって髪を切ってきた時、もう若くないさと君に言い訳したね」など、学生運動の活動家の1人として共感できるフレーズがたくさんあった。
本作は1968年にコロンビア大学で起きた大学ストライキに参加した学生の手記をもとにしたもので1970年に公開されているが、1970年1月26日の誕生日から司法試験の勉強に没頭していた私には映画を観るヒマなど全くなかった。そんな映画が、なぜか今テアトル梅田で「語り継ぎたい映画シリーズ」と題されて、『ひまわり』(70年)と共にリバイバル公開。あの時は観れなかったから、今回は必ず観なければと思って、映画館へ直行。
<体育会系のノンポリ学生がなぜ?>
フォークソングブームは1960年代から始まったが、それと平行して数々のポップスの名曲が生まれると共にグループサウンズの全盛期も到来した。本作の冒頭とラストにはあの当時誰もが口ずさんでいた軽快な名曲「サークルゲーム」が流れるから、それを聴きながら私たちの感覚を40年前にタイムスリップさせたい。
他方、私は本作のストーリーは全く知らなかったから、映画冒頭、大学のボート部でしごかれている主人公サイモン(ブルース・デイヴィソン)の姿を見てビックリ!同じボート部員の友人で同居しているチャーリー(ダニー・ゴールドマン)が恋人を連れ込んでセックスしているところに出くわすシー ンなどを見ていると、あの時代の大学生活のおおらかさは日米共通?また、大学の体育会系サークルは概ね学生運動に無縁なノンポリ系が多いし、右翼系も多いと相場が決まっている(?)から、サイモンと対立するボート部員のジョージ(マーレイ・マクロード)が過激な右翼的発言をするのも頷ける。
学生運動の先頭を切っていた私は、ビラを作りアジ演説をする他、クラスの友人たちに学生運動 への参加を呼びかけていたが、体育会系のノンポリ学生はいくら勧誘してもダメと相場が決まっていた。ところが本作のサイモンの場合は?
<動機はいかがなもの?しかし、人間の変革とは?>
大阪大学では1969年に「全学封鎖」が始まると授業は全くできなくなったが、封鎖を実行しているのはヘルメットにゲバ棒の「セクト」だから、反対派やノンポリ学生がその中に侵入などすればリンチを受けるのは必至。比較的運動が穏やかだった大阪大学でもそのはずだが、本作を観ていると、そこらへんが割とルーズ?つまり、サイモンは見物がてら堂々と構内に入っていったうえ、活動家の美女リンダ(キム・ダービー)と知り合い、一緒に食料調達係を命じられて至福の時を過ごすことができたからラッキー?また、天井から入り込んできたベントン博士(イスラエル・ホロヴィッツ)やオルガナイザーのエリオット(ボブ・バラバン)、さらに議長役の学生(ジェームズ・クーネン)などとの「話し合い」を種み重ねていると、サイモンもそれなりに学生運動の意義に目覚めてきたようだから面白い。もっとも、話し合えば話し合うほど女性解放論者のリンダが学生運動の闘士であることが明らかになっていくから、サイモンがなかなかそのレベルについていけないのは当然。私も学生運動をやっている中で、活動と恋愛をいかに両立させるかで大いに悩んだ(?)から、本作におけるサイモンとリンダのスレ違いぶりは興味深い。しかして、当然の如く2人は別れるに至ったが、さてその後の2人の仲の復活は?
サイモンが学生運動に入り込んでいく本作のプロセスを見ていると、その動機において不純だからいかがなもの?と思わせるが、右翼のジョージとの「論争」が激化したり、殴られたりする中で俄然サイモンの意識は高まり、その思想性にもさまざまな変革が・・・。やっぱり、あの時代は学生運動への参加から人間の変革が・・・。
<このラストはなぜ?なぜ「安田講堂」にならないの?>
日本は聖徳太子の時代から「和を以って貴しと為す」が国是(?)とされ、それが国民性にもピッタリなじんできた。しかし、新興移民国家でキリスト教がバックにあるとはいえ、あくまで個人主義・自由主義の国アメリカでは、銃を持つのはあたり前、攻めて来る敵から自己防衛する権利はあたり前と考えられてきた。そんなアメリカだから、公園をつぶしてまでの予備役将校訓練課程校舎の建設に反対する学生たちの運動が大学を占拠するまでに高揚すれば、後は「矢でも鉄砲でも持って来い」とエスカレートするのでは?私はそう予想していたが、大学当局が州兵の応援まで得て武装警官による学生たちの実力排除を決定すると、それに対する籠城組たちの対抗策は?
日本でも全共闘系学生による大学の封鎖が全国的に広がる中で機動隊導入による実力排除の動きが広まったが、その攻防戦の象徴となったのが1969年1月の「東大安田講堂事件」。講堂内に立てこもった学生たちはヘルメットと鉄パイプで武装し、バリケードを築き、火炎瓶まで用意して突入してくる機動隊に対抗した。テレビで実況中継されたあのシーンは今なお多くの日本人の記憶に残っているはずだ。本作でも大学当局は可能な限り武装警官の突入なしに事態を解決しようと最後通告を投げかけたが、エリオットたち学生運動のリーダーは断固それを拒否。しかし、そこで彼らが取った作戦は『平和を我らに』を歌いながら講堂内に座り込むという平和的なものだったから、私はビックリ!サイモンはリンダと並んであくまで座り込みを続けようとしたが、武装警官の実力行使の前に仲間たちは次々とはぎ取られていった。そんな混乱の中、警察官の棍棒がリンダの顔を鮮血で染めると・・・。こんなラストは意外!なぜ「安田講堂」にならないの?そしてリンダと知り合うことによって、ノンポリ学生から学生運動の闘士にまで成長(?)したサイモンの熱き思いと彼の将来は?
2011(平成23)年12月28日記