レ・ミゼラブル(イギリス映画・2012年) |
<TOHOシネマズ梅田>
2012年12月7日鑑賞
2012年12月10日記
『キャッツ』や『オペラ座の怪人』と並ぶ、あの名作ミュージカルがスクリーンに!ジャン・バルジャンとジャベール警部との追跡劇をストーリーの軸としながら、革命に激動する1832年のパリで迎えるクライマックスはまさに感動的!囚人、市長、そしてコゼットの保護者という数奇な「3つの人生」を生き抜いたジャン・バルジャンの魂は、ファンティーヌに導かれて今どこに?名曲ぞろいの一曲一曲を骨太のストーリーの中でしっかり味わいながら、感動の涙に酔いしれたい。とりわけ、これが1000円で観られる60歳以上の人は、一度とは言わず、二度、三度と・・・。
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監督:トム・フーパー
作:アラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルク
ジャン・バルジャン(囚人、市長)/ヒュー・ジャックマン
ジャベール警部/ラッセル・クロウ
ファンテーヌ(女工)/アン・ハサウェイ
コゼット(ファンテーヌの娘)/アマンダ・セイフライド
マリウス・ポンメルシー(革命を志す学生)/エディ・レッドメイン
テナルディエ(コゼットの里親、宿屋の亭主)/サシャ・バロン・コーエン
マダム・テナルディエ(テナルディエの妻)/ヘレナ・ボナム=カーター
エポニーヌ(テナルディエの娘)/サマンサ・バークス
アンジョルラス(革命を志す学生たちのリーダー)/アーロン・トヴェイト
司教/コルム・ウィルキンソン
2012年・イギリス映画・152分
配給/東宝東和
<あのミュージカルがスクリーンに!名曲をタップリと!>
『レ・ミゼラブル』は『キャッツ』や『オペラ座の怪人』などと並ぶ私の大好きなミュージカルの一つで、何回も劇場で観劇したもの。1985年の初演以来、27年間にわたって世界各国での上演が続き、今なおロングラン記録を更新し続けている傑作中の傑作ミュージカルだ。そんなミュージカルがアカデミー賞作品賞の有力候補作としてスクリーンに登場!ジャン・バルジャンを演ずるのは『X‐メン』(00年)のウルヴァリン役で一躍有名になったヒュー・ジャックマン。ジャベール警部にはラッセル・クロウ、そして小さなコゼットを残して死んでいく薄幸の女性ファンテーヌには何とアン・ハサウェイが扮している。
『レ・ミゼラブル』の中で最初に歌われる『囚人の歌』の重々しさ、革命色に染まる激動のパリの街中でアンジョルラス(アーロン・トヴェイト)やマリウス・ポンメルシー(エディ・レッドメイン)など革命を志す学生たちが歌う『民衆の歌』の気高さ、そして宿屋の亭主テナルディエ(サシャ・バロン・コーエン)とその妻マダム・テナルディエ(ヘレナ・ボナム=カーター)が歌うコミカルな『宿屋の主の歌』『裏切りのワルツ』等の楽しさ等は、一度聞いたら忘れられないものばかり。また、ファンテーヌが歌う『ラブリィ・レディ』『夢やぶれて』、子供時代と立場が逆転したコゼット(アマンダ・セイフライド)が歌う『プリュメ街の襲撃』やエポニーヌ(サマンサ・バークス)がマリウスへの気持を歌う『心は愛に溢れて』『オン・マイ・オウン』などもそれぞれ涙を誘う名曲ばかりだ。さらに本作全編を通じて「人間の生き方はいかにあるべきか?」を根源的に問い続けるジャン・バルジャンは『独白』『フー・アム・アイ』『彼を帰して』などの心に残る名曲を歌い続けるし、ジャン・バルジャンと対決しながら自分の価値観の崩壊に耐えきれず最後にはセーヌ河に身を投げて自殺してしまうジャベール警部には、『星よ』と『自殺』という対照的な曲がある。スクリーン上でそんな名曲をタップリと聴くことができる2時間32分はまさに「至福の時間」になるはずだ。
ちなみに、日本のミュージカルの舞台は日本語の歌詞だからわかりやすいといえば確かにわかりやすいが、英語の歌詞には「本場もの」の良さがある。字幕を見ながら聴けば大体わかるレベルの英語が多いから、これを機会に英語の再勉強にも最適だ。
<時代状況の認識をしっかりと!その1>
本作は①1815年、ツーロン②1823年、モントルイユ・シュール・メール③1832年、パリ、という3つの時代を生きるジャン・バルジャンと、それを追うジャベール警部の追跡劇を軸とした物語。ジャン・バルジャンのもともとの罪はパンを盗んだことだが、その後の脱走の罪なども含め計19年間も服役しなければならなかったというのが、1815年当時のフランスの「法律」の実態だ。また、せっかく手に入れた「仮釈放」も名ばかりで、身分証の代わりに「釈放状」を提出しても全く仕事にありつけない状況下では、ジャン・バルジャンが自由に生きる術がないのも当然だ。
もっとも、そうかといって、一夜の宿を提供してくれた司教(コルム・ウィルキンソン)の好意を裏切って銀の食器を盗み出したジャン・バルジャンを見ると、弁護士の私ですら「こりゃ弁解の余地なし」と思ってしまうが、そこで示した司教の対応とは?ここらは世界文学全集の『レ・ミゼラブル(ああ、無情)』を読んでいる人にはおなじみのストーリーだが、そこで更生を誓ったジャン・バルジャンの、その後の人生とは?そんなテーマを考えるについては、そんな時代状況の認識をしっかりと。
<「小事」にこだわらず、骨太のストーリーに注目!>
それから8年後の1823年、ジャン・バルジャンはモントルイユ・シュール・メールでマドレーヌと名を変えて、市長にまで上りつめていたから立派なものだ。まさに犯罪者だって気持さえしっかり持てば更生できることの典型だが、そこにジャベール警部が赴任してきたからヤバイ。そして、ジャベール警部の口から追い求めていたジャン・バルジャンが逮捕された、と聞かされると・・・。
他方、ジャン・バルジャンは市長の傍ら工場経営の実業者としても大成功していたが、彼の工場で問題を起こし、解雇されてしまった女性がファンテーヌ。工場の中で彼女に救いの手をさしのべることのできなかったジャン・バルジャンは、娼婦にまで身を落とし、一人娘コゼットの身を案じながら死んでいこうとするファンテーヌを見て、コゼットの身を守ると約束。しかし、自分こそがジャン・バルジャンだとわざわざ裁判所まで出向いて明らかにしたジャン・バルジャンは、再びジャベール警部から追われる立場になったから、果たしてそんなことができるの?結局ジャン・バルジャンは、「コゼットを救い出すから3日間だけ猶予をくれ」とジャベール警部に懇願しておきながら、再度それを破ってコゼットの保護者として生きる「第3の人生」を歩み始めたわけだが、さてそんなジャン・バルジャンに対するジャベール警部の執拗な追跡は?
なぜ釈放状を破りすてたジャン・バルジャンがモントルイユ・シュール・メールで第2の人生を歩み、実業家として成功し、市長にまで上りつめることができたのか?なぜジャン・バルジャンが1832年のパリに現われるまで、コゼットの保護者としてタップリの資金を持って逃亡の旅を続けることができたのか?それは本作を観ていても必ずしも明らかではないが、そんな「小事」(?)にこだわっていては「大事」が見えなくなってくる。したがって、本作を鑑賞するについてはそんな「小事」を捨て、骨太のストーリーに注目することが大切だ。
<時代状況の認識をしっかりと!その2>
フランス革命が勃発したのは1789年。これは宝塚歌劇の『ベルサイユのばら』でも有名だが、本作で「革命!革命!」と学生たちが高揚しているのは、1832年のパリ。1789年のフランス革命の後もフランスは、①共和制の樹立(1791年)、②ギロチンによるルイ16世とマリー・アントワネットの処刑(1793年1月、10月)、③ロベスピエール主導によるジャコバン党の独裁、④テルミドールの反動(クーデター)(1794年7月)、⑤ブリュメールのクーデターによるナポレオン・ボナパルトの新政府樹立(1799年)と激動の時代が続いた。さらに、ベートーベンの交響曲第3番『英雄』でよく知られているように、フランス革命後の混乱を収拾して軍事独裁政権を樹立したナポレオンは、その卓抜した軍事的才能と政略的才能を発揮して、一時ヨーロッパの大半を支配下に置き、「ナポレオン1世」としてフランス皇帝の地位に就いた(「フランス第一帝政」1804年~1814年もしくは1815年)。しかし、「ワーテルローの戦い」の敗北によってセントヘレナ島に流され、1821年に死亡した。その結果、1814年にブルボン王朝が復活することになった(王政復古)。
ナポレオン失脚後は、ヨーロッパをどのように統治するかについて、各国が集まる「ウィーン会議」の中で話し合われたが、「会議は踊る、されど進まず」という有名な言葉どおり、各国の利害が対立する中その進展はなかった。王政復古によってブルボン王朝が復活したものの、ルイ18世とその後を継いだ弟のシャルル10世は反動的な政治を行ったため、1830年のラファイエット将軍を指導者とする「七月革命」によってシャルル10世は退位し、フランスは「国民王」ルイ・フィリップを国王、ラファイエットを首相とする新たな立憲君主制に移行した。ドラクロワが描く『民衆を導く自由の女神』の有名な絵は、まさにこの「七月革命」のイメージを描いたものだ。ルイ・フィリップは当時の市民(ブルジョワジー)をよく代表していたが、革命の主力であったプロレタリアートがないがしろにされたため次第にその不満が蓄積し、その後の「革命」は労働者や農民の「階級闘争」へと様変わりしていくことになった。本作が描く「1832年、パリ」における学生たちの革命への高揚は、まさにそんな時代なのだ。
日本でも1853年のペリー来航の後、1868年に明治政府が成立するまで、15年間も激動の時代が続いた。さらに明治維新成立後も、1877年の「西南の役」など新政府のあり方をめぐるゴタゴタが続いたが、フランスも日本と同じようなものだったわけだ。
こういう歴史にどこまで興味を持つかはあなた次第だが、少なくとも本作に見る学生たちが目指した革命には、フランス革命のそれとは違うことはしっかり認識する必要がある。もっとも『レ・ミゼラブル』でこの革命のストーリーを登場させるのはあくまでジャン・バルジャンの生き方と、互いに一目惚れしてしまったコゼットとマリウスとの恋の行方を浮かびあがらせるための「道具」だから、それを踏まえたうえで、あの時代状況の認識をしっかりと!
<コゼットもいいが、エポニーヌはもっと魅力的!>
舞台の上で直接観客を前にして演じるミュージカルでは、ダブルキャスト、トリプルキャスト、つまり一人の役を2人、3人の役者が交代で演じることが多い。しかして『レ・ミゼラブル』では、対照的な人物であるジャン・バルジャンとジャベール警部、さらには同じ年頃のコゼットとエポニーヌを複数の役者が交代で演じることがあるから、それはそれで新鮮だった。
本作はジャン・バルジャンとジャベール警部の追跡劇であると同時に、2人の対照的な人生観の激突だが、コゼットとエポニーヌの場合は激動の時代の中で翻弄され、いつの間にか立場が逆転してしまうだけでなく、マリウスとの恋については「勝ち組」と「負け組」に分かれてしまうのが印象的。もちろん客観的に見れば、ジャン・バルジャンという保護者の登場によって、各地を転々としながらも父親(?)の愛情いっぱいに育ち、かつ一目惚れしたマリウスとの恋を成就することができたコゼットのほうが幸せ者だが、私の目には、コゼットの生き方はあくまで受身的。それに対してテナルディエとマダム・テナルディエという何ともケッタイな両親を持つエポニーヌは、小さいときは圧倒的なお嬢様だったものの、激動の時代の中で両親もかつてのボロ儲けの道を閉ざされ、エポニーヌもたくましく生きていかなければならなくなったから大変。そのうえ、大好きなマリウスは自分の方を振り向いてくれず、約10年振りに再会したコゼットにゾッコンだから、こりゃたまったものではない。当然娘心は千々に乱れたはずだから、そんな中でエポニーヌが心の底から歌い上げる曲は名曲ぞろいだ。
他方、ジャン・バルジャンがパリからの脱出を決めたため、急な荷造りの中、コゼットがマリウスに宛てた手紙を見つけたエポニーヌは一度は嫉妬心からそれを隠し、「コゼットは行ってしまった」とマリウスに伝えたのは仕方ない。しかし、バリケードの中でマリウスをかばおうとして敵の銃弾に撃たれたエポニーヌはマリウスに抱かれながら静かに息を引き取ったが、その時コゼットの手紙をマリウスに渡したのは立派なものだ。そんなこんなの微妙な娘心の移り変わりを考えながらエポニーヌの歌うバラードの名曲をしみじみ聴いていると、コゼットもいいが、エポニーヌはもっと魅力的!
<若者たちの、革命への熱い想いに涙!>
中国(中華人民共和国)の国歌は『義勇軍行進曲』だが、これは抗日戦争中に人民の間で広く歌われたもので、文化大革命終結直後の1978年3月に正式に国歌とされたものだ。それに対してフランスの国歌『ラ・マルセイエーズ』は、1795年7月14日に一度は国民公会で国歌として採用されたものの、1804年にナポレオンが皇帝になると、第一帝政から王政復古にかけては公の場で歌うことは禁止された。しかし、1830年の七月革命以降解禁となり、第三共和制下で再び国歌とされた。そして第四共和制の「1946年憲法」でも、第五共和制の「1958年憲法」でも『ラ・マルセイエーズ』は国歌として定められた。
他方、私は1982年にアベル・ガンス監督の無声映画『ナポレオン』(26年)にフランシス・フォード・コッポラ監督がフル・オーケストラの伴奏をつけて上映したものを大阪フェスティバル・ホールで鑑賞し大感激したが、そこではフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』とその変奏曲が何度も何度も効果的に使われていた。このように中国でもフランスでも、時代が激動する中で、広く国民の間で歌われていた曲が国歌とされているから、その国歌には国民の想いがこめられているわけだ。
もともと貴族のお坊ちゃまながら革命に浮かれているマリウスは、ある意味で私たち団塊世代が大挙して参加した1960年代後半の学生運動と似たような感覚だが、革命を目指す学生たちのリーダーであるアンジョルラスは筋金入り!市街戦にはバリケードが不可欠だが、アンジョルラスの号令一下、学生たちが築くバリケードの強固さは?また、それに対する市民たちの協力は?1969年の東大安田講堂での攻防戦は導入された機動隊の前にあっけなく全共闘系学生たちの敗北に終わったが、さてアンジョルラスたちの戦いは?『ABCカフェ』『民衆の歌』『共に飲もう』等の曲を学生たちと共に心の中で口ずさみながらスクリーンを観ていると、一方で大いに気分が高揚するが、その悲しい結末に思わず涙が・・・。
<ファンテーヌに涙!ジャン・バルジャンに涙!そして>
「1832年、パリ」における学生たちの戦いは、結局市民たちの協力を得ることができなかった。そんな中ただ一人ジャン・バルジャンの手によって生き延びることができたマリウスは、コゼットとの結婚という幸せをつかむことになる。フランスはその後、共和主義者、社会主義者たちによる1848年の「二月革命」によって、ルイ・フィリップ王の立憲君主制を終わらせ、第二共和制が成立するわけだが、さてその時マリウスは貴族の立場?それとも民衆の立場?それは1つの興味だが、本作では「革命」への興味はそれくらいにしたい。そして、①囚人としての19年間の生活、②モントルイユ・シュール・メールの市長としての生活、③コゼットの保護者としての流浪の旅の生活、という数奇な3つの人生を歩んできたジャン・バルジャンの最期をしっかり確認したい。
ジャン・バルジャンはコゼットには過去の秘密をまったく語らず、コゼットを託すマリウスだけに秘密を打ち明けた。そして、行き先も告げないままパリを出ていったが、これを見れば彼は自分の寿命が尽きようとしていることは十分に自覚していたはず。したがって、本来ならば一人孤独の中で死んでいくところだが、それでは感動的なフィナーレにはならない。そこで再び登場するのが、既に天国に召されていたファンテーヌだ。さらに、結婚式へ乱入してきたテナルディエとマダム・テナルディエの口からやっとジャン・バルジャンの居場所を聞きだすことができたマリウスも、コゼットと共にジャン・バルジャンのもとへ。ジャン・バルジャンはこんな恵まれた状況で最期を迎えることができるとはまったく考えていなかったはずだ。さあ、ここでジャン・バルジャンからコゼットに渡された一通の手紙には、一体ナニが書かれていたのだろうか?
そんな感動的な展開の中で、4人が歌いあげる『エピローグ』の曲を聴くと、ファンテーヌに涙!そしてジャン・バルジャンに涙!さらに、本作の最後に歌われるのは『民衆の歌―リプライズ』。ミュージカルならではの演出の中、この曲を聴きながらすべての観客は魂の声に感動し、明日への生きる勇気を奮い起こすことができるはずだ。
2012(平成24)年12月10日記