暮れ逢い(フランス、ベルギー・2014年) |
<シネ・リーブル梅田>
2014年12月28日鑑賞
2015年1月6日記
若く美しい人妻と、個人秘書として抜擢された若い青年との秘められた恋。それが許されないものであればあるほど、炎は燃え上がり、いつか大事件に・・・。
「愛の名匠」パトリス・ルコント監督作品だけに、『アンナ・カレーニナ』的なそんな展開を期待したが、1012年のドイツを舞台にした出会いから始まるストーリーは意外に禁欲的な展開に・・・?
音楽はピッタリだが、ドイツを舞台にした英語劇は如何なもの・・・。また、ヒロインのキャスティングにもイマイチ不満だが、さてあなたは・・・?
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監督・脚本:パトリス・ルコント
原作:シュテファン・ツヴァイク『Journey into the Past』
シャーロット・ホフマイスター(カールの若き妻)/レベッカ・ホール
カール・ホフマイスター(鉄鋼業を営む裕福な実業家)/アラン・リックマン
フリドリック・ザイツ(ホフマイスターの会社の新入社員、オットーの家庭教師)/リチャード・マッデン
オットー・ホフマイスター(ホフマイスターとシャーロットの息子)/トビー・マーレイ
フラウ・ハーマン/マギー・スティード
アンナ(フリドリックが暮らす下宿の娘)/シャノン・ターベット
2014年・フランス、ベルギー映画・98分
配給/コムストック・グループ
<「愛の名匠」パトリス・ルコントにふさわしい設定だが>
『仕立てやの恋』(89年)と『髪結いの亭主』(90年)のタイトルは知っていたが、それを監督したフランス人監督パトリス・ルコントの名前を私は知らなかった。しかし、同監督の『親密すぎるうちあけ話』(04年)(『シネマルーム11』215頁参照)と『ぼくの大切なともだち』(06年)(『シネマルーム20』296頁参照)を観て、その面白さに惚れ込み、両作とも星5つとした。後者は男同士の友情をテーマにした映画だが、前者は精神分析医を訪れたはずの美しい人妻の勘違いと、彼女の話を聞いてしまった税理士との不思議な男と女の物語だったから、「愛の名匠」と呼ばれるパトリス・ルコント監督に相応しいテーマだった。
しかして本作は、シュテファン・ツヴァイクの短編小説『Journey into the Past』を原作とした若き美貌の青年と人妻との道ならぬ恋をテーマとした映画。これこそ、パトリス・ルコント監督が最も得意とする映画!そう期待したが・・・。
<若く優秀な社員の就職先は?>
舞台はドイツ。時代は1912年。カール・ホフマイスター(アラン・リックマン)が経営する鉄鋼業の会社に、フライブルク大学を首席で卒業した優秀でハンサムな社員フリドリック・ザイツ(リチャード・マッデン)が入社してきた。当初は狭い部屋しか与えられなかったが、実力が認められるにつれて部屋も広くなり、遂には「個人秘書」としてホフマイスターのお屋敷に住み込みで働くことに。
1912年といえば第1次世界大戦が始まる2年前だから、ドイツにとって鉄鋼業は最も大切な産業の1つ。したがって、そこでフリドリックが提案した溶鉱炉の増設計画や、メキシコでの新規事業計画はホフマイスターにとってすばらしいプランであったばかりではなく、ドイツにとっても結果的に貴重なものになった。ところが、パトリス・ルコント監督は本作にそのような政治的・軍事的要素は最小限しか入れこまず、本筋はあくまで美貌の青年フリドリックと、重病を抱えながら会社の経営に邁進するホフマイスターを支える若く美しい人妻シャーロット・ホフマイスター(レベッカ・ホール)との道ならぬ恋に設定した。それはそれでいいのだが、そうなるとストーリーがありきたりの単純なものになってしまう危険があるうえ、映画の価値が若く美しい人妻シャーロットの魅力如何にかかってくることになるが・・・。
<美しい人妻のキャスティングの是非は?>
ところが、私の目にはシャーロットを演ずるレベッカ・ホールの魅力がイマイチ・・・。パンフレットでは、レベッカ・ホールについて次のとおり紹介されている。すなわち、レベッカ・ホールは『プレステージ』(06年)でクリスチャン・ベイルの妻役を演じ注目され(『シネマルーム13』367頁参照)、続いて出演したウディ・アレン監督の『それでも恋するバルセロナ』(08年)のヒロイン・ヴィッキー役でゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされ、一躍人気女優に(『シネマルーム22』78頁参照)。
しかし、『プレステージ』は、19世紀末のロンドンを舞台とした天才VS奇才マジシャン2人のライバル物語だったから、女優陣の影が薄くなるのは仕方ない映画だったし、共演した女優がスカーレット・ヨハンソンだから、レベッカ・ホールは余計影が薄かった。また、『それでも恋するバルセロナ』も、共演したペネロペ・クルスの「怪演」が目立ったうえ、彼女が第81回アカデミー賞助演女優賞をゲットしたからレベッカ・ホールの影は薄かった。さらに、その後レベッカ・ホールが出演した『フロスト×ニクソン』(08年)(『シネマルーム22』22頁参照)でも、『トランセンデンス』(14年)(『シネマルーム33』264頁参照)でも、レベッカ・ホールの存在感は薄いものだった。
これがフランス人の美人女優メラニー・ロランだったら、あるいはハリウッドのニコール・キッドマンだったら、その人妻としての魅力にフリドリックが惹かれていくのがよく理解できるのだが、失礼ながらレベッカ・ホールではちょっと・・・。
<ドイツを舞台にした英語劇は如何なもの!>
本作と同じ日に観た『ニューヨークの巴里夫』(13年)のセドリック・クラピッシュ監督もフランス人だが、本作のパトリス・ルコント監督はもちろんフランス人。パンフレットにあるパトリス・ルコント監督のインタビューによると、パトリス・ルコント監督がユダヤ系のシュテファン・ツヴァイクの原作を映画化しようと考えた時、「原作を損なうことなく映画化するためには、ドイツ語で撮影するしかないと、最初は思っていた」らしい。しかし、自分が全くしゃべれない言語で映画を作ることに違和感を覚えたうえ、かといってフランス語で撮影するのも変だと考えたパトリス・ルコント監督は、アングロ・サクソン系のキャストを起用し、英語で撮影することに決めた、らしい。パトリス・ルコント監督は、これを「魅力的な案だと思いました。英語は世界言語だから、物語の舞台がドイツで登場人物が英語を話していても、何の違和感もないですから」と述べている。しかし、果たしてそうだろうか?
クエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』(09年)でも、ブラッド・ピット演じるナチス将校がドイツ語ではなく英語をしゃべることに大きな違和感を覚えた(『シネマルーム23』17頁参照)が、それと同じように、本作でも第1次世界大戦が迫るドイツを舞台にしながら、そこで英語の恋愛劇が展開されることに私は大きな違和感を・・・。
<間接の性VS直接の性とは?欲望の寸止めとは?>
本作にはフリドリックにふさわしい年頃の美女アンナ(シャノン・ターベット)が登場するが、彼女は本作ではあくまで添えモノ的な位置付けしか与えられていないから、少しかわいそうだ。本作のパンフレットには、滝本誠(評論家)氏の「とまどい」と題するコラムがあり、「間接の性」、つまり「<人妻と青年>の<階級と性>の欲望を寸止めし、上品な淫らとして放置する」ことについてのうんちく(?)が語られている。トルストイの『アンナ・カレーニナ』(1877年)では、人妻アンナと青年将校ヴロンスキーは数度目の出会いで「直接の性」に至るが、本作では2人の仲を疑った(確信した?)ホフマイスターからメキシコ行きを命じられても、なお2年後のベッドインの約束でシャーロットは寸止めを選び、<させない>刑期の延長となる(ちなみに、これは同コラムにおける滝本氏の表現)。しかし、私に言わせれば、これは文学作品としては珍しいものだ。しかして、若いフリドリックに人並みの性欲があるのは当然だから、シャーロットに向けられた「間接の性」はかなり変質的なもの(?)になるので、それに注目!
なるほど、パトリス・ルコント監督はそういう愛の描き方につけては「愛の名匠」と呼ばれるだけあって、美しいシーンをたくさん作り出している。他方、フリドリックに想いを寄せていながら、フリドリックから拒否されるアンナの行動は積極的。滝本氏はそれを「直接の性」と名付けて、「彼女の<指>による青年の局所愛撫という直接的な愛情表現」についてもうんちくを傾けている(?)ので、是非それを読んでもらいたい。ちなみに、私は滝本氏がそこで述べる、「ある意味、そうしたことの罪滅ぼしとして、老人は若妻に、青年をあてがったのだ。美貌の若妻の周辺に若い男を置いたらどういった結果を生むか、すべてお見通し。疑惑、嫉妬も織り込み済みの事態であろう。寛容という名の進行事態への無関心、諦念の装いがリックマンの老人なのだ」との解釈や、それに続く小難しいさまざまの解釈には賛成できない。さて、あなたの解釈は?
<音楽は絶妙だが、香水まで感じ取るのは・・・>
私は司法修習生時代から弁護士3年目くらいまでクラシックのLPレコードを買い漁った経験があるが、その頃買ったレコードは針を通していないものも多い。それに対して大学時代に購入した20枚程のLPレコードは、磨り減るほど聴いている。その1枚がベートーヴェンのピアノソナタ第23番「熱情」と第8番「悲愴」をカップリングした1枚だ。本作ではその「悲愴」第2楽章アダージョ・カンタービレが再三屋敷内に流れるから、それに注目!もっとも、ホフマイスターは当初「この曲を聴くと心を動かされる」とつぶやいていたが、屋敷内でフリドリックの存在が大きくなり、シャーロットや子供たちと共にはしゃぐ声が耳についてくると、シャーロットが弾く「悲愴」のピアノ音すら騒々しく感じられるようになったから、何とも勝手なものだ。また、それにつれて、ストーリー展開も美しいピアノの響きとは全く違うものに・・・。
本作中盤では、「愛の名匠」パトリス・ルコント監督が描くフリドリックとシャーロットとの「間接の性」の展開が見どころだ。視覚上ではある時はそれは、オペラ「フィデリオ」鑑賞時にオペラグラス越しに見るシャーロットの肩や背中に、そしてある時は屋敷内のテーブルの下で見るシャーロットの靴や足になる。そのエロティックさをいかに描くかが「愛の名匠」のテクニックの見せ所だ。しかし、2人が散歩する時に、「いい香りだ」「それを聞くのはぶしつけよ」というセリフの中で語られる、シャーロット愛用の香水「ルール ブルー」から、あなたは何を感じ取ることができる?聴覚や視覚は「愛の名匠」のテクニックによっていろいろと感じ取ることができるが、嗅覚まではちょっとムリなのでは・・・。
2015(平成27)年1月6日記