ブラック・ブレッド(スペイン、フランス合作映画・2010年) |
<テアトル梅田>
2012年7月8日鑑賞
2012年7月14日記
舞台はスペイン内乱終了後、1940年代のカタルーニャ地方の村。「ピトルリウア(森の洞穴に潜む羽根を持った怪物)」をキーワードとし、これも謎、あれも謎という混沌とした世界が次々に示されるから、観客も???ラストに向けて明らかにされる「去勢」をめぐる秘密はかなりおどろおどろしいが、主人公である11歳の少年の目はそれをいかに直視?かなり複雑で難解な映画だが、1977~78年のアルゼンチンの軍事政権下における暗い闇の世界を8歳の少年の目を通して描いた『瞳は静かに』(09年)と共にじっくり鑑賞し、広く世界に目を向けたい。
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監督・脚本:アグスティー・ビジャロンガ
アンドレウ(11歳の少年)/フランセスク・クルメ
ヌリア(アンドレウの従妹)/マリナ・コマス
フロレンシア(アンドレウの母)/ノラ・ナバス
ファリオル(アンドレウの父)/ルジェ・カザマジョ
シオー(ファリオルの兄弟)/リュイサ・カステル
マヌベンス夫人(村の資産家)/マルセ・アラーナガ
エンリケタ(ファリオルの兄弟)/マリナ・ガテイル
おばあちゃん(アンドレウの祖母)/アリザ・クラウェット
パウレタ(ディオニスの妻)/ライア・マルール
先生/アドゥアル・フェルナンデス
町長/セルジ・ロペス
ディオニス(ファリオルの元同志)/
クレット(ディオニスとパウレタの息子)/
翼を持った青年/
2010年・スペイン、フランス合作映画・113分
配給/アルシネテラン
<日本では「あっち」でも、スペインでは「こっち」!>
『私が、生きる肌』(11年)は、スペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督が「これぞ禁断の世界」に切り込んだオリジナルストーリーで、少し背筋を凍らせながら崇高な(?)愛の姿を味わうことができる名作だった(『シネマルーム28』197頁参照)。そんな名作を押しのけて、2012年度米アカデミー賞外国語映画賞のスペイン代表に選出されたのがアグスティー・ビジャロンガ監督の本作だ。本作はまた、スペインのアカデミー賞にあたるゴヤ賞で作品賞ほか9部門を受賞するとともに、ガウディ賞でも作品賞ほか13部門を受賞した。
本作は、1977~78年のアルゼンチンの軍事政権下における黒い闇の世界を8歳の少年の目を通して描いた名作『瞳は静かに』(09年)(『シネマルーム28』73頁参照)を彷彿させるスペインの問題作だが、日本人の私たちにはなかなかわかりづらい。したがって、日本では「あっち」=『私が、生きる肌』の評価が高く、「こっち」=本作の評価は低い。たとえば、『キネマ旬報』7月下旬号の「REVIEW 鑑賞ガイド」では西脇英夫、平田裕介、モルモット吉田の3氏がそれぞれ星2、3、3点にとどめているが、前述のとおり、スペインでは圧倒的に「こっち」=本作の評価が高い。しかして、あなたの評価は?
<時代背景は?タイトルの意味は?>
スペイン内乱時代の名作映画といえば何といっても『誰が為に鐘は鳴る』(43年)だが、日本人にはスペイン内乱時代のことはわかりづらい。本作の時代と舞台は1940年代スペインのカタルーニャ地方。1938年12月にカタルーニャが、1939年1月にバルセロナが陥落したことによって、人民戦線側=共和国軍はフランコ率いる反乱軍に敗れ、1939年4月にフランコが勝利宣言をした。したがって、1940年代のカタルーニャ地方では、人民戦線側=共産側=アカの生き残りが嫌われていたのは当然だ。映画冒頭、森の中で何者かが襲われ、馬車ごと崖の上から落とされるシークエンスが登場する。これを観ているだけで緊迫感が伝わってくるが、ここで殺された男ディオニスは本作の主人公である11歳の少年アンドレウ(フランセスク・クルメ)の父親ファリオル(ルジェ・カザマジョ)の同志として左翼活動に従事していた男らしい。町長(セルジ・ロペス)がこの事件の犯人がファリオルではないかと容疑をかけたため、ファリオルは妻フロレンシア(ノラ・ナバス)と相談のうえ一時村を離れることに。これによって、アンドレウは祖母(アリザ・クラウェット)の下に預けられることになり、ここで同級生の従妹ヌリア(マリナ・コマス)と出会うことに。
こんな前半のストーリー展開は十分理解できるが、本作のタイトル『ブラック・ブレッド』とはどんな意味?普通に訳せば「黒いパン」だが、それだけでは何のことかさっぱりわからない。実は、これは富める者だけが食べられる小麦粉で作った白いパンに対して、貧しい者だけが食べる黒いパンという意味らしい。つまり、スペインのあの時代における勝ち組と負け組、富裕層と貧困層を二分するメルクマールの1つなのだ。白いパンと黒いパンの違いは、映画後半アンドレウが村の資産家であるマヌベンス夫人(マルセ・アラーナガ)の養子になるかどうかを迷うストーリー展開の中にも登場するから注目!なるほど!そういうことを1つ1つきちんと勉強しなければ!そうしなければ、本作の本当の意味や面白さはなかなかわからないかも・・・。
<キーワードは「ピトルリウア」だが・・・>
11歳の少年アンドレウは何事にも興味津々だが、本作ではまず事故現場(?)に駆けつけたアンドレウが死にかかっているディオニスの息子クレットから最後に聞いた「ピトルリウア・・・」という言葉が大きな疑問として提示される。ピトルリウアとは森の洞穴に潜むと言われる羽根を持った怪物の名前だが、なぜクレットは死ぬ直前にそんな言葉を・・・?
11歳のアンドレウには左翼活動をしている父親ファリオルが「村八分」にされている理由を十分理解できなかったし、町長がかつて自分の母親フロレンシアに色目を使っていたことなど知る由もなかったのは当然。また、おばあちゃんの家のやっかいになるようになってからお友達になったヌリアがなぜ左手の指先を失っているかについて「手榴弾の爆発によって」と聞かされても、ピンとこなかったのも当然。さらに、ある日森の中を歩いていると、裸の美しい青年が森の中を走り、川の水に浸ろうとしていた姿を発見したからビックリ。彼はなぜ修道院の中で隔離された生活をしているの?それは、ある病気のためらしいが、その病気とは?また、彼はなぜ翼を広げ空を駆けるような動作をするの?ひょっとして彼がピトルリウア?
アンドレウにとってはそんなことがすべて疑問だらけだが、大人たちは誰も何も教えてくれない。他方、早熟なヌリアからは「あんたは特別」と言って頬に口づけを受けたり、初エッチに誘ってくれたりしたが、既に学校の先生と性的関係を持つことによっていろいろな便宜を図ってもらっていると聞いてガッカリ!同じ年なのになぜヌリアのような女の子はそんなにたくましいの・・・?本作中盤はアンドレウが持つそんな疑問点が次々と提示されるが、私たちにもその意味は容易にはわからないから、私たちも少しイライラ・・・?
<ファリオルの逮捕から、事態は急転換!>
ヨーロッパでも田舎の家は隙間が多いから風がビュービュー入り込んでくるし、電灯も少ないから風の強い夜などは子供には恐くて寝つけない時もある。ある晩寝つけないでいたアンドレウが、早熟でいろいろな秘密を知っているヌリアから教えられていた屋根裏部屋の鍵を持って恐る恐る屋根裏部屋に忍び込んでみると、何とそこにはファリオルの姿が。あれ、父親は村を離れて遠くに行ったのではなかったの?それ以降しばらくアンドレウは父親との2人だけの秘密を持つ楽しい時間を過ごすことができたが、警備隊による突然の家宅捜索でファリオルが逮捕されてしまうと、事態は急転換していくことに。
父親がアンドレウに残した言葉「農場主のマヌベンスさんに話せ」に従って、母親のフロレンシアと共に「白いパン」を食べる資産家であるマヌベンス夫人の家を訪れると、事情を察知したマヌベンス夫人は町長に嘆願の手紙を書いてくれたからラッキー。そう思っていると、アンドレウは町長のもとを訪れた母親が町長の魔の手にかかる姿を目撃するという悲惨な結果になってしまったからアレレ・・・。また弁護士の私には、なぜファリオルにディオニス殺しの容疑がかけられたのかがサッパリわからないまま、さらにその裁判の様子も全く示されないままファリオルの銃殺刑が執行されるから、これもアレレ・・・。こんな状態の中、アンドレウたち一家はどう生きていけばいいの?
<ピトルリウアをめぐる秘密が今!11歳の少年の目は?>
ある日アンドレウがヌリアと共にある洞穴を探検してみると、そこには過去の惨事を暗示するある痕跡が。さらに、あの事故(?)による夫の死亡以降浮浪者のようになっていたディオニスの妻パウレタ(ライア・マルール)が、ファリオルの死亡に悲しむ妻フロレンシアを訪ねてくると、そこでは何とも激しい口論が・・・。そんな展開の中で私たちにも、かつて洞穴の中である青年に対して去勢というおどろおどろしい制裁が加えられたこと、そしてその実行者がファリオルとディオニスの2人だったことが明らかにされていく。しかし、そんな過去の事実が、フランコ政権になった今何の意味が?そこらあたりをじっくり考えなければ本作の理解は進まない。
映画冒頭に登場したディオニス殺人事件の犯人は一体誰?その犯人捜しは当然1つのテーマだが、本作はそれを導入部としてカタルーニャ地方の村に古くから伝わるピトルリウアにまつわる伝説や、男たちの権力闘争の闇の部分が少しずつ解明されていくから、とにかく難解でややこしい。そういう意味では、テーマが単純でわかりやすかった『私が、生きる肌』に比べると本作の理解は大変だが、考えるネタは非常に多い。マヌベンス夫人の養子となるか、それとも母親の下で暮らし工場で働く労働者になるかの選択権が与えられたアンドレウは、結局前者を選択するが、あまりにも多くの秘密を知ってしまった11歳の少年アンドレウの目は今どのように変化を?そんなラストの持つ意味も、じっくりと考えたい。
2012(平成24)年7月14日記