嘆きのピエタ(韓国映画・2012年) |
<宣伝用DVD鑑賞>
2013年5月25日鑑賞
2013年5月28日記
ピエタ=慈悲深い母の愛をテーマにしたキム・ギドク監督の最新作は、天涯孤独に生きてきた借金取りの男の前に、母親だと名乗る謎の女の登場からスタート。前半1時間は涙の再会物語だが、後半からはキム・ギドク流のマジックが炸裂!若者の変化を操るかのような、この女は誰?その狙いは一体ナニ?女の二度にわたる「劇中劇」による若者の心の変化は痛ましいが、キム・ギドク監督は、後半さらにそれに追い打ちを。そして、常識を覆す前代未聞の愛の結末に唖然!第69回ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞は当然、と納得できる問題作をじっくりと!
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監督・脚本:キム・ギドク
チャン・ミソン(母だと名乗る謎の女)/チョ・ミンス
イ・ガンド(極悪非道な借金取立て屋)/イ・ジョンジン
フンチョル(町工場経営者、腕を機械に突っ込まれる男)/ウ・ギホン
ミョンジャ(フンチョルの妻)/カン・ウンジン
テスン(ガンドが廃ビルから突き落とし足を骨折させる男)/チョ・ジェリョン
テスンの母/イ・ミョンジャ
毒物で自殺する男/ホ・ジュンソク
ギターの男(自ら腕を機械に入れる男)/クォン・セイン
飛び降り自殺をする男/ソン・ムンス
チャン社長(かつてのガンドの雇い主)/ソン・ジョンハク
車椅子の男(ガンドが屋上で車椅子ごと持ち上げて景色を見せてやる男)/チン・ヨンウク
明洞の男/キム・ボムジュン
コンテナに住む男/ユ・ハボク
コンテナに住む男の息子/ソ・ジェギョン
サング(自殺するミソンの息子)/イ・ウォンジャン
2012年・韓国映画・104分
配給/クレストインターナショナル
<久しぶりのキム・ギドク作品は、やっぱりすごい!>
私の大好きな韓国人監督キム・ギドクの前作『アリラン』(11年)は、「ドキュメンタリーともドラマともファンタジーともつかない、極限まで自己露出した」作品だったため、私は「やはりキム・ギドク作品はドラマの方が面白い。ある意味では小屋の中で3年分の充電ができたわけだから、次回作以降はもっと早いペースですばらしいドラマがつくり出されるのでは?次作に期待!」と書いた(『シネマルーム28』206頁参照)。
しかして、久しぶりにキム・ギドク監督の最新作を鑑賞したが、復帰後初のドラマとなる本作で彼は2012年の第69回ベネチア国際映画祭における金獅子賞を受賞した。『サマリア』(04年)(『シネマルーム7』396頁参照)で第54回ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を、『うつせみ』(04年)(『シネマルーム10』318頁参照)で第61回ベネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)を、『アリラン』で第64回カンヌ国際映画祭<ある視点>部門最優秀作品賞を受賞していたから、彼は既に「三冠王」だったが、それに続く更なる快挙に拍手。英題の『PIETA』、邦題の『嘆きのピエタ』における「ピエタ」とは、十字架から降ろされたイエス・キリストを胸に抱く、聖母マリア像のこと。そんな「母の愛」をテーマとした本作のチラシには、日本の女優・岸本加世子そっくり(?)の韓国人女優チャン・ミソン(もっとも、『キネマ旬報』6月上旬号(45頁参照)の「CRITIQUE 3人の映画作家」(文 久保玲子)によれば、小川真由美似と言われている)が聖母のような姿で一人の若者を抱いて映っているから、本作もキリスト教的要素がいっぱい?そう思っていたが、それは全くの誤解で、後半からラストに至る展開は想像を絶するものだ。久しぶりのキム・ギドク作品は、やっぱりすごい!
ちなみに『キネマ旬報』6月上旬号(35頁参照)の「キム・ギドク監督インタビュー」(取材・文 黒田邦雄)によれば、本作の製作費は1億ウォン(約900万円)くらいらしい。日本では1億円の製作費を集めるのもなかなか大変だが、ハリウッドでは何十億円もの製作費をかけた映画はざら。しかし「メジャーの資本を使うとメジャー側との何らかの約束が生じますし、メジャーのスタイルに合わせなければならないということも起こりますから」という理由でキム・ギドク監督は「私の作品の製作費はよそから集めるのではなく自分で捻出しています」というから、偉いものだ。
<韓国には、利息制限法や取立の規制はないの?>
本作冒頭、借金苦によってある男が悲惨な自殺を遂げるシーンが登場する。この若者が本作後半にキーパーソンとして登場してくるサング(イ・ウォンジャン)だ。続いてキム・ギドク監督は、本作の主人公である借金取立て屋の男イ・ガンド(イ・ジョンジン)による借金取立ての様子を詳しく描写していく。ガンドから金を借りている債務者の多くは、ソウル市内の清渓川(チョンゲチョン)周辺にひしめき合って建っている小さな町工場の(個人)経営者。プレスシートによると、ここは幼年時代のキム・ギドクが教科書の入ったカバンの代わりに重い荷物を背負って行き来した時の記憶が刻まれた場所らしいが、韓国にもまだこんなところがあったの?
ガンドは期限までに債務者が借金を返さなかったら、彼らが日々業務として使用している機械の中に自分の指や腕を突っ込ませて身体障害者にさせ、その保険金を受領することによって返済を迫っているらしい。しかも、その利子は元金の10倍にも膨らむそうだから、そりゃムチャクチャ。韓国には日本のような利息制限法や取立の規制はないの?それはともかく、ガンドがそんな血も涙もない借金取立てができるのは、彼が生まれてこの方30年、親の顔も知らず、天涯孤独に生きてきたかららしい。本来は韓流イケメンスターであるイ・ジョンジンが、本作ではそんなガンドの役になりきった熱演を見せているので、まずはそれに注目!
<この債務者も地獄、あの債務者も地獄!>
たしかにガンドは体格がいいから、それだけで相手に対する威嚇効果は十分。しかし、本当の意味でのヤクザの構成員ではなく、単なるチンピラの一匹狼にすぎないことが、ストーリー中盤かつてガンドの雇い主であったチャン社長(ソン・ジョンハク)を訪ねていくストーリー展開の中で見えてくる。ガンドが借金の取立てに赴く時に護身用の武器として携帯するのはナイフ一本だけだから、債務者が本気でガンドに反抗しようとすれば、きっと反抗できるはず。しかし、天涯孤独のガンドが持っている特有の暗さや虚無感が独特の圧力になっているためか、債務者たちは否応なく自分の腕を機械に入れたり、高いところから飛び降りて足を骨折させたりせざるをえなくなっているようだ。何ゴトにも「弱者」に優しくなっている今の日本では、本作のような描き方で借金の取立て状況をスクリーン上で見せれば非難ごうごうだろうが、キム・ギドク監督ならそれもOK!
そんな金貸しから金を借りたら、この債務者も地獄、あの債務者も地獄だが、ガンドによって身体障害者にされたり自殺を余儀なくされた債務者たちは次のとおりだ。
①妻のミョンジャ(カン・ウンジン)が借金の代わりに身を投げ出そうとしても一顧だにされず、結局ガンドによって腕を機械に突っ込まれてしまう、町の工場経営者フンチョル(ウ・ギホン)
②母親(イ・ミョンジャ)の目の前で廃ビルの屋上に連れて行かれた挙げ句、屋上から突き落とされ、それでもまだ足が骨折していないとみるや、ガンドから蹴り倒されることによって足を骨折させられてしまう町の工場経営者テスン(チョ・ジェリョン)
③ガンドが借金取立てのために訪問すると、既に毒物を飲んで自殺していた町の工場経営者(ホ・ジュンソク)
④他の債務者とは全く異質で、子供が産まれるために金が必要だとして、自らの腕を機械の中に突っ込み保険金を受領しようとするギターの大好きな男(クォン・セイン)。彼は腕がなくなればギターを弾けなくなるので、そのギターをガンドにやると申し出たが、それに対してガンドは?さらに、そんなギター男の姿勢を見てガンドははじめて借金を棒引きにしてしまうという選択をしたが、逆にギター男の方は・・・?
⑤清渓川周辺の工場の様子が変わってしまったことを嘆き、もはや生きる望みもなくなってしまったとガンドに話しながら、自らビルの屋上に上り、飛び降り自殺をしてしまう町の工場経営者(ソン・ムンス)。
キム・ギドク監督は冒頭におけるサングの自殺シーンに続いて、ガンドによる冷酷無比な取立てシーンを次々と見せつけてくれるため弁護士の私ですら息苦しくなってくるが、彼らの一部は本作後半に全く立場が逆転した形で再登場してくるので、それにも注目!
<いきなり、「お前を捨てた母親だ」と言われても・・・>
本作前半の見どころは、本作でガンドの母親と名乗るチャン・ミソン役を演じて第49回大鐘賞映画祭主演女優賞等を受賞したチョ・ミンスの迫真の演技だ。誰だって「お前を捨ててゴメンね」「私がお前の母親だよ」と言われて、「ああ、そうですか」「お母さん、お久しぶりです」と言えるはずがない。したがって、ある日突然「お前を捨ててゴメンね」と言いながら現われた、日本の女優・岸本加世子そっくり(?)の中年女ミソンをガンドが邪見に追っ払ったのは当然だ。本作前半では、その後にミソンが見せるしつこさ(執拗さ?)が面白い。
韓国では独身男の食事事情が日本とは大きく異なることが、ガンドが夕食用に生きたまま持って帰ってくるニワトリや、それを一人でさばいてスープにして食べている様子を見ていると、よくわかる。それは、ミソンが「たまのご馳走用に」と持ち帰る、生きたままのウナギを見ても同じだ。もっとも、このウナギの首には「チャン・ミソン」という名前と携帯の電話番号が記された1枚のカードがくくりつけられていたから、「食べる」という目的の他に何らかの意図があったことは明らかだ。追っ払っても追っ払っても近づいてくる様子はある意味ストーカーだし、いくら「母親の証拠を見せろ」と詰め寄ってもその証拠を何も出さないのだから、ガンドは決してこの女を母親扱いする必要はないはずだが、スクリーンを見ていると、ガンドは次第に・・・。
なぜ、こんな風になっていくの?と不思議に思えるところへ、説得力を持って導いていくのがキム・ギドク流だ。キム・ギドク監督がスクリーン上で見せるこんな出来事、あんな出来事によって、いつしかガンドはミソンを母親として受け入れていくことになったばかりでなく、今やガンドにとってミソンは何よりもかけがえのない存在に。こんなストーリー構成は、まさにキム・ギドク流マジック!
<きっちり1時間後から、大きな変化が・・・>
本作のプレスシートには「常識を覆す前代未聞の愛の結末に、世界が激しく胸を揺さぶられた、魂のサスペンス・ドラマ。」と書かれているし、「そして、世界が言葉を失った、ある愛のカタチ。この愛は、本物か、偽物か―。」とも書かれている。パク・チャヌク監督の『イノセント・ガーデン』(12年)の「衝撃の結末」もすごかった(『シネマルーム30』131頁参照)が、そんな風に書かれている本作の結末を、そう簡単にネタばらしすることができないのは当然。しかし、「その結末はあなた自身の目でしっかりと!」と書いただけでは逆に納得してもらえないと思うので、多少の(かなりの?)ネタばらしは覚悟の上で、「衝撃の結末」に向かっていくストーリーのポイントを紹介したい。
自分を捨てた母親と名乗る女ミソンとの再会から数日後。今やガンドにとってかけがえのない存在になっていたミソンが少しずつ「微妙な行動」をとり始めると共に、その表情にも少し変化が見られるので、まずはそれに要注目。その「変化」が現われ始めるのは映画がスタートしてちょうど1時間後だから、さすがキム・ギドク監督、時間配分もうまい。ガンドも馬鹿ではないから、これまで苛酷な借金取立て業をやってきたことのマイナス面として、保険金を受け取るために身体障害者にされてしまった、あの債務者、この債務者から恨まれていることは十分わかっていた。したがって、それまでの守るべきものが何もなかった状態から、大切に守るべき母親という存在ができたことによって、ガンドの気持の持ち方に大きな変化が生じたのは当然だ。
そんなガンドの具体的な変化は、ギター男に対する取立てや、ビルの屋上で偶然出会った見ず知らずの車イスの男(チン・ヨンウク)に対してガンドが見せる意外に優しい行動に顕著だから、それを見逃さないようにしたい。そんなガンドは今や、借金取立てに赴く時にはミソンに対して「俺が留守の時は、誰が来てもドアを開けるな!何かあったらすぐにケータイに電話しろ!」と指示するようになっていたが、ある日ガンドが恐れていたそんな「事件」が発生したから大変!ミソンを襲い、拉致した奴は一体誰だ!債務者のリストを調べながらそれを考えていくと、ガンドはあらためて自分を恨んでいる人物の多さにビックリ!しかし、今はそんなコトを考えている時ではない。とにかく、手あたり次第に俺に恨みを持つ奴らを訪問し、謝って母親をとり戻さなければ・・・。そう考えて懸命に動き始めるガンドの姿が何ともいじらしい。そこで新たに登場する、ガンドによって身体障害者にされたかつての債務者が、コンテナに住む男(ユ・ハボク)。目の前に現われたガンドに対して復讐できない父親に代わって、その小さな息子(ソ・ジェギョン)が「父親の仇!」とばかりに鉛筆でガンドの身体をグサリと刺したが・・・。また、犯人はひょっとして明洞の男(キム・ボムジュン)ではないかと考えてそこを訪れたガンドだったが、見事にそれも空振り・・・。しかし、そんな風にガンドを動かしているのは実は・・・?アレレ、こりゃ一体どういうこと・・・?
<このセーターは誰のために?ミソンの真の狙いは?>
いつの間にかガンドの部屋に定住し、ガンドが仕事から帰るのを待つ間に食事の用意をしているミソンだったが、そのミソンはいつの頃からか一生懸命にセーターを編んでいた。そんなミソンから「今日はガンドの誕生日だからケーキを買ってきて」と頼まれたガンドが、そのセーターはてっきり自分への誕生日プレゼントと考えたのは当然だが、実はそれは早とちり!ミソンが編んでいたこのセーターを着せる人物は、さて・・・?
他方、ある日ミソンはガンドに対して清渓川すぐ近くに松の木を1本植えてくれ、そして自分が死んだらその木の下に埋めてくれと頼んだが、それは一体何のため?「衝撃の結末」に至るまでのあっと驚く終盤の展開は、前半あれほど丹念に構成され、ある意味で涙を誘った30年ぶりの母と子の再会と和解の物語を、キム・ギドク監督自身がいとも簡単に崩壊させてしまうことだ。ミソンがガンドの真の母親でないとしたら、ミソンはなぜガンドに対してそんな行動を?そして、ミソンが今編んでいるセーターは、一体誰のため?本作冒頭には借金のために自ら命を絶つ青年サングの姿が登場したが、終盤に向けてはそのサングの遺体が入った冷蔵庫を前に泣き崩れるミソンの姿が登場する。しかして、これは一体ナニ?ここまでの展開を見れば、ミソンがガンドの母親だと名乗っていたのはどうもウソらしいことがわかるが、それならばミソンは一体何の目的でそんな行動を・・・?それは、更にストーリーが「衝撃の結末」に向けて進まなければ、わからないはずだ。
<ミソンが見せる「劇中劇」のすばらしさをタップリと!>
日本の武士社会では切腹は武士の誉れと教育されていたが、韓国人の約30%が信仰しているキリスト教では自殺は厳禁!しかも、本作は十字架から降ろされたイエス・キリストを胸に抱くピエタすなわち「慈悲深き母性愛の象徴」をテーマにした映画だから、前半1時間だけで終われば万人が納得できる母と子のための教育映画になるかもしれない。しかし、キム・ギドク監督がつくりたかったのはそんな映画ではなく、人間の恨み、つらみ、復讐心、そして人間が必然的に持つ罪と罰、そんなものをすべて含んだ奥の深い人間ドラマだから、「衝撃の結末」はまだまだ・・・。本作で『シークレット・サンシャイン』(07年)(『シネマルーム19』66頁参照)のチョン・ドヨンと『ポエトリー アグネスの詩』(10年)(『シネマルーム28』235頁参照)のユン・ジョンヒの間の世代の女優であるチョ・ミンスが第49回大鐘賞映画祭主演女優賞等を受賞したのは、本作におけるセリフの少ない凄味のある演技はもちろんだが、本作で二度にわたって見せてくれる「劇中劇」での達者な演技が大いに寄与しているはずだ。
その一度目は、ガンドの部屋の中でケータイを片手に賊に襲われたとみせかける臨場感あふれる劇中劇。そして、もう一つは、「衝撃の結末」に向けた、飛び降り自殺の劇中劇だ。かつてガンドは、債務者の一人である町工場の経営者テスンを廃ビルの屋上から蹴落としたうえ、それでも足を骨折していないとみるや、自らの足で蹴りつけて身体障害者にしたが、今ミソンの後ろにはそれと同じことを迫る某人物が・・・。否応なくそんな場面に出くわしたガンドは地面に頭をこすりつけ、大声で泣き叫びながら「俺を身代わりにしてくれ!」と懇願したが、それにもかかわらず今ガンドが目の前に見た風景とは・・・?本作では、チョ・ミンスが二度にわたって見せるそんな「劇中劇」のすばらしさをタップリと!
<「衝撃の結末」は、さらにその先に・・・>
本作前半に見た冷酷無比な借金取立て男のガンドが、ギター男に見せた態度には誰もがアレレと驚いたが、「衝撃の結末」に向けてあれよあれよと突き進んでいくストーリー展開は意外、意外の連続となる。借金が返せないことによって身体障害者にされてしまい、今や妻ミョンジャの野菜を売る働きだけでかろうじて生き長らえているフンチョルの人生は惨めなものだ。したがって、そんな夫婦の目の前に再度ガンドが無防備な状態で現われれば、ミョンジャから「法律がなければ殺してやりたい!」と罵られるのは当然だ。
ミソンの遺言どおり、ミソンをあの日植えた松の木の下に埋めたガンドは、そこにあのセーターを着せられて埋められているサングの死体を発見!これによってガンドはすべてを理解したが、さてそこからのガンドの行動は?それこそ誰もが想像しえないキム・ギドク監督特有の「衝撃の結末」だ。フンチョルとミョンジャ夫妻が住むコンテナを訪れたガンドは、その日フンチョルの求めに応じていくばくかの金を投げ与えて出ていったが、その翌朝ミョンジャが起き出して車に乗り、野菜売りの仕事に出掛けようとした時、ガンドは・・・?
前述したようにキリスト教では自殺は厳禁のはずだが、自らの罪の深さをここまで思い知らされたガンドがここで取る行動にビックリ!なるほど、ここまでの「衝撃の結末」は、いくら長年のキム・ギドクのファンでも予測不可能では・・・?
2013(平成25)年5月28日記