さらば、愛の言葉よ(フランス・2014年) |
<シネ・リーブル梅田>
2015年2月4日鑑賞
2015年2月6日記
「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」の大島渚は既に他界したが、本家のヌーヴェル・ヴァーグの巨匠ジャン=リュック・ゴダールは、なお健在。80歳を越えて、3D映像に挑戦!
「ゴダールの遺言である」とのル・モンド紙の評論をはじめ各紙は絶賛だが、私には、はて・・・?映像も音響も破天荒なら、ストーリーも???
いやはや、芸術は難しい・・・。
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監督:ジャン=リュック・ゴダール
/エロイーズ・ゴデ
/ゾエ・ブリュノー
/リシャール・シュヴァリエ
/カメル・アブデリ
/クリスチャン・グレゴーリ
/ジェシカ・エリクソン
犬/ロクシー・ミエヴィル
2014年・フランス映画・69分
配給/コムストック・グループ
<ヌーヴェル・ヴァーグとは?>
1930年にフランスに生まれた映画監督ジャン=リュック・ゴダールの名前は「ヌーヴェル・ヴァーグの旗手」「ヌーヴェル・ヴァーグの巨匠」という形容詞と共によく知られている。私は06年6月にキネマ旬報社が主催する映画検定の4級に、同年12月に3級にそれぞれ合格したが、そのために勉強した教科書である『映画検定 公式テキストブック』(06年、キネマ旬報映画総合研究所編)は、「ヌーヴェル・ヴァーグ」を次のとおり解説している。すなわち、
50~60年代、フランス映画界に押し寄せた新しい波のことで、週刊誌『レクスプレス』の記者のフランソワ・ジローが名づけた。若手映画人がそれまでのスタジオ製作によるウェルメイドな作品にあき足らず、積極的に戸外に出て、極力作為を廃して、最小の器材を用いて手持ちカメラで撮影し斬新なカットで旋風を巻き起こした。ゴダール、トリュフォー、クロード・シャブロルら映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』に拠っていた映画評論家出身の監督が中心。
日本では、1960年に『青春残酷物語』(60年)をヒットさせた大島渚らを、フランスのヌーヴェル・ヴァーグにちなんで「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」と呼んだが、その大島渚は既に他界していない。
<80歳を越えてなお創作意欲盛んなゴダール監督に拍手!>
ゴダールの最も有名な作品は長編デビュー作『勝手にしやがれ』(59年)。私は50年代、60年代のハリウッドをはじめ、フランス、イタリアなどの名作のほとんどを観ていると自負しているが、残念ながらゴダールが60年代に次々と発表した『小さな兵隊』(60年)、『女は女である』(61年)、『女と男のいる舗道』(62年)、『軽蔑』(63年)、『はなればなれに』(64年)、『気狂いピエロ』(65年)等を全然観ていない。
しかして、ル・モンド紙が「映画に人生を捧げ、映画史を大きく変えてしまった男による、非常に美しい映画。この映画を深く心に浸みるものにしているのは、その大いなる寛容だ。これは、ゴダールの遺言である」と評した彼の最新作は、必見!
80代にしてなお、旺盛な創作意欲を持ち続ける彼が3Dで挑戦した本作は、最大の野心作でもあるらしい。何度も観た予告編ではサッパリわけのわからないシーンが連続し、さかんに「言葉」の重要性が語られていたが、さて・・・。
<本作にみる3D映像のチャレンジへの賛否は?>
私は3D映画を製作するについての映像技術はサッパリわからないが、「ヌーヴェル・ヴァーグの巨匠」たるゴダールにとっても、3Dは面白くかつ興味深い研究の対象らしい。パンフレットには、撮影監督ファブリス・アラーニョのインタビューがあるが、それを読んでもその技術的なことはサッパリわからない。さらに、何の予備知識も持たないまま本作を観ても、一般的な3D映画にみる3D映像と、本作のそれが大きく異なっていることはわかるし、時々歪んで見えるのは「ひょっとして編集の失敗?」とさえ思えるものだ。また、いかにも知的なフランス人らしく、膨大な小説と映画の知識を前提とした、いかにも深淵そうで哲学的な問いかけの連続についていくのはしんどいうえ、音響効果を異様に効かせているから、時としてそれが耳につくことになる。
著名な映画評論家諸氏は、本作を「ゴダール 3Dの常識を覆す」(1月30日付読売新聞、小梶勝男)、「世界の新たな見方を発見」(1月30日付日本経済新聞、中条省平)等と表現し、絶賛するが、私にはそれは疑問だ。1つ空いた隣の席でビールを飲みスナックをかじりながら鑑賞していたオッチャンは、いかにもあっけない形で本作が終わった後、「俺の3Dメガネ、調子悪かったんやろか」とボヤいていたが、さてあなたは・・・?
<本作のストーリーは?こりゃサッパリわからんが・・・>
本作の登場人物は、人妻と独身男、そしてプラスα・・・。さらに、ちょっとおふざけ気味だが、本作での自然な演技が認められ、第14回パルムドッグ賞で審査員特別賞を受賞したゴダールの愛犬ロクシー・ミエヴィル。パンフレットによると、本作のストーリーは次のとおりだ。すなわち、
テーマはシンプルだ
人妻と独身男が出逢う
ふたりは愛し合い、口論し、叩き合う
一匹の犬が町と田舎を彷徨う
季節はめぐり
男と女は再会する
犬は気付くとふたりのもとに落ち着く
他者が個人の中にいて
個人が他者の中にいる
そして登場人物は三人になる
かつての夫が全てを台無しにし
映画の第二幕が始まる
第一幕と同じようで
それでもどこか異なる
人類からメタファーへと移り
犬の啼き声と赤ん坊の泣き声で
物語は終わる
しかし、これって一体ナニ?私を含めて、NHK大河ドラマや朝のNHK連続テレビ小説を観なれた日本人には、こりゃ何の物語かサッパリわからないはずだ。本作が最も重きを置いている「langage=言語」自体が難解であるうえ、そのバックグラウンドになっている、ソルジェニーツィンの『収容所列島』、ドストエフスキーの『悪霊』、ジャン=ポール・サルトルの『存在と無』、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて・囚われの女』等々の小説や映画を知っていることが「会話」の前提だから、それを知らなければそこで何が語られているのか、何が問題提起されているのか自体がわからないはずだ。
パンフレットの冒頭には、前述したル・モンド紙の評論をはじめ、各メディアが本作を絶賛する評論が並んでいるが、それって本心?それとも・・・?
2015(平成27)年2月6日記