イルマーレ(アメリカ映画・2006年) |
<梅田ピカデリー>
2006年9月23日鑑賞
2006年9月27日記
時空を越えた韓国版ラブストーリー『イルマーレ』の主人公は若者だったが、ハリウッドのリメイク版は、キアヌ・リーブス演ずる建築家とサンドラ・ブロック演ずる女性ドクターという大人の男と女・・・。2004年と2006年という絶対的時間差の中、湖畔に建つ美しい「光りとガラスの家」をメイン舞台として展開される物語は複雑でまどっろこしいが、この手の映画を楽しむコツは、あまり厳密に考えないこと・・・?ところで、あなたならこんな時空を越えた純愛もオーケー、それともノンオーケー・・・?
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監督:アレハンドロ・アグレスティ
アレックス・ワイラー(建築家)/キアヌ・リーブス
ケイト・フォースター(女性医師)/サンドラ・ブロック
モーガン(ケイトの恋人)/ディラン・ウォルシュ
アナ(ケイトの友人)/ショーレ・アグダシュルー
サイモン・ワイラー(アレックスの父)/クリストファー・プラマー
ヘンリー・ワイラー(アレックスの弟)/エボン・モス=バクラック
ケイトの母/ヴィレケ・ファン・アメローイ
ワーナー・ブラザース映画配給・2006年・アメリカ映画・98分
<本場、韓国版も観なければ・・・>
ハリウッドは、日本からは『リング』(98年)、『らせん』(98年)などのジャパンホラーものを、香港からは『インファナル・アフェア』などの刑事ものをリメイクしているが、この『イルマーレ』はイ・ヒョンスン監督の韓国版『イルマーレ』(00年)をリメイクしたもの。残念ながら私はこの「本場モノ」をまだ観ていないので比較することはできないが、パンフレットにはかなり詳しい対比解説があるので、是非それを参照していただきたい。2年間という時空を超えた恋という設定は同じだが、年令や職業そして小道具が全く異なり、したがってそこから導かれる物語も全く違うらしいが、是非自分の目で比較検討してみなければ・・・。
私はこの映画のタイトルである「イルマーレ」とは何のことかさっぱりわからなかったが、これはイタリア語で「海」を表す言葉とのこと。本場韓国版は、主人公たちが住む家が海辺に建っているためタイトルを「イルマーレ」としたらしい・・・。
これに対してこの映画では、湖畔に浮かぶ美しい「光りとガラスの家」が、建築家アレックス・ワイラー(キアヌ・リーブス)と女性医師ケイト・フォースター(サンドラ・ブロック)と並ぶ主役となっている・・・。そのため、原題も『The Lake House』。したがって「イルマーレ」という単語は本来使い途がないのだが、それは映画の後半になって重要なポイントで登場・・・。
<2人が知り合ったのは・・・?>
2人が知り合ったのは、ケイトが住んでいた湖の家を引っ越すにあたり、新しく住人となる人に対してあるメッセージを残したため。郵便受けに入れたそのメッセージには、郵便物転送のお願いの他、追伸として「入口の犬の足跡は前からありました。屋根裏の箱もです」との言葉が・・・。
他方、アレックスがこの家に引っ越してきたのは、著名な建築家である父サイモン・ワイラー(クリストファー・プラマー)が、今は亡き母のために建てた思い出の家だから。アレックスが家を片づけ、道路から家に通じる橋のペンキ塗りをしていると、一匹の犬がその橋の上を駆け抜けて玄関の方へ入っていった。そのため、橋には犬の足跡がくっきりと・・・。こりゃ一体ナニ・・・?
<奇妙な文通は・・・?>
こんな不思議な出会いから生まれたのが、2人の間の奇妙な文通。自己紹介から始まり趣味や仕事の悩みなどを互いに語り合っていく中で明らかになったのは、どうもアレックスが生きているのは2004年であるのに対し、ケイトが生きているのは2006年だということ。「そんなバカな!」と思ってはダメ。それが「時空を超えた恋」の物語を成立させるための大前提なのだから・・・。
<「季節はずれの雪が降ってる・・・」>
「季節はずれの雪が降ってる・・・」というフレーズは、いうまでもなく、イルカの名曲『なごり雪』の一節。もちろんこの曲は「東京に降る雪」がテーマだが、アメリカ北部のシカゴにも2004年4月3日に季節はずれの雪が降ったらしい・・・。それは、2006年の今を生きているケイトが既に体験したことだが、アレックスはケイトからの手紙でそんな文章を読んでも「まさか」と思うだけ。ところがアレックスが「The Lake House」からふと外を見ると・・・。
<メス犬の名前がジャックとは・・・?>
私たちの時代、多くの日本人が中学校に入ってはじめて習う英語の教科書は「Jack and Betty」つまり「I am a boy」の男の子がジャック、で「I am a girl」の女の子がベティー。これはいわば日本語における太郎と花子のようなもので、ジャックは男の子の代表的な名前。ところがこの映画でアレックスとケイトの橋渡し役(?)として登場する犬の名前が、メス犬にもかかわらずジャック。さて、このココロは・・・?
<ある小説が重要な小道具に・・・>
2年間の時間差を生きている2人だが、文通が続く中、偶然の出会いがあったことを含めてさまざまな不思議な現象が「小出し」にされていくので、観客はそれを1つ1つ注目し、整理していくことが必要。その中でも重要な小道具となるのが、ジェーン・オースティンの傑作『説得』という小説で、2004年7月ケイトがリバーサイド駅から列車に乗る時、この読みかけの小説をベンチに置き忘れ、それに気づいたアレックスがこの本を預かるという設定。もちろん、私はこの小説の名前さえ知らないが、この小説のテーマは「別れと再会」・・・。したがって、アレックスとケイトとの出会い、別れ、再会がこの小説のモチーフと重なって語られていくところは興味深いが、やはりそんな小説を知らない私のような日本人には少しわかりにくい・・・?
<美しい「The Lake House」に注目!>
この映画のセットのため「The Lake House」が建てられたのは、イリノイ州クック郡の自然保護区で、0.2平方キロメートルの人造湖メイプル湖の湖畔とのこと。しかし、その建築には環境保護局や自然保護団体が定める厳しいガイドラインがあり、またクック郡の建築条例にも従わなければならず、この美しいロケセットは撮影終了と同時に取り壊すことが義務づけられていたとのこと。さっそく、このネタは私の「都市法」の講義に活用しなければ・・・。そんな私はすぐに、せっかくこれだけ美しい「光りとガラスの家」を建てたのだから、それを映画ファンの観光誘致用に活用すれば、と思ってしまうのだが・・・。そもそもそれが儲け主義のスケベ根性・・・?
<建築士はこうでなくっちゃ・・・>
それはともかく、この映画を観て素晴らしいというのは建築家であるアレックスはもちろん、アレックスが子供の頃にこの「湖の家」を建築した父親サイモンが建築士としての誇りに満ちあふれていること。やはり建築士はこうでなくっちゃ・・・。もっとも、有名な建築家となった父親は家庭を省みず仕事に没頭したため、妻とも死に別れ、2人の子供たちとの確執をかかえていたが・・・。
日本で頑張っている建築家といえば、今や安藤忠雄ただ1人という感じだが、日本でも第2、第3の「姉歯」の登場は願い下げで、第2、第3の「安藤」が登場してこなければ・・・。
<手紙VSメール、どちらがスキ・・・?>
時空を超えた恋人同士の対話というテーマは、本場『イルマーレ』の他にもたくさんあり、実は古くて新しいテーマ・・・。そう思っていると、パンフレットでも指摘しているようにメグ・ライアンとトム・ハンクス共演の『ユー・ガット・メール』(98年)を思い出した。その大きな違いは手紙VSメール。すなわちメグ・ライアンとトム・ハンクスはパソコン上のチャットで「対話」をしていたが、『イルマーレ』の2人は全て手書きの手紙での対話であり、かつそれを湖の家の前にある郵便受けに自分で放り込まなければならない。ちなみに、キアヌ・リーブスが左手で器用に英語を綴っている姿を見てビックリ。またサンドラ・ブロックがドクターとしてメチャ忙しい中、まめに手紙を書いている姿を見て感心。やはりチャットやメールより、手書きの手紙の方が想いがよく伝わるのでは・・・?手紙VSメール、さて、あなたはどちらがスキ・・・?
<2人は会うことができるのか・・・?>
全く会うことなく文通だけで男が女を、女が男を心から愛することが可能かと問われると、私は多分Noと答えると思うのだが、この映画ではアレックスもケイトもYesと考えたよう。もちろん、そうでなければこの映画のテーマ自体が成立しないから、それは当然。しかし、ケイトには恋人モーガン(ディラン・ウォルシュ)がいたし、アレックスにも恋人のような女性がいたから、多少話がややこしいことに・・・。
そして、そもそも2年間という絶対的時間差のある2人はどのようにしたら恋人として会うことができるのだろうか?それが、この映画の大テーマ。そして、「2006年のある日、ある店で」というのが1つのポイント。そして、もう1つは、ケイトにとっては2008年2月14日、アレックスにとっては2006年2月14日がポイントの日となるが、そのカラクリは結構ややこしく、頭が混乱しそう・・・。
したがって、この手の映画は、観客としてはあまり真剣に会うための方策を考える必要はなく、2人の工夫とその結果を楽しめばいいのかも・・・。
2006(平成18)年9月27日記