プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード(イギリス、チェコ映画・2017年) |
<シネ・リーブル梅田>
2017(平成29)年12月10日鑑賞
2017(平成29)年12月14日記
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督・脚本:ジョン・スティーブンソン
モーツァルト/アナイリン・バーナード
スザンナ(女性オペラ歌手)/モーフィッド・クラーク
サロカ男爵(音楽界のパトロン)/ジェームズ・ピュアフォイ
ヨゼファ夫人(モーツァルトの友人)/サマンサ・バークス
スザンナの父/デブラ・カーワン
配給:熱帯美術館、ミッドシップ/103分
■□■ショートコメント■□■
◆公式ホームページによれば、本作の「イントロダクション」は次の通りだ。
◆公式ホームページによれば、本作の「ストーリー」は次の通りだ。
◆いくら何でも、本作を「『アマデウス』以来の本格的モーツアルト映画」というのは誇大宣伝にすぎる。だって、本作はモーツァルト・ファンなら誰でもよく知っている、オペラ『フィガロの結婚』のいくつかの名シーンを小出しにしたうえ、ラストでモーツァルトがプラハで作曲し、初演した新作オペラ『ドン・ジョバンニ』の1部を見せてくれるだけなのだから。つまり本作は、「本格的モーツァルト映画」ではなく、『フィガロの結婚』の演奏のためにプラハにやって来たモーツァルトが、そこで見つけた若く美しいオペラ歌手スザンナ(モーフィッド・クラーク)をめぐって、地元を代表する音楽界のパトロンであるサロカ男爵(ジェームズ・ピュアフォイ)と繰り広げる「三角関係」の物語なのだ。
『アマデウス』(84年)では、モーツァルトの天才ぶりと同時に「悪ガキぶり」が際立っていたが、本作では一方で妻のコンスタンツェに対して「君が恋しい」と手紙を書き送りながら、他方では、真剣にスザンナに対してちょっかいを出しているから、これは如何なもの・・・?
◆18世紀には音楽のパトロンになる貴族はたくさんいたはずだが、その場合大切なことは、お金だけ出して、口を出さないこと。また、絶対に守らなければならないルールは、支援する女性アーティストに肉体目当てのチョッカイを出さないことだ。ところが、プラハで1番のオペラの支援家と言われているサロカ男爵の、その露骨さときたら・・・。
他方、パトロンが如何なものなら、可愛い娘のオペラ歌手としての成功と幸せな結婚を願う父親(デブラ・カーワン)の対応も、如何なもの・・・?娘の嫁ぎ先は、家柄が良くて金持ちであればそれだけでOK・・・?モーツァルトがいらざるお説教をしたように、やはり結婚相手としては、その人柄が大切なのでは・・・?
◆若い者同士の恋への情熱は、『ロミオとジュリエット』を見れば明らかだが、サロカ男爵の厳重な監視の目をかいくぐって、モーツァルトとスザンナが一夜の情事を実現する姿はそれなりに情熱的。しかし、「次はいつ会える?」と聞くモーツァルトに対して、スザンナが「あなたに抱かれたことを良き思い出として、サロカ男爵のもとに嫁いでいきます」と言うのは、あまりに浪花節的だ。プラハでホントにこんな恋愛物語があったの?また、「ある策略」でスザンナを自宅に招き入れたサロカ男爵が、力づくでスザンナをものにするのはどこにでもよくあるストーリーだが、そこで激情のあまり首を絞めて殺してしまう展開は、ちょっとバカげているのでは・・・?
そんな結果にモーツァルトが悲しみのどん底に落ちこみながらも、締め切りギリギリにやっと新作オペラ『ドン・ジョバンニ』を完成!何とかその初演を成功させたのは立派だが、そこに妻のコンスタンツェが子供を連れてやってくると、モーツァルトはたちまちパパの顔に早変わりしたから、アレレ・・・?本作は、こんなハッピーエンドでいいの・・・?
◆『アマデウス』はモーツァルトのライバルとなった(一方的にライバルと考えていた?)宮廷音楽家サリエリの視点から、天才音楽家・モーツァルトの、ある意味ハチャメチャな人生を俯瞰した素晴らしい映画だった。そこでは、「レクイエム」の作曲を依頼される、ラストに向けたクライマックスが素晴らしかったから、プラハで「ドン・ジョバンニ」を作曲するストーリーはほんの少しだけだった。しかし、そこでも登場していた巨大なドン・ジョバンニの像には驚かされたものだ。それと同じように、「ドン・ジョバンニ」の初演をクライマックスに持ってきた本作でも、ドン・ジョバンニの大きな像が登場するので、それに注目!
しかして、モーツァルトはドン・ジョバンニにどんな人物像(悪人像)を描きながら作曲したの?そして、その初演の時には涙さえ浮かべていたが、それは一体何故?本作のラストを見れば、『魅惑のマスカレード』という軽妙なサブタイトルと正反対の、モーツァルトの心痛が伝わってくる。したがって、それなりのモーツァルト映画だが、あえてくり返せば、「本格的なモーツァルト映画」というのはちょっとムリ!
2017(平成29)年12月14日記