顔のないヒトラーたち(ドイツ・2014年) |
<シネ・リーブル梅田>
2015年10月17日鑑賞
2015年10月20日記
東京裁判やニュルンベルク裁判は知っていても、1963年からフランクフルトで行われたアウシュヴィッツ裁判を知っている人は少ないのでは?ドイツ国民はもとより、世界中の人々がアウシュヴィッツ収容所の悲惨さをよく知っているのは、この裁判を断行した若き検事たちの勇気のおかげだ。
戦後70年は日本もドイツと同じ。ドイツにおけるアウッシュヴィッツ解放70周年と対比しながら、「あの戦争」をしっかり総括し、今後の日本のあるべき「枠組み」をしっかり構築したい。
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監督:ジュリオ・リッチャレッリ
ヨハン・ラドマン(駆け出しの若き検事)/アレクサンダー・フェーリング
トーマス・グニルカ(記者)/アンドレ・シマンスキ
マレーネ・ウォンドラック(ヨハンの恋人)/フリーデリーケ・ベヒト
シモン・キルシュ(強制収容所を生き延びたユダヤ人)/ヨハネス・クリシュ
エリカ・シュミット(ヨハンの秘書)/ハンシ・ヨクマン
オットー・ハラー(ヨハンの同僚の検事)/ヨハン・フォン・ビューロー
ウォルター・フリードベルク(検事正)/ロベルト・フンガー・ビューラー
ヘルマン・ラングバイン(国際アウシュヴィッツ委員会の事務局長)/ルーカス・ミコ
フリッツ・バウアー(検事総長)/ゲルト・フォス
2014年・ドイツ映画・123分
配給/アット エンタテインメント
<何とビックリ!アウシュヴィッツは忘れ去られた!>
戦後日本の経済復興は目ざましかったが、同じ敗戦国ドイツでもそれは同様だった。1958年、フランクフルト。戦後十数年経ち、ドイツは経済復興の波にのり、国民は戦争の記憶を忘れつつあったらしい。ナチス・ドイツによるユダヤ人の大虐殺。その象徴と言えるものがアウシュヴィッツ収容所だ。ドイツでは戦後70年目を迎えた2015年1月にアウシュヴィッツ解放70年目の追悼式典が開催され、メルケル首相は、「ナチスは、ユダヤ人への虐殺によって人間の文明を否定し、その象徴がアウシュヴィッツである。私たちドイツ人は、恥の気持ちでいっぱいです。何百万人もの人々を殺害した犯罪を見て見ぬふりをしたのはドイツ人自身だったからです。私たちドイツ人は過去を忘れてはならない。数百万人の犠牲者のために、過去を記憶していく責任があります」と述べた。
ナチス・ドイツがヒトラーという稀有なリーダーの下で、なぜあれほど巨大な勢力となり、第2次世界大戦を引き起こしたのか。そんな複雑な政治状況や世界情勢についてほとんど知らない人でも、今日ではアウシュヴィッツの悲劇についてはよく知っている。したがって、当のドイツ人は若者から子供、お年寄りに至るまで、すべてアウシュヴィッツのことはよく知っているはず。本作を観るまで私はそう思っていたが、何と本作の主人公である若き検事ヨハン・ラドマン(アレクサンダー・フェーリング)は、検察庁のロビーに現われたジャーナリストのトーマス・グニルカ(アンドレ・シマンスキ)が検事正のウォルター・フリードベルク(ロベルト・フンガー・ビューラー)に対して、元親衛隊のアロイス・シュルツが違法に教師をしているという苦情を申し立てるまでアウシュヴィッツのことは全く知らなかったらしい。
しかし、何と驚くなかれ。それは何もヨハンが無知なためではなく、1958年当時のヨハンと同世代の若者はほとんどアウシュヴィッツのことは知らなかったらしい。それは一体なぜ?また、今ではなぜアウシュヴィッツのことをドイツ国民を含む世界の人々が知っているの?そのことを、本作を鑑賞することによってじっくりと。
<この記事はなぜ生まれたの?その反響は?>
検事の中でただ一人、グニルカの話に興味を抱いたヨハンがシュルツの経歴を調べてみると、案の定、彼はアウシュヴィッツの親衛隊だったことが判明。それを聞いた検事正はそのことを文部省に確認すると約束したから、シュルツは免職処分。そして、これにて一件落着。ヨハンは単純にそう考え、これをグニルカに報告したが、グニルカはその報告をハナから信用しなかった。そこでヨハンが自分の足で調べてみると、シュルツは前のまま教師の仕事をしていたから、アレレ・・・。
他方、グニルカはちゃっかりヨハンが集めた資料を失敬した(盗み出した)うえ、「闇に葬られたスキャンダル」と題する記事を発表したから、ヨハンは検事総長のフリッツ・バウアー(ゲルト・フォス)から大目玉をくらうことに。こんなストーリーを見ていると、友人である元アウシュヴィッツ収容者のシモン(ヨハネス・クリシュ)から得た情報で検察庁に乗り込んだグニルカは、優秀な記者ながらネタを入手するためには何でもする嫌なヤツと思えてくるが、実は・・・。また、検事正のウォルターは明らかにヨハンがアウシュヴィッツのことを調べることに反発していたが、検事総長のバウアーのスタンスはどうもそうではないらしい。中盤以降そのことが少しずつ見えてくるから、それに注目!
<本作が描く、アウシュヴィッツ裁判とは?>
記事のおわびとしてグニルカからパーティーに誘われたヨハンは、その夜、酔いつぶれたシモンをグニルカと共に自宅に送ったところで、シモンがアウシュヴィッツから持ち帰った実名入りの親衛隊の資料を発見。これをバウアー検事総長に報告したところ、検事総長はヨハンに対して膨大な資料の中に埋もれているアウシュヴィッツの被害者と証言者を結び付け、ナチ党員によるアウシュヴィッツの戦争犯罪を裁く行動に本格的に踏み出すことを指示。
日本の「東京裁判」と同じく、ドイツの「ニュルンベルク裁判」はよく知られているが、これらはいずれも戦勝国が敗戦国たる日本やドイツの「戦争犯罪」を裁いたもの。それに対して本作が描く「アウシュヴィッツ裁判」は、1963年12月20日から1965年8月10日まで西ドイツのフランクフルトで開かれた裁判で、アウシュヴィッツでホロコーストに関わった人たちをドイツ人自身によって裁き、ドイツの歴史認識を大きく変えたものだ。今ヨハンは、同僚のオットー・ハラー検事(ヨハン・フォン・ビューラー)と秘書のエリカ・シュミット(ハンシ・ヨクマン)と共に膨大な資料との格闘を開始したが、さてその前途は・・・?
<戦後の「非ナチ化」の徹底度は?>
私は『ハンナ・アーレント』(12年)(『シネマルーム32』215頁参照)を観て、1942年生まれのドイツ人女性監督マルガレーテ・フォン・トロッタの名前をはじめて知った。また、アメリカに亡命した女性哲学者ハンナ・アーレントが書いた「アイヒマン裁判」傍聴記が説いた「悪の陳腐さ(凡庸さ)」についてはじめて知り、大きなショックを受けた。
さらに、本作を観てショックを受けたのは、「アイヒマン裁判」も「アウシュビッツ裁判」も未だ提起されていない1958年当時のドイツは経済復興にまっしぐらで、国民全体が忌まわしいナチス・ドイツの記憶を忘れようとしていたため、バウアーが言うように、「政府機関内にナチ党員が未だに存在し、殺人の確固たる証拠なしに戦争犯罪者を裁くことができない」という状況だったことだ。つまり、戦後のドイツでは社会の「非ナチ化」は表面的にしか行われず、西ドイツの諜報機関や警察、外務省、法務省などには元ナチス党員らが数多く働いていたらしい。
日本では1945年8月15日の敗戦を契機として、突然「天皇陛下万歳の軍国主義」から「アメリカ万歳の民主主義」に180度切り替わった。また、東京裁判におけるA級戦犯、B、C級戦犯の処分と戦争遂行協力者に対する公職追放処分によってあの戦争の「総括」を終了したが、ドイツにおける「非ナチ化」もその程度でお茶を濁していたわけだ。
<追及を徹底すれば、父親世代はみんな犯罪者?>
本作では、ヨハンがアウシュビッツ裁判にのめり込んでいく動機が正義感なのか、それとも立身出世、名誉欲なのかが微妙なところに注目したい。もちろん、ヨハンは検事としてそれが正義であると信じこんでいるが、「君のせいで若い世代が父親に犯罪者だったかと問いつめるのか?」と反論するウォルター検事正の考え方にも一理ある。
日本だって、あの戦争に徹底的に反対したのは日本共産党だけで、マスコミはもちろん学者、文化人たちがこぞって「聖戦」の遂行に協力したのは厳然たる事実だ。したがって、ヨハンが国際アウシュヴィッツ委員会の事務局長ヘルマン・ラングバイン(ルーカス・ミコ)の助けを借りて多くの証人の尋問に成功し、アウシュヴィッツの悲惨な実態に迫れば迫るほど、ヨハンの父親世代たちの悪行が次々と明るみに出ることに。ヨハンは今、アウシュヴィッツで働いていた8000人全員を容疑者と考え、住所から容疑者を特定するために、ドイツ全域の電話帳と格闘していたが、それを徹底させれば一体どうなるの・・・?
こんな風にアウシュヴィッツの過去を掘り下げることのみに執着するヨハンと、現在を生き前向きな生活を夢見る恋人マレーネ・ウォンドラック(フリーデリーケ・ベヒト)との間にすきま風が吹きはじめたのは当然だ。さらに、いまだ戦争捕虜として家に戻っていないと母親から聞かされ、深く尊敬していた父親もまたナチ党員だったことが示唆されると・・・?そんなバカな!と思いつつ、ヨハンが米軍の資料によってこの事実を確認すると、それまでのヨハンの価値観、世界観が崩壊してしまったのは当然だ。そんな中、ヨハンは最悪の事態を迎え、検事を辞め某弁護士事務所に就職することまで決意したが、さてその立ち直りは・・・?
<メンゲレ医師が先?それともアイヒマンが先?>
『ハンナ・アーレント』には、バチカン発行のビザと偽名を使ってアルゼンチンへ逃亡し、潜伏生活を送っているアドルフ・アイヒマンの追及に血眼になるイスラエル諜報部(モサド)の姿が描かれていた。アイヒマンは、数百万人のユダヤ人を強制収容所に移送するについて指揮的役割を担った男だが、本作にもその「モサド」が登場する。それは、アウシュヴィッツ裁判の捜査を決断したバウアー検事総長がその権限にもとづいて世界中からあらゆる情報を収集していたためだが、今ヨハンが誰よりも追及の矛先を向けているのはヨーゼフ・メンゲレ医師。彼は、シモンの双子の娘を含む多くのユダヤ人に対してアウシュヴィッツ収容所でさまざまな人体実験を行った、「死の天使」と呼ばれていた悪魔のような医師だ。
そのメンゲレは南米で逃亡生活を送っているものの定期的にドイツに戻り、家族との平穏な時間を享受しているとの情報をモサドの協力の中で得たから、ヨハンの怒りが頂点に達したのは当然。しかして、ヨハンは父親の葬儀のために帰国していたメンゲレの逮捕に向かったが、そこでは連邦情報局(BND)の協力は得られず、メンゲレを逃してしまうことに。モサドによるアイヒマンの逮捕はそんな時期と重なっていたらしい。その結果、アイヒマン裁判は『ハンナ・アーレント』で描かれたとおり、世界中に大反響を巻き起こしたわけだが、さてメンゲレ医師の方は?
アイヒマンの逮捕はバウアー検事総長やモサドがメンゲレ医師よりアイヒマンの逮捕を優先させたためだが、それによって自分の危機を覚ったメンゲレは結果的に逃げ通し1979年ブラジルで溺死したそうだ。メンゲレの逮捕に躍起となるヨハンに対して、バウアー検事総長は「メンゲレは国に守られている。他の容疑者に集中しろ」と、アドバイスするとともに、重要なのは多くのナチ党員幹部を逮捕するだけでなく、多くの罪はナチス時代に“ごく普通のドイツ人”によってなされたことだと説明したが、1度ならず2度までもメンゲレの逮捕に失敗するヨハンの姿を見ていると、この若い検事の「総合力」はバウアー検事総長にはほど遠いが・・・。
<アウシュヴィッツ裁判の結末は?そのホントの意義は?>
『12人の怒れる男』(07年)(『シネマルーム21』215頁参照)や、アメリカの小説家ジョン・グリシャムの作品をはじめとして「裁判モノ」の名作は多いが、アウシュヴィッツ裁判をテーマとした本作はそんな「裁判モノ」ではない。本作は、あくまで1963年12月20日からフランクフルトで始まったアウシュヴィッツ裁判に至るまでの、ヨハンたち若き検事の5年間にわたる正義のための闘いと、「反ナチ」を徹底させることによって必然的に生じる「父親世代叩き」の苦悩を描くものだ。膨大な資料を調べ上げ、それに関係する多くの証人たちの調書をとったヨハンたちがアウシュヴィッツ裁判で最終的に起訴したのは、アウシュヴィッツ収容所でホロコーストに加わった20名。裁判で被告人らは自分の容疑を否認したが、結果的に6名が終身刑、11名が懲役刑、3名が無罪とされた。
寡聞にしてアウシュヴィッツ裁判そのものの存在を知らなかった私は、もちろんその結果も知らなかったが、アウシュヴィッツ裁判のホントの意義はこのような裁判の結果以上に、アウシュヴィッツにおけるホロコーストの実態を全世界に赤裸々に知らしめたことになる。ちなみに、『日本共産党闘争小史』は治安維持法違反で起訴された日本共産党の幹部、市川正一の裁判記録だが、そこでは最初からわかっている有罪の結論ではなく、そこで市川正一がどんな主張をしたかを世間に知らしめることに意義があったことは明らかだ。
私たち今の日本人がアウシュヴィッツ収容所でナチスが行ったホロコーストの実態をよく知っているのは、まさにヨハンたちが正義を追求し、私的な苦悩を乗り越える中で実現させたアウシュヴィッツ裁判のおかげなのだ。本作を鑑賞するについては、そんな視点でアウシュヴィッツ裁判の結論だけではなく、その裁判が提起されたことの意義とその中でヨハンたちが主張、立証した内容の意義をじっくりと考えたい。
2015(平成27)年10月20日記