デュエリスト(韓国映画・2005年) |
<梅田ピカデリー>
2006年4月23日鑑賞
2006年4月24日記
TVドラマの『チェオクの剣』から「独立」した若い女刑事ナムスンと偽金づくりに絡む”悲しい目”との間でくり広げられるデュエル(決闘)と純愛を描いた映画がコレ・・・。映像の美しさ、そしてデュエルと音楽との融合の完成度はさすがだが、肝心の「立ち回り」は所詮コミックもの・・・?若手代表の美男美女はそれぞれハードなアクションを熱演しているが、さてそれに対するあなたの評価は・・・?
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監督・脚本:イ・ミョンセ
“悲しい目”(刺客)/カン・ドンウォン
ナムスン(女刑事)/ハ・ジウォン
アン刑事(ベテラン刑事)/アン・ソンギ
ソン軍務長官(”悲しい目”の育ての親)/ソン・ヨンチャン
コムストック配給・2005年・韓国映画・104分
<「総力結集」「衝撃の映像美」だが・・・?>
この映画のタイトル『デュエリスト』とは聞き慣れない言葉だが、「デュエル」=duel=決闘、果たし合いだから、「デュエリスト」=duelist=闘う人ということ・・・。
他方、この映画の謳い文句は、「時代を超えて胸に迫る、宿敵同士の切ないラブストーリー」「韓国映画界のドリームチームが総力を注いだ衝撃の映像美」。つまりこの映画は、李王朝時代の朝鮮半島において、偽金事件をめぐって登場する”悲しい目”(カン・ドンウォン)と、その捜査陣の一翼を担う美しき女刑事ナムスン(ハ・ジウォン)という、宿敵同士のラブストーリー。
その状況設定は決して悪くはないうえ、イ・ミョンセ監督がこだわった、雪を多用したスクリーン映像の美しさ、そしてそれとすばらしいコントラストを見せる赤色の配色などの映像美は、たしかにほぼ理想形で実現できている。しかし、残念ながら私の観るところでは、この映画にはさまざまなの弱点が・・・?
話題の韓国映画なら何でも満席というわけにはいかず、日曜夕方の上映にもかかわらず、客席はガラガラ・・・?
<所詮コミック・・・?>
私は1度も観たことはないが、李王朝時代の女刑事の活躍を描いた韓国のTVドラマ『チェオクの剣』は、日本でも大ヒットしたとのこと。『チェオクの剣』の原題は『茶母』、つまり、捕盗庁の茶母=お茶汲み担当の女刑事でありながら、特別に捜査陣に加わった女刑事チェオクが大活躍するのが『チェオクの剣』。そして、この映画でナムスン役として登場する女刑事が、『チェオクの剣』でチェオク役を演じたのと同じハ・ジウォンというわけだ。
いわば、アメリカンコミックの『デアデビル』(03年)の中に登場する女戦士、エレクトラを新たに主人公とした『エレクトラ』(04年)が生まれ、さらに『踊る大捜査線』シリーズから『交渉人 真下正義』(05年)が、新たに独立した主人公として生まれたようなもの(『シネマルーム7』359頁参照)。しかして、この「ナムスン」のキャラクターは?
<これでは美しさが台なし・・・?>
「ナムスン」を演ずるハ・ジウォンは、私が『ボイス』(02年)、『セックス イズ ゼロ』(02年)、『恋する神父』(04年)で観た美人女優。こんな美女が時代劇に登場し、凛々しい(?)女刑事ぶりを見せてくれることは大歓迎。概して、李王朝時代の物語に登場するチマ・チョゴリ姿の女性は、日本の時代劇に登場する女性と同じように、髪形が画一的であまり魅力を感じないことは、『スキャンダル』(03年)で評論したとおり(『シネマルーム4』192頁参照)。
ところがこの映画では、女刑事ナムスンの服装やヘアスタイルそして使用する武器などが工夫されているため、まずその点で魅力的。そのうえ、チマ・チョゴリ姿や黒づくめで帽子をかぶった捕盗庁の役人姿もそれなりにカッコいいもの。やっぱり美人は得だね、と感心することしきり・・・。
ところが意外に気になったのは、ナムスンの口の利き方や時折見せる口をひんまげたりのガラの悪い態度・・・?それは、ナムスンが「方言丸出し、考えるより先に行動が出てしまうお転婆な女刑事」というキャラに設定されたためだが、たとえ原作コミックはそうであったとしても、こんなベッピンを起用するのだから、スクリーン用にはそんな部分は抑えた方がよかったのでは・・・?
<ちょっとカッコつけすぎ・・・?>
他方、”悲しい目”を演じるのは、『オオカミの誘惑』(04年)で大フィーバーした若手イケメン俳優のカン・ドンウォン。セリフがほとんどない中、目と表情だけで、自分を育ててくれたソン軍務長官(ソン・ヨンチャン)への忠誠心(?)やナムスンへの愛をアピールしなければならない今回の役は、かなり重荷だったはず。ダンスと共通するような「大刀回り」は練習のくり返しによっていくらでもうまくなれるだろうが、この、目と表情だけによる演技力は天性のもの・・・。さしずめ日本では、今風に言えば、『御法度』(99年)に登場した松田龍平のような中性的な色合いを持った美剣士、そして昔風に言えば、眠り狂四郎こと市川雷蔵のような(?)ニヒルな性格の美剣士といったところか・・・?
完全にセリフなしの主人公が登場したのは、キム・ギドク監督の『うつせみ』(04年)。また、日本映画の『好きだ、』(05年)も極端にセリフの少ない映画だったから、最近はそんな映画がはやっているのかも・・・?
この映画に登場するカン・ドンウォンが、一生懸命“悲しい目”というニヒルな人物になりきろうと努力していることは認めつつ、やはりちょっとカッコつけすぎでは・・・?もっとも、これはカン・ドンウォンのせいではなく、イ・ミョンセ監督の方針だから仕方ないのかもしれないというのが私の見方・・・?
<2人の「デュエル」ぶりは?>
眠り狂四郎の「円月殺法」は、大刀を両手に持ってゆっくりと回転させていく剣法だが、“悲しい目”の剣の使い方は、大刀を右手に、鞘を左手に持って闘うというかなりイレギュラーなもの。これに対する女刑事は、『エレクトラ』のように、両手に短い大刀を持って闘うスタイルだから、この2人の「デュエル」は本来うまくマッチングしない格闘技戦のはず。一般的に言えば、接近戦ならナムスン、距離をキープすれば“悲しい目”が有利になることがミエミエ・・・。そんな前提を持って、2人が見せる「デュエル」ぶりに注目したが、残念ながらこれが少し肩すかし気味・・・?肝心の部分を映像的に処理してしまっている感じが強く、少しガッカリ・・・。そのうえ、物語がすべて終わり、”悲しい目”が死んでしまったことが報じられた後、思い出すかのように2人の「デュエル」シーンを流しても、もはやそこには全然緊張感なし・・・?
<音楽との融合の狙いは・・・?>
この映画は良くも悪くも、イ・ミョンセ監督好みの新しい趣向がいっぱい。その1つが映像美へのこだわりだが、もう1つは音楽との融合で、「デュエル」シーンを中心としてかなり派手な音楽との融合、一体感が見モノとなっている。北野武監督の『座頭市』(03年)では、タップダンスの音楽をメインとして使うことによって、勝新=座頭市とは全く違うイメージの座頭市をつくり出したが、私はそれはそれで大成功と思っている。それと同じように、この映画における音楽と「デュエル」シーンとの融合はかなり成功している感じ。したがって、肝心の「大刀回り」が、コミックの域を出なかったのが少し残念・・・?
<アン・ソンギの活用ミス・・・?>
“悲しい目”の育ての親がソン軍務長官であるのに対応して(?)、ナムスンの育ての親であるベテラン刑事のアン刑事を演ずるのが、韓国の国民的俳優のアン・ソンギ。彼は、私が1番最初に名前を知った韓国人俳優だが、その存在感はあらゆる映画において群を抜くもので、この映画でもその役割はしっかりとキープ。ところが、ここでもコミックものの映画化のためか、イ・ミョンセ監督はこのアン・ソンギにもすっとん狂な声をあげさせたり、おどけた芝居をさせたりと、あえてコミックファン受けを狙ったような演技をさせている。しかし、これには私は大反対。
偽金づくりの黒幕として、ソン軍務長官がどっしりとした演技を観せているのに対応させて、このアン刑事も、本来のイメージどおりしっかりとした大物刑事というキャラにした方が良かったのでは・・・?その点は、アン・ソンギの活用ミス・・・?
<納得できるセリフと納得できないセリフ>
この映画はストーリー構成はしっかりしているが、セリフよりも映像美や音楽性に重点を置いている感じが強いから、「好み」によって合う人と合わない人がいるだろう。しかし、この映画の中には、印象に残るセリフが2つ。そしてその1つは、なるほどと感心するほど納得できるセリフ。それはソン軍務長官の誕生日を祝う祝宴で見事な剣の舞をした“悲しい目”に対して、ほうびとして差し出された美女が真っ赤なチマ・チョゴリ姿で待つ部屋の中で、ニヒルな主人公“悲しい目”がつぶやくセリフ。それは「世の中には絶えず変わるものが3つある。ひとつは猫の目、ひとつは晩秋の空の色、そしてもうひとつは女性の顔」というもの。なるほど、なるほどと腹の底から納得・・・。
他方、全く納得できないのが、その祝宴の席で贈られた由緒ある日本刀を見て、ソン軍務長官がつぶやく「夏草や 兵どもが夢の跡」のセリフ。何じゃこれは・・・?この松尾芭蕉の俳句と、ソン軍務長官の偽金づくりの陰謀とは、一体どんな関係が・・・?さらに、このセリフはソン軍務長官の最後の闘いのシーンでも、再度つぶやかれるが・・・?
2006(平成18)年4月24日記