ある戦争(デンマーク映画・2015年) |
<シネ・リーブル梅田>
2016年10月30日鑑賞
2016年11月2日記
昨年9月に「平和安全法制関連2法」を成立させたわが国は、今やっと「駆けつけ警護」の在り方を議論しているが、小国デンマークは既にアフガニスタンに駐留軍を派遣!敵の攻撃を受けた部隊長は敵の「視認」をしないまま空爆を要請したが、さてその可否は?
本作後半に展開される裁判劇は、自衛隊の海外派遣をめぐる「神学論争」に明け暮れてきた日本人は必見!本作の展開を遠くの出来事としてでなく、日本人にも身近なものとして真面目に考えなくちゃ・・・。
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監督・脚本:トビアス・リンホルム
クラウス・ミケル・ペデルセン(駐留軍の部隊長)/ピルー・アスベック
マリア・ペデルセン(クラウスの妻)/ツヴァ・ノヴォトニー
マーティン・R・オルセン(弁護士)/ソーレン・マリン
カイサ・デニング(法務官の女性)/シャルロット・ムンク
ナジブ・ビスマ(通信兵)/ダール・サリム
ルトフィ・“ラッセ”・ハッサン(クラウスの部下の兵隊)/ダルフィ・アル・ジャブリ
2015年・デンマーク映画・115分
配給/トランスフォーマー
<今ドキの戦争は?駐留部隊の仕事は?>
10月20日に鑑賞した『追憶』(15年)で見たペリリュー島へのアメリカ軍の空爆と艦砲射撃は凄まじかったし、スティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』(98年)に見る冒頭約20分間の戦闘シーンもすごかった(『シネマルーム1』117頁参照)。かつての『史上最大の作戦』(62年)をはじめとして、有名な戦争映画(戦争大作)では猛烈な戦闘シーンが売りモノだが、2001年のアフガニスタン紛争、2003年のイラク戦争以降は、『告発のとき』(07年)(『シネマルーム19』261頁参照)、『ハート・ロッカー』(08年)(『シネマルーム24』15頁参照)、『アメリカン・スナイパー』(14年)(『シネマルーム35』24頁参照)に代表されるように、ハリウッド映画は猛烈な戦闘シーンよりも圧倒的な軍事力を持ちながらもゲリラや地雷、そして誰が敵かわからない戦いに苦しむ米軍兵士の姿を中心に描いてきた。
しかして、デンマーク映画の本作冒頭では、アフガニスタンに駐留しているクラウス(ピルー・アスベック)を部隊長としたデンマークの部隊の活動が描かれる。日本では平成26年7月の集団的自衛権の閣議決定と平成27年9月に成立した「平和安全法制関連2法」の影響を受けて、現在自衛隊の「駆けつけ警護」のあり方が議論されているが、日本より小国のデンマークの方がその点は先行しているわけだ。
<戦闘地域と非戦闘地域の区別は?>
かつて小泉内閣時代の国会審議で、民主党菅直人代表の「非戦闘地域というのはフィクションではないか。1カ所でも言ってみてください」との質問に対して、小泉総理は「今イラクのどこが非戦闘地域で、どこが戦闘地域か、そんなの私に聞かれたって分かるわけがないじゃないですか!」と答えて物議を醸したが、そんな問答を含めて、国会での自衛隊の武器使用手続や駆けつけ警護をめぐる議論は、私にはほとんど無意味な「神学論争」に思えてならない。
もちろん、法律上の一定の歯止めは必要だが、刑法が定める正当防衛や緊急避難以上にそれを事細かく定めることにどこまで意味があるの?海上における掃海艇による爆雷の除去が危険なら、陸上における地上部隊による地雷の除去も危険。戦地では戦闘地域と非戦闘地域を明確に定義することなど事実上不可能なのだ。そう考えると、自衛隊は安全地帯でしか行動してはならない、などというバカげた理屈は世界に通用しないのでは・・・?
巡回任務に出ていたクラウスの部隊の若き兵士の足元で突然地雷が爆発し、その兵士が死んでしまう冒頭のシーンを見ていると、まさにその感を強くする。そんな巡回任務に何の意味があるの?そんな不平不満が言えるだけ今の軍隊は民主的になったということだが、意気消沈した隊員たちをなだめ、巡回任務の必要性を納得させるため、クラウスは「明日から俺も巡回に出る」と宣言したが、それって良いこと?それとも・・・?
<彼は民間人?それともタリバン?その区別は?>
1937年のいわゆる「南京事件」における中国側の主張は「30万人の中国人が虐殺された」ということだが、それってホント?ウソ?その学術的回答は既に出ていると私は考えているが、陸川監督の『南京!南京!』(09年)やフロリアン・ガレンベルガー監督の『ジョン・ラーベ 南京のシンドラー』(09年)を観ればわかるとおり、何人の中国人が殺されたのかという問題以前に、日本軍の進撃の予想以上の早さに南京を守る中国兵の一部が逃走し、民間人の中に紛れ込んだというのはレッキとした事実。その結果、ホントの民間人なのか、それとも民間人に化けた軍人なのかの区別がつかなくなった日本軍は、無差別に中国人を殺害したという事実もあるはずだ。
本作に見るクラウスの部隊は巡回任務だけではなく、民間人をタリバンから守るという任務でも実績をあげ、現地住民から信頼される必要があったから、クラウスたちは民間人の相談に乗りさまざまな要請にも応えていた。しかし、以前に部隊が助けた民間人の家族が避難場所を求めて基地にやって来たうえ、「タリバンは夜にやってくる。彼らに協力しないと家族もろとも殺される。助けて欲しい」と告げたが、それに対してクラウスは「とりあえず今日は帰ってくれ。明日パトロールに行き、タリバンを追い払う」と約束。そして、いかにも誠実な部隊長らしく、クラウスはその翌日村に赴いたが、村は既にタリバンに襲われあの家族は全員殺されていたからクラウスは唖然。昔の戦争は敵味方がハッキリしていたし、鉄砲を撃つ相手方もハッキリしていたが、アフガニスタンやイラクの現地で地雷除去活動や平和維持活動に従事する任務は、戦闘行為以上に難しいわけだ。
<火の粉が自分たちに!敵はどこに?>
ところが、そんな後悔の念に駆られている間に、今度はクラウスの部隊そのものが敵の攻撃を受け、いきなり部下のルトフィ・“ラッセ”・ハッサン(ダルフィ・アル・ジャブリ)は虫の息状態となり、このままでは全滅まちがいなしという危機的状況に陥ったから大変。
それまでのクラウスの部隊の任務は平和維持活動、巡回活動、地雷除去活動、民間人警護活動等だったが、部隊が攻撃を受け死傷者まで出た今は、クラウスたちに武器使用と反撃が許されるのは当然。そこで、問題はどこの敵に対して武器を使用するのかということ。また、自分たちの武器だけでは対応できない場合は後方部隊に支援を要請したり、砲撃や空爆を要請することも可能だが、そこでも問題はどこの敵に対してそれを要請するかということだ。つまり、自分たちの部隊を攻撃してくる敵を明確に認知(視認)することが武器使用による攻撃(反撃)の大前提になるわけだ。しかして、一体敵はどこから攻撃を?どうやらそれは閉鎖されている西の第6地区からのようだが、具体的な敵兵の姿は確認できないし、敵の銃口も確認できない。そんな中クラウスはいかなる決断を?
それは、敵が攻撃してきていると考えられる第6地区への無線での空爆要請だった。その2分後、爆音が周囲に轟く中で敵の攻撃がやみ、クラウスたちは無事に傷ついた部下を連れて基地へ帰ることができたから、ああよかった。誰もがそう考えたが・・・。
<空爆要請は正解?それとも軍規違反?>
10月1日に観た『ハドソン川の奇跡』(16年)では、トム・ハンクス扮するサリー機長はとっさの判断でハドソン川への不時着を決断し、それを成功させたことによって一躍ヒーローになったが、その直後にその判断の是非が国家運輸安全委員会(NTSB)で問われることになった。また、去る10月26日に仙台地裁で一審判決が言い渡された宮城県・石巻市立大川小学校の裁判では、判決は市の広報車が大川小付近で津波の接近を告げ、高台への避難を呼びかけた時点までには、教員らが大規模な津波の襲来を予見できたと指摘し、被害を避けられる可能性が高かった学校の裏山に避難しなかったのは過失だと結論づけて、約14億円の損害賠償を認容した。石巻市と宮城県は控訴したが、さてこの一審判決の是非は?
しかして、本作後半は前半とガラリと趣を変え、PID(敵兵の存在確認)がないまま空爆を要請し、第6地区に住む11人の民間人を殺害した容疑でクラウスが起訴される「裁判モノ」になっていくので、それに注目!クラウスの弁護人となった弁護士マーティン・R・オルセン(ソーレン・マリン)の説明では、起訴されて有罪になれば4年間の懲役らしい。最大の争点はPID(敵兵の存在確認)をしたか否かだが、それに対するクラウスの正直な回答は「視認はしていない」ということになるから、裁判の行方は心配だ。
それに対して、3人の子供とともに留守を守ってきた妻のマリア・ペデルセン(ツヴァ・ノヴォトニー)は涙ながらに「子供たちにはあなたが必要よ」と訴えたのは当然。他方、このシーンは弁護士の私には大いに意外だったが、弁護人のオルセンはクラウスに対して「俺の仕事は無罪を勝ち取ること。倫理観は別だ、その上でもう一度聞くが、敵を見たか?」という、あたかも偽証を教唆するような発言(アドバイス?)も・・・。このように最大の争点について中途半端な状態のまま裁判が始まることになったが、さてその展開は?
<争点はシンプル!物的証拠は?証言は?>
裁判モノの映画は多いが、本作後半に展開される裁判は争点がシンプルなだけにわかりやすい。まず、女性法務官カイサ・デニング(シャルロット・ムンク)が証拠として提出した写真や「敵を見たと伝えろ」と録音されているテープは客観的な事実を明確に立証していたから、クラウスに不利。次に証人として出廷し、「敵の姿を確認したか?」と質問されたクラウスの部下たちの答えはいずれもあいまいで、直接敵の姿や銃口を見た者はいなかったから、これもクラウスに不利。さらに、クラウス自身も「敵を確認したか?」の質問に対して「覚えていない」と答え、「覚えていないのに攻撃を?」の質問に対して、「上空支援は必要だった。ラッセを助けようとしていた」と答えたが、最終的には11人の民間人が死亡したことについては「誤算だった」と証言したから、このままではクラウスは有罪に・・・?もっとも、立証責任はあくまで検察側にあると考えるオルセン弁護士は、とにかくクラウスが第6地区から攻撃されていると判断し、「確認したのが誰であれ、敵の存在は確認した」と証言しているだけで大丈夫だと説明していたが、さて・・・?
そんな展開が続く中、スクリーン上では証人調べの最後に登場したブッチャー(肉屋)と呼ばれる通信兵のナジブ・ビスマ(ダール・サリム)が突然「敵を確認した。銃口の光を見た」と証言したから、デニング法務官もオルセン弁護士も唖然。急遽デニング法務官はその矛盾をつくべく反対尋問を続けたが、それに対してブッチャーはのらりくらりとかわしたからオルセン弁護士もダンマリを決め込むことに。弁護士の私の見立てではこりゃ明らかな偽証だが、それを立証できなければ判決はクラウスに有利に・・・?
<判決の結論は?その理由は?>
ブッチャーの証言が出ないうちは、オルセン弁護士の強気の弁にもかかわらず裁判は検察側有利に進んでいるように思えたが、ブッチャーの証言が出た以上、その信憑性の有無に争点は残るものの、かなり弁護側が有利になる、誰でもそう思うのは当然だから、デニング法務官が論告でブッチャーの証言の不自然さを具体的に指摘し、その証言は信用できないことを強調したのは当然だが、さて裁判所の判断は?それはあえて書かないでおくので、この判決言い渡しのシーンはあなた自身の目でしっかりと。
それは私の予想どおりの主文だったが、裁判モノとしての本作に私が不満なのは、その理由を一切スクリーン上で見せてくれないこと。これは判決の結論の妥当性を一人一人の観客に委ねるためのトビアス・リンホルム監督の演出であることは明らかだが、それでは弁護士の私としては本作を本格的な裁判モノ映画と認めることができなくなる。前述した大川小学校の裁判では、今後一審判決の「理由」を詳細に検討したうえ、控訴審でその是非が論じられることになるが、それが裁判というものだ。
さて、3人の合議体による裁判所は、一体どのような理由でクラウスに対して○○(△△)の判決を下したのだろうか?弁護士の私にはそれが興味深いのだが・・・。
2016(平成28)年11月2日記