ドラキュラZERO(アメリカ・2014年) |
<TOHOシネマズ西宮OS>
2014年9月28日鑑賞
2014年10月1日記
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監督:ゲイリー・ショア
ヴラド・ドラキュラ(ワラキア公ヴラド3世)/ルーク・エヴァンス
ミレナ(ヴラドの妻)/サラ・ガドン
メフメト2世(オスマン帝国皇帝)/ドミニク・クーパー
バーバ・ヤーガ(東方の美しい魔女)/サマンサ・バークス
インゲラス(ドラキュラの息子)/アート・パーキンソン
マスター・ヴァンパイア(元ローマ皇帝)/チャールズ・ダンス
カリギュラ(皇帝)/チャーリー・コックス
ディミトリ(お付きの警護役)/ディアーミッド・モルター
カザン(ヴラド3世の相談役)/ウィリアム・ヒューストン
ピーター大尉(護衛の指揮官)/ノア・ハントリー
ハムザ・ベイ(オスマン帝国側の密使)/フェルディナンド・キングズレー
シュケルギム(暗黒の主人に仕えようとするジプシー)/ザック・マッゴーワン
ブラザー・ルシアン(腰の低い修道士)/ポール・ケイ
ブライト・アイズ(オスマン帝国の剣士)/ソルヴァルドゥル・ダーヴィッド・クリスチャンソン
イスマイル将軍(オスマン帝国軍の指揮官)/アーキー・リース
賢者のスミオン/ローナン・ヴァイバート
オマール将官/ジョセフ・ロング
2014年・アメリカ映画・92分
配給/東宝東和
◆「ドラキュラ」と言えば、ヴァンパイア。ヴァンパイアと言えば、吸血鬼。そして、ヴァンパイアが大好きなのは、人間の血を吸うこと。逆に大嫌いなのは、十字架と光。ヴァンパイアには元々そんなダークなイメージがある。しかし、『トワイライト~初恋~』(08年)(『シネマルーム22』未掲載)に始まり、シリーズ化されたハリウッドの若手イケメンスターによるヴァンパイア映画は必ずしもそうではなく、ヴァンパイアの人間的な部分を強く意識し、かつ『ロミオとジュリエット』(68年)ばりの悲恋物語(?)を取り入れて、大人気になった。
その延長として(?)、本作は15世紀にトランシルヴァニア地方を治めていた君主ワラキア公ヴラド3世(ルーク・エヴァンス)こそが、実在したドラキュラだとして、彼の人生に焦点をあてていく。去る10月8日に観た周星馳(チャウ・シンチー)監督の『西遊記~はじまりのはじまり~(西游 降魔篇)』(13年)は、「誰もが知っている『西遊記』」。しかし、「誰もが知らなかった『孫悟空』」を合言葉に、三蔵法師こと玄奘が孫悟空、沙悟浄、猪八戒の3人を供として天竺に旅する、(誰もが知っている)『西遊記』の物語が生まれる以前の玄奘に焦点をあてたチョー面白い映画だった。それと同じように、本作は『ドラキュラ ZERO』という邦題が示すとおり、誰もが知っているドラキュラ、しかし誰もが知らないヴラド3世の、誕生秘話だ。
◆ロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』(1886年)は、人間の二面性を強調した。また、ドストエフスキーの小説『罪と罰』(1866年)やトルストイの小説『戦争と平和』(1869年)も、それぞれ両極端のものを追及していく中で、世界に冠たる文学を完成させた。しかし、本作にみる主人公ヴラド3世は、①人間であると同時にヴァンパイア(ちなみに、これはマスター・ヴァンパイア(チャールズ・ダンス)との契約により、3日間だけだが・・・)、②「串刺し公ヴラド」であると同時に、ワラキアの君主、③信心深く、キリスト教に対する揺るぎない信仰を持っていると同時に、マスター・ヴァンパイアと契約、④ヴァンパイアとしてオスマン帝国と戦うと同時に、妻ミレナ(サラ・ガドン)の良き夫、息子インゲラス(アート・パーキンソン)の良き父、等々、多くの顔を持っている。
本作の製作意図はよくわかるし、脚本も衣装も美術もよくできているが、いかんせん、1人の男にこれだけ複雑な面を持たせるのは少し無理がある。ゲイリー・ショア監督はそれをわかりつつ調和点を探っているが、良き君主、良き夫、良き父としての人間的な面を強調すると、それでは決してメフメト2世(ドミニク・クーパー)率いる強大なオスマン帝国軍に勝てないだろうということになり、逆にドラキュラ性を強調して牙を剥かせ、コウモリの大群を操らせると、ただのドラキュラ・マンガになってしまう。最新VFXで描いた壮大な戦争シーンは十分楽しむことができるが、やはりそれだけでは限界がある。ルーク・エヴァンスの端正な顔立ちは魅力十分だが、それと牙を剥き出しにした顔を両立させ、太陽を浴びて朽ち果てていく姿をスクリーン上に表現するのは、やはりちょっと無理があるのでは・・・?
◆次の4つは歴史上の事実らしい。すなわち、①ワラキア公ヴラド3世は、1431年にトランシルヴァニア地方にヴラド2世の子供として生まれ、幼少時代はオスマン帝国のムラト2世の人質として6年間にわたり戦場で兵士としての鍛錬を積んだ。②人を串刺しにし、もだえ苦しむのを数日間放置する拷問、処刑によりオスマン帝国を恐れさせたため、「串刺し公ヴラド」(別名:ヴラド・ツェペシュ)と呼ばれるようになった。③父親が暗殺された後、その跡を継ぎルーマニア語で「竜公または悪魔公の息子」という意味を持つ「ドラクレア公」、英語読みで「ドラキュラ公」と呼ばれるようになった。さらに、④オスマン帝国との戦いで、1476年に戦死した。
そのような歴史上の人物であるヴラド3世を、本作では幼少時代を共に過ごしたメフメト2世率いるオスマン帝国の侵攻を撃退するため力が欲しいと願い、山の奥深くの洞窟に棲むマスター・ヴァンパイアと契約を結び、ヴァンパイアになったという設定にしているが、そこでの「契約」という概念が弁護士の私には非常に興味深い。来年公開されるリドリー・スコット監督の『エクソダス:神と王』(14年)でも、モーゼと神との「契約」が描かれるはずだが、ヨーロッパでは「契約」というものの重みがあるわけだ。
本作前半のハイライトであるヴラド3世によるオスマン軍の「千人斬り」は、莫大な代償と引き換えに、ヴラド3世がヴァンパイアとしての強大な力を授かった結果だが、ホントにこれで良かったの?1万の兵で敗退すれば10万の兵を!膨大な軍事力と財力を持つメフメト2世が、そうするのは目に見えている。したがって、第2ラウンド、第3ラウンドでは更に激烈な戦いを余儀なくされるのは当然だが、さて、そこで見せるドラキュラ・ヴラド3世のパワーとは?
◆『ロミオとジュリエット』では、ジュリエットが修道僧の調合した仮死の薬を飲むことを選択したことによって、その後の悲劇が生まれたが、本作の究極の選択は、ヴラド3世が人間の血を吸うのか否かということだ。マスター・ヴァンパイアとの契約によれば、3日間の禁断症状を乗り切れば、ヴァンパイアにならずにすむらしいが、それは至難の業。もちろん、意志力の強さには自信のあるヴラド3世はそれをやり抜く覚悟だが、今オスマン帝国の強力な軍隊は間近に。愛する妻や息子と我が民たちをドラキュラ城から修道院に避難させたものの、そこにもオスマン帝国軍の手が伸びたから、彼らの命は風前の灯だ。
そして、ヴラド3世による救出劇も一瞬間に合わず、今や息も絶え絶えのミレナは自分の血を吸ってくれと懇願。さて、ヴラド3世はどうするの?周星馳監督の『西遊記』を観た私は、そのバカバカしいほどの自由な発想に大いに感心したが、本作はあくまですべてが正攻法。したがって、なるほど、なるほど、と思えるストーリー展開と美男美女のそれなりに納得できる熱演の連続なのだが、イマイチ面白みに欠ける結果に・・・。
◆近時のあまり面白くないタイムトラベルもの(?)には、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(14年)があるが、ドラキュラ伝説が15世紀から21世紀までずっと生き続けてきたのはなぜ?「古事記」や「日本書紀」のような文字で書いた本があれば、その物語が継承されていくのは当然だが、ドラキュラ伝説については文字や書物は少ないはず。それなのに、なぜ今の人類は、そしてキリスト教を信奉している人たちは、その反面教師としてのドラキュラを知っているの?また、今なお、ハリウッド映画でなぜあんなに人気を得ているの?
それは、きっと「時空を越えた愛」があるように、ドラキュラは時空を越えて生き続けているからだ。ヴラド3世は、死んでいくミレナの血を吸うことによってハッキリ人間世界から決別し、ドラキュラとして生きていく決意を示して、オスマン帝国軍を追っ払ったが、さて、その代償は?そんなドラキュラの愛は、いつどんな形で時空を越えてやってくるのだろうか?それはまた、ヴラド3世との「契約」によって、やっとあの洞窟から解放されたマスター・ヴァンパイアも同じだ。しかして、本作ラストには、いくつもの時空を越えてやってきた「三者三様」それぞれの不思議な姿が・・・。
2014(平成26)年10月11日記