「笑う故郷」(アルゼンチン=スペイン映画・2016年) |
<テアトル梅田>
2017(平成29)年11月23日鑑賞
2017(平成29)年11月29日記
まずは、ノーベル文学賞作家の授賞式でのスピーチに注目!「これは喜びよりも作家として衰退のしるし」の言葉に会場が一瞬凍りついたのは当然だが、さて、その発言の真意は・・・?
「名誉市民」の称号を受けるべくノーベル文学賞作家ダニエルは、生まれ故郷のサラスへ錦を!小説の上で故郷がどう書かれていても、それは架空の世界だから、故郷は市長はじめ住民全員がダニエルを大歓迎。そう思っていたが、意外にも「反対派」も活発な活動を・・・。
幼なじみや元カノとの再会は楽しいもの。さらに、ハニートラップも故郷なら・・・。そう思わなくもないが、とんでもないドタバタ劇の展開にびっくり!ラストにはライフルに撃たれる体験まですることになるが、それだって次の新作に生かせれば、作家冥利に・・・?
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監督:プロデューサー:撮影:ガストン・ドゥプラット/マリアノ・コーン
脚本:アンドレス・ドゥプラット
ダニエル・マントバーニ(アルゼンチンの作家)/オスカル・マルティネス
アントニオ(ダニエルの幼なじみ)/ダディ・ブリエバ
イレーネ(アントニオの妻)/アンドレア・フリヘリオ
ヌリア(ダニエルの秘書)/ノラ・ナバス
カチョ市長/マヌエル・ビセンテ
フリア(アントニオの娘)/ベレン・チャバンネ
配給:パンドラ/117分
■□■冒頭に見る授賞式のスピーチにビックリ!■□■
ノーベル文学賞といえば、私にとっては2012年の中国の作家・莫言さんの受賞がビッグニュースだった。毛丹青氏のプロデュースで彼と事務所で対談をし、有馬温泉に泊まって温泉談議をしたのは、その前年2011年の7月26日。その翌年の受賞だから、かなりの確率で予想していたとはいえ、ずっとNO.1候補者になっていた村上春樹氏を押しのけての受賞にビックリ!2017年の受賞者はカズオ・イシグロになったが、ノーベル文学賞の受賞式における彼のスピーチも莫言さんのスピーチも、まあ普通だった。それに対して、本作に見るアルゼンチン初のノーベル文学賞受賞者になったダニエル・マントバーニ(オスカル・マルティネス)の冒頭でのスピーチは・・・?
万雷の拍手の中、控え室から壇上に登場したダニエルは、司会者からマイクを渡されるとおもむろに口を開いたが、そこでは受賞に感謝すると言いながらも、「これは喜びよりも作家としての衰退のしるし」との発言が・・・。これには会場が一瞬凍りついたのは当然だ。しかも、その後に続くスピーチはそれをさらに演繹していく内容だったから、「ありがとう」の言葉でスピーチが締めくくられても、なお会場は凍りついたままだった。彼がこんなスピーチをした真意は一体ナニ?彼は受賞をホントに喜んでいるの?それとも・・・?
メダルを手渡す国王をはじめとする主催者側も、会場の出席者もしばらくはダニエルのスピーチの真意を理解できなかったが、会場から遠慮がちに拍手が起きる中、やっとスタンディングオベーションに・・・。それによって授賞式はやっと格好がつき、ダニエルも無事笑顔の中で退場することができたが、それにしても彼のスピーチの真意はどこに・・・?
■□■有能な秘書がいても、決定はあくまでも自分自身で!■□■
莫言さんも、ノーベル文学賞の受賞前と受賞後ではマスコミからの注目度が全く変わったそうだ。受賞から5年間、1冊も新作を発表していないダニエルであってもマスコミからの注目度がすごいことは、有能な秘書ヌリア(ノラ・ナバス)との打ち合わせ風景を見ているとよくわかる。連日押し寄せてくるのは、各種イベントへの出席要請や講演依頼・サイン会の依頼等だが、近時のダニエルはそのほとんどを断っているらしい。
映画『ミッドナイト・イーグル』(07年)(『シネマルーム18』107頁参照)の原作者で、私の友人でもある著名作家・高嶋哲夫氏は精力的な執筆の傍ら、講演会やサイン会にもマメに出席しているから、彼のフェイスブックを見ていると、その忙しさにビックリ!しかし、ダニエルは、マスコミを中心とする世界からのそういう要請にいい加減飽きたのだろう。秘書が次々と報告する手紙の中には、彼の故郷サラスから「名誉市民」の称号を送りたいという招待状もあったが、彼は他の多くの招待状と同じように、それを瞬時に却下。
サラスは、20代の時に逃げるように出て行って以来、およそ40年も帰ったことのない彼の生まれ故郷だが、1度も帰ったことがないのは一体なぜ?そんな故郷からの招待状に彼が見向きもしなかったのは当然だが、何故かその日の夜、急に彼はヌリアを呼び出し、サラスに行くと言い始めたから、アレレ・・・。そのためには既にぎっしり詰まっている予定をすべてキャンセルしなければならないが、ダニエルの何らかの心境の変化を察したヌリアはそれに賛意。ところが、彼は秘書のヌリアも一緒に行く必要はない、あくまで自分1人で行く、マスコミにも絶対に内緒にしろ、と言い始めたからビックリ!一体ダニエルの心の中に、どのような変化が・・・?。
■□■これは実話にあらず!脚本の素晴らしさに拍手!■□■
アルゼンチンの隣国チリには、ガブリエラ・ミストラルとパブロ・ネルーダという2人のノーベル文学賞受賞者がいるが、アルゼンチンにはいない。本作の原題は「名誉市民」だが、邦題は「笑う故郷」。その舞台とされているのは、ダニエルの生まれ故郷であるサラスだ。サラスはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスから車で7時間もかかる田舎町だが、どうも架空の町らしい。ちなみに、パンフレットにある久野量一氏の「ノーベル賞作家と故郷」によれば、コロンビア出身のノーベル文学賞作家であるガルシア・マルケスの作品の舞台としていつも登場するのがマコンドだが、これは彼の生まれ故郷のアラカタカをモデルにしているらしい。そして、彼の小説のおかげでそのアラカタカが有名となり、世界中から多くの観光客が訪れているそうだ。したがって、サラスもダニエルの小説のおかげで世界的に有名なったのだから、サラス市がダニエルに感謝し、市長がダニエルに「名誉市民」の称号を贈るぐらいのことは当然だ。
ノーベル文学賞の授賞式で、司会者はダニエルのすべての小説の舞台になっているサラスのことを「小説で扱う普遍的なテーマの数々はある町の物語を通して展開されます。20年間彼は読者をかの地へと誘ってきました。そこでは彼の想像力が大いに発揮されます。あふれんばかりの独創性と実話を交えた奇抜なストーリー。示唆に富み、豊かで明白で、時に重苦しい描写が物語を紡ぎます」と紹介していたが、それはどうもキレイゴトすぎる紹介で、ダニエルとサラスとの間には様々な確執があったらしい。そのことが、ダニエルの40年ぶりのサラスへの帰郷の中で少しずつ明らかにされていくので、それに注目!
サラス市からの招待に応じてダニエルが1人で空港に降り立ったのに、迎えに来たのは車1台のみ。本来なら車で7時間もかかる道のりを、抜け道を通れば5時間で行けると豪語していた運転手だったが、悪路でタイヤがパンクすると、スペアタイヤもなく、携帯も持っていなかったから最悪。たき火をして夜明かしをしたのはある意味貴重な体験かもしれないが、ヒッチハイク状態でやっとホテルに着いたのは、やっぱり最悪。これがサラス市流の、招待状を送ったノーベル文学賞作家のお迎え?もちろん、カチョ市長(マヌエル・ビセン)はそんな不測の事態について丁寧にお詫びを述べ、滞在中のパレード、授賞式、講演会等の予定を説明したが、ひょっとして最初のお迎えの車がケチのつき始めだったのかも・・・?
■□■見どころ① 親友や元カノとの再会は?■□■
本作冒頭のノーベル文学賞受賞式でのスピーチは、すべて本作の(脚本の)オリジナルだからすごい!もっとも、パンフレットの中にあるガストン・ドゥプラット監督とマリアノ・コーン監督のインタビューによると、本作は同名の小説に先行して制作されたそうだし、「文学の世界には有力なゴーストライターが存在しますが、そのことについてお答えできません」と語っているので、ホントは誰がこの脚本を?それはともかく、本作中盤には面白い見どころが沢山あるので、それに注目!まず、見どころ①は、本作のストーリーの核心となる、ダニエルの幼なじみアントニオ(ダディ・ブリエバ)とダニエルの元カノで今はアントニオの妻になっているイレーネ(アンドレア・フリヘリオ)との出会いの面白さだ。
40年ぶりに再会した2人が男同士の抱擁を交わし、男同士のキスを交わす姿は微笑ましいが、ダニエルの元カノであるイレーネを自分がゲットした話をするときのアントニオは少し自慢げで鼻につくのが気になるところ・・・?自宅への食事の招待を受けたダニエルは超豪華な食事やアントニオの心温まる接待に喜んだが、どことなく違和感も・・・。さらに、イレーネの車で移動してる時にエンジンが故障して動かなくなると、何となく間が持たず2人でキスを交わしたりすると、さらに・・・?また、ラストの日にはアントニオとの会話の中で、1人娘フリアの恋人と一緒に「狩り」に出かける約束もしたが、実弾を使った「狩り」の獲物は一体ナニ・・・?
本作は、あくまで故郷をテーマとしたノーベル文学賞作家のお話で、スリラーでもホラーでもないが、本作ラストには、あっと驚く、そんなシーンが登場するので、それにも注目!それを指導し演出するのが、いかにも朴訥で一本気なサラスの町に生きる男アントニオだから、アントニオのダニエルへの永遠の友情のあり方に注目!
■□■見どころ② 市長の動きは?反ダニエル派の動きは?■□■
私が再開発組合の代理人として担当していた徳島市の新町西地区の再開発に関する補助金支出差止め請求訴訟は、予想通り私たちの「勝訴」で終わった。しかし、2016年3月の市長選挙で再開発を推進してきた原秀樹前市長が、再開発の白紙撤回を掲げた遠藤彰良候補に敗れたため、新市長は就任直後に再開発の権利変換処分を不認可とする処分をした。そのため、私は再開発組合の代理人として2016年8月、権利変換不認可処分の取消を求める訴訟を提起したが、裁判所は2017年9月20日、市長の大幅な裁量権を認め、市側を勝訴させる行政追従の判決を下した。このように再開発をめぐって推進派と反対派が対立することはよくあるケースだが、サラス市でもカチョ市長に反対する勢力は強力らしい。
ダニエルを「名誉市民」に推薦したのはカチョ市長だが、どうも彼はノーベル文学賞を受賞したダニエルを自分の人気取りや権力闘争に利用しようとしているらしい。ダニエルに「名誉市民」を授与する授与式はそのための絶好の舞台だし、「美の女王」を伴ったパレードもそうだ。授賞式での、ダニエルの誕生から現在までをまとめたショートムービーの上映に涙すら流していたダニエルを、市長が絵画コンクールの審査委員長に指名したのも、そんな政治利用の狙いがあったらしい。絵画コンクールでは公平さが何よりも大切。ところが、そこではサラス造形美術協会のロメロという男が自分の絵が落選したことにいちゃもんをつけてきたり、その後の処理を市長に任せていると、いつの間にかロメロの絵が入選していたり・・・。
さらに、ダニエルの講演会には多くのファンが詰めかけて、興味深くダニエルの話しを聞いていたが、そこにはダニエルがその小説の中で故郷サラスの町にいちゃもんばかりつけていたことに抗議するロメロたちの執拗な「反ダニエル」の行動も・・・。ロメロたちのそんなお行儀の悪い抗議行動は本来主催者側が阻止するのが当然。ところが、それができない中、ダニエルは精一杯紳士的な対応を取っていたが、その結末は・・・?
■□■見どころ③ 生まれ故郷にもハニートラップが・・・?■□■
ダニエルは今日まで独身を貫いているそうだが、講演会に参加し、ダニエル文学について鋭い質問をしていた若く美しい女性ファンが、その日の夜遅く、ホテルの部屋まで押しかけてくると・・・?マスコミの目が光っているノーベル文学賞作家ともなれば、ハニートラップをはじめ様々な誘惑には気をつけているはず。しかし、ブエノスアイレスから遠く離れた田舎町サラスまでやってくると、ダニエルの気持ちも少し緩んだのか、その女性をベッドの中まで受け入れてしまったから、アレレ・・・?しかも、欲望の赴くままにその後の日程を強引にキャンセルして、若い女性の魅力をたっぷり楽しんだが、そのとばっちりは?もしくは処罰は・・・?
ダニエルがアントニオを本当に信頼できる幼なじみと考えていたことは、アントニオの家に食事に招かれた時、本来なら秘密にしておくべきそんな若い女との出会い(情事?)までしゃべったことに表れている。しかし、その場でアントニオとイレーネの一人娘だと紹介されたのが何と、あの時の若い娘フリア(ベレン・チャバンネ)だったから、ダニエルは唖然!「お前、その女とヤったのか?」とのアントニオの質問に対し、「とんでもない」と否定したのは当然だが、今どきの若い娘は一体何を考えてるの?しかも、フリアには婚約者だというかなり頭の悪そうな男がついていたから、さあ、その後のストーリー展開は・・・?
ホテルのフロントスタッフの若者が、ダニエルに読んでみてくれと差し出した短編集の出来が予想外に良く、ダニエルがその出版を引き受けるまでになったというお話しは本作で唯一まともなお話。それと正反対の、アントニオとイレーネの一人娘フリアをめぐるドタバタ劇は腹を抱えて笑いたいが、あまり笑い飛ばせないのは一体なぜ・・・?それはひょっとして、それもこれも人間のなせる業だから、自分だってひょっとして・・・と考えるせい・・・?
■□■作家はすべての体験を小説のネタに!■□■
本作に見る、サラス市における3度の講演会でダニエルがしきりに強調しているのは、「小説はあくまで架空のものだ」ということ。そのため、「作品の中の、あの人物は、自分の知り合いだ」などとつまらない関心を集めるファンには手厳しく対応していた。たしかに、ダニエルが言うとおり、小説はすべてフィクション。
もちろん、人物にしろ、町にしろ、風景にしろ、そこには何らかのモデルが存在するかもしれないが、それを取り上げ、小説として構成するのは、すべて作家の想像力によるものだ。そう考えると、作家にとってはとにかく何でも体験してみることが価値であることがよくわかる。そう考えると、人が死ぬ小説を書くには、作家自身が1度死んでみるのがベスト。たしかに、それはそうだが、その体験をしてしまうと2度と書けなくなるから、いくら作家でもそれは体験したくないのが本音だ。
ところが、本作ラストでは、ホラー小説のような不気味な雰囲気の中で「狩り」のストーリーが展開していくが、ライフルの照準が合わされたのは、一体誰?そして、足早に逃げていくダニエルが、ホントに倒れてしまうことに。ええ、こりゃ一体ナニ・・・?本作はそういうミステリー的、ホラー的展開で終わってしまうの・・・?そう思っていると、本作ラストには何とも意外な結末が・・・?なるほど、なるほど。やっぱり、作家はすべての体験をネタにしなければ・・・。
2017(平成29)年11月29日記