オーメン(アメリカ映画・2006年) |
<東宝試写室>
2006年5月31日鑑賞
2006年6月2日記
『ローズマリーの赤ちゃん』(68年)、『エクソシスト』(73年)と並ぶ、三大悪魔ホラーの1つ『オーメン』が、装いを新たに再登場!2006年6月6日の到来とともに、悪魔の子がスクリーン上で大活躍を開始・・・?悪魔の子誕生の発端は、ある病院で外交官の妻の子が密かに取り替えられたところから・・・。聖書が悪魔の数字666をキーワードとして人類に指し示したさまざまな言葉は、悪魔の出現を予言したものだが、果たして、善良なる人間は、こんなかわいい子供悪魔に太刀打ちできるのだろうか・・・?結末に示される善と悪のコントラストは絶妙で、これでは、あなたの周りにも悪魔が存在していることを、当然の前提としなければ・・・?
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監督・製作:ジョン・ムーア
ロバート・ソーン(アメリカ人外交官)/リーヴ・シュレイバー
ケイト・ソーン(ロバートの妻)/ジュリア・スタイルズ
ダミアン/シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック
ベイロック夫人(ダミアンの乳母)/ミア・ファロー
ブレナン神父/ピート・ポスルスウェイト
ジェニングス(カメラマン)/デヴィッド・シューリス
ブーゲンハーゲン/マイケル・ガンボン
20世紀フォックス映画配給・2006年・アメリカ映画・108分
<昨日は「あまんじゃく」、今日は「悪魔」・・・>
昨日観た日本映画『雨の町』(06年)は、日本各地の村社会の中に伝説的に存在する「侵入者」=「あまんじゃく」をテーマとした怪奇モノだったが、今日の『オーメン』は西欧社会ではごく一般的な存在である「悪魔」がテーマ。キリスト教においては悪魔の存在は当然のことで、聖書の中にも悪魔に関するさまざまな予言がされていることが解明されている。ホンマかいな・・・?
『オーメン』が新機軸として打ち出したのは、「悪魔の肉体には忌まわしい666という数字が刻印されている」という仮説・・・?その仮説の信憑性はともかく、悪魔が人間の姿を借りて、人間社会の中に生きているという物語は、昨日の「侵入者」=「あまんじゃく」と全く同じ発想。しかも面白いのが、『雨の町』の「あまんじゃく」は小学5年生の女の子と小学1年生の男の子だったが、この『オーメン』の悪魔は5歳の男の子ダミアン。このダミアンを演ずるシーマス・デイヴィー=フィッツパトリックの演技力は、実に恐るべきもの・・・。
<2001年6月6日午前6時>
私がいつも言っていることだが、小泉内閣の発足は2001年4月。そこから今日まで5年余りの小泉改革によって、日本国のあり方は大きく変わった、少なくとも変わるきっかけをつくることができたと私は考えている。そして、ローマに駐在しているアメリカ人の外交官ロバート・ソーン(リーヴ・シュレイバー)と妻ケイト(ジュリア・スタイルズ)との間に1人息子ダミアンが産まれたのが、2001年6月6日。すなわち小泉内閣の発足とほぼ同じ時期・・・。
もっとも、悲しいことに、このダミアンはケイトが産んだ子ではなく、他の女性が産んだ男の子。ケイトが産んだ男の子は死産だった。逆にダミアンを産んだ母親は死亡し、ダミアンは身寄りのない子になっていた。そこで、病院の神父は、同じ日、同じ時刻に産まれたダミアンをロバートの子とするのが1番いいと提案し、ロバートがそれを受け入れることに・・・。いわば、「桃から産まれた桃太郎」を老夫婦が慈しんで育てたというお話と半分同じだが、半分違うところは、母親のケイトはダミアンは自分のお腹を痛めた子供だと信じているところ。外交官として出世街道をばく進するロバートは、妻ケイトとともにダミアンをかわいがり、2006年6月6日の今日、駐在大使として赴任したロンドンの豪邸でダミアンは5歳の誕生日を迎えたが・・・。
<ある惨劇と不吉な「お告げ」>
ダミアンの誕生日には、ある惨劇が発生。それは、ダミアンの若い乳母が突然首を吊って自殺したこと。もちろんその原因はわからないが、興味深い(?)のは、この惨劇は誕生パーティーの庭に現れた大きな黒い犬とダミアンがジッと目を合わせて見つめ合っていた直後だということ。一体、これは何を意味するの・・・?
こんな騒動の後に、ロバートの前に登場したのがブレナン神父(ピート・ポスルスウェイト)。彼がロバートに告げる不吉な「お告げ」は、「あなたは悪魔の子を家に入れてしまった・・・」というもの。こんなケッタイなお告げにいちいち影響を受けるほど、エリート外交官の神経はヤワではない。当然、ロバートはこんなお告げを無視し、全く取り合わなかった。しかし、もっと不吉な前兆が次々と・・・。
<不吉な前兆をどう解釈すれば・・・?>
不吉な前兆は第1に、教会に向かう車の中で、ダミアンが「何か」を見て急にヒステリー症状となり、暴れ出したこと。第2に、同級生の子供たちと一緒に出かけた動物園で、ダミアンの目で見つめられた動物たちが一斉に怯えはじめ、大声で叫びだしたこと・・・?これは一体ナニ・・・?
母親のケイトは、ダミアンが生まれてこのかた1度も病気をしたことがないことも含めて、何となく「私の子供はどこか変わっている・・・」と悩むだけだったが、ダミアンが実の子でないことを知っているロバートは、そんな不吉な前兆をどう解釈すればいいのだろうか・・・?
そんなロバートはブレナン神父の「呼び出し」を受けて2人きりで会ったが、そこで神父が語るのはある聖書の「予言」。しかし、その神がかり的な予言をロバートが受け入れるはずはなく、「もう2度と姿を見せるな」と言い残して、ロバートはその場を立ち去ったが・・・。
<第2の犠牲、第3の犠牲は・・・?>
第1の犠牲は若い乳母だったが、第2の犠牲はブレナン神父自身。ロバートと別れたブレナン神父は、雨が降りしきる中、悪魔から逃げるように教会の中に逃げ込もうとした。そして塀は何とか乗り越えたものの、なぜか玄関の鍵は内側から掛けられていた。その結果、ブレナン神父は無惨な最期を遂げることに・・・。
そして第3の犠牲は、ブレナン神父が予言していたとおりケイト。これは何と、自宅の中でわが子のダミアンから突き落とされたようなもので、命に別状はなかったものの、入院を余儀なくされることに。こんな姿を見ていると、家が広すぎる、天井が高すぎるというのもちょっと考えもの・・・?
それはともかく、ベッドの上のケイトがロバートに告げたのは、何と「私はダミアンに殺される・・・」ということ。さて、ロバートはこれをどう解釈すればいいのだろうか・・・?
<キーマンはジェニングス>
ロバートは次々と起こる奇怪な出来事にとまどうばかりだったが、ブレナン神父のワケのわからない(?)「予言」以上に、説得力を持ったのがカメラマンのジェニングス(デヴィッド・シューリス)の主張。それは、自分が撮った若い乳母の写真やブレナン神父の写真には、ある影のような線が入っており、この線が悪魔による死の宣告を予言しているというわけだ。そして、その線はジェニングスの写真にも・・・。すると、乳母の死、ブレナン神父の死に続いて、ジェニングスも・・・?
そこまで具体的な根拠を示されると、ロバートもブレナン神父が予言していた聖書の言葉を無視することができなくなったのは仕方ない。そこで、ジェニングスとともにブレナン神父の住んでいた部屋を訪れると、そこは魔よけのように壁一面に十字架と聖書が貼りつけられていた。これは一体なぜ、何のために・・・?コトここに至ると、さすがのロバートもジェニングスとともにローマに飛び、ダミアンの母親の正体を突き止めるための旅に出かけざるをえなくなったが・・・。
<ロバートとジェニングスがローマで見たものは・・・?>
ここからさらに、ロバートとジェニングスの「探偵物語」が続いていくわけだが、それをここで逐一紹介しても仕方ないので、それは映画を観てのお楽しみとしていただきたい。ただ1つ予測できるであろう結末は、ジェニングスが自分自身で予測したとおり、彼も無残な最期を遂げたこと。そこで問題は、そうなったのは、ロバートが1度はジェニングスとともにダミアンを十字架の前で殺害することを決意しながら、それを躊躇し、結局は心変わりして放り出したためだということ・・・。「俺はひょっとして、ヘンな宗教団体やヘンな思い込み諸氏たちに洗脳されているのではないか?」とロバートが考えたのは当然だから、彼の選択は良識ある社会人そして社会的地位のある外交官として当然の結論。しかし、そんな常識的に当然の選択が悪魔に対しては通用しないことを、その後思い知らされることに・・・。
<ロバートの決断は・・・?>
さすがにロバートは出世街道をばく進しているエリート外交官。決断すればその後の行動は素早いもの。悪魔殺しのための武器を携えて、ローマからイギリスに戻ったロバートは、密かにダミアンの部屋へ。その目的は、ダミアンが悪魔の子であるかどうかを確認すること。悪魔の体には必ず666の数字が烙印されていると言われても、小さい頃からダミアンを風呂に入れていたロバートは、ダミアンの体のどこにもそんなものは存在しないことを誰よりもよく知っていた。しかし、髪の毛で隠された部分は・・・?
眠っているダミアンの髪をハサミで切ってみると、案の定・・・?これによって、ダミアン=悪魔の子と確信したロバートは、ダミアンを力ずくで車の中に押し込み、教会まで「連行」しようとしたが、そこで抵抗にあったのが例の黒い大きな犬。その強襲をとっさの機転で切り抜けたロバートは、後は強引に警備網を突破して、ダミアンを教会に連れて行き、十字架の上でひと思いに悪魔退治をすることだけ・・・。しかし、そこでかわいい息子から「パパ、助けて!」と呼ばれたら、直接手を下すことがホントにできる・・・?
<結末に示される善と悪のコントラストは圧巻!>
「一瞬の、躊躇があなたの、命取り」。ヘタな川柳(?)だが、これは世の中によくあること。そしてまさに、ロバートのダミアンに対する行動がそれ。組み敷いたダミアンの胸を上から剣で突き刺すこと自体は簡単だが、ロバートが一瞬躊躇したため、駆けつけた警察隊の銃弾に倒れたのはロバートだった・・・。
そして今日、駐英大使ロバートの葬儀には、何とアメリカ大統領も出席しており、その大統領の手を握っているのが、ロバートの一粒種の息子ダミアン。エリート外交官の血迷った行動の末の最期を悲しむ多くの大人たちと、それを尻目にチラリと後ろを振り向いて、スクリーンを凝視する観客たちに挑戦するかのようにニヤリと笑いかけるダミアン悪魔・・・?この結末に示される善と悪のコントラストは圧巻!
昨日観た『雨の町』のあまんじゃくが、再び世の中に放たれたのと同じように、このダミアン悪魔もほぼ永遠に人間社会の中に紛れ込んで生き続けるであろうことを確信。すると、日本人のあなたが外国旅行をした時には、すぐ側にこのダミアン悪魔がいるかも・・・?
<ミア・ファローに注目!>
「三大悪魔ホラー」に数えられるのは、『ローズマリーの赤ちゃん』(68年)、『エクソシスト』(73年)、そして『オーメン』(76年)。その『ローズマリーの赤ちゃん』にちょっと不気味なヒロイン役で出演して脚光を浴びたのがミア・ファローだったが、その彼女がこの『オーメン』では、悪魔の子ダミアンと意思を通じ合う老乳母、ベイロック夫人の役で登場。当初は、ロバートの屋敷の中に、あの気味の悪い黒い大きな犬を番犬として入り込ませるだけの、得体の知れない乳母だったが、後半からはその悪魔の姿を如実に・・・。
もともと美人系で売った女優ではない(失礼)ので、こういう汚れ役でも適役があればいいのだろうが、約30年後にこんな役柄のミア・ファローに出会うとは・・・。団塊世代のおじさんたちは、是非彼女に注目を・・・。
<末恐ろしい子役の登場だが・・・?>
昨日の『雨の町』の子役にもビックリしたが、さすがハリウッド。それ以上に恐ろしい目つきをした(?)子役の登場にビックリ。ダミアンを演じたシーマス・デイヴィー=フィッツパトリックは、生後わずか1カ月でカメラの前で仕事をしたらしいが、この『オーメン』でもセリフは全くなく、演技は表情だけ、それも目によるものばかり。その「目の強さ」で巨大なゴリラを怯えさせたり、ケイトの病室を警護する大の男に脂汗を流させるのだから、大したもの・・・。末恐ろしい子役の登場に「万歳」と叫びたいところだが、こんな悪魔の子の登場は歓迎できないかも・・・?
2006(平成18)年6月2日記