ベラミ 愛を弄ぶ男(イギリス映画・2012年) |
<角川映画試写室>
2013年2月19日鑑賞
2013年2月20日記
フランス語の「Bel Ami」(ベラミ)とは、美貌の友(美しい男友達)という意味。下層の貧しい男でも、美貌さえあれば上流階級の女たちはイチコロ!1890年のパリの社交界を舞台に、モーパッサンが描いたスキャンダラスな世界は興味津々・・・。単なるプレイボーイではなくギラギラした権力欲がなければ面白くないが、そんな主人公ジョルジュに『トワイライト』シリーズのロバート・パティンソンはお似合い?フランスのモロッコ侵攻をめぐる政治問題は120年後の今も共通点があるから、それにも注目しながらこの男の「居直り」と「ふてぶてしさ」をしっかり学びたい。
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監督:デクラン・ドネラン、ニック・オーメロッド
原作:ギィ・ド・モーパッサン『ベラミ』
ジョルジュ・デュロワ(類まれなる美貌を持つ24歳の男)/ロバート・パティンソン
マドレーヌ・フォレスチエ(フォレスチエの妻)/ユマ・サーマン
シャルル・フォレスチエ(ジョルジュの元戦友、マドレーヌの夫)/フィリップ・グレニスター
クロチルド・ド・マレル(社交界の花)/クリスティーナ・リッチ
ヴィルジニ・ルセ(ルセ氏の妻)/クリスティン・スコット・トーマス
ルセ氏(『ラ・ヴィ・フランセーズ』紙の社長、ヴィルジニの夫)/コルム・ミーニー
シュザンヌ・ルセ(適齢期にあるルセ夫妻の愛娘)/ホリデイ・グレインジャー
2012年・イギリス映画・102分
配給/ツイン
<『ベラミ』vs『赤と黒』>
『ベラミ』はフランス語の「Bel Ami」で、「美貌の友(美しい男友達)」という意味だ。原作はフランスの文豪ギィ・ド・モーパッサンの同名小説で、19世紀末のパリのブルジョワ社会を舞台とし、美貌の青年ジョルジュ・デュロワが自己の美貌を武器として女たちを利用し、社会的にのし上がっていくという物語だ。同じように野心に燃えた美貌の青年を主人公とした1830年のフランス文学の名作が、スタンダールの『赤と黒』。こちらの主人公ジュリアンは町長の妻レナール夫人と深い仲になったことを起点として出世街道を駆け上がることになるが、ラストには悲劇的な結末が待ち受けている。また、『赤と黒』のジュリアンの場合は登場する女性は2人だけだが、『ベラミ』の主人公ジョルジュには3人の女性(すべて人妻)との間で展開される奔放な愛(?)が見どころ!そのうえ、ラストにはあっと驚く4人目の女性との結婚という結末が待ち受けているからビックリだ。
フランス映画の『赤と黒』(54年)はジュリアン役を美貌のフランス人俳優ジェラール・フィリップが演じたことによって今日でもデジタルリマスターされるほどの名作中の名作となっている(『シネマルーム24』148頁参照)が、本作は『トワイライト』シリーズ(08~12年)で大フィーバーしたハリウッド俳優のロバート・パティンソンがジョルジュ役を演じている。この男の本質を3つのキーワードで定義すれば、①類まれなる美貌を持つ24歳の男、②アルジェリア帰還兵、③社会的成功と高い身分への飽くなき野心を抱く男、だから、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(02年)(『シネマルーム3』93頁参照)で見たレオナルド・ディカプリオのような甘いフェイスの美男子ではこの役は務まらない。ロバート・パティンソンは1986年生まれだから年齢的にはほぼピッタリ。また、その演技も決して悪くはないが、私にはイマイチ。それは一つにはフランス文学の名作を英語でやることの違和感だが、もう一つは男の私の目から見てロバート・パティンソンってそんなに美男子なの?と思うため。これを『太陽がいっぱい』(60年)の頃のフランスの美男俳優アラン・ドロンがやればピッタリなのに、と思ったが・・・。
<ジョルジュの運のつき始めは?当時のパリの新聞は?>
映画冒頭、惨めな生活を送っているジョルジュの姿が映し出されるが、この手の男は一歩まちがって犯罪にでも走れば、恐ろしいことになりそう・・・。そんなジョルジュにとって、手持ちの銀貨を握りしめて場末の酒場に出向いた夜、偶然、騎兵隊時代の旧友シャルル・フォレスチエ(フィリップ・グレニスター)に出会えたのが運のつき始め。フォレスチエは今、『ラ・ヴィ・フランセーズ』紙の政治部長として羽振りのいい生活を送っていたが、なぜか(旧友のみすぼらしい姿に同情?)彼はジョルジュをディナーに招待してくれたから、そこでジョルジュはフォレスチエの美しい妻マドレーヌ・フォレスチエ(ユマ・サーマン)、マドレーヌの友人で可憐な人妻クロチルド・ド・マレル(クリスティーナ・リッチ)、そして、『ラ・ヴィ・フランセーズ』紙の社長ルセ氏(コルム・ミーニー)の夫人で清楚で上品なヴィルジニ・ルセ(クリスティン・スコット・トーマス)という3人の美しい女性たちと出会うことに。貧乏たらしい雰囲気を一掃し、たとえ貸衣装でもパリッとした服装をすれば、もともとが美男子だから女たちはその美貌にうっとり。
はじめて訪れたディナーの席での彼の会話のネタはアフリカの戦地での思い出話くらいしかないが、ジョルジュにとってはごく平凡な話でもパリに住む上流階級の人々には、また「新聞ネタ」を探しているフォレスチエには新鮮だったらしい。当時のフランスはアフリカのモロッコへの侵攻を計画していたが、それを推し進めようとする勢力と反対する勢力が対立していた。『ラ・ヴィ・フランセーズ』紙は「侵攻反対」の立場だったが、あくまでそれは建て前?本当は面白い記事で新聞さえ売れれば、それでOK?そこまで言わないにしても、1890年当時のパリにおける新聞社や新聞記事のいい加減さが、本作を観ればよくわかる。もっとも、その点は太平洋戦争時代の日本の新聞はもちろん、今の新聞だって大同小異かも・・・。
<ジョルジュの最初の女性は?>
本作で最初にジョルジュがちょっかいを出す(?)のは、シャルルの妻のマドレーヌ。実はジョルジュがコラムで書いている記事も事実上マドレーヌが口述しているくらいで、後の展開を見ればマドレーヌは当時としては珍しく知的で、政治への情熱もすばらしいものを持っている女性だった。そのキーワードは、輝くような美貌、有力なコネ、高い教養、自立の4つだ。そんなマドレーヌがジョルジュのような男に興味を示したのは意外だが、マドレーヌは自分は「愛人にはなりませんよ」と釘をさしたうえで、第1に社長夫人のヴィルジニに取り入るのが出世の近道と教え、第2にクロチルドの夫は留守がち、と思わせぶりな情報を与えたから、ジョルジュは大喜び。上流階級へのし上がりたい一心のジョルジュは自分の武器である美貌を最大限活用して、まず最初は一番身近なクロチルドを訪問することに。そこで、「将を射んとせば先ず馬を射よ」のことわざどおり、クロチルドの幼い一人娘の「ベラミ」として気に入られることに成功したから、後はクロチルドとのベットインに向けて一直線・・・。男と女のやることは昔も今も同じだということがよくわかる。クロチルドは夫が長らく不在で、自分の時間を持て余している美女だったから、まずはそのクロチルドがジョルジュの最初の女性に。
<80年、70年、60年生まれの女優を比較すれば?>
ジョルジュが肉体関係を結んだ最初の上流階級の女性はクロチルドだが、本作中盤のハイライトは盛んに咳をしていたからこりゃひょっとして「肺の病い=結核」と思っていたフォレスチエが死亡した後、直ちにジョルジュが「未亡人」となったマドレーヌに結婚を申し込むシーン。この「口説き」の鮮やかさと、それを予期していたかのようなマドレーヌの19世紀末の上流社会での会話とは思えないような何ともカッコいい返答は見モノだから、それに注目!また、フランスの外交を動かしている政治家をも巻き込んだマドレーヌの政治記事への熱心さも見モノだが、マドレーヌのキーワードの一つである「有力なコネ」の中にはかなり怪しげな影も・・・。
結婚の時の約束どおり(?)、妻(マドレーヌ)は妻で勝手なことをやっているなら、夫(ジョルジュ)だって、いったん切れていたクロチルドとの仲を修復させたり、挙げ句の果ては社長夫人のヴィルジニまで陥落させたりと、ジョルジュの女たらしぶりはますます盛ん。本作には、次から次へと違う女を相手によく身が持つものだと思わせるユーモラスなシーンもあるが、それらの「おつとめ」をきちんとしたうえで、ルセ社長との距離感を保ちつつ政治部長としての威厳を保たなければならないジョルジュも大変だ。
それはともかく、私が注目したのは本作の「華」として登場する3人の女優たちが、若い順に1980年生まれ、70年生まれ、60年生まれだということ。ちょうと10歳ずつ年の離れた美女たちをとっかえひっかえベットに迎えられるのは、まさにジョルジュがベラミなればこそ・・・?
<こんなのあり!?さすがモーパッサンの目は鋭い!>
去る2月8日リクルートの江副浩正社長死亡のニュースが流れたが、1980年代の政界と財界を震撼させた大事件が「リクルート事件」。そこに新聞社の関与があったかどうかは知らないが、本作後半に見るモロッコ侵攻をめぐるルセ社長と政治家そしてマドレーヌたちの「陰謀」は、「リクルート事件」以上だ。だって、新聞の社説では「モロッコには出兵しない」という建て前を強調しておきながら、裏では政治家と結託して出兵準備を進め、モロッコでの大儲けを企んでいるのだから、こりゃタチが悪い。
『ベラミ』の執筆は梅毒を患い死に直面している時期だっただけに、モーパッサンは不正な世の中に対して怒りを覚えていたはず。そうだからこそ、ジョルジュのような嫌味極まりない男(?)を主人公にした本作のような皮肉な物語を描くことができたわけだ。したがって、その目は、こと男と女の不正問題(?)だけではなく、政治の不正面にもしっかり向けられていたわけだ。もちろん、それを仕組んだルセ社長やマドレーヌがエライといえばエライが、ジョルジュが自分は何も知らされていないまま彼らの手の平の上で踊らされていただけだったと知ってしまうと、ジョルジュは・・・。
<この「居直り」と「ふてぶてしさ」は好き?嫌い?>
「粗暴犯」と「知能犯」のどちらが扱いやすいかと言えば、当然「粗暴犯」。推理小説のネタになるような「知能犯」はシャーロック・ホームズや明智小五郎のような名探偵なら解明できても、一般の人がそれに対応するのは到底ムリだ。しかして、ルセ社長やマドレーヌの陰謀にブチ切れてしまったジョルジュが「粗暴犯」的な行動を取ってくれれば、それにて彼のパリ社交界における立場をすべて喪失するから、ルセ社長もマドレーヌもさらに某政治家も安泰。しかし、そんな愚を犯すことのバカバカしさに気づいたジョルジュが、「知能犯」的な行動を取ってくれば・・・?102分という手頃な長さの本作のラストに向けての展開は、すべてのカラクリを知ってしまったジョルジュの知能犯的行動が見どころとなる。
去る2月12日に観た『アンナ・カレーニナ』(12年)では「姦通罪」が問題になっていたが、1890年当時のフランスにも「姦通罪」があったらしい。マドレーヌが「輝くような美貌」をネタにして「有力なコネ」と肉体関係を持っていたことはミエミエだから、絶体絶命の危機に陥ったジョルジュが起死回生の策としてそれを警察にタレ込めば・・・。さらに、いかに魅力的であってもはっきり言って「年増女」のヴィルジニにジョルジュがちょっかいを出したのは、愛情ではなく権力欲のためだったから、いったん肉体関係を持った後にまとわりつかれると、ジョルジュにはうっとうしいことこの上ない。そんな中でジョルジュが思いついた戦略は、ルセ氏とヴィルジニの一人娘シュザンヌ・ルセ(ホリデイ・グレインジャー)の攻略だ。シュザンヌは適齢期に達していたが、私の目にはあまり美人とは言えない(?)だけに、ジョルジュのような「ベラミ」からモーションをかけられるとイチコロ。それが破滅への道であることを知らないまま、ラストシーンでシュザンヌはジョルジュと共にバージンロードを歩くことになるのだが、そこに見るジョルジュの「居直り」と「ふてぶてしさ」を、あなたはどう見る?こんな男のそれは好き?それとも嫌い?
2013(平成25)年2月21日記