無言歌(夾辺溝/THE DITCH)(香港、フランス、ベルギー映画・2010年) |
<テアトル梅田>
2011年12月29日鑑賞
2012年1月5日記
新生中国では、毛沢東が提唱した「文化大革命」の失敗以前にも、「百家争鳴」と「反右派闘争」というすごい時代が!日本中が「日米安保条約反対!」と叫び大混乱していた1960年、ゴビ砂漠のある甘粛省の夾辺溝で労働改造に従事させられている右派のレッテルを貼られた男たちは?はじめて日本で劇場公開された王兵作品がそんな中国のタブーに挑戦!日本人は『山本五十六』から、中国人は本作から、何を学ぶ?
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監督:王兵(ワン・ビン)
脚本:王兵(ワン・ビン)<原作と実際の生存者の証言に基づく>
原作:楊顕恵(ヤン・シエンホイ)著『告別夾辺溝』
李民漢/慮野(ルウ・イエ)
陳班長/廉任軍(リェン・レンジュン)
顧(董の妻)/徐岑子(シュー・ツェンツー)
董建義/楊皓宇(ヤン・ハオユー)
魏長海/程正武(チョン・ジョンウー)
季辰光/景年松(ジン・ニェンソン)
特別出演:草の種を拾う老人/李祥年(リー・シャンニェン)
藺老人/王界禄(ワン・ジエルー)
駱宏遠(駱先生)/李徳光(リー・ドォグアン)
劉所長/王大元(ワン・ダーユアン)
張維良/雷黎明(レイ・リーミン)
趙隊長/李俊琪(リー・ジュンチー)
袁隊長/鋒子(フォン・ツー)
章教授/袁広成(ユアン・グアンチョン)
2010年・香港、フランス、ベルギー合作映画・109分
配給/ムヴィオラ
<王兵作品が本邦初公開!こりゃ必見!>
「王兵」という名前が覚えやすいこともあるが、私がその名前を頭に刻み込んだのは04年にオールナイトで観た『鉄西区』(99年)から。私が2000年8月に訪れた瀋陽というまちの変化を『第1部:工場』『第2部:町』『第3部:鉄路』という3部構成、545分で描ききったこの長編ドキュメンタリー作品は、たしかに観るのは疲れたが強く印象に残る作品だった(『シネマルーム5』369頁参照)。その後も彼は『鳳鳴-中国の記憶』(07年)や『暴虐工蔽』(07年)などさまざまな問題作を監督していたが、それらは映画祭で上映されることはあっても一般の劇場で公開されることはなかった。ところが、1972年の日中国交回復から40周年という記念すべき2012年に向けて、最新の王兵作品がはじめてロードショー公開されることになったから、まずは素直にそれを喜びたい。しかし同時に、はじめて「反右派闘争」という現代中国の負の部分を真正面から描いた本作が、日本でどれほど受け入れられるかが心配だ。
本作が描くのは日本が日米安保条約締結をめぐって大混乱した1960年に、中国西部のゴビ砂漠にある甘粛省夾辺溝で「労働改造」に強制的に従事させられている「右派」の人たちの姿。こんな映画に興味を持つのは当然年配者だけだが、仕事納めの翌日たる12月29日の映画館の中はガラガラ。こりゃ必見だが、さて興行収入は?
<この過酷さは、『人間の條件』以上・・・>
仲代達矢が主演し、新珠三千代が共演した小林正樹監督の全6部作『人間の條件』(59年)は何度観てもすごい映画だが、その導入部では梶が勤務する収容所で働く中国人労働者の過酷な労働条件の改善をめぐる闘いが描かれる。満州も寒いところだからそこで強制労働に従事させられる中国人も大変だが、風が鳴り砂が舞うゴビ砂漠の高原、夾辺溝での開墾作業はもっと大変。また、李民漢(ルウ・イエ)と魏長海(チョン・ジョンウー)が入れられた八番壕の中もひどいものだ。
さらに驚くのは、その食事。朝夕に配られるのは食事とは名ばかりの、少しだけ穀物が入った水のような粥。それすらも、大飢饉のため1人250グラムに減らされたから、「労働改造」に従事している「右派」たちに労働できる体力など残っていないのは当然。次々と餓死者が出る始末だ。7万畝もの荒野を開墾することを命じられている所長の劉(ワン・ダーユアン)が作業の状況を陳班長(リェン・レンジュン)に聞くと、3分の1の男たちは歩くことができないらしい。そんな中で描く食べ物をめぐる人間模様には驚かされる。たとえば、荒れ果てた土地に1粒でも生える草の種を取ろうとする老人。たとえば、捕まえたネズミを鍋でグツグツ煮て食べる男。さらに、他人の嘔吐物の中から穀物を探して食べる男。等々だ。その極めつけは、人肉を食ったとして追求される張維良(レイ・リーミン)。王兵監督の問題提起は十分わかるが、さすがにこれでもかこれでもかと描かれる食べ物をめぐるこれらの人間模様を見ていると、さすがに少し気分が悪くなってきたが、さてあなたは?
<あれは「ウソ泣き」だが、これはホンモノ!>
去る12月19日に北朝鮮の金正日総書記の死亡が発表されたが、今後の世界の注目点は、権力の承継がスムーズに進むか否かということ。それとは別に大きく報道されたのが、将軍サマの死を嘆き悲しみ慟哭する北朝鮮人民たちの姿だが、これはきっとウソ泣き?本作中盤からは紅一点の女優シュー・ツェンツーが演ずる董建義(ヤン・ハオユー)の妻・顧が登場する。死期を悟った董は隣の李に対して「俺が死んだら死体を隠しておき、上海から迎えにくるはずの妻に引き取ってもらいたい」と遺言していたが、実際に顧が訪れてみると?
本作では夜寝ている間に次々と死亡していく人たちを布団に包みロープでしばって荒野の土に埋めに行く風景が再三登場するが、実はその布団や死体が身に着けている服さえも奪われているらしい。しかも、人肉を食うとすればその部分はおしりの肉らしいから、顧が必死で一目会いたいと泣きわめく董の死体は?本作がはじめての本格的な映画出演となったシュー・ツェンツーは嘆き悲しむだけの演技だが、それは相当の迫力がある。しかして、当初はいくら捜しても荒野の中に埋まっている董の死体など見つかりっこないと言い張っていた李たちだったが、顧の要請に応じていかなる行動を?
<『山本五十六』から何を?『夾辺溝』から何を?>
近時の『黄色い星の子供たち』(10年)や『サラの鍵』(10年)を挙げるまでもなく、西欧諸国ではナチスドイツの問題点やそこから生まれた悲劇を考えさせる映画は多い。日本でも『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(11年)のように、日米開戦から70年の今「あの戦争」を考えさせる映画が公開されている。しかし、1949年10月1日の中華人民共和国建国以来、一貫して中国共産党の一党独裁が続いている中国では?
毛沢東の号令によって1966年に始まった「文化大革命」の問題点や、それが多くの人間にもたらした悲劇は、田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督の『青い凧』(93年)(『シネマルーム5』98頁参照)、謝晋(シエ・チン)監督の『芙蓉鎮』(87年)(『シネマルーム5』91頁参照)、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)(『シネマルーム5』107頁参照)など多くの映画に描かれているが、それより前の1956年に提唱された「百花斉放・百家争鳴」とその半年後に手のひらを返すように始まった「反右派闘争」については、せいぜい張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『活きる』(94年)に少し描かれたくらい(『シネマルーム5』111頁参照)?1958年5月に始まった「大躍進運動」の失敗によって3年間におよぶ大飢饉が発生し、数千万人が餓死したことは今や世界に広く知れ渡っている。毛沢東も1962年にこれを自己批判したが、本作の舞台となった夾辺溝では、3000人の「右派」のうち生き残ったのは500人に満たなかったらしい。
しかして、日本人は『聯合艦隊司令長官 山本五十六』から何を学ぶ?そして、中国人は『夾辺溝』から何を学ぶ?
<無言歌は、死者にも生存者にも!>
本作の原題は『夾辺溝』と単純そのものだが、邦題の『無言歌』はかなりひねったもので、「それはぼくが伝えたかった念(おも)いそのものだ」と王兵は言ったらしい。「物言えば唇寒し秋の風」とは芭蕉の俳句だが、病室として作った1号室に入っている駱先生(リー・ドォグアン)は、百家争鳴で「プロレタリア独裁という言い方はダメだ。全民独裁と言うべきだ。国は全国民のものなのだから」と意見を述べたおかげで「右派」とされてしまったのだから、まさにそれ。その他、本作で描かれる「右派」とされた人たちの人生模様を見ていると、思わずゾッとしてくる。そんな人たちに共通するキーワードが「無言歌」だろう。11月27日の大阪府知事、大阪市長のダブル選挙に勝利し、国政への進出すら射程距離においている橋下徹大阪市長や大阪維新の会は今や絶頂期だが、横浜市長だった中田宏氏のように、もし何かにつまずけばたちまち「無言歌」になってしまう可能性も・・・。1945年の敗戦によって、それまで天皇陛下万歳!鬼畜米英!軍国主義一色だった日本は、民主主義の国・自由の国に180度転換し、それが曲がりなりにも成功したから今なお自由な言動が可能だが、百家争鳴からわずか半年で反右派闘争に180度転換してしまった中国では無言歌が流行るのは当然?またそんな無言歌は、過酷な「労働改造」の中で死んでいった人たちにも、逆に生き残った人たちにも、等しく響くはずだ。
2012(平成24)年1月5日記