捜査官X(武侠)(香港、中国映画・2011年) |
<GAGA試写室>
2012年3月13日鑑賞
2012年3月17日記
邦題である『捜査官X』の推理の妙と、原題である『武侠』のアクションの両方楽しめるのが本作のミソ。映画冒頭にみる、「正当防衛」による2人の強盗の死をあなたはどう分析?後半からは懐かしいアクション俳優も登場しての一大武侠映画に早変わりだが、そこにはあっと驚く「仕掛け」によるオマージュも・・・。『ラスト、コーション』(07年)ですばらしい演技をみせたタン・ウェイの役が少し薄いのが残念だが、静と動2人の俳優の掛け合いは見どころいっぱい!
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監督・製作:陳可辛(ピーター・チャン)
脚本:オーブリー・ラム
アクション監督:甄子丹(ドニー・イェン)
リウ・ジンシー(村の紙職人)/甄子丹(ドニー・イェン)
唐龍(タン・ロン)(マスターの息子)/甄子丹(ドニー・イェン)
シュウ・バイジュウ(捜査官)/金城武
アユー(リウ・ジンシーの妻)/湯唯(タン・ウェイ)
マスター(暗殺集団「七十二地刹」のボス)/王羽(ジミー・ウォング)
マスターの妻(女刺客)/惠英紅(クララ・ウェイ)
シュウの妻/李小冉(リー・シャオラン)
2011年・香港、中国映画・115分
配給/ブロードメディア・スタジオ
<邦題と原題、どちらがベター?>
『ウォーロード/男たちの誓い(投名状/The Warlords)』(07年)(『シネマルーム22』194頁参照)の監督、『孫文の義士団(十月圍城)』(09年)(『シネマルーム26』143頁参照)のプロデュースなど、近時目覚ましい活躍を続けている香港の陳可辛(ピーター・チャン)監督最新作の原題は『武侠』で、英題も『WU XIA』。「武侠」を日本語に訳すと「侠客」で、中国では「武侠映画」という範疇が確立している。これは日本のヤクザ映画に近いが、その時代背景は多岐にわたるうえ、アクションのウエイトが大きい。ちなみに、始皇帝暗殺をテーマにした陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『始皇帝暗殺(The First Emperor)』(98年)(『シネマルーム5』127頁参照)は一大歴史絵巻だったが、張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『HERO(英雄)』(02年)(『シネマルーム5』134頁参照)は武侠映画?しかして、本作の原題は『武侠』。なぜそんなタイトルがつけられたのかは、冒頭に展開される「正当防衛事件」と後半からこれでもかこれでもかと連続するすばらしいアクションを見れば明らかだ。
他方、本作の邦題は『捜査官X』。Xは1917年に雲南省の小さな村で起きた「正当防衛事件」の捜査に入った町の警察官シュウ(XIU)の頭文字だが、彼のことを捜査官と呼ぶのは少し違和感がある。なぜなら今ドキ捜査官と聞くと、どうしてもハリウッド映画のFBIやCIAの捜査官をイメージし、その映画を現代劇と考えてしまうためだ。しかし、本作の時代は1917年だから捜査官などというしゃれたものではなく、シュウの捜査は自分の目と推理が基本。刑事コロンボも金田一耕助も風貌の割には天才的な観察力と推理力を持っていたが、東洋医学にメチャ詳しそうなシュウの観察力と推理力は?そんな金城武演ずるシュウ・バイジュウに注目すれば『捜査官X』という邦題にも納得だが、ドニー・イェン演ずるリウ・ジンシーのアクションの方に注目すれば、本作のタイトルはやはり『武侠』の方がベターでは?
<弱者がなぜ2人の強者を?冒頭のアクションに注目!>
中華圏における正統派アクションのトップは何といっても李小龍(ブルース・リー)だが、異端派のトップは成龍(ジャッキー・チェン)?彼の酔拳や蛇拳、龍拳は実にユーモラスだ。ドニー・イェンは今や李連杰(ジェットー・リー)らと並ぶ正統派アクションのトップ俳優だが、彼が映画冒頭に「正当防衛事件」で見せるアクションは面白い。
雲南省の村に乗り込んできた2人の悪人は、両替商のありかを聞き出すとただちにそこに押し入り、「金を出せ!」と脅かしたから大変。武器を持った屈強な2人の男に太刀打ちできる男は村には1人もいないから、2人はやりたい放題。そう思った途端、地元の製紙工場で働く職人リウ・ジンシーが敢然と大男に向かっていったが、かわいそうにジンシーは大男にやられ放題、殴られ放題。しかし、相棒の1人が刀を振り回し始めると、なぜか大男にしがみついたままのジンシーはうまくその刀を避け続けたばかりか、同士討ちによって大男の耳が切り取られた挙げ句、相棒の方は・・・?さらに大男にしがみついたまま2人が家の中を飛び出して池の中に突っ込んでいくと、そこでもジンシーは殴られ放題だったが、なぜか死体となって水の上に浮かび上がったのはあの大男だ。
なぜ、ジンシーのような弱者が2人の強者を?これは正当防衛?それとも・・・?そんな疑問を持った捜査官Xことシュウが、ジンシーを含む関係者からの事情聴取や現場検証の結果から導いていく推理とは?
<テーマは徐々に、恐るべき「出生の秘密」に・・・>
冒頭の「正当防衛事件」をめぐるシュウの推理は面白いが、やはり犯罪捜査には証拠が必要。シュウの推理は、ジンシーは卓抜した格闘技能力を持っているにもかかわらず、「能ある鷹は爪を隠している」のではないか?ということだ。そこで、シュウはいろいろと荒っぽいテスト(?)をくり返したが、残念ながらそれらはすべて空振りに。ジンシーにしてみれば、いつまでもシュウの捜査の対象にされるのは迷惑この上ないが、ホントにこの男は真面目な製紙職人?
ジンシーには美しい妻アユー(湯唯/タン・ウェイ)と1人息子がいたが、シュウが村人から聞き出した情報では、ジンシーはもともとの村人ではないらしい。そんな中、荊州に派遣されていたシュウの同僚から入った驚くべき情報によると、ジンシーは中国で最も恐れられている凶暴な暗殺集団「七十二地刹」のナンバー2ではないかということ。なるほど、それならジンシーが恐るべき格闘能力を備えていることも納得できるが、どう見てもジンシーはそんな風に見えないから困ったものだ。もっとも、シュウの厳しい追及の中、ジンシーはかつて故郷の荊州で殺人を犯し10年間の刑に服した後この村に流れついたことは告白したが、ホントにそれだけ?
本作前半は「正当防衛事件」をめぐる捜査がメインストーリーだからまさに『捜査官X』という邦題どおりの展開だが、中盤以降はテーマが恐るべき「出生の秘密」に移行していくと共に、武侠映画一色に・・・。
<お帰りタン・ウェイ!今後の活躍に期待!>
『ラスト、コーション』(07年)(『シネマルーム17』226頁参照)で大胆かつすばらしい演技(艶技?)をみせた美人女優タン・ウェイが本作に登場!タン・ウェイは『ラスト、コーション』で台湾金馬奨の最優秀新人賞など多くの賞を受賞したものの、「政治的な内容と性描写の作品に出演した」との理由で中国国内から非難を受け、中国映画界からほぼ抹殺されたかたちになっていたらしい。しかし、08年に香港の市民権を獲得したことによって、2010年にはジャッキー・チェンと共演して女優に復帰し、その後韓国映画に出演した後、本作に登場!
私は「『ラスト、コーション』でマイ夫人役を演じたタン・ウェイの新人女優賞には不満があり、易夫人を演じた陳冲(ジョアン・チェン)が受賞した主演女優賞は当然タン・ウェイが受賞すべき」と主張した。また、「『初恋のきた道』(00年)における章子怡(チャン・ツィイー)の出現は、いわば『キューポラのある街』(62年)における吉永小百合のようなものだった(?)が、『ラスト、コーション』におけるタン・ウェイの出現は、『化身』(86年)でデビューした黒木瞳のようなもの・・・?」と書いた(『シネマルーム17』232頁参照))。このように私はタン・ウェイを高く評価していたから、その後の中国映画に彼女がなぜ登場してこないのか不思議に思っていた。しかして、やっとタン・ウェイのお帰りだ。もっとも本作はドニー・イェンと金城武の2枚看板を表に出した映画だから、彼女が控えめな役に徹しているのは仕方なし。次作では主演とまでは言わないまでも、もっと彼女の魅力を全面に押し出した作品に出演し、すばらしい演技を見せてもらいたい。お帰りタン・ウェイ!今後の活躍に期待!
<ロミオとジュリエットの悲劇の二の舞は避けたいが?>
モンタギュー家のロミオと結ばれることを強く希望したキャピュレット家のジュリエットは、ロレンス神父の提案に従って仮死の薬を飲むことに。この計略がうまくあたれば万事OKだったが、ちょっとした手違いによって「ロミオとジュリエットの悲劇」が起きてしまったことは有名なお話だ。本作では美しい映像解説(?)を伴ってシュウが持っている東洋医学のうんちくが語られるし、現にそれがいろいろな場面で実践されるが、ジンシーを連れ戻しにきたマスターの使者に対してジンシーは既に死亡してしまったと仮装して、連れ戻すのをあきらめさせようというのがシュウの計略。人間には仮死から本死に至るまで15分間の中間領域があるから、そんな偽装も可能というのがシュウの東洋医学の知識だがホントにそんな人体実験をやって大丈夫?
そう心配しながら観ていると、ジンシーが死亡したと知ったマスターの使者たちは大声で泣き叫びながら独特の弔いを始めたから大変。これが5分程度で終わればいいが、15分以上続くとシュウの計略はおじゃんに。シュウとしては何としても「ロミオとジュリエットの悲劇」の二の舞は避けたいが・・・?
<彼らのアクションを懐かしく思う人は、かなりの映画通>
男優だけでなく、女優だってアクションが売り!そんな女優の代表はかつての日本では志穂美悦子、現在のタイでは『チョコレート・ファイター』(08年)(『シネマルーム22』173頁参照)のジャージャー・ヤーニンだが、中国や香港では?本作後半におけるジンシーの対決相手は、まず「七十二地刹」のボスであるマスターの妻。そして最後の対決になるのがマスターその人だ。マスターの妻を演ずる惠英紅(クララ・ウェイ)も、マスターを演ずる王羽(ジミー・ウォング)も私は全然知らなかったが、古き良き時代の(?)アクション俳優として有名な俳優らしい。とりわけ、ジミー・ウォングは1971年の『新座頭市 破れ!唐人剣』で勝新太郎と共演しているとのことだから、ひょっとして私も映画館で観ていたかも・・・。また、ジミー・ウォングが75年に監督・脚本・主演を務めた『片腕カンフー対空とぶギロチン』は後にカルト的人気となり、クエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』に多大な影響を与えたそうだが、本作ではそれへのあっと驚くオマージュ(?)がクライマックスとなるジンシーとマスターの対決の前に登場するからそれに注目!
「七十二地刹」を離れてアユーとの小さな幸せの中で生きたいと願うジンシーの気持がなぜそれほどまでに強いのかについてイマイチ理解できない面があるものの、「何が何でも七十二地刹には戻らない」というジンシーの気持は本作ではいかなる行動として表れるのだろうか?いくら年老いたとはいえマスターは今なお「七十二地刹」のボスだから、その格闘能力はすごいはず。それと対決するためにはジンシーの方も体力・気力を万全にして臨む必要があるが、直前にこんな行動を取ってしまうと大きなハンディキャップを負った対決になってしまうのでは?それはともかく、この人たちのアクションを懐かしく思う人はかなりの映画通。
2012(平成24)年3月17日記