マイヤーリング(アメリカ映画・1957年) |
<テアトル梅田>
2014年1月17日鑑賞
2014年1月22日記
1989年にはベルリンの壁が崩壊し、天安門事件が起きたが、その100年前にはオーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンで「マイヤーリング事件」という世紀の皇室スキャンダルが!『うたかたの戀』として何度も映画化されたラブストーリーは華やかで美しいが、その結末はいかにも幼稚。
殺人罪か同意殺人罪かという法的判断は不粋だが、法科大学院の教材として上映するのも一興では?
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製作・監督:アナトール・リトヴァク
原作:クロード・アネ
マリー・ヴェッツェラ(17歳の男爵令嬢)/オードリー・ヘプバーン
ルドルフ(皇太子)/メル・ファーラー
ターフェ首相/レイモンド・マッセイ
ブロードメディア・スタジオ配給・1957年・アメリカ映画・75分
<『うたかたの戀』は1946年の名画の一本!>
私は『週刊20世紀シネマ館』を愛読しているが、そのNo.13(1946年/昭和21年)で、「1946年の名画」(日本での公開年が基準)として取りあげているのが、『うたかたの戀』(36年)。同誌では、「アメリカでは、37年度のニューヨーク批判家協会賞外国映画賞を受賞。しかし、日本での公開は、戦後の46年になってからである。公開がこれだけ遅れたのは、戦争をはさんだうえに、映画が皇室のスキャンダルを扱っていたため、検閲を通らなかったことによる。」と説明されているが、さて皇室のスキャンダルとは?
「1889年1月30日、オーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルグ二重帝国)の都ウィーンの森に、2発の銃声が轟いた。森の中のマイヤーリングの別荘で、帝国の未来を担うべきルドルフ皇太子が、17歳の男爵令嬢マリー・ヴェツェラとの悲恋の末、心中を遂げたのである――。」同誌には、そう書かれている。1936年に製作された『うたかたの戀』は、この史実を下敷きにして書かれたクロード・アネの小説を映画化したもので、歴史に残る“皇室スキャンダル”は、この作品で、妖しく優雅に描かれているらしい。ベルリンの壁が崩壊し、天安門事件が起きた1989年の100年前には、こんな皇室スキャンダルがあったわけだ。
1949年生まれの私は、もちろんリアルタイムでこの映画を観ていない。私が観たのは、1969年のテレンス・ヤング監督の『うたかたの恋』。『アラビアのロレンス』(62年)で強い印象を残したオマー・シャリフと、絶世の美人として当時絶頂期を誇っていたフランスの名花カトリーヌ・ドヌーヴの顔合わせだから、最高にロンマンティックな映画になっていたことを、今でもよく覚えている。華やかな雰囲気の中で美男美女が展開する恋物語はたしかに一面ではロマンティックだが、一歩退いて考えてみると、「なんじゃ!この皇太子の生き方は!」となるのは当然!
<こんなすごいTVドラマがあったとは!だが画質は?>
現在の日本のTVドラマは「NHKの大河ドラマ」以外は安上がりな「一丁あがり方式」になっているが、パンフレットにある「プロダクションノート」によれば、「1950年代で最も高コストなライブ番組」と言われたのが、NBCのスペシャル娯楽シリーズ。1954年10月18日を皮切りに、3シーズンにわたってほぼ月1回のペースで放送されたそうだ。そこでは、「オペラ、バレエ、音楽ライブなどをTVサイズに仕立てて放送する場合もあり、とくにブロードウェイで初演が始まったばかりのミュージカル『ピーター・パン』の放送は人気を集めた」というからすごい。さらに、映画スターの主演を売りにしたドラマ作品も多かったそうだが、驚くべきは、このTVドラマはすべて大がかりなセットの中での1回きりの「生放送」だったということと、制作費が1分間で200~300万円もかかっていたということだ。そんな生放送のTV番組が、なぜ今映画に?
当然そんな疑問が湧くが、「当時のテレビ映像の主な録画手段は、ブラウン管に映った画像を16mm映画フィルムで撮影するキネスコープ・レコーディング(略称キネコ)で、『マイヤーリング』もこの方法で撮影・モノクロ保存された」そうだ。そのキネコ版『マイヤーリング』を、近年飛躍的に進歩したデジタル技術によって復元したのが本作というわけだ。なるほど、なるほど・・・。そう思って、映画館でスクリーンを観たが・・・。
いかに復元したといっても、やっぱり元が1957年当時にTV放送されたもののキネコ版だから、当然カラーではなく白黒であるうえ、画像がメチャ悪い。それでもヘプバーンの美しさが変わらないのは不幸中の幸いだったが、やっぱり画質がこれだけ悪ければ、近時の美しい画像に慣れている目にはちょっと・・・。
<こんな息子を持ったら、困ったもの・・・>
男の子には誰でも反抗期があり、父親の権威に反抗するものだが、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の息子で、皇太子殿下のルドルフ(メル・ファーラー)の場合は、その反抗が自由主義者の親友を信奉することと結びついていたから、かなりやっかい。しかし、皇太子たるもの、自分の思想信条や自分の友人関係を超越して、次の皇帝に就く準備をするのが当然の義務なのでは?ところが、ルドルフは半分そう考えて、父親に勧められる(命じられる?)まま好きでもない女性と結婚し、「帝王学」を学んでいた(?)が、あとの半分はイヤイヤだから、実際は女遊びと酒浸りの毎日だったらしい。今ドキ日本でこんな皇太子がいれば大ゴトだが、マスコミの発達していない19世紀末はまだマシ?しかし、社交界ではルドルフのプレイボーイぶりは既に有名になっていたから、そんなバカ息子をもったヨーゼフ1世は困ったもの・・・。
<一目ボレから、夢のようなラブストーリーが・・・>
ターフェ首相(レイモンド・マッセイ)による監視の目をかいくぐって、連日まちの中で遊んでいたルドルフの目に、ある日偶然目にとまったのが17歳の娘マリー・ヴェッツェラ(オードリー・ヘプバーン)。その清楚な美しさに一目ボレしたルドルフは、以降一途にモーションをかけ、マリーもそれに応えたから、本作中盤は美男・美女のそんな夢のようなラブストーリーの展開を楽しみたい。
もっとも、それまでルドルフが付き合ってきた女はすべてルドルフの地位、名誉、カネのどれかを狙う不純な動機だったから、ルドルフは時としてマリーに対してもそんな疑惑を向けたが、さてマリーは・・・?
1954年の舞台『オンディーヌ』での共演を契機として、同年9月に結婚したオードリー・ヘプバーンとメル・ファーラーは、1956年の『戦争と平和』に続いて本作でもカメラの前でラブストーリーを展開したが、これは実生活と同じようなものだ。したがって、この2人は実生活でも、『戦争と平和』でも、そして本作でも、すばらしいラブストーリーを三度も・・・。
<紆余曲折の末に、この悲劇とは・・・>
日本でも『心中天網島』という近松門左衛門作のすばらしい「心中モノ」があるが、これは心中に至るまでの経過に涙を誘うものがある。しかし、本作にみる「マイヤーリング事件」なる、「歴史に残る皇室スキャンダル」は、私たち庶民の目にはあまりにも現実感が乏しいものだ。そもそも、ルドルフがローマ教皇に願い出れば、「離婚を認めてくれるのでは?」と考えたこと自体が甘すぎるし、父親である皇帝に対して「今度ばかりは自分の意思を貫きます!」と宣言しても、「別れないなら一生出られない修道院にマリーを入れる」と恫喝されると打つ手はなく、「もう一度彼女に会いたい」と懇願するしかできないのだから、所詮力の差は明らかだ。
しかして、もう一度だけ会うことが許された舞踏会の席で、ルドルフは人目もはばからずマリーとダンスを踊ったが、それは所詮自己満足。「私が遠い所に長い間行ってしまったとしたら?」との問いかけに、マリーが、「一緒に行く。どこへでも行くわ」と答えてくれたのをいいことに、ルドルフはマリーを連れてマイヤーリングの狩猟館へ赴いたが、さてそこでルドルフができることは・・・?紆余曲折の末に、この悲劇とは・・・。
たしかに、華々しい貴族社会の中での美しいラブストーリーだが、ハッキリ言ってルドルフが選んだこの結末は如何なもの・・・?
<刑法的に考えると、これは心中?それとも殺人罪?>
ちなみに、「心中」で一方が生き残った場合に、その人は罪に問われないの?それについては、刑法上の犯罪の成否という意味では、生き残ったか否かは無関係だが、現実には一方が生き残った場合にのみ、裁判でその罪が問われることになる。その場合、無罪という考え方は少なく、殺人罪になるのかそれとも同意殺人罪(ですむの)か、という議論が焦点だ。
そんな観点から見ると、マイヤーリング事件では、ルドルフは眠っているマリーの頭に銃弾を撃ち込んで殺しただけだから、マリーの「明確な」心中の同意をとっていないことは明らかだ。したがって、そこでは「同意の有無」と、ルドルフがマリーの同意を得たと考えたことについて錯誤があったか否かが論点になる。したがって、仮にルドルフが生き残った場合、彼は刑法的には少なくとも同意殺人罪に、私の予想では多分殺人事件になるはずだ。本作のようなラブストーリーについて、殺人か同意殺人罪かの法的判断の議論は不粋だが、法科大学院の教材として上映するのも一興では?
2014(平成26)年1月22日記