DAISY(韓国映画・2006年) |
<試写会・ナビオTOHOプレックス>
2006年4月13日鑑賞
2006年4月14日記
オランダを舞台に展開される、韓国風純愛ラブストーリーと、アンドリュー・ラウ監督らしい香港風銃撃アクション=男の闘いの両立を目指した映画のタイトルは、「心の底からの愛」を花言葉とする『DAISY』。ヒロインは、広場で似顔絵を描く画家の卵。彼女の前に座る2人の男性のうち、さてどちらが「運命の人」・・・?意外な展開を見せていく、よくできた脚本によって、切ない愛の姿がくっきりと・・・。唯一の欠点は、ナレーションの多用か・・・?さて、あなたの採点は・・・?
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監督:アンドリュー・ラウ
製作:チョン・フンタク
脚本:クァク・ジェヨン
音楽:梅林茂、チャン・クォンウィン
ヘヨン(ヒロイン、画家の卵)/チョン・ジヒョン
パクウィ(殺し屋)/チョン・ウソン
ジョンウ(刑事)/イ・ソンジェ
チャン刑事/チョン・ホジン
チョウ(ヤミ組織のボス)/デヴィッド・チャン
東宝東和配給・2006年・韓国映画・125分
<韓国・香港・日本のコラボだが・・・?>
パンフレットによれば、この映画は『猟奇的な彼女』(01年)、『ラブストーリー』(03年)、『僕の彼女を紹介します』(04年)を監督・脚本したクァク・ジェヨン監督が脚本を完成させた後に、プロデューサーのチョン・フンタクが、監督として『インファナル・アフェア』3部作の監督として有名な香港のアンドリュー・ラウに白羽の矢を立てたとのこと。そのため撮影監督、美術監督、衣装デザインなどの製作スタッフは、アンドリュー・ラウ監督と一心同体ともいえる香港スタッフが勢ぞろい。
さらに音楽には、中国の張藝謀(チャン・イーモウ)監督とコラボを組んだ『LOVERS(十面埋伏)』(04年)等で有名な、日本の梅林茂を起用。ここに韓国・香港・日本を結ぶ才能が集結したわけだが・・・?
<舞台はオランダ、お花は「デイジー」>
面白いのは、パンフレットによればこの映画の舞台の最初の候補地はプラハだったということ。プラハは古い建築物が歴史を感じさせるまちで、銃撃戦などのアクション撮影にはうってつけだったが、他方、①愛を語るには向かない、②愛を語るには寒すぎた(?)ため、落選・・・。そこで視点を変えてオランダに赴くと、ここにはお花畑が多く、いかにもピッタリの雰囲気だったため、オランダに決定したとのこと。ということは、脚本段階では舞台がオランダと決まっていたわけではないことになる。するとそれは、どこだったのだろうか?ヨーロッパの「どこかあるまち」という設定だったのかも・・・?
また、『デイジー』というタイトルは、脚本を書いたクァク・ジェヨンが決定していたものだが、これとても「脚本を書いている時、奥さんのエプロンにデイジーの花が描かれていて、『これだ!』と思ったのが発端」だというから、結構いい加減(?)なもの・・・?
しかし、やはりそのセンスの良さは抜群で、この映画の重要な舞台となる①オランダのお花畑と、②ヒロインたちが似顔絵描きに集まる古いまちなみの中心にある広場は、まさにオランダならではの雰囲気がいっぱい・・・。ちなみに、デイジーの花言葉は「心の底からの愛」だというから、これもこの映画にピッタリ・・・。
<ヒロインは画家の卵>
この映画のヒロインは、クァク・ジェヨン監督・脚本の『猟奇的な彼女』と『僕の彼女を紹介します』で一躍スターダムにのし上がったチョン・ジヒョン。彼女が演ずるのは、オランダでおじいさんの骨董店を手伝いながら、独り暮らしをしている画家の卵、ヘヨン。「まだ私は25歳よ・・・」と言うヘヨンに対して、おじいさんは「早くいい人を・・・」と言いつつ、孫娘と接しながらの楽しい毎日に満足・・・。4月15日に開く個展に向けて、創作活動に忙しいヘヨンだったが、他方、彼女には広場での似顔絵描きというアルバイトの日課も・・・。
<ジョンウとの出会いは?>
そんなヘヨンの前に突然現れたのは、デイジーの鉢植えを無造作に横に置いて、似顔絵の注文をしたジョンウ(イ・ソンジェ)。ところがジョンウは、モデルになっている間もどこかそわそわしているうえ、自分から注文しておきながら時間を気にしており、絵の完成を待たずに、鉢植えを置いたまま席を立ってしまった。「あの・・・」と声をかけるヘヨンに対して、彼は「明日また同じ時刻に来るから」と約束したが・・・。
<ヘヨンが待ち続けている男性とは・・・?>
こんなジョンウの登場にヘヨンの心がときめいたのは当然。それは、ある夏、山間の村に滞在してデイジーの花を描き続けていた彼女には陰ながら彼女を見守り、応援してくれているある男性との「出会い」があったからだ。丸太橋から足を滑らせて川に転落してしまった彼女は、以降恐くなったため、その丸太橋を渡れなくなったが、数日後に彼女が見たのは、その丸太橋が質素ながらも頑丈な橋に生まれ変わっている姿。さらにそこには、川に流されてしまったはずの彼女の「絵の具袋」がかけられてあった。「これはきっと、私を見守ってくれている男性が私のために・・・」と確信した彼女は、その誰かにプレゼントするべく完成したデイジーの絵をその橋に架けた・・・。すると、彼女の期待どおり、その絵はなくなっていたうえ、その後ヘヨンが働くおじいさんの骨董店の前には、たびたび「デイジー」の鉢植えが届けられることに・・・。
そんな中、「なぜ彼は私の前に姿を現さないの・・・」と悩みつつ、直感的にこの男性こそ私の最愛の人だと信じ、彼の登場を待っていたわけだ。そんな彼女が、広場で出会ったジョンウを「運命の人」と直感したのは当然だったが・・・。
<孤独な殺し屋のキャラは・・・?>
パンフレットによれば、ジョンウ役の候補はイ・ソンジェの他にも何人かおり、その1人が人気俳優、ウォンビンだったが、彼はどうしてもパクウィ役をやりたいというので断念したとのこと。また、もう1人の人気俳優、イ・ジョンジェは、チャン・ドンゴンと共演した『タイフーン』の撮影が重なったために実現しなかったとのこと。するとイ・ソンジェは「第3の男」・・・?
他方、最初に決まったキャスティングが、パクウィ役のチョン・ウソンだったとのこと。男性優位社会(?)の韓国では、男同士の対決を描く映画が結構多い。そのうえ、『インファナル・アフェア』のアンドリュー・ラウ監督だから、この映画ではヒロインをめぐる2人の男性とのラブストーリーとともに、男同士のアクション対決が見どころの1つ。そしてその場合は、2人の男性のコントラストが重要になる。
その意味で、孤独な殺し屋、決して表社会に姿を見せることなく裏社会を非情に生きる男でありながら、他方で、クラシック音楽を愛し、やさしくヘヨンを見守り、自己献身的な愛を捧げるという男の切なさをにじみ出せるのは、チョン・ウソンをおいて他にはいないと判断されて、その人選となったわけだ。たしかに、男らしさとともに子供っぽさやナイーブさを秘めたチョン・ウソンは、魅力的にパクウィの人物像を演じている。しかし私の観る限り、広場で似顔絵描きをしている彼女をジッと部屋の中から見つめ(のぞき込み)、1人で彼女と対話している彼の姿は「ストーカー」まがいに見え、いくら人前に姿を見せることができない殺し屋といっても少しヘン・・・?
<ちゃんと刑事の仕事をしているの・・・?>
ジョンウの職業は、実は刑事。アジアとヨーロッパを結ぶ麻薬ルートを捜査するために、日夜広場付近を張り込んでいたのだった。したがって、「デイジー」の鉢植えが横に置かれたのは、ヘヨンにとっては「運命」を感じさせるものだったが、ジョンウにとっては、鉢植えを買って手に持っていたのは、張込みを自然に演出するための手段にすぎなかった。もちろん、ヘヨンの前に座って、似顔絵を描いてもらうことも・・・。しかし、なぜかヘヨンが自分に対して好意を持っていることを感じとり、あの「夏の日」の物語をヘヨンから聞かされたジョンウは、「俺はその男ではない」と切り出すことができなかった。それはなぜなら、既にジョンウはヘヨンを深く愛するようになってしまったためだ。
さて、こうなると話はややこしい。相手の錯誤に乗じて、婚約・結婚に至れば、ヘタをすると結婚詐欺の可能性も・・・?そんな悩みを抱えつつ、ジョンウは刑事としての任務を忠実に果たそうとしたが・・・?
<遠くから見ていたパクウィは・・・?>
遠くからずっとヘヨンを見守っていたパクウィだったが、ヘヨンの前にジョンウが登場し、たちまち親しくなっていく様子を見た時、「これで俺の役割は終わった」と気持の整理ができたはずだった・・・。ところが、ある日、ジョンウがヘヨンに対して秘密を打ち明けようとしていたところに登場したのは、麻薬組織の襲撃グループたち。いち早くこれに気づいたパクウィは、ヘヨンを守るべく銃の照準を襲撃グループに合わせたが、これによって広場は大混乱の銃撃戦に。そしてパクウィは、ジョンウの足にも1発の銃弾を浴びせたが、これは一体ナゼ・・・?ひょっとして、これって男の嫉妬・・・?
他方、この銃撃戦の結果は2人の男たちの思惑とは全く正反対の思いがけないものに。その第1は、ヘヨンが流れ弾を首に受けて、永久に声を失ってしまったこと。そしてもう1つは、重傷を受けたジョンウも韓国へ送還されてしまったこと。さて、これからの展開は・・・?
<懸命に尽くすパクウィだったが・・・?>
『武士(MUSA)』(01年)で荒々しい男の役を力強く演じたチョン・ウソンは、一転して『私の頭の中の消しゴム』(04年)では、若年性アルツハイマー病の新妻を心底から支えるやさしい夫役を演じたが、『DAISY』でも後半以降、声を失い、かつジョンウを失ったヘヨンを支える役割を切なく演じている。ヤミ組織のボスであるチョウ(デヴィッド・チャン)から暗殺の「注文」を受け、それを実行するというパクウィの生活には当然危険がつきもの。したがって、そもそもパクウィがヤミの世界の中で1人で生きてきたのは、それが最も自分の身の安全を守る生き方だったから。そんなパクウィにとって、ヘヨンの前に自分の姿を見せることは、それだけで従来の生き方を根本的に変える、思い切った方向転換。しかし、ヘヨンにはそんなことはわかるはずがない・・・。
また、姿を見せるという決断をしたパクウィが、ヘヨンの愛を獲得するための最も手っとり早い方法は、あの「夏の日」の話をし、ヘヨンからプレゼントされたあのデイジーの絵を彼女に見せること。そうすれば、運命の男を待っているヘヨンの心はたちまちパクウィに向いてくるはず・・・。そして一時は、ジョンウがその男だと確信したものの、それがジョンウの「騙し」にもとづくヘヨンの誤解であったことが明白になれば、ヘヨンがジョンウに対して持っていた感情も大きく変わってくるはずだ。しかしパクウィは、なぜかそれをヘヨンに対して秘密にしたまま、ヘヨンに対してただ尽くすだけの毎日を・・・。したがって、ジョンウの帰りを待ち続けているヘヨンの心の中に、パクウィが入り込む余地はなかったが・・・。
<声を失ったヒロインを大熱演・・・>
映画前半の元気ハツラツとした画家の卵、ヘヨンを演じていたチョン・ジヒョンは、ヘヨンが声を失った後半からは、一転してジョンウを失った悲しみと、それに変わって登場してきたパクウィのやさしさにとまどうという、かなりしんどい演技にチャレンジしている。
①ヘヨンの部屋における、韓国からやっとオランダへ復帰してきたジョンウとヘヨンに尽くすパクウィとの鉢合わせ(?)、②ヘヨンの知らない場面でのジョンウとパクウィとのガチンコ対決(?)の中、ヘヨンは次第にパクウィの職業や、その恐ろしい実態を知っていくことに・・・。声が出れば、大声で叫びたいところだが、それができないヘヨンは、目で訴え、机を叩いての熱演だが・・・。
ハイライトは、パクウィこそが運命の男性であったことを知ったヘヨンが、組織から狙われているパクウィを救うために見せる決死の行動・・・。声は出ないものの、ヘヨンの唇の動きが読めるパクウィは、ヘヨンが涙ながらにパクウィに対して懸命に訴えている言葉をはっきりと理解することができた。そんなハイライトシーンの中、ついに訪れる結末は・・・?
<「純愛」モノと「アクション」モノの両立は・・・?>
この映画は明らかに、この映画の脚本を書いたクァク・ジェヨン監督が得意とする(?)「純愛」モノと、監督をつとめたアンドリュー・ラウ監督が得意とする(?)「アクション」モノの両立を目指したもの。しかして、それが「二兎追う者は一兎をも得ず」となっているか、それとも見事に「二足のわらじ」を履いたものになっているかは、観客それぞれの判断。そして私は、この点では十分合格ラインだと評価しているが・・・。
<ナレーションの多用はちょっと・・・>
この映画は、まずヒロインの自己紹介(?)のナレーションからスタートする。そしてこの手法は、ヘヨンについてかなり多用されている。たしかに、これはスクリーン上に登場する人物の客観的状況を理解するのに、最も便利で手っとり早い手法だが、あまりこれが多用されると、うっとおしくなってくるもの・・・?
ところがこの映画では、そのナレーションの手法がジョンウについては少ないが、パクウィにも多用されている。たしかに、パクウィの立場や生き方をセリフとして語る人物が他に誰もいないのだから、それもある程度は仕方ないかもしれないが、パクウィが自分の気持をナレーションの手法で解説するシーンが多くなってくると、それはちょっと、と思ってしまう。さらに声を失った後の、ヘヨンの揺れ動く気持の表し方がこの映画の見どころの1つだが、そこにも安易に(?)ヘヨンのナレーションが・・・。
しかし、これでは役者の演技をじっくりと味わうことができなくなってしまうのでは・・・?さて、あなたのご意見はどうだろうか・・・?
2006(平成18)年4月14日記