甘き人生(イタリア、フランス映画・2016年) |
<シネ・リーブル梅田>
2017(平成29)年8月1日鑑賞
2017(平成29)年8月4日記
9歳の時に溺愛する母親を失った少年は、その死を受け入れられないまま今30歳となりジャーナリストとして活躍中だが、その心の中の母への想いは・・・?
イタリアの巨匠マルコ・ベロッキオ監督が「母モノ」に挑戦!『瞼の母』では、番場の忠太郎は上下の瞼を合わせればおっかさんに逢えたそうだが、母親がなぜ死亡したのかも教えられなかった本作の主人公は・・・?
美しい女医との遭遇が主人公を覚醒させてくれたのは幸いだが、ベテラン映画評論家の「絶賛」にもかかわらず、私には本作の難解さがイマイチ・・・。
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監督:マルコ・ベロッキオ
原作:マッシモ・グラメッリーニ「Fai bei sogni」
マッシモ/ヴァレリオ・マスタンドレア
エリーザ(精神科医・マッシモの恋人)/ベレニス・ベジョ
マッシモの母/バルバラ・ロンキ
マッシモの父/グイド・カプリーノ
マッシモ(幼少期)/ニコロ・カブラス
マッシモ(少年期)/ダリオ・デル・ペーロ
老教師/ロベルト・ヘルリッカ
アトス/ファブリツィオ・ジフーニ
エンリコ(マッシモの友人)の母/エマニュエル・ドゥヴォス
2016年・イタリア、フランス映画・130分
配給/彩プロ
■□■イタリア映画の巨匠が「母モノ」に挑戦!その評価は?■□■
本作公開直前の新聞での映画批評に、共に著名なベテラン映画評論家である①佐藤忠男氏の「追憶の母 美しさと優しさ」(読売新聞)と②中条省平氏の「甘き人生」「巧みなドラマ 息のむ映像」(日本経済新聞)の2つがあり、私はこれに大きく注目した。
前者は、「実にイタリア的な映画である」「手の込んだ質の高い感傷的母物なのである」「母物なら日本が本場だと思っている日本人は少なくないと思うが、こんなに批評性に富んで、そのうえで母の追憶も美しく描けている映画はちょっとない」という視点からの褒め方だ。更に、本作のチラシには、日本映画大学名誉学長の肩書で佐藤忠男氏は「ヴィスコンティ、アントニオーニ以来の本格イタリア映画の傑作!」と書いている。また、後者は「ベルトルッチが健康問題で不振の今、それとは対照的に、今年78歳になるマルコ・ベロッキオは、絶頂期にあるといって過言でない。名実ともに現代イタリア最高の映画監督である。最新作『甘き人生』は、その証明となる傑作だ」、「単に美しいだけではない、ぴんと張りつめた緊張感に息を呑まされる。これぞ名匠の業である」と絶賛!
このように両者とも本作を絶賛しており、後者を読んだ友人は「これは必ず観なければ・・・」と私に語っていたから、私もこりゃ必見!そう思って映画館へ。ちなみに、マルコ・ベロッキオ監督作品で私が観たのは、『夜よ、こんにちは』(03年)(『シネマルーム11』168頁参照)と『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』(09年)(『シネマルーム26』79頁参照)の2本。いずれも傑作だったから、本作も楽しみだ。
■□■死別した母親への想いをどう整理?■□■
映画冒頭、9歳の男の子マッシモ(ニコロ・カブラス)が、母親(バルバラ・ロンキ)の深い愛情を受けながら育てられる風景が描かれる。去る7月31日フランスの名優ジャンヌ・モローが89歳で死亡したが、フランスやイタリアの女優は肌は綺麗とは言えないが、彫りの深い美人顔が目立つうえ、スタイルと服装が良いからとにかくカッコいい。9歳のマッシモと2人でダンスに興じる母親のドレス姿一つを見ても、その美しさは際立っている。これでは、9歳の男の子が溺愛する母親を突然失った時、その現実を容易に受け入れられないのも無理はない。
しかし、いくらキリスト教では自殺は認められないからと言っても、急に母親を失った9歳の男の子に、父親(グイド・カプリーノ)から「お母さんはここよりもっと良いところに行ったんだよ」と言い聞かせても、それを理解させるのは無理。遅くとも中高校生にもなれば、父親から母親が死亡した理由をきっちり説明すべきだと思うのだが、さてイタリア人ジャーナリストのマッシモ・グラメッリーニの自叙伝ともいうべき『Fai Bei sogni(良い夢を)』を原作とした本作では、その点は如何に・・・?
ちなみに、日本の「母モノ」では、5歳の時に母親のおはまと別れ、やくざの世界に入った番場の忠太郎を主人公とした戯曲『瞼の母』が有名。番場の忠太郎は、「俺あ、こう上下の瞼を合せ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんのおもかげが出てくるんだ。それでいいんだ。逢いたくなったら俺あ、眼をつぶろうよ。」と強がりを言って男の世界を生きていたが、本作の30歳となりジャーナリストの世界で成功を収めているマッシモは今、9歳の時に死別した母親への想いをどのように整理できているの・・・?
■□■舞台はトリノ、サラエボ、ローマ。時は60~90年代■□■
外国人は年齢がわかりにくいうえ、成年になったマッシモを演じるヴァレリオ・マスタンドレアはかなり老け顔だから、30歳というのはちょっと厚かましすぎ・・・?そう思って調べてみると、『ローマに消えた男』(13年)(『シネマルーム37』未掲載)に主演していた彼は1972年生まれだから、案の定・・・。もっとも、その分演技力は達者だから、ジャーナリストとしてサラエボに赴いて取材をしたり、ローマでは新聞社の幹部として人生相談のコラムを担当したりと大活躍しながら、死別した母親への想いを断ち切れない30歳男の苦悩を見事に演じている。もっとも、社会人として大活躍し30歳にもなっているのなら、いい加減「マザコン」は断ち切ってもいいのでは・・・?
そう思っていると、スクリーン上には、少年期のマッシモ(ダリオ・デル・ペーロ)が金持ちの友人エンリコのお屋敷を訪れた際、エンリコがその美しい母親(エマニュエル・ドゥヴォス)に一方では反発しながら、他方ではあたかも近親相姦のようにじゃれあっている姿が登場する。これを見ていると、この点では前述した新聞批評で佐藤忠男氏が「この国では母親に甘える気風がとくに強い。だから逆に母性崇拝はもううんざりだと言えば共鳴する人も少なくないみたい」と書いていることに納得!また、本作は中条省平氏が言うように、「マルコ・ベロッキオ監督の傑作」かもしれないが、そのポイントはあくまで、舞台がトリノからサラエボ、ローマへ、そして、時代が1960年代から80年代、90年代と移っていく中で、マッシモの死んだ母親への想いを描いたもの。とりわけ、新聞社への「母の横暴を憎む」と題した読者の投書に対する回答を任されたマッシモが、自分の体験を踏まえた心の叫びをそのまま回答すると、これが大反響。つまり、どんな母親でも生きてさえいてくれれば、それだけで子供は幸せなのだというのがマッシモのスタンスだったが、さてその賛否は・・・?さらに、そんな内なる心の叫びを公の新聞の文字として表現したことによって、逆にマッシモが受けることになった心の痛みとは・・・?
■□■男の覚醒は美人女医との出会いから・・・■□■
本作導入部に登場する幼少期のマッシモの母親がチョー美人なら、少年期のマッシモの友人エンリコの母親もチョー美人。さらに、マッシモがサラエボ紛争の取材から、ある日パニック障害を起こして病院に電話したところ、それに対して親切かつ適切な治療方法を指示してくれた女医エリーザ(ベレニス・ベジョ)も、病院で会ってみればチョー美人。このベレニス・ベジョは、『アーティスト』(11年)(『シネマルーム28』10頁参照)で主演し、『ある過去の行方』(13年)(『シネマルーム33』113頁参照)でも主演していた女優だから美人なのは当然だが、実在の医者にもこんな美人がいることにビックリ!私は日本の医療制度は世界一と思っているが、これを見ている限りイタリアもなかなかのもの・・・?もっとも、マッシモがこんな待遇を受けることができたのはごく一部の例外だろうし、その後マッシモがエリーザと「いい仲」になっていくストーリーも、マルコ・ベロッキオ監督の脚本上だけの例外中の例外だろう。
それはともかく、30歳になるまでずっと死んだ母親の影を引きずってきた三十男のマッシモが、やっとそれを振り切り覚醒することができたのは、この美人女医エリーザとの出会いだったことは明らかだ。エリーザの祖父のパーティーに招かれたマッシモが、「僕は踊れないんだ」と言いながら、いざステップを踏み出すと見事なダンスを披露するのはちょっと嫌味。いくら巨匠マルコ・ベロッキオ監督の脚本とはいえ、これはちょっとやりすぎだが、エリーザとの出会いによって、やっとマッシモは1人前の男として覚醒!本作後半では普通はありえないそんなストーリー展開をしっかり確認したい。
■□■母親の死亡理由は?この男はそれをどう克服?■□■
前述した通り、本作の舞台はトリノからサラエボ、ローマへと移り、ラストには再びトリノに戻ってくる。そして、父親とも死別したマッシモはやっと母親との思い出がいっぱい詰まったトリノの家を売却する決心を固めるわけだが、そこで叔母さんからはじめて明かされた母親の死因は自殺だったからマッシモはビックリ!何故、父親は死ぬまでそれを息子に教えなかったの・・・?
本作には冒頭、母親と一緒にテレビを観る幼少期のマッシモが、テレビの画面上で女性が飛び降り自殺をするのを観ているシーンが登場する。また、ラスト近くでは、水着姿のエリーザがプールで見事な飛び込みの演技を見せるシーンが登場する。これらが何を物語る(暗示する)のかは、あなたの解釈次第だし、そこら辺りの難解さが巨匠の巨匠たる所以(?)だが、さあ、マッシモはエリーザとの出会いによって、亡き母親への想いをどう整理するの?
私にはなかなか理解できない難解な「母モノ」だが、さてあなたの理解は・・・?
2017(平成29)年8月4日記