マルタのことづけ(メキシコ・2013年) |
<ビジュアルアーツ専門学校大阪試写室>
2014年9月26日鑑賞
2014年9月30日記
家族の死、友人の死。人は誰でもそれを体験し、それとどう向かい合うかの試練を受けるが、1982年メキシコに生まれた女性監督クラウディア・サント=リュス監督の場合は?
05年のマルタとその家族との出会い、そして以降2年間の家族同様の暮らしの体験を、なぜ監督はどうしても映画化したかったの?登場人物が限定された91分の物語はシンプルだが、心に染みるものだ。
小さな黄色い車の思い出とともに、子供たちとクラウディアに残した「マルタのことづけ」を、しっかりかみしめたい。
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監督・脚本:クラウディア・サント=リュス
製作:ヘミニアノ・ビネダ
製作総指揮:ルビー・カスティージョ
クラウディア(26歳、スーパーの実演販売員)/ヒメナ・アヤラ
マルタ(46歳、4人の子どものシングルマザー)/リサ・オーウェン
アレハンドラ(一番上の姉)/ソニア・フランコ
ウェンディ(フリーターの二女)/ウェンディ・ギジェン
マリアナ(思春期真っ只中の三女)/アンドレア・バエサ
アルマンド(末っ子の男の子)/アレハンドロ・ラミレス・ムニョス
2013年・メキシコ映画・91分
配給/ビターズ・エンド
<どうしても忘れられない体験談を映画に
人は生まれ、人は死ぬもの。それは当然だが、死と向かい合って生きている、「あるシングルマザー」との「ある体験」がずっと心の中に残っていたという、1982年メキシコ生まれの女性監督が、それを映画化。中耳炎の治療でちょっとした入院をよぎなくされた26歳の一人暮らしの女性クラウディア(ヒメナ・アヤラ)は、闘病生活を続けている46歳のシングルマザー、マルタ(リサ・オーウェン)の隣のベッドになったことから、2人の交流が開始。そして、退院したクラウディアをマルタが食事を誘ったところから、何とも不思議なマルタおよびマルタの4人の子供達とクラウディアとの何とも不思議な交流が始まっていく。
キム・ギドク監督が南北に別れた朝鮮半島問題をユーモアたっぷりに描いた(?)、『レッド・ファミリー』(13年)は、資本主義に毒された南のアホバカ家族と、任務に縛られた何とも切ない北の疑似家族の姿が描かれていた。それに対してクラウディア・サント=リュスのデビュー作となった本作は、がっちりとした絆で結ばれている(?)マルタの家族と、家族も彼氏もいない孤独な女クラウディアとの疑似家族的交流の温かさと切なさを描くものだ。しかして、なぜクラウディア・サント=リュス監督はその体験を映画化したかったの?それを、しっかり鑑賞したい。
<監督は?女優たちは?>
クラウディアに扮するヒメナ・アヤラはメキシコ生まれの有名な女優だが、実は彼女こそクラウディア・サント=リュス監督の分身。クラウディア・サント=リュス監督の体験談のスクリーン上での具現者だ。他方、マルタ役を演じたリオ・オーウェンもメキシコ生まれの有名な女優だが、エイズ患者に見えるようにするため、体重を大幅に落として登場したらしい。おもしろいのは、太っちょで個性的な次女のウェンディを演じたウェンディ・ギジェンがマルタの本物の娘、だということ。映画だから、4人の子共達の顔がバラバラなのは仕方ないが、それにしても本作ではその違いが際立っている。
リアリティの面から見るとそれはマイナス要素だが、女性監督らしく、冒頭からマルタとその子供達との日常生活、日常会話を紡いでいくストーリー展開の上で、そのことによるマイナスは全く見せず、むしろ逆に、一見バラバラな(個性的な?)家族たちの絆の強さを際立たせることになっている。そのため、本作に見るマルタの家族は、弁護士として毎日の仕事に追われ、家族(とはいってもほとんど妻だけだが)との日常生活での会話を必要最低限度にしている私にとって、クラウディアと同じように、少し眩しい面も・・・?
<年代、顔、性格がバラバラの4人の子供たちは・・・?>
マルタの4人の子供たちは顔や年代が違えば、性格も大違い。この4人が4人とも同じ父親と母親の子供?一瞬そう思ってしまうほどだ。マルタの子供たちは、①ライターとして働き、母親だけでなく、妹弟の面倒も一手に引き受けている、一番上の姉アレハンドラ(ソニア・フランコ)、②フリーターの次女で、不満を言いがちだが、憎めない性格のウェンディ(ウェンディ・ギジェン)、③思春期真っ只中の三女で、頭の中は男の子とおしゃれでいっぱいのマリアナ(アンドレア・バエサ)、そして、④家の中では洗濯係で、3人の姉にいじめられっぱなしの末っ子、アルマンド(アレハンドロ・ラミレス・ムニョス)の4人だ。本作は91分という短い時間の中でそれを要領よく、またそれぞれ心に残るセリフを使わせながら描いていく。とりわけ、三女マリアナがクラウディアに対して、誰にも言えなかった「ママが死ぬのをみたくない―」との言葉を吐き出すときは、胸にひびく。
マルタは子供たちに対して懸命に母親としての役割を果たそうとしているし、子供たちもそれぞれ多少の「不便さ」を我慢しながら、それに応えようとしているが、どうしてもさまざまなところに無理や綻びが生じてくるようだ。そこを「赤の他人」のクラウディアが、まるで家族の一員のように支え、全体として回っているのだが、さて、それはいつまで続くの・・・?
<最後のバカンスは海へ!しかし・・・>
マルタは子供たちのために食事を作ってやるのが大好きらしいが、病気の自分はほとんど食べることができず、吐いてばかり。そんな姿をいつも見ていれば、4人の子供たちも、クラウディアもつらくなってくるのは当たり前。したがって、マルタから急に「私たちにはバカンスが必要だ!海に行こう!」と言われても、にわかに賛成できなかったが、強引に言われると・・・。
小さな黄色い車の屋根の上に荷物をいっぱい載せたうえ、車の中には太っちょの二女ウェンディを含む6人乗りで、いざ出発。これは明らかに違法だが、それはさておき、この最後の海へのバカンスの展開は?私は子供の頃から、くらげに刺されるので、お盆を過ぎた後の海水浴はダメと言われていたが、マルタたちは太陽のまぶしさに騙されていたらしい。そのため、せっかく海の中へ入っても、くらげに刺され、おしっこをかけて治療しなければならない羽目に・・・。それでも、浜辺での砂遊びを中心に昼間をみんなそろって楽しい時間を過ごすことができたが、夕食を終えて就寝中にマルタは吐いてばかりだったから大変。やっぱり、マルタには夏のバカンスはムリ!海はムリ!そう覚り、夜中に車を走らせてマルタを病院に運び込んだが・・・。
<「マルタのことづけ」に、つい涙が・・・>
本作のプレスシートには、フリーアナウンサー町亞聖の「貴方の娘に生まれて良かった・・・」という「CRITIC」がある。家族や親しい人の「死」とどう向かい合うかについては、人それぞれいろいろな体験がある。本作はクラウディア・サント=リュス監督の心に残ったある「体験談」を映画化したものだから、その映画のコラムではそのことについて書くのが当然だ。ところが、この「CRITIC」の約半分は、町氏自身の「体験」を書いている。もちろんこれは、「貴方の娘に生まれて良かった・・・」というタイトルの中に自分の体験と本作のストーリーを重ね合わせたものだが、それはダメ。誰もくどくどと書かれた町氏の体験を聞きたいわけではないからだ。本作で最も聞きたいのは、死んでいくマルタが4人の子供たちと、クラウディアに対して語る「ことづけ」だが、さて、それはどんな内容?
本作のプレスシートの「CHARACTER」には4人の子供たちが正装して写る写真が載っているが、本作ラストにはスクリーン上にその姿が一人一人登場する。それに対して、「マルタのことづけ」が一人一人に語られるから、それに注目!「マルタのことづけ」は4人の子供たちに向けたものだけではなく、クラウディアに向けられたものもある。しかして、マルタが病院に運び込まれる中、クラウディアはいかなる行動を・・・?
<ラストに観る、クラウディアの行動に注目!>
本作の登場人物は基本的にマルタとクラウディア、そしてマルタの4人の子供たちに限定されている。そこで重要な小道具になるのが、フル稼働している黄色い小さな車だ。何一つぜいたくなどしていないマルタの家族にとって、この車は決してぜいたく品ではなく、生活必需品だということがよくわかる。ちなみに、日本では9月25日にアベノミクスの恩恵を受けて、日経平均株価の終値が1万6374円14銭と6年11か月ぶりの年初来高値をつけたが、ガソリン代は高止まりしている。もし、メキシコも同じだとすると、この車を生活必需品としているマルタやマルタの子供たちにとって、ガソリン代の高止まりは大いにこたえるのでは・・・。それはともかく、マルタが生きていてこそ、マルタやマルタの子供たちとクラウディアとのちょっと変わった家族同様の生活の「意味」が生まれたが、マルタの命がいよいよ尽きるとなると・・・?
病院に着いた車の中からマルタは担架で病院内に運び込まれ、子供たちも先を争ってそれについていったが、さてクラウディアは・・・?そんなラストシーンを観ながら、しんみり、ほんのりと心に響いてくる、この小作にみる「マルタのことづけ」を、再度じっくりとかみしめたい。
2014(平成26)年9月30日記