グレート デイズ! 夢に挑んだ父と子(フランス映画・2014年) |
<GAGA試写室>
2014年6月30日鑑賞
2014年7月2日記
同じアイアンマンでも、ハリウッド映画とフランス映画では大違い!『最強のふたり』(11年)で描かれたのはちょっと奇妙な男同士の友情だったが、本作では失業した父親と車いすの息子との父子の絆が!
アイアンマンレースとはどんなもの?さらに「アイアンマンフランス・ニース」のコースの内容は?制限時間16時間の過酷さは?それがわかれば、誰でも「この挑戦は無茶!」と思うはず。しかし、それでも・・・。
アレコレあまり現実論を言わず、単純なワン・イシュー映画として90分間スクリーンに向かえば、きっとそれなりの感動があるはずだ。
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監督:ニルス・ダヴェルニエ
ポール(失業中のジュリアンの父)/ジャック・ガンブラン
クレール(美容師のジュリアンの母親)/アレクサンドラ・ラミー
ジュリアン(17歳の車いすの息子)/ファビアン・エロー
ソフィー(保育所勤務のジュリアンの姉)/ソフィー・ド・フルスト
ヨアン/パブロ・パウリー
セルジオ/グザビエ・マチュー
ギャガ配給・2014年・フランス映画・90分
<アイアンマンレースとは?アイアンマンの称号は?>
私は「トライアスロン」という過酷な競技があることは知っていたが、アイアンマンレースのことは全く知らなかった。これは、スイム(水泳)3.8km、バイク(自転車)180km、ラン(ランニング)42.195kmの3種目を続けて行い、制限時間は17時間以内という、トライアスロンの中でも最難関のもの。トライアスロンのオリンピックディスタンスがスイム1.5km、バイク40km、ラン10kmだから、その過酷さがわかろうというものだ。
スイムとバイクで極限状態になった体で、フルマラソンと同じ距離を走り切らなければならないのだから、このレースを完走したすべての人に、「アイアンマン」の称号が与えられるのは当然。さらに、本作が取り上げた「アイアンマンフランス・ニース」の特徴は、バイクレースの起伏が激しいこと。しかも、通常の17時間よりも1時間短い16時間が制限時間というから、いっそう過酷だ。
本作は、そんな過酷なアイアンマンレースに何と車いす生活を余儀なくされている17歳の息子ジュリアン(ファビアン・エロー)と共に、父親のポール(ジャック・ガンブラン)が、挑むもの。一人でやり切ることすら超大変なのに、ポールとジュリアンはなぜそんな無謀な挑戦を?
今どき、「アイアンマン」と聞けば、すぐにハリウッド映画の『アイアンマン』(08年)(『シネマルーム20』22頁参照)を思い浮かべてしまうが、さて本作がアイアンマンレースから描く真のアイアンマンとは?
<同じ17歳でも男の子と女の子は大違い>
『シネマルーム32』には、「フランスの女子高生はすごい!」というテーマで『アデル、ブルーは熱い色』(13年)(96頁参照)と『17歳』(13年)(103頁参照)を収録した。この2本を観れば、性の先進国フランス(?)では、17歳の女の子の「その方面」での行動力がいかにすごいかがよくわかる。しかし、同じフランスでも、17歳の男の子の場合は?
本作前半に見るジュリアンは、望遠鏡で隣の家の女の子のヌード姿を観察するなど、男としての正常な発育は遂げているようだが、母親に風呂に入れてもらいながら水かけを楽しむ等、その行動はまだまだ幼稚。身障者だって男だから「その方面」の悩みも多いはずだが、『アデル、ブルーは熱い色』や『17歳』と同じフランス映画ながら、本作では「その方面」のテーマはゼロ。本作は、父と子が一体となってアイアンマンレースに挑戦する中で生まれる、「父子の絆」を唯一無二のテーマとしている。
本作が面白いのは、レースが始まり最高潮に至るゴールイン瞬間のクライマックスをより感動的にするため、導入部では父と息子の関係をかなり険悪なものにしていること。身障者の息子とどう向き合ったらいいのかわからないポールは、ジュリアンから逃げるように遠い地で働いていたが、失業を宣告されたため、やむなく家族のもとへ戻ってくることに。ジュリアンや姉のソフィー(ソフィー・ド・フルスト)はもちろん、妻のクレール(アレクサンドラ・ラミー)もポールの帰りを楽しみにしていたが、いざポールが戻ってみると・・・。仕事探しを口実に出歩いてばかりのポール。家族で食卓を囲むことはもちろん、ジュリアンとの対話さえ逃げているポールについクレールが文句をつけると、ポールは「仕事は見つける。それで満足だろ」と突っぱねる始末だ。このままでは夫婦の危機、父子の危機、そして家庭崩壊は間近そうだが・・・。
<アイアンマンレース挑戦のきっかけは?>
ジュリアンがアイアンマンレースに父子で挑戦しようと言い始めたのは、ネット情報で「障害のある息子とアイアンマンレースに参加」という記事を発見したことと、ポールが昔、選手としてレースに挑戦していたことを知ったことがきっかけ。息子との対話すら拒絶していたポールが、ジュリアンのそんな提案を「何をバカなことを」と取り合わなかったのは当然だが、それがなぜ変わっていったの?それが本作前半の見どころとなる。
17歳といえば、男の子は反抗期の盛り。ポールも頑固そうだが、ジュリアンはその息子だから、ジュリアンも同じように頑固だ。ポールはアイアンマンレースがいかに体力的にハードで、費用もかかるかを理詰めで説明し、最後には「それより俺が無理なんだ。やりたくない」と突き放したが、それに対するジュリアンの対抗手段は何と家出。
本作が映画初出演となるジュリアンを演ずるファビアン・エローは、ニルス・ダヴェルニエ監督が5カ月をかけて、フランスをくまなく駆け回り、170の施設を訪問し、ジュリアン役にふさわしい「喜びに満ちた元気いっぱいの若者」として選んだ、実際に脳神経障害をもつ青年だ。そんなファビアン・エローがとことん頑固に、頑固な父親に立ち向かっている姿は面白い。最終的にポールの心を動かしたのは、ジュリアンと同じ障害をもつ女生徒の一人がポールに投げかけた、「走ること、水泳、自転車。どれもみんなの夢です。なぜジュリアンの夢を断るの?」という言葉。そんな言葉に胸をつかれたポールが帰宅した後、自転車の改造を始めた姿をみて、ジュリアンは・・・?はじめて父と息子の心が通じ合うこの瞬間のシーンに注目!
<ワン・イシューで、似たようなフランス映画の傑作が!>
フランスでは、『最強のふたり』(11年)が大ヒットした。これは首から下が麻痺した大富豪とスラム育ちの黒人青年が男同士の友情と絆を固め、「最強のふたり」になっていく物語。この映画がフランスで大ヒットしたのは、本音で語ることが少なくなった今の社会の中で、黒人の貧乏青年ドリスが、大富豪のフィリップに向かって、決してキレイごとで片づけることなく、すべての面でズバズバと本音を語っていく姿に新鮮さを覚え、またそこから生まれてきた、男同士の友情と絆に多くの現代人が感動を覚えたためだ(『シネマルーム29』213頁参照)。
したがって、そのテーマはワン・イシューで単純だったが、それは本作も同じ。本作は誰が考えても「そりゃちょっと無理では?」と思うアイアンマンレースに父と息子が挑戦するだけの物語だから、ワン・イシュー映画だし、単純と言えば単純。起承転結を考えているといってもそれは大したことはない。また、レースの途中で起きるハプニングも大したものではない。ただ、ひたすら「ガンバレ!ガンバレ!」の世界をカメラが追っていくだけだ。
そんな本作が「フランス映画祭2014オープニング作品」に選ばれた理由は、きっと、今の社会では、こんなに単純だが、ひたすら前向きにチャレンジする人間が少なくなっているためだろう。
<もし賞金があれば、その配分は?>
ジェームス・ハントとニキ・ラウダという、F1レースにおける最大のライバル対決を描いた『ラッシュ/プライドと友情』(13年)はF1レースというスピード感あふれるレースに命を懸けた男の緊張感でいっぱいだった。また、最大のライバルの間で、最高の友情が生まれるストーリー展開も感動的だった(『シネマルーム32』184頁参照)。また、前述した『最強のふたり』でも、車いすのフィリップは、さまざまなハンディキャップはあるものの、ドリスに仕事を提供し給料を支払うという形で一人前の大人の男としての役割(責任)を果たしていた。
しかし本作を観ると、1人でやるだけでも過酷なアイアンマンレースに、約50kgもある息子のジュリアンを連れて泳ぎ、漕ぎ、走るというのだから、ポールの過酷さが際立っている。それに対し、ともに同じアイアンマンレースに臨むといっても、ジュリアンの方は「パパ頑張れ!」と言うだけだから、その負担は少ない。もっとも、スイムではゴムボートに乗っているだけだが、起伏の激しい坂道を走るバイクレースでは、ついつい眠ってしまいそうになったり、すり傷が拡大し、レースを続けることができるか否かという危機に見舞われたりするが、やはりその負担はポールに比べれば小さい。さらにポールの妻もジュリアンの姉も、心をこめてさまざまな準備をする役割はあるものの、基本的には応援席で「頑張れ、頑張れ」と励ます以上の役割は与えられない。
しかし、もしポールとジュリアンが16時間以内に無事ゴールインし、アイアンマンの称号を手に入れることになれば、その感動に大小の違いがあるとは思えない。それは、この過酷な挑戦によって得られた、父子の絆、家族の絆には4人の間に軽重がないからだ。それはそれとして十分わかるが、ちょっといじわるな質問をすると、このレースでもし賞金があれば、その配分は?というものだ。
<石原伸晃大臣の「あの発言」の当否は?>
まさかこの父子が、そしてこの4人家族が、その賞金の配分をめぐって争うことになるとは思えないが、そのことを先日の石原伸晃環境大臣の「最後は金目でしょ」という発言と対比して考えてみれば・・・。マスコミからの猛反発を受けて、石原環境大臣は結局自分の発言を謝罪することになったが、さて、その当否は?私はその言い方がどうだったかを知らないので正確にはコメントできないが、弁護士を40年間やってきた中で思うのは、争いごとは最後はすべて金で解決せざるをえないし、またそれでできることが多いということだ。
法律だって、不法行為を定めた民法709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と定めている。したがって、交通事故の事案で「カネなどいらない。事故で死亡した息子の命を返せ」という主張をしても、それは感情面だけの話であって、法律上の請求としては全く成り立たない、ナンセンスな主張になるわけだ。
本作では、仮に賞金があってもそれによって揉めることはないと思うが、それでも人間だから、千に一つ、万に一つ、争いになる可能性も・・・。
2014(平成26)年7月2日記