愛さえあれば(デンマーク映画・2012年) |
<TOHOシネマズ梅田>
2013年5月18日鑑賞
2013年5月21日記
シリアス性と問題提起性が持ち味のデンマークの女流監督スサンネ・ビアが、本作ではちょっと「軽め」のラブロマンスに挑戦!とは言っても、ハリウッド流の若い美男・美女のそれではなく、乳がんの手術、夫の浮気等々の試練を乗り越えた中年女性のそれだ。見モノは、イタリア南部の太陽と海に囲まれた美しい町ソレントの風景。レモンの香りいっぱいの別荘でくり広げられる結婚式に向けたドタバタ劇を楽しみつつ、そこから生まれてくる大人のラブロマンスをじっくりと味わいたい。
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督:スサンネ・ビア
脚本:アナス・トーマス・イェンセン
フィリップ(イギリス人の会社経営者)/ピアース・ブロスナン
イーダ(夫の浮気が発覚した中年女性)/トリーネ・ディアホルム
アストリッド(イーダの娘)/モリー・ブリキスト・エゲリンド
パトリック(フィリップの息子、アストリッドの婚約者)/セバスチャン・イェセン
ベネディクテ(パトリックの亡き母親の妹)/パプリカ・スティーン
ライフ(イーダの夫)/キム・ボドニア
ティルデ(ライフの浮気相手)/クリスティアーネ・シャウムブルグ=ミューラー
アレッサンドロ(地元の青年、パトリックの友人)/チーロ・ぺトローネ
ケネト(アストリッドの弟)/ミッキー・スキール・ハンセン
2012年・デンマーク映画・116分
配給/ロングライド
<スサンネ・ビア監督が、珍しくラブロマンスに挑戦!>
私はスサンネ・ビア監督の『ある愛の風景』(04年)(『シネマルーム16』70頁参照)と『アフター・ウェディング』(06年)(『シネマルーム16』63頁参照)を07年11月14日に続けて鑑賞し、2本とも星5つをつけた。そして、「デンマークにすごい女性監督を発見!人間描写の深さと独特の映像美は特筆モノで、韓国のキム・ギドク監督を知った時と同じような衝撃が・・・」と絶賛した。その後、次々と彼女が監督した『悲しみが乾くまで』(08年)(『シネマルーム19』245頁参照)、『未来を生きる君たちへ』(10年)(『シネマルーム27』177頁参照)もすべてすばらしい作品だった。そして、そこに共通するのは、すべてテーマの「シリアス性」だった。
そんなスサンネ・ビア監督が、今回は『007』シリーズの『007/ゴールデンアイ』(95年)、『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』(97年)、『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』(99年)、『007/ダイ・アナザー・デイ』(02年)(『シネマルーム2』117頁参照)でジェームズ・ボンド役を務め、近時は『ゴーストライター』(10年)でブレア首相を彷彿させる元英国首相役を見事に演じた(『シネマルーム27』143頁参照)ピアース・ブロスナンと、『未来を生きる君たちへ』で主人公の妻役を演じたトリーネ・ディアホルムを共演させて、大人のラブロマンスに挑戦!ラブロマンスにはイタリアの美しい風景が似合うと考えて彼女が設定した舞台は、南イタリアのソレント。花婿パトリック(セバスチャン・イェセン)の父親で、手広く野菜や果物の製造・販売の会社を経営しているフィリップ(ピアース・ブロスナン)が所有する南イタリアのソレントにある瀟洒な別荘と、その周りを囲うレモンを中心とした果樹園を舞台として展開される大人のラブロマンスは、スサンネ・ビア作品だけにハリウッド発のラブコメとは趣きが違っているが、過去のシリアスな作品とも全く異なり、良い意味での軽さや楽しさがある。さて、そんなスサンネ・ビア監督が挑戦したラブロマンス作品の趣きは・・・?
<本当はシリアスだが、あの女優のように明るく!>
5月14日に公表された、ブラッド・ピットのパートナーで知性とセクシーさを兼ね備えたハリウッド女優アンジェリーナ・ジョリーが、遺伝性がん予防のために両乳腺切除手術を受けたというニュースに全世界はビックリ。何でも、次は卵巣摘出手術も受けるそうだ。この決断に至るまではさまざまな苦悩があったはずだが、それを表に見せないところがさすがに世界的大女優だ。本作では、乳がんの治療を受け続け、今やっとひと区切りついたイーダ(トリーネ・ディアホルム)が、乳房再建を勧める女医に対して「夫はありのままの私が好きなんです」と笑顔で答えるシーンが登場するが、これもすごい。
本作の邦題は『愛さえあれば』、英題は『Love is All You Need』だが、製作段階における仮題は『髪のないヘアドレッサー』。しかし、それって、どういう意味?それは、イーダが鏡台の前で突然ウィッグを取る衝撃的なシーンを見ればすぐにわかる。それまでなびかせていたロングの金髪はすべてウィッグで、長年にわたって乳がんの治療を受けていたイーダの頭髪は全く無くなっていたわけだ。したがって、『髪のないヘアドレッサー』とは何とも皮肉なタイトルだが、スクリーン上で見るイーダはハリウッドのあの女優と同じようにあくまで明るく振る舞っている。しかし、乳がんの治療をめぐって内心ではさまざまな苦悩があったはずだから、イーダはその苦悩をいかに発散していたの・・・?
<この夫婦は仲がいいの?それとも・・・?>
前述のように、主治医に対して堂々と「夫はありのままの私が好きなんです」と言うくらいだから、イーダは愛敬はあるものの小太りでお世辞にもカッコいいとは言えない夫ライフ(キム・ボドニア)とよほどうまくいっているらしい。ソレントにあるフィリップの別荘で結婚式を挙げるため一足先にパトリックと共に現地に赴いている長女のアストリッド(モリー・ブリキスト・エゲリンド)や、軍人になっている弟のケネト(ミッキー・スキール・ハンセン)がいるのだから、この夫婦は2人とも結構いい歳のはずだが、この歳でこれだけ仲が良ければご同慶の至り。そう思っていると、病院から自宅に戻ってきたイーダの目の前で、夫と秘書のティルデ(クリスティアーネ・シャウムブルグ=ミューラー)がエッチの真っ最中だったから、これにはイーダは唖然。そこから普通に予想される展開は、夫婦ゲンカ、別居、離婚だが、さてイーダの場合は・・・?
しかも、イーダのショックは、それだけにとどまらなかった。浮気の現場を何とも奇妙な「男の屁理屈」で逃れたライフは「またソレントの別荘で会おう」と言い残して出ていき、その言葉どおりソレントの別荘に現われたが、何と彼は娘の結婚式に愛人のティルデを同行していた。これにはイーダはもちろんアストリッドも「怒り心頭」だが、ここでもイーダは・・・。これほど夫(の浮気)に寛容なイーダだから、すべてのドタバタ劇(?)が終了して、自宅に戻った後、ライフから「よりを戻してくれ」と言われると、イーダが黙ってうなずいたのはある意味当然かもしれないが、本当にこんな観音様のような妻がいるの?そう思っていると、1960年生まれだから年齢的にはイーダと同年代と思われるスサンネ・ビア監督は、最後の最後に「自立した女」イーダの生きザマを本作でしっかり見せてくれるから、これに注目!この夫婦は仲がいいの?と聞かれると、答えは多分YESだろうが、観音様のような妻イーダが何でも許してくれると思うと、そりゃ大まちがい!
<結婚式前のド派手なパーティーは、いかがなもの?>
アメリカの結婚式に「花嫁付添い人」なるものがあることをはじめて知ったのは『いつか眠りにつく前に』(07年)を観た時(『シネマルーム18』293頁参照)。『幸せになるための27のドレス』(08年)では、27回もドレスをあつらえて花嫁付添い人を務めたヒロインが登場していた(『シネマルーム20』68頁参照)。そんな結婚式はド派手なものと相場が決まっているうえ、アメリカでは結婚式の前に婚約パーティーをやるらしい・・・?そんな予備知識を持っていれば、本作のような結婚式の前日に開催されるパーティーの派手さには驚かないが、そこで展開される「飲めや踊れや」の風景や、そこでくり広げられるさまざまな「男女模様」はちょっとヤバイのでは?と心配になってくる。
その第1は、最愛の妻を亡くした後ずっと寂しい思いをしているフィリップと、彼にしつこくモーションをかけてくる亡き妻の妹であるベネディクテ(パプリカ・スティーン)との男女模様。第2は、結婚式の準備を手伝っている地元の青年アレッサンドロ(チーロ・ぺトローネ)が花嫁アストリッドとのダンスで見せるあまりにも濃厚な態度。第3は、花嫁に対するアレッサンドロの態度に不満をぶちまけたパトリックとアレッサンドロがその後に見せる何とも異様な風景。世の中にはいろいろな愛の形態(?)があるものだ。そして第4は、息子と娘の結婚式の準備とは別路線で進んでいくフィリップとイーダのロマンス(?)だ。
花婿の父フィリップと花嫁の母イーダがコペンハーゲンの空港で最悪の出会いをするシーンはラブロマンスの王道を行く設定だが、その後結婚式のために別荘に一緒に向かった2人が次第に親密になっていくストーリー展開が本作のメインとなる。服もウィッグも脱いで裸になったイーダが、海で泳ぐシーンは美しく一見の価値がある。また「一番好きなのはレモン。レモンのない世界は想像がつかない」と語るイーダなればこそ、レモン果樹園に心血を注ぎながら事業を成功させているフィリップに惹きつけられたのもうなずける。そして極めつけは、空港でトランクを失くしてしまったイーダが、フィリップのカードを借りて購入した赤のドレスと、それを着たイーダの美しさ。これにはイーダの夫のライフもぶったまげたようだが、誰よりも心を奪われたのはフィリップだ。そんな繊細な心の動きを、ピアース・ブロスナンが『007』のジェームズ・ボンド役とは全く異なるスタンスで見事に表現している。結婚式に向けた数日間の別荘生活や結婚式前日のパーティーでこんなあんなの「営み」が続けば、いろいろなハプニングが生まれるのは当然。そう考えると、結婚式前のこんなド派手なパーティーの開催は、いかがなもの?
<成田離婚よりは、この選択の方が・・・?>
本作では父親ライフと息子ケネトの仲は最悪で、一度は殴打事件まで発生してしまうが、母親イーダと娘アストリッド、母親イーダと息子ケネトは、「ベタベタ」をはるかに超える仲の良さ。母と息子が2人並んで海に足を浸しながら語り合う姿は、ソレントの海の美しさとマッチして何とも心地良い。また、新婦アストリッドが新郎パトリックに対する不安をいろいろ訴えるのも、母親に対する信頼あればこそだし、それに対する母親としての対応も理想的だ。もっとも、結婚式を控えた新婦が「セックスレスだから心配なの」と不安を打ち明けるシーンは、さすが「セックスの先進国(?)デンマーク」と思ってしまうが、これほど魅力的な花嫁アストリッドと同じ部屋に寝泊まりしながらパトリックが触れようとしないのは一体なぜ?また、その秘密が暴露された時のアストリッドの反応は?
日本では1990年代後半に「成田離婚」という言葉が流行ったことがある。これは結婚式までは仲が良かったのに、成田空港から飛び立った新婚旅行中に互いのアラが暴露されたため、帰国後すぐに離婚してしまう現象のことで、今風に言えば「スピード離婚」。しかして、アストリッドとパトリックが協力して行っていた結婚式の準備段階で少しずつ表面に出てきた互いのくい違いや、結婚式前日のパーティーで明らかになった決定的な問題とは?本作が描く結婚式のシーンはきわめて簡素なものだが、実はその簡素な結婚式すら挙げることはできず、「私たち結婚しません!」宣言に至るのだが、よくよく考えてみれば成田離婚よりはこの選択の方がはるかにベター・・・?
<この男の潔さは?この女の決断は?>
本作を観ていてつくづく思うのは、スサンネ・ビア監督は女性監督だということ。だからこそ、本作におけるイーダの、夫の浮気をはじめとして一見何ゴトにも寛容そうでありながら、実は一本しっかり筋の通った女性の生き方の描写はすばらしい。しかし、男の私の目から見ると、フィリップという男性の描き方はあまりにカッコ良すぎて少し現実離れしている感がある。その第1は、ちょっとした交通事故で運悪く死亡してしまったらしい妻に対する愛の深さ。そのことがイーダにとってはフィリップに対する信頼のバネにもなるのだが、亡妻の妹ベネディクテからの執拗なアプローチをこっぴどくはねつけるフィリップの姿を見ていると、ホントにこんなカッコいい男がいるの?と思ってしまう。イーダの夫ライフの厚かましさには男の私でもさすがに呆れてしまうから、これを徹底的に叩くシーンには一種の小気味良さがあるが、他方で妻の死後誰とも浮気をせず仕事一筋で生きてきた男フィリップというのはちょっと理想的にすぎるのでは・・・?
その感をさらに強くするのは、別荘での結婚式が結果的にドタバタ劇で終わってしまった後、フィリップがイーダの美容院を訪れて愛を告白するシークエンス。自分の方からここまですべてをさらけ出して告白しているのに、NOの返事をもらったらショックを起こして多少ヤケ気味になっても仕方がないところだが、さてフィリップの場合は?
本作のラストでは、フィリップの潔さと共にイーダの女としてのすごい決断が示されるのでそれに注目したい。もっとも、ゲスの勘ぐり的な心配をすれば、せっかくイーダがフィリップの果樹園を訪れても、愛の告白を断られたショックでフィリップが別の女に目を向けていたら・・・?そういうくだらない想定をしないところがスサンネ・ビア監督の人間に対する深い信頼であり、映画に対する深い愛情なのだが・・・。
2013(平成25)年5月21日記