団地(日本・2016年) |
<シネ・リーブル梅田>
2016年6月12日鑑賞
2016年6月15日記
是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』(16年)に続いて、「昭和な空間」=「団地」を舞台にした阪本順治監督の話題作が登場!大阪弁による「しゃべくり劇」は楽しさ
いっぱいの人情劇。そう思っていたが、アレレ・・・。ひょっとして本作はSFモノ・・・?
仏壇屋も漢方薬局も、人の死と向き合う商売。そう考えればこの結末にも納得だが、人間の妄想の広がりは所詮ワケのわからないもの。したがって、それについていくのはしんどいうえ、ある意味バカバカしい・・・。
でも、こんな映画からしっかり「死生観」を考えることは大切かも・・・。
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監督・脚本:阪本順治
山下ヒナ子(主婦、清治の妻)/藤山直美
山下清治(元漢方薬局店主、ヒナ子の夫)/岸部一徳
行徳君子(団地のゴミ管理人、正三の妻)/大楠道代
行徳正三(団地の自治会長、君子の夫)/石橋蓮司
真城貴史(異星人のような青年)/斎藤工
吉住将太(自治会長の座を狙うDV男)/宅間孝行
吉住喜太郎(将太の継子)/小笠原弘晃
宅配便の青年/冨浦智嗣
東(バツイチ、団地妻4人組みのリーダー格)/竹内都子
西/濱田マリ
南/原田麻由
北/滝裕可里
スーパーの主任/三浦誠己
権藤(ヒナ子が勤めるスーパーの常連客)/麿赤兒
パーソナリティ/浜村淳
2016年・日本映画・103分
配給/キノフィルムズ
<「社会派」阪本順治監督の別の顔を本作で!>
阪本順治監督のデビュー作にして出世作となった、赤井英和主演の『どついたるねん』(89年)は、弁護士として最も忙しい時代を過ごしていた私には無縁の存在だった。また、日本アカデミー賞最優秀監督賞等を受賞した、藤山直美主演の『顔』(00年)も弁護士業務が忙しい中で観ていない。しかし、試写室通いを始めた2001年以降の『KT』(02年)(『シネマルーム2』211頁参照)、『亡国のイージス』(05年)(『シネマルーム8』352頁参照)、『闇の子供たち』(08年)(『シネマルーム20』153頁参照)、『人類資金』(13年)(『シネマルーム32』209頁参照)はいずれも、私に「社会派監督!阪本順治」をハッキリと印象づけてくれた。
そんな阪本順治監督の本作は、『顔』に続いて18年ぶりに藤山直美を主演に迎えた完全オリジナル脚本モノ。パンフレットにある彼のインタビューによると、本作の物語の着想は、頭の中でふと「団地」を舞台にした今回のラストシーンが浮かび、その映像から具体的な物語が広がっていったそうだ。また、「『団地』は、藤山直美さんという女優を通して、阪本監督が自己を語った作品でもあるわけですね。」との質問に対して、彼は次のとおり答えている。すなわち、
そこまで大げさな意識はありませんが、今回は藤山さんに僕の妄想を演ってもらいたかった(笑)。そうすれば自ずと『顔』とは似ても似つかぬ作品になるだろうと。そういう読みはあったと思います。また完全オリジナル脚本なので、執筆時の精神状態は無意識に反映されているかもしれませんね。
これを読むと、少なくとも本作は社会派の問題提起作でないことは明らかだ。前記4つの社会派の問題提起作品に私はいずれも星5つをつけているが、阪本順治作品として私が観たそれ以外の『大鹿村騒動記』(11年)(『シネマルーム27』224頁参照)、『北のカナリアたち』(12年)(『シネマルーム30』222頁参照)は星4つ。また、『座頭市 THE LAST』(10年)は観る気もなかったし、近時の『ジョーのあした―辰吉𠀋一郎との20年―』(16年)も同じだった。
このように、私の採点は偏っているかもしれないが、さて、新聞紙評でも大きな話題になっている本作の私の採点は?
<本作のテーマは「人は亡くなったらどこへいく」>
本作のテーマは「人は亡くなったらどこへいく」。それ自体は極めて重いテーマだが、阪本監督はそれを本作でいかに表現していくの?そこでポイントになるのが、彼の「妄想」の背景になった子供時代の生家の仕事と、本作の主人公である山下清治(岸部一徳)、山下ヒナ子(藤山直美)夫妻の仕事だ。それについて、阪本監督は前記の質問の中で、次のように答えている。すなわち、
うちの生家は九十年続いた仏壇屋だったのですが、実はこのシナリオに取りかかる少し前、事情があって店を畳んでるんです。僕自身、映画監督ではなく阪本家の長男として、一年ほどその手続きに忙殺されていた。そんな経緯があったので、自分の半生と家業の関係を振り返るモードになっていたのかなと。仏壇屋というのはある意味、人様の死にかかわる商売です。訪れるお客さんの多くは、家族を亡くして悲しみにくれている。そういう姿を幼い頃から間近で見てきたので、自然と「人の魂は、亡くなった後どこに行くんだろう」と考えるようになりました。『団地』に出てくる藤山さんと一徳さん夫婦は、不慮の事故で一人息子を亡くし、老舗漢方薬局を閉めて引っ越してきますよね。その設定にはおそらく、僕の原風景が入り込んでると思う。
もっとも、仏壇屋や漢方薬局という「稼業」だけで、「人は亡くなったらどこへいく」というテーマを語るのは少ししんどい。そこで、阪本監督が自己の妄想の中に登場させた本作の奇妙なキャラが、若い女性に大人気のイケメン俳優、斎藤工演じる真城だ。導入部に登場して、漢方薬を処方してもらうために、わざわざ清治の団地を訪ねてくる真城の姿を見ていると、たちまち本作の「妄想性」がくっきりと!無表情を貫き、リアクションが全くないうえ、「ごぶさたです」を「五分刈りです」と言いまちがえるこのケッタイな男は一体何者?単なるバカ?それとも、ひょっとしてエイリアン?そんな真城の「本質」についても、阪本監督は前記の質問に対して、次のように語っているので、それに注目!
また劇中で斎藤工君が口にする「こっちの世界こそが非現実の世界ですから」という台詞もまた、小さい頃から考え続けて思い至った僕自身の価値観なり世界観を、ある部分で代弁しています。
<舞台は「昭和な空間」=「団地」>
今年は偶然にも、「昭和な空間」=「団地」を舞台にした名作が2つ登場した。その一つが是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』(16年)で、もう一つが本作だ。私は高校を卒業するまで松山市内の古い戸建ての家に住んでいた。そして、大学に入ってからはアパート住まい、司法試験に合格した後はしばらくの寮生活を経て結婚し、戸建ての貸家から4戸一のマイホーム購入となり、その後も自己所有の戸建てとマンションに住んできた。そのため、団地住まいの経験は全くない。しかし、松山でも団地生活をしている友人はたくさんいたし、大阪で有名な千里ニュータウンの団地は、弁護士になった後の仕事上でさまざまな接点があった。さらに、都市問題をライフワークにしてからは、「マンションの建替え」(団地の建替え)という法律問題が大きなテーマとして浮上し、勉強の対象になった。
昭和の高度経済成長を代表する名物が「団地」だが、本作でヒナ子が「団地ってオモロイなあ・・・噂のコインロッカーや」と語るとおり、人間ドラマの舞台として団地は最高に面白い。「噂のコインロッカー」役を演じるのは、東(竹内都子)、西(濱田マリ)、南(原田麻由)、北(滝裕可里)たちだが、毎日のように団地の裏の林を散歩していた清治の姿がしばらく見えなくなると噂が噂を呼び、ついには「山下さんていう人、殺されてると思う・・・」とまで「妄想」が広がることに。さらに、その妄想は次第に「不安」に変わり、警察を呼び込む大騒動に。清治がヒナ子に対して「死んだことにしてくれ」と告げて床下の収納庫の中に潜り込んでしまったのは事実だが、それは一体なぜ?
こんな風に、団地を舞台とした大騒動が展開していく中、長年の清治の顧客だった真城が久々に清治を訪れ、願い出たこととは?
<清治の変調(?)は、「権力争い」に敗れたため?>
大統領候補者としてヒラリー・クリントン(民主党)vsドナルド・トランプ(共和党)の対決が確定し、2016年11月の決戦投票が迫ってきたアメリカの大統領選挙や、つい先日、50.12%vs49.87%の投票率でペドロ・パブロ・クチンスキーがケイコ・フジモリに勝利したペルーの大統領選挙を見ていると、政治は権力争いであることがよくわかる。また、舛添要一東京都知事の「政治資金規正法違反疑惑」(公私混同問題)に端を発した騒動の中で、都知事の座にしがみつく舛添氏の姿を見ていても、政治は権力争いであることがよくわかる。それと同じように、人間が集まるところにはどこでも権力争いが生じることは、本作が描く団地内の自治会長選挙の姿を見ればよくわかる。
現在の自治会長はこの団地には珍しい東京生まれで、気っ風のよさを自慢する調子のいい男、行徳正三(石橋蓮司)。ところがその「対抗馬」として、旦那の浮気を疑っている妻の行徳君子(大楠道代)の「他薦」によって立候補することになった清治も、「僕なんか」の言葉とは裏腹に、どうやらまんざらではなさそう。そんな「二強」(?)の中に割って入ったのが、報道関係の仕事で忙しいはずなのに、あえて立候補してきた、何かと嫌われ者の吉住将太(宅間孝行)だ。将太の票は自分の分と妻の分の他はわずか3票で完敗だったが、意外だったのは清治が伸び悩んだこと。正三の圧勝という結果を受けて、君子たちが、「思ったより人望なかったんやね、清治さん」と噂しているのを聞いた清治が大きなショックを受けたのは当然だ。このように、阪本監督による団地内の人間に対する観察眼はユーモアたっぷりながら鋭い。
しかして、自治会長選挙終了後の清治の行動はどこか変だから、それに注目!さて、清治のこの変調(?)はこの「権力争い」に敗れたため?
<再び真城が登場!それを受け容れた心の空白とは?>
収納庫の中に潜り込んだ清治と違い、妻のヒナ子の方は、毎日通っているスーパーのレジでの働きぶりについて主任(三浦誠己)から毎日のように文句を言われているが、それに落ち込むことがないのは立派。さらに、「噂のコインロッカー」である団地の中で、夫の失踪願いも出さないことをいろいろ言われても、それにもめげる気配も全くない。さすが、大阪のおばちゃんは大したものだ。しかし、スクリーン上に時々登場する2人の「夫婦喧嘩」の様子を見ていると、清治だけではなくヒナ子の方も、死んだ息子をめぐる気持ちの整理がついていないことは明らかだ。外目には全然わからないものの、ヒナ子の心の中にそんな重い悲しみが今なお残っていることを、喜劇女優(?)藤山直美が鮮やかに見せてくれるのでそれに注目!
しかして、自治会長選挙という団地内の「権力闘争」に敗れた清治と、その後の清治の奇妙な行動を見守るヒナ子の、「心の空白」の中に入り込んできたのが真城。さて、真城はこの2人の「心の空白」の中に一体ナニを持ち込んできたの?
<死者との接点は?こんな結末は好き?嫌い?>
5月30日に観た『復活(RISEN)』(16年)は、聖書で有名な、ローマによって磔の刑に処せられたイエス・キリストの、文字どおりの「復活」の奇跡を描いた映画だった。他方、宇宙船に乗って地球にやって来た地球外生命体が突然、南アフリカ共和国の首都ヨハネスブルグに降り立ったという独創的な設定で、奇想天外な物語を展開させた映画が『第9地区』(09年)だった(『シネマルーム24』30頁参照)。宇宙船やロボットが登場する「SFモノ」はたくさんあるが、そこで描かれる宇宙船やロボットの姿はさまざまだ。また、「死者との接点」や「死者との語らい」をテーマにした映画もたくさんあるが、そこでは科学性に重点を置くか、霊的なものに重点を置くかによって、その映画の作風が決まることになる。
本作はタイトルどおり「昭和な空間」=「団地」を舞台とした、わかりやすい大阪弁の「しゃべくり劇」だと思っていたが、導入部から人間離れした真城という異様な人間が登場する。さらに、清治が裏山で時々会う、吉住将太からドメスティック・バイオレンス(DV)を受けている継子の喜太郎(小笠原弘晃)も、いつも『ガッチャマンの歌』を歌っているが、その行動はどこか人間離れしていて変。さらに、時々真城宛の漢方薬を集荷にやってくる宅配便の青年(冨浦智嗣)も、「3分以上たってるともたない」と山下家を訪れる度にトイレを借りているが、この男もかなり変で人間離れしている。そう考えてみれば、あなたのまわりにもこんな人間離れしたエイリアンのような人間がいっぱいいるのでは・・・?
阪本順治監督は1958年生まれだから、還暦少し前。そんな年齢にもなれば、生家の仏壇屋で子供の頃に考えていた死者との接点について、藤山直美をイメージしながらいろいろ妄想を膨らませていくと、なるほどこんな形に・・・。私がスクリーン上で見た阪本監督の妄想の結末についてはこれ以上ここで書くことはできないので、あなた自身の目で確認してもらいたいが、阪本監督自身も「こういう遊びを入れた脚本は、やりかたによっては作り手の自己満足が強く出てしまう。」と語っているように、こんな映画は好き嫌いがハッキリ分かれるのはやむをえない。しかして、世間ではかなり肯定的だが、私はかなり否定的!
2016(平成28)年6月15日記