オロ(日本映画・2012年) |
<シネ・ヌーヴォX>
2012年5月21日鑑賞
2012年5月22日記
なぜ、チベットが映画に?なぜ、「チベット子ども村」の6歳の少年オロが主人公に?ふんだんに使用される似顔絵やイラストとともにオロの成長に寄り添ってみれば、10歳の時に「国が壊れる!」という感覚を体験した老監督の気持もわかるはず。チベット問題は中国の「核心的利益」。この際そんな政治問題は横に置き、スクリーン上に充満する素朴さと温かさを満喫したい。そうすれば、かなり腐ってしまっているかもしれないあなたの心や身体も少しは洗われるかも・・・。
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督:岩佐寿弥
オロ(6歳のときにヒマラヤを越えて、チベットからインドへ亡命した少年)
ダラムサラのおじさん(オロの遠い親戚のおじさん)
ダドゥン(「チベット子ども村」に寄宿する仲良し姉妹の姉)
ラモ・ドルマ(「チベット子ども村」に寄宿する仲良し姉妹の妹)
ラモ・ツォ(ダドゥン姉妹の母親)
ドンドゥップ・ワンチェン(ダドゥン姉妹の父親)
チベット難民受付センターで出会う青年
ホーム23の友だち
ドルマ(難民三世の三姉妹の長女)
デチェン(難民三世の三姉妹の二女)
ツェリン・ラモ(難民三世の三姉妹の三女)
モゥモ・チェンガ(難民一世のおばあちゃん)
三姉妹の父
三姉妹の母
2012年・日本映画・108分
配給/スコブル工房
<たまには、こんな「小作品」も>
「オロ」ってナニ?岩佐寿弥監督ってダレ?チラシを見ると「おちゃめな少年とアバンギャルドな老監督が紡ぎ出す、チベット望郷の詩」とあるが、それって一体どんな映画?本作は、6歳の時に中国の圧政に苦しむチベットからインド北部の町ダラムサラにある「チベット子ども村」に亡命してきた少年オロを主人公として岩佐監督が3年間撮影したフィルムを、ドキュメンタリーともフィクションともつかないスタイルで紡いだ映画。本作でやけに目につくのは、下田昌克が描いたという登場人物たちの似顔絵や地図、イラストなど。カメラを通してみる登場人物たちの表情はまさに映画芸術だが、イラストから伝わってくる地図の道案内や登場人物たちの温かみは、本作と渾然一体となった魅力を醸し出している。
監督の「ヨーイ、スタート!」のかけ声を受けて、ダラムサラの町の狭い路地を駈けのぼるオロの姿を見ていると、無邪気そのもの。監督から「映画に出てみないか」と声をかけられた時、オロはどうもカンフー映画の主人公をイメージしたらしい。劇中にはそんなシーンも見られるが、2009年11月から2011年1月まで計4回の現地入りロケハンの中、6歳の少年オロはどんな成長を?アカデミー賞をめぐるハリウッドの大作もいいが、たまには、こんな「小作品」も。
<チベットをめぐる政治問題は別の機会に>
石原慎太郎東京都知事が尖閣諸島(中国名、釣魚島)を東京都が買い上げると発表するや俄然尖閣諸島をめぐる日中間の対立は激しさを増し、5月13日に北京の人民公会堂で行われた日中首脳会談で温家宝首相は尖閣諸島問題を「核心的利益」と発表した。それまで中国が「核心的利益」とするのは、台湾問題、新疆ウイグル問題、チベット問題に限定されていたが、尖閣諸島問題がそこまで「格上げ」されると今後の展開は・・・?それはともかく、「チベット問題」は『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(97年)にも描かれていたが、ダライ・ラマ14世が1959年にインドのダラムサラにチベット亡命政府を樹立したこと、中国が最近ダライ・ラマ15世は14世の死後中国政府が決めると発言したこと、等は新聞報道のとおりだ。
本作に登場する、ダドゥン、ラモ・ドルマ姉妹の父親ドンドゥップ・ワンチェンはチベット本土で映画をつくったという理由で逮捕され、今は中国の刑務所にいるらしいし、ホーム23の友だちは、亡命の途中で中国政府に捕まり、ひどい仕打ちを受けたらしい。また、ダライ・ラマ14世の意向で1960年に設立された「チベット子ども村」が夏休みに入ったため、オロは長い夏休みをダラムサラのおじさんの家で過ごすことになったところ、さっそく「お前は何のためにインドに来たのか・・・」とお説教をくらったが、このおじさんは少年時代、中国の刑務所に入れられたことがあるらしい。このようにチベットをめぐる政治問題は多種多様で奥が深いが、本作はそれらを社会問題提起するための映画ではない。したがって、チベットをめぐる政治問題は別の機会に。
<岩佐監督は、なぜチベットを?なぜオロを?>
岩佐監督は1934年生まれだから、私より15歳も年上。そんな年代の彼が、なぜ今チベットを映画に?また、なぜオロを映画に?
本作のプレスシートには「国破れてなお生きる少年在り。」というタイトルの「監督の言葉」があり、そこでは「国が壊れる!」という感覚の意味が語られている。岩佐監督は1945年の日本の敗戦を10歳の時に体験したわけだが、その時の感覚がそうだったらしい。そして、そんな感覚が本作をつくる動機になったことが語られている。戦後生まれ(1949年生まれ)の私には岩佐監督のそんな感覚は理解できないが、それが「なぜチベットを映画に?」という疑問に対する答えだ。
他方、なぜ「オロを映画に?」という疑問に対する答えは、「映画『オロ』の旅は、ただやみくもにチベットの少年を主人公にした映画を撮りたくなったことから始まった」と書いてあるから、かなりいい加減・・・?そんな曖昧な感覚から始まった映画づくりにそれなりの資金や人材が集まったのは岩佐監督の人望の賜物だろうが、今ドキそんな動機でこんな映画が完成し上映できるのは、幸せという他ない。
<本作を観れば、腐った心や身体も少しは・・・>
本作はきっと単館で短期間だけ上映される作品だから、観客動員数も知れているはず。しかし、今の日本に日常的に氾濫しているくだらないテレビドラマとは全く異質の「温かさ」を感じとれることはまちがいない。「チベット子ども村」の教育レベルや食事のレベルが高度に経済成長した日本に比べれば低く貧しいことは一見して明らかだが、そこで学ぶ子供たちの明るさや瞳の輝きは?
また本作には、前述のダドゥン、ラモ・ドルマ姉妹の他、ドルマ、デチェン、ツェリン・ラモの三姉妹が登場し、それぞれさまざまな歌を歌うシーンが登場するが、その素朴な歌声は今の日本では完全に失われてしまったものだ。そんなこんなを考えながら本作を観れば、かなり腐ってしまっているかもしれないあなたの心や身体も少しは洗われるかも・・・。
2012(平成24)年5月22日記