ダンケルク(アメリカ映画・2017年) |
<TOHOシネマズ西宮OS>
2017(平成29)年9月9日鑑賞
2017(平成29)年9月19日記
ノルマンディーへの上陸作戦を描いた『史上最大の作戦』(62年)は勇ましかったが、ダンケルクでの「史上最大の撤退作戦」の目標は?見通しは?結果は?
史実としてのそれは明らかだが、ダンケルクに追い詰められた40万人の英仏将兵の最大の任務は、「生き抜け!生き残れ!」
『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(65年)と同じように、その成功にはさまざまな偶然の要素が重なっているが、そこにダンケルク・スピリットがあったことは本作を見ればよくわかる。日本の大和魂との比較検討もしながら、ノーラン監督流の「戦争映画ではない戦争映画」をしっかり鑑賞したい。
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監督・脚本:クリストファー・ノーラン
トミー(若いイギリス軍兵士)/フィン・ホワイトヘッド
ピーター(ドーソンの息子)/トム・グリン=カーニー
コリンズ(イギリス軍パイロット)/ジャック・ロウデン
アレックス(若い兵士)/ハリー・スタイルズ
ギブソン(若い兵士)/アナイリン・バーナード
ウィナント陸軍大佐/ジェイムズ・ダーシー
ジョージ(ピーターの親友の兵士)/バリー・コーガン
ボルトン海軍中佐/ケネス・ブラナー
謎の英国兵/キリアン・マーフィ
ミスター・ドーソン(ムーンストーン号の船長)/マーク・ライランス
ファリア(イギリス軍パイロット)/トム・ハーディ
2017年・アメリカ映画・106分
配給/ワーナー・ブラザース映画
■□■ダンケルクとは?史上最大の撤退作戦とは?■□■
ジョン・ウェインをはじめとする世界の大スターたちがこぞって連合国側の将兵役を演じた『史上最大の作戦』(62年)は、ノルマンディへの連合国側の上陸作戦(オーバーロード作戦)を178分の長尺で描いた戦争大作だった。太平洋戦争でも敗色濃い日本へのアメリカ軍の上陸作戦がどこで実施されるかは大きな注目点だったが、対ナチス戦争のヨーロッパ戦線では、アメリカを含めた連合国軍が、ナチスドイツにとどめを刺すために、どこに上陸するかが最大のポイントになった。その結果、同作公開当時中学生だった私でも「ノルマンディ」という地名を覚えたし、「史上最大の作戦」(オーバーロード作戦)を知ったが、さて本作のタイトルとされているダンケルクとは? これは地名だが、ダンケルクはどこにあり、何が有名なの・・・?
今の私はダンケルクがフランスの北端にあること、そのダンケルクでは、ドイツ軍に追い詰められた英仏連合軍の将兵約40万人がドーバー海峡を渡ってイギリスに撤退するための「史上最大の撤退作戦」(ダイナモ作戦)が断行されたことをよく知っている。しかし、今の若者たちは、そんなダンケルクにおける史実を全然知らないのでは・・・?
クリストファー・ノーラン監督はそんな現代の若者を意識したためか、『史上最大の作戦』のように史実を丹念になぞっていく手法で本作を演出せず、ノーラン監督独自のやり方で本作の魅力を形作っている。したがって、必ずしもダンケルクの史実を知らなくても本作を楽しむことはできるが、やはり前述した史実は知っておくに越したことはない。その意味では、本作のパンフレットにある白石光氏(戦史研究家)の「真実のダンケルク」と題するコラムは必読だ。さらに、本作を鑑賞するについては、各自ネット情報等でダンケルクにおける「史上最大の撤退作戦」(ダイナモ作戦)の内容をしっかり勉強しておきたい。
■□■防波堤のテーマは生き抜け若者たち!その主役は?■□■
本作はレッキとした「戦争映画」だが、『プライベート・ライアン』(98年)や『ハクソー・リッジ』(16年)のように、いかにもハリウッド的な戦闘シーンを売りにした映画ではない。ダンケルクは海に面した街で、兵士たちは遠浅の海岸上に並んでイギリスへ向かう船に乗り込むのを待っていたから、ドイツ軍にとってそれを攻めるのは赤子の手をひねるようなもの。陸上からはもとより、空からでも、海からでも集中攻撃を浴びせれば、40万人の英仏連合軍の将兵たちの命はひとたまりもないはずだ。
しかし、なぜか理由はわからないが、ナチスドイツの戦車部隊がダンケルクへの進撃を一時的に止めたのは歴史的事実。したがって、本作冒頭はダンケルクの市街戦から命からがら逃げ出す英軍兵士トミー(フィン・ホワイトヘッド)の姿が映し出されるだけで、戦闘シーンといえるようなシーンは全くない。そして、トミーが市街地を抜け出すと、彼の目の前には大きく海が広がり、浜辺に並んだ多くの英仏兵たちの姿が・・・。ハリウッド流の戦争映画を期待した人々は、それとは全然違うそんな展開にビックリするはずだが、私はノーラン監督のこの見事な演出にビックリ!
トミーは浜辺では死体を埋めていた若い兵士ギブソン(アナイリン・バーナード)と、そして、防波堤では同じく若い兵士アレックス(ハリー・スタイルズ)と知り合い、共に船に乗り込むための努力を続けることになる。それがまさに本作の防波堤における1週間の「生き抜け若者たち!」というテーマだから、本作は極めて異色な戦争映画だ。しかも、本作が異色な戦争映画になっているのは、①防波堤:1週間の出来事、②海:1日の出来事、③空:1時間の出来事、という3つのテーマを同時並行的に描きながら進んでいくこと。そして、①で、「動の姿勢」を示す主役がトミー、ギブソン、アレックスという3人の若者なら、「静の姿勢」を示すのが、ボルトン海軍中佐(ケネス・ブラナー)とウィナント陸軍大佐(ジェイムズ・ダーシー)だ。なるほど、なるほど。すると、海は?空は?
■□■海の1日の主役は民間人!こんなちっぽけな船で?■□■
戦争映画であるにもかかわらず、本作の海の主役は民間のイギリス人ミスター・ドーソン(マーク・ライランス)、その19歳の息子ピーター(トム・グリン=カーニー)、その親友のジョージ(バリー・コーガン)の3人。ドーソンは木造のプレジャーボート、ムーンストーン号の船長として、ダンケルクに残された同胞を救出するため英国海軍が要請した民間船の徴用に応じてダンケルクへ向かうことになったが、これは100%ボランティア活動だ。日本でも、太平洋戦争末期には民間の船舶が多数輸送船として動員され、その多くがアメリカの潜水艦の犠牲になったが、ドーソン船長の国家への忠誠心を見ていると、同じ島国でも日本とイギリスの根本的な違いを認識させられることになる。
こんな船がダンケルクに向かって本当に役立つの?ダンケルクに向かう途中でドイツの軍艦や飛行機で攻撃されれば、こんな小型船舶の群れはひとたまりもないことは明らかだが、ムーンストーン号がダンケルクに到達するまでの冒険行、そして、ダンケルクで大量の兵士を乗り込ませた後の冒険行は本作の見どころだから、その1日の出来事にしっかり注目したい。なお、そこにはムーンストーン号が海上で救出した謎の兵士(キリアン・マーフィ)が登場する。精神的に大きなショックを受けている彼は、ダンケルク行きを断固拒否し、それをドーソン船長に命令するという行動に出るばかりか、あるハプニングのためピーターが瀕死の重傷を負わされることになる。こんな場合、船長権限としてこの兵士を海に放り出すことができるはず(?)だが、ドーソン船長の行動はあくまで冷静だ。
邦画では、大規模な日本海軍によるキスカ島からの撤退作戦を描いた『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(65年)が興味深かったが、40万人の将兵たちの救出に向かったイギリスの駆逐艦は1隻のみで、あとはドーソン船長のような民間の小型船舶に依存していたのは何とも意外。ほんとにこんな寄せ集めの小型船舶で、40万人もの将兵をダンケルクからイギリスに撤退させることができるの?そんな心配でいっぱいだが、さてノーラン監督が本作で見せる海での1日の出来事は?
■□■空の1時間の主役は?空中戦は?空からの援護は?■□■
証人尋問が「法廷の華」なら、戦闘機同士の空中戦はまさに「上空の華」。百田尚樹の原作を映画化し、岡田准一が主演した『永遠の0』(13年)は感動的だったし、そこで観たゼロ戦とグラマン戦闘機との一騎打ちは迫力があった(『シネマルーム31』132頁参照)。それは、本作も同じだ。その主役はイギリス軍のパイロット、ファリア(トム・ハーディ)やコリンズ(ジャック・ロウデン)だが、イギリスの戦闘機ファイヤーシュミットを操縦する彼らの空中戦の力量は?そんな興味はもちろんだが、「燃料があとどれくらい持つか?」「帰還のための燃料はキープしておくように」と気にしながら、次々と舞い込んでくる任務をいかに達成するかに苦労する彼らの姿に注目したい。
戦闘機同士の空中戦では敵機の後ろにつくことが何よりも大切だが、それを実現し目の前の敵機をやっつけても、自分の後ろに別の敵機が迫ってくると自分もやられてしまうのは当然。さらに、ファリア達の本来の任務は、ドイツのメッサーシュミット戦闘機と一騎打ちする事ではなく、ダンケルクにおける撤退を援護すること。さあ、彼らはいかに命を張ってその任務を達成するのだろうか?
とことん特攻機として敵艦に体当たりすることを避けていた岡田准一扮するゼロ戦乗りの宮部久蔵は最後には見事特攻機としての任務を完遂したが、さて、過剰なまでの任務に挑み、最後には燃料切れになってしまったファイヤーシュミット機の最後の操縦は・・・?そこでも、戦闘機乗りたちの生きることへの執念をしっかり確認したい
■□■生き抜け!生き残れ!の価値をどう考える?■□■
『太平洋奇跡の作戦 キスカ』が描いた通り、キスカ島からの撤退作戦は日本海軍が成功させた唯一の大規模な撤退戦。それとは逆に、ガダルカナル島をはじめとする南方戦線で日本海軍は孤立した島々に残る将兵を撤退させることができず、無用な玉砕を強いたことは歴史上の事実だ。その後の「特攻作戦」を含めて、日本の軍部は少しずつ人命軽視=兵隊は消耗品という誤った思想に変わっていったが、本作を見れば、イギリスでは何より大切なのは将兵の命だという思想が貫かれていることがよくわかる。日本なら銃を置いたまま逃げたりしたら銃殺刑ものだが、冒頭に見るトミーの銃を放り出しての逃げっぷりのよさを見れば、その違いに唖然。
ダンケルクにおける「史上最大の撤退作戦」が奇跡の大成功と言われているのは、ダンケルクに追い詰められ、本来ならドイツ軍の陸、海、空からの攻撃にさらされて全滅していたはずの40万人の将兵のうち約35万人が無事にイギリスに撤退できたこと。彼らはその後の対独戦争において大いなる戦力になったわけだ。日本では1941年12月8日に真珠湾奇襲作戦を成功させた若く優秀なゼロ戦乗りたちが、その後1942年6月5日のミッドウェー海戦でで多数戦死したうえ、その後も次第に消耗していったが、その補充はほとんどできなかった。そればかりか、敗色濃くなると兵士一人一人が特攻兵器だという馬鹿げた思想が幅を利かすようになってしまったわけだ。
「イギリスは、絶対ナチスに降伏しない」。チャーチル首相はそう宣言し、現実にもロンドンが連日ドイツ空軍の空爆にさらされる中、じっとそれに耐えたから、その「精神主義」は日本とほぼ同じ。しかし、人命尊重主義、すなわち兵器弾薬は失っても補充できるが、将兵の命は失えばその補充は大変という合理的な価値観は、日本よりイギリスのほうが数段上だ。ノーラン監督は戦争映画の本作にそんな根源的メッセージを込めて、防波堤の1週間、空の1日、海の1時間を描いている。そこに見る「生き抜け!生き残れ!」の価値観をしっかり確認したい。
■□■ノーラン監督の2つの映画製作手法に注目!■□■
今ドキの映画はフィルムではなく、デジタルで撮るのが常識。また、撮影現場やそこでのセットにこだわらず、CG撮影で済ませるのが常識だ。ところが、パンフレットにある尾崎一男氏(映画評論家/ライター)の「現物主義をまっとうする“フィルム”メイカーの思惑」では、次のように書かれている。すなわち
それに続いて語られている技術面は私にはよくわからないが、とにかく本作を見ていると、まず第1にこのフィルムにこだわる撮影にローラン監督流の特徴があることがよくわかる。3つの異なる時間軸の中で描かれる本作は、当然ながら防波堤での1週間のできごとが一番盛りだくさんだが、その中で最も迫力あるのは、海に投げ出された兵士たちが海の中で生き残るために格闘するシーン。その姿は時々刻々と変化していく戦況の中でさまざまだが、その格闘をとらえる本作のカメラワークの素晴らしさには、すべての観客が驚かされるはずだ。
次に、パンフレットにあるプロダクションノートやノーラン監督のインタビューを読めば、ノーラン監督が本作を製作するについてCG撮影には見向きもせず、ダンケルク現地での撮影に固執したことがよくわかる。CG撮影と現場撮影との違いは私でもすぐにわかるが、『ダンケルク』というタイトルの本作で最初にはっと驚かされるのは、トミーの目の前にダンケルクの砂浜が広がるシーン。これはCGでは絶対表現できないだろう。本作のパンフレットには、押井守氏(映画監督)の「『ダンケルク』は映画を超えた巨大事業」と題されるREVIEWがあり、その中で彼はノーラン監督が「ダンケルク」での撮影にこだわったことについて、次のとおり語っている。すなわち、
黒澤明監督の完璧な現場撮影のこだわりぶりは今や語り草になっているが、ノーラン監督も今の時代状況中で、それと同じものを目指して本作を監督したわけだ。本作では、そんなノーラン監督の2つの映画制作手法に注目し、しっかり検証したい。
■□■ダンケルク・スピリットとは?大和魂との異同は?■□■
イギリスも日本も同じ島国だし、第2次世界大戦でドイツとアメリカの激しい空爆に苦しめられたのも同じ。また、苦境に陥っても絶対に降伏はしないと言い続けた頑固さも同じだ。そして、私を含む多くの日本人が知らないのが、イギリスには「ダンケルク・スピリット」なる言葉があること。これは、生き残るための「史上最大の撤退作戦」として展開されたダンケルクの戦いでイギリス人が見せた、仲間を救おうという強い思いのこと。つまり、ダンケルクの戦いではイギリスからは軍艦だけでなく、多くの民間船が自らの舵を取り、兵士と一般市民が協力し、自国の兵士を救おうと命がけで戦ったが、奇跡を起こしたのは、仲間を救おうという強い思い。すなわち、ダンケルク・スピリットというわけだ。そして、これは英国人の誇りとして、今も語り継がれているらしい。
なるほど、なるほど・・・。そんな話しを聞き、それを日本に当てはめるとすぐに思いつく言葉が大和魂だ。この言葉は太平洋戦争中の軍部の頑迷な精神主義と結びついたため今ではかなりマイナスのイメージだが、もともとはいい意味だったはず。逆に言うと、イギリスのダンケルク・スピリットも、チャーチル首相の「絶対降伏しない」もある意味頑迷な精神主義だが、今でもそれがいい意味で使われてるのは、ダンケルクにおける史上最大の撤退作戦が成功したためだ。そういう意味では、やはり歴史は勝者が作るもの。そして、生き残る言葉も、勝者のためのものなのだ。
ダンケルク・スピリットと大和魂を比べると私はそんな気がするが、さて、あなたは?日本人としては本作を鑑賞する中で、そんなこともぜひ考えてみたいものだ。
2017(平成29)年9月19日記