美しき運命の傷痕(フランス、イタリア、ベルギー、日本合作映画・2005年) |
<テアトル梅田>
2006年5月2日鑑賞
2006年5月3日記
主人公は美しい三姉妹とその母親。『宋家の三姉妹』(97年)は近代中国の歴史に大きな足跡を残したが、この映画における三姉妹とその母親はそれぞれ男性との愛に悩み傷つき、そして人間の「運命」と「偶然」に翻弄されていくことに・・・。的を得た邦題にも感心したが、ポーランドの巨匠キェシロフスキ監督がダンテの『神曲』に想を得て書いた「天国」「地獄」「煉獄」の三部作のうち、「地獄」をベースにして、タノヴィッチ監督がつくったこの映画がアピールする問いかけは実に深く重いものが・・・。しかし、この映画をより深く理解するためには、かなり突っ込んだ勉強が必要だよ・・・。
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監督・脚色:ダニス・タノヴィッチ
原案:クシシュトフ・キェシロフスキ
ソフィ(長女ー36歳)/エマニュエル・ベアール
セリーヌ(次女ー32歳)/カリン・ヴィアール
アンヌ(三女ー大学生)/マリー・ジラン
マリー(三姉妹の母親)/キャロル・ブーケ
フレデリック(教授・アンヌの不倫相手)/ジャック・ペラン
ピエール(ソフィの夫)/ジャック・ガンブラン
セバスチャン(父親の教え子)/ギョーム・カネ
アントワーヌ(三姉妹の父親)/ミキ・マノイロヴィッチ
ジュリー(ピエールの浮気相手)/マリアム・ダボ
ジョセフィーヌ(アンヌの友人、フレデリックの娘)/ガエル・ボナ
ビターズ・エンド配給・2005年・フランス、イタリア、ベルギー、日本合作映画・102分
<「運命」と「偶然」VS「宿命」>
この映画は、映画監督であるクシシュトフ・キェシロフスキの永遠のテーマである「運命」と「偶然」をめぐる問いかけを「地獄」という背景の中で描いたもの(?)だが、これを観ていて私が思い浮かべたのが、松本清張の原作を映画化した日本映画の最高傑作である野村芳太郎監督の『砂の器』(74年)。殺人事件の発生、被害者が言い残した「カメダ」という言葉だけを頼りにした捜査の開始という、松本清張特有のサスペンス風の展開の中で描かれる映画のテーマは、巡礼の旅回りをする親子の姿から始まる父と子の「宿命」・・・。今は成人し、社会的な大成功をおさめた新進音楽家が作曲した美しいピアノ協奏曲『宿命』がコンサートホールで演奏される中、遂に逮捕状の執行が・・・。
この『砂の器』は、日本人作家による原作と日本人監督・俳優による映画だから、観ているとその「宿命」というテーマを自然に実感することができる。しかし、『美しき運命の傷痕』の背景となる「地獄」や、そのテーマである「運命」と「偶然」の意味をきちんと理解するためには、かなり突っ込んだ勉強が必要。
私が必要だと思うその勉強のテーマは、第1に原作のキェシロフスキ監督とはどんな人?第2にキェシロフスキ監督がダンテの『神曲』に想を得て書いた「天国」「地獄」「煉獄」の三部作とはどんな本?そして第3に、この『美しき運命の傷痕』を監督したダニス・タノヴィッチ監督とはどんな人・・・、さらにあえて言えば第4に「王女メディア」の物語とは・・・?という4点。したがって、この映画パンフレットはもちろん、それ以外にも勉強すべきネタがいっぱい・・・。
<勉強その1 クシシュトフ・キェシロフスキ監督とは?>
私はこれまで知らなかったが、1941年にポーランドで生まれ1996年3月13日に54歳で死亡したキェシロフスキ監督は、そりゃすごい監督であることが、今日パンフレットとともに購入した『キェシロフスキ・コレクション~ゆらめく愛の輪郭/ワルシャワからパリへ~』(2003年)を読んでよくわかった。キェシロフスキ監督は、初期のドキュメンタリー映画が25作品、1976年の『傷跡』以降のドラマが23作品、計48作品を残しているが、その中では『ふたりのベロニカ』(91年)と『トリコロール』三部作と言われる『トリコロール/青の愛』(93年)、『トリコロール/白の愛』(94年)、『トリコロール/赤の愛』(94年)が有名とのこと。その詳細は、今晩5月3日に『ふたりのベロニカ』を観た後、じっくりと・・・。
<勉強その2 「天国」「地獄」「煉獄」三部作とは?>
ダンテの『神曲』は、その名前は知っていても、それをまともに読んだことのある日本人など、まずいないはず・・・。ところがキェシロフスキ監督が、このダンテの『神曲』に想を得て(原案にして)書きあげたのが、「天国」「地獄」「煉獄」の三部作。その「天国」編は、既にドイツのトム・ティクヴァ監督がケイト・ブランシェットとジョヴァンニ・リビージの共演で『ヘブン』(01年)として映画化しているとのことだが、残念ながら私はそれを観ていない。また、パンフレットによると、タノヴィッチ監督は最初「煉獄」に惹かれたが、プロデューサーの助言もあって、再検討した結果、「女性の登場人物への内面的なアプローチに惹かれた」ことによって、「地獄」に取り組むことになったらしい。したがって、そこには男女間のトラブルを中心として、人間の内面の本質に迫る物語が次々と登場するが、その根本には地獄が・・・。
<勉強その3 ダニス・タノヴィッチ監督とは?>
ダニス・タノヴィッチ監督も、私はこれまで全然知らなかった人物だが、彼は1969年に旧ユーゴスラビア、現ボスニア・ヘルツェゴヴィナで生まれた若手監督。若い時から映画の道に進むことを決めた彼は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおいて、ユーゴスラビアからの独立をめぐって展開されたムスリム、セルビア、クロアチアの民族紛争=内戦を自らカメラを持って取材し、内戦後はドキュメント短編を発表していたとのこと。そして2000年の長編デビュー作『ノー・マンズ・ランド』で、さまざまな賞を受賞して世界的に認められたとのこと。そして、この『美しき運命の傷痕』は、タノヴィッチ監督の長編第2作。
1941年にポーランドで生まれたキェシロフスキ監督は、共産主義体制VS反体制運動の闘い、そしてワレサ率いる自主管理労組「連帯」による改革闘争→戒厳令(81年)→共産主義政権の崩壊(89年)という政治・軍事闘争の中に否応なくおかれることに。それと同じような(?)、ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおける厳しい「内戦」を体験したタノヴィッチ監督は、当然このキェシロフスキ監督を意識していたはず・・・?
そんなキェシロフスキ監督の遺作である「天国」「地獄」「煉獄」三部作を映画化するのは、このタノヴィッチ監督が一番・・・?私はこのタノヴィッチ監督が描いた『美しき運命の傷痕』に大きな感動を受けたが、仮にキェシロフスキ監督が自ら「地獄」編を映画化していれば、果たしてどんなものになっていたのだろうか・・・?そんな比較ができればそれは最高のぜいたくだが、それは所詮かなわぬ夢・・・?
<勉強その4 王女メディアの物語とは?>
「王女メディア」は日本でもよく芝居や演劇で上演されるが、彼女は古代アテネの三代悲劇詩人エウリピデスの代表作『メディア』における、嫉妬復讐の固まりのような激しい女性として有名。苦労の末、やっと結婚できたにもかかわらず、その夫が自分と子供を捨てて、他の国の国王の娘と婚約したことに怒ったメディアは、婚約者の女性を焼き殺したうえ、夫への復讐のために、実の子供まで殺してしまうという徹底した復讐ぶりだから、そんな彼女はまさに演劇の素材にピッタリ・・・。ところで、そんな恐い、恐い王女メディアと、この映画の主人公である美しい三姉妹とは、どんな関連性が・・・?
<『宋家の三姉妹』VS『美しき運命の傷痕』の三姉妹>
『宋家の三姉妹』(97年)における靄齢、慶齢、美齢の三姉妹は、それぞれ近代中国100年の歴史に大きな影響を及ぼした(『シネマルーム5』169頁参照)。しかしそれは、あくまで外部に残した結果であるうえ、『宋家の三姉妹』はそれを描くことをテーマとした映画だった。しかし、靄齢、慶齢、美齢の三姉妹だって、それぞれ人知れない悩みや苦悩を抱えていたことは当然だから、靄齢、慶齢、美齢の人格の内面そのものに焦点をあて、そこに深く突っ込んで注目した映画をつくれば、全く違う作品になっていたのは当然・・・?
この『美しき運命の傷痕』の原案となったキェシロフスキ監督の「地獄」は、まさにソフィ(エマニュエル・ベアール)、セリーヌ(カリン・ヴィアール)、アンヌ(マリー・ジラン)の三姉妹の人格そのものに焦点をあてたもの。そして今は美しく成長した3人の娘たちが幼少期に体験した父親と母親の争いと父親の自殺という出来事はあまりにも重いもの・・・。
そんな原体験を22年間も心の中に抱きながら、今はそれぞれ大人になった三姉妹だが、タノヴィッチ監督は、そんな彼女たち1人1人をめぐる運命と偶然をどのように描くのだろうか?そしてまた、あの事件以降、今は養護院での車椅子生活を余儀なくされ、言葉を失った母親マリー(キャロル・ブーケ)をめぐる運命と偶然とは・・・?
<三姉妹のカラーはナニ・・・?>
『トリコロール』三部作も、フランスの三色旗同様、『青の愛』に登場するジュリエット・ビノッシュの青、『白の愛』に登場するジュリー・デルピーの白、『赤の愛』に登場するイレーヌ・ジャコブの赤というように、3人のヒロインの色によってそのキャラが象徴されていた、らしい・・・。
それと同じように、この『美しき運命の傷痕』に登場する三姉妹も、パンフレットにあるタノヴィッチ監督のインタビューの表現によれば、「ソフィは情熱、愛、嫉妬の赤。セリーヌは悲しみ、期待、メランコリーの青。アンヌは、無垢、開花、そして再生の緑」とのこと。さて、本当にこの三姉妹はそんなカラーがピッタリなのだろうか・・・?
<複数の主人公の描き方の妙は・・・?>
この映画は美しき三姉妹プラス母親が主人公だが、当然それぞれの男関係(?)があるから、その物語を2時間の映画にまとめるには、それなりのテクニックが必要。それをタノヴィッチ監督は見事に「処理」しているが、そのためスクリーン上は何の前触れもなく急に脈略のない別のシーンに移動することがしばしば・・・。したがって、よほど注意してスクリーンを観ていなければ、話がサッパリわからなくなってしまうから要注意。私自身もかなりの集中力をもってこの映画を観ていたことはまちがいない。また、映画とは、時系列を無視して監督が好きなように組み立てることができる芸術だから、頭を柔軟に切り替えていくことも大切・・・。
もっともそうはいってもこの映画については、やはりある程度、事前に大まかなポイントを頭に入れて観た方がいいかも・・・?そうでなければ、例えば最初の字幕のバックに流れるかっこうの巣の映像や、映画の冒頭、女の子(次女のセリーヌの少女時代)が母親とともに部屋のドアを開けた途端にある現場を目撃したため、母親から眼を塞がれるシーン、さらに男(三姉妹の父親のアントワーヌ)が刑務所から出所してくるシーンなどの意味が、ちょっとボケた(?)あなたの直感とセンスだけではすぐに理解できないのでは・・・?もちろん、それが大きなお世話であれば一番いいのだが・・・?
<長女ソフィの夫婦生活・家庭生活は?>
長女ソフィの夫婦問題は、昔からどこにでもよくある(?)夫の浮気問題だが、「その追及と対応」は、さすが情熱、愛、嫉妬の「赤」のキャラをもつソフィだけに、そんじょそこらにあるような、ヤワなものではないところがミソ・・・?
36歳のソフィは写真家の夫ピエール(ジャック・ガンブラン)との間に2人の子供がいるが、夫の浮気は既にソフィにはバレバレで、ソフィは1人苦悩していた。そんなソフィによる浮気の追及は徹底しており、エマニュエル・ベアールの見事な演技と相まって、鬼気迫るものがある。とりわけビックリするのは、夫が浮気現場のホテルの部屋から出て行った後、その部屋に入り込み、1人ベッドで眠っている愛人のジュリー(マリアム・ダボ)にそっと自分の身体を近づけていくシーン。後日、夫から「なぜだ?」と質問された時のソフィの答えは、「行った理由が知りたい?私自身を辱めるためよ」というすごいもの。また浮気を謝罪し、なお「愛しているよ」と空々しい言葉を吐く夫に対して、「もう忘れた?私だって女よ。胸に触って。触りたくない?」、「ここは?」と夫の手をスカートの中に導くソフィの「迫り方」もすごいもの。この迫真の演技によって観せる、女の情熱の激しさやその裏返しとしての嫉妬心の激しさには、ただただビックリ・・・。その生々しさは、あなた自身が是非映画館で実感しなければ・・・。
<独身の次女セリーヌの生きザマは?>
次女セリーヌは、悲しみ、期待、メランコリーの青というカラーだから(?)、32歳の今もまだ独身。そしてアパートに1人ひっそりと住み、世間との接触をできるだけ断ち、三姉妹の中でただ1人まめに養護院にいる母親の面倒をみていた。そんな生活のくり返しで一生を終われば何の問題もないのだが、その前に突然謎の男性セバスチャン(ギョーム・カネ)が登場することによって、彼女の生活は一変することに・・・。さて、そのセバスチャンとは一体何者・・・?
<三女アンヌの不倫地獄は?>
三女アンヌは、ミニスカートをはいて大学構内を闊歩する魅力的な大学生。こんなアンヌなら同級生や先輩などから引く手あまただろうと思うのだが、彼女は中年(というより初老)の大学教授フレデリック(ジャック・ペラン)と不倫の真っ最中。ところが今日電話をすると彼からは、「もう電話をしないでくれ」と冷たい言葉が返ってきたから、以降若い彼女はパニック状態。タノヴィッチ監督は、「アンヌは無垢、開花、そして再生の緑」と言っていたが、ここから始まるアンヌのストーカーまがいの行動は、「開花」とはいえないのでは・・・?もっともきちんと別れる理由を説明しないフレデリック教授もずるいといえばずるいのだが、教室の外や帰り道で「待ち伏せ」までされると、なおさら男は逃げていくもの・・・。こんなアンヌの苦悩に輪をかけたのは、「ひょっとして・・・」と心配になり調べた妊娠検査。さてその結果は・・・?
意を決したアンヌは遂に友人のジョセフィーヌ(ガエル・ボナ)の家を訪れたが、このジョセフィーヌはフレデリック教授の娘だから、アンヌの狙いは・・・?
こんなドロドロした不倫騒動は、長女ソフィの浮気騒動と同様、まさに地獄絵そのもの・・・?認めたくなくても、フレデリック教授が自分から離れていったことを認めざるをえないアンヌはアパートへ帰り、1人思い出の品を燃やすことによって心の整理をつけたかに見えたが・・・。キェシロフスキ監督の原作とタノヴィッチ監督の映画は、それだけでは終わらせてくれず、ここからさらなる地獄が展開するが、それは、映画を観てのお楽しみに・・・。
<父親アントワーヌの罪と罰は・・・?>
映画の冒頭は建物に入っていく少女と母親のシーンだったが、それに続くのは、高い塀で囲まれた建物から1人の男が出てくるシーン。1度腰をおろした後、巣から落ちたかっこうのヒナをみつけた彼は、これを巣に戻してそこを立ち去るが、その直後、卵が地面に落ちてくる・・・。これだけの短いシーンからあなたは何を感じ取ることができるだろうか・・・?
男が出てきた建物は刑務所。そして今日出所してきたのは、三姉妹の父親のアントワーヌ(ミキ・マノイロヴィッチ)。当然、このアントワーヌが向かうのは、妻マリーが3人の娘たちとともに暮らしている家だが、なぜアントワーヌは刑務所に・・・?そして妻からの出迎えもないまま、妻の家に向かったアントワーヌを待つものは・・?
<ネタバレ覚悟で・・・>
ネタバレになることを承知で、あえてその答えを書けば、アントワーヌが刑務所に入ったのは妻のマリーから、アントワーヌが教え子の男の子を裸にしてよからぬことをしていたという告発を受けたため・・・。映画の冒頭、それを目撃したのが、赤い靴を履いて部屋の中に入っていった次女のセリーヌとそのセリーヌの眼をふさいだ母親マリーだったというわけだ。
こんな父親の「罪」は、刑務所暮らしによって、既にその「罰」を受け終えたはずだが、そんなアントワーヌを待っていた地獄はさらに想像を絶するものだった。家に戻って、3人の娘たちの顔をひと目見たいと願ったアントワーヌだったが、マリーはあくまでアントワーヌが家に入ることや娘たちと顔を合わせることを拒絶した。そのため、わずかに開いたドアを隔てて激しい口論が展開された後、アントワーヌはドアを蹴り開けて部屋の中に入り込んだ。そして身体を張って娘たちとの面会を阻止しようとしたマリーを力まかせに鏡に向かって投げつけたため、鏡は割れ、マリーはぐったりと倒れ込んでしまった。息をひそめて部屋の中に隠れていた長女のソフィがわずかにドアを開けて、倒れ込んでいるマリーに声をかけるとともに、父親の姿を追うと、ふらふらとベランダに出ていったはずの父親の姿はなく、驚いてベランダから下をのぞくと・・・?
まさにこれぞ地獄。ここまでマリーがアントワーヌを拒絶したのは一体なぜ・・・?そして今、養護院にいるマリーは、この出来事をどのように考えているの・・・?
<謎の男セバスチャンの登場は・・・?>
謎の男セバスチャンの声だけは、ソフィの家にセリーヌがいるものと思って電話をかけてくる形で映画のはじめから登場する。しかし、その姿をスクリーンに観せるのは、後半から。じっと自分を見つめている男の姿に気づいたセリーヌは、カフェの中で、「私にご用ですか?」と「詰問」したが、その場で逆に、「聞いてください」と言って、彼が語った詩の朗読によって、なぜか気が動転することに・・・。その後のセバスチャンとセリーヌとのやりとりはきわめて興味深いものだから、是非あなた自身の目で確かめてほしいもの。
ある1つの大きな「誤解」を経てやっとわかったのは、このセバスチャンこそが、あの22年前、裸で父親のアントワーヌと向かい合っていた男の子だったということ。セバスチャンがその現場を目撃したセリーヌに対して話したかったことは、セバスチャンが「それ」を求めたことは事実だが、アントワーヌはそれを拒否した、という事実。その真相を伝えるために、ずっとセリーヌを捜し、やっとそれを言うことができたというわけだ。
それが真相だとすると、マリーがアントワーヌを告発したのは大きなまちがい・・・?そして刑務所暮らしはまだ仕方ないとしても、出所した後のマリーの部屋における言い争い、そしてアントワーヌの死亡とマリーの大ケガは・・・?さらに心の奥底に22年間もその傷をしまい込んだまま成長した三姉妹たちの人生は・・・?あまりにもショッキングなセバスチャンの告白だったが、それを聞いたセリーヌが次にとった行動は・・・?
<母親マリーの強さにビックリ・・・>
このように三姉妹を中心に、登場人物それぞれを襲う地獄模様がスクリーン上で展開されてきたが、セバスチャンの告白によって、複雑だった物語もいよいよラストに向かうことが暗示される。久しぶりにソフィの家を訪れたセリーヌは、妹のアンヌも呼んで一緒に母親の元へ行き、重大な話をしたいと提案。3人はそろって列車に乗って養護院にいる母親マリーの元へ。
この映画で、老け役で一言もセリフをしゃべらず、目と表情のみの見事な演技でマリーを演じているのは、1957年生まれのキャロル・ブーケだが、彼女は『007/ユア・アイズ・オンリー』(81年)でボンド・ガールを演じたことがあることからもわかるように、フランスを代表する聡明なクール・ビューティー・・・。そんなキャロル・ブーケが演ずるマリーが、その場で書いて娘たちに見せたメモには、「来てくれてありがとう。愛されてる証拠だね」と強気な文章(?)が書いてあった。さらに、「あの時の少年が真相を話してくれたわ。告発はまちがいだったのよ」というセリーヌの言葉を聞いても、表情ひとつ変えないままマリーが書いたメモには、「それでも私は何も後悔していない」という言葉が・・・。いやはや、やっぱり女は強い・・・。
このエンディングは、静かながらいろいろな思いがいっぱい詰まったこの映画のハイライトだから、じっくり味わいたいものだ。
2006(平成18)年5月3日記