ジョルジュ・バタイユ ママン(フランス映画・2004年) |
<東映試写室>
2006年10月3日鑑賞
2006年10月4日記
フランスはもとより、三島由紀夫、岡本太郎などに多大な影響を与えたとされる「20世紀最大の思想家」ジョルジュ・バタイユの原作を映画化したR-18指定の問題作は、ポルノか芸術か・・・?そのテーマは、ふしだらな美しい母親と17歳の息子との近親相姦を軸とした<エロス>と<死の意識>・・・。青い海ときらめく太陽の下、きわどいセリフが流れ生々しいシーンが次々と描かれていくが、観ていて興奮するよりも疲れるのはナゼ・・・?高尚かつ深遠な思想を学習するのは大変なことだ、とあらためて実感・・・?
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!ご注意ください!!
↓↓↓
監督:クリストフ・オノレ
原作:ジョルジュ・バタイユ『聖なる神』三部作『わが母』(二見書房刊)
ヘレン(母親)/イザベル・ユペール
ピエール(息子)/ルイ・ガレル
アンシ/エマ・ドゥ・コーヌ
レア/ジョアンナ・プレイス
マルト/ドミニク・レイモン
ロベール/オリヴィエ・ラブルダン
ピエールの父/フィリップ・デュクロ
アット エンタテインメント配給・2004年・フランス映画・110分
<すごい原作、みたい・・・>
『ママン』というタイトルを見ただけでフランス映画だとすぐにわかるが、そのテーマは・・・?この映画の原作は、ジョルジュ・バタイユの『聖なる神』三部作のうちの『わが母』とのことだが、パンフレットにはジョルジュ・バタイユは「20世紀を代表する思想家」という大層な冠がついているうえ、「美術、文学、政治ーエロティシズム。本国フランスはもちろん、日本においても作家の三島由紀夫、芸術家の岡本太郎など、時代の先駆者たちに多大な影響を与えた」と書いてあるからすごい。
そして、映画を観て驚いたが、これは母子相姦の物語・・・?ジョルジュ・バタイユの根底には、<エロス>は<死の意識>と結びつき、タブーを犯すことから生まれるという思想が横たわっているとのことで、これもすごい・・・。しかして、スクリーン上で展開される美しい母ヘレン(イザベル・ユペール)と17歳の息子ピエール(ルイ・ガレル)との母子関係は・・・?
<17歳の少年の思いは・・・?>
この映画の舞台は、スペインのカナリア諸島にある1つの島。なぜママンが1人こんな島で暮しているのかはストーリー上よくわからないが、フランス映画ではそんな説明は極力省くのが流儀・・・?
17歳の息子ピエールは寄宿制の高校に入っている敬虔なカトリック信者だが、どうも父親(フィリップ・デュクロ)に反発し、母親ヘレンばかりを慕っている様子。それは、ピエールが長い間母親と一緒に生活していなかったせいもあるが、それ以上に思春期特有の男の子がもつ、美しい母親に対する憧れが強いよう・・・。そんなピエールは、夏休みをヘレンと共に島で過ごすことになって大喜び。父親と共に島に到着したピエールは、すぐに母親の胸に飛び込み、キスを交わしたが・・・。
<ママンには隠された本性が・・・?>
父親は仕事のためすぐに島を離れたが、その直後に入ってきたのは父親が交通事故で死亡したというとんでもないニュース。ところが、これに対する母親と息子の反応は常識ではちょっと考えられないもの。すなわち、母親は一応人並みに悲しんでいるようだが、ピエールに対しては「葬儀の時は、泣かなくてもいいけど悲しそうな顔をしなければダメよ」という妙なアドバイスをしている・・・。
実はこの父親は横暴で女性関係も多く、したがってヘレンは夫に対する愛情をほとんど喪失したまま、島で1人気ままな生活を送っていたのだった。そして、父親の死亡後徐々に明らかになっていったのは、実はママンは美しく優しいだけではなく、子供にはわからない裏の顔を持っていたこと・・・。それは貞淑の正反対である、ふしだらで不道徳、そして自分の欲望に忠実な女という隠された本性だった。青い海ときらめく太陽いっぱいの島の中、プールつきの瀟洒なお屋敷の中で1人過ごしていたママンの生活の実態は・・・?そして、17歳の息子に対して徐々に見せていく美しい母親の本性とは・・・?
<ヘレンの性教育は・・・?>
ピエールは島にやって来たものの、まちに行けば賑やかなところもあるらしいが、目の前にあるのは青い海と白い砂ばかり。したがって数日経つとすぐに飽きてきたが、ヘレンはこの島で結構楽しく過ごしているらしい。つまり、ヘレンは毎日パーティー三昧に明け暮れる中で、酒と快楽を堪能しているというわけだ。
そんなヘレンのお相手(レズビアン仲間)が、うら若き女性レア(ジョアンナ・プレイス)とアンシ(エマ・ドゥ・コーヌ)の2人。父親の死亡後、ヘレンの快楽主義志向はより解放されたようで、敬虔なカトリック信者である17歳の息子に対して「もう少し楽しまなくっちゃ」「ふしだらにならなくっちゃ」などと、とんでもない教育を・・・。そのうえ、具体的な「性の実践」のお相手としてレアをあてがうという、母親として到底考えられないような性教育までも・・・。
この映画をホントに理解し楽しむためには、フランス語の素養が必要。それはヘレンの口から頻繁に飛び出す露骨なセックス用語を正確に理解することが不可欠だから。字幕に流れてくる日本語を読んでいると、この私ですら何となく赤面しそうになるほど・・・?
<いったん快楽を覚えると・・・?>
17歳の男の子が強い性的好奇心と性的欲望を持つのは当然だが、誰もがそれをそれなりに処理してオトナになっていくもの。したがって、あまり周囲から、とりわけ母親から、ワケのわからないクソ親切な(?)性教育を施されるとロクなことにならないのでは・・・?そう心配(?)していると、案の定いったん女の快楽(?)を覚えたピエールは、その後ずっと慕っていた母親に対して何となく怪しげな感情を抱いている様子・・・?
そんな息子の雰囲気を覚ったのかどうかは知らないが、ヘレンは突然家からいなくなり、その代わりにアンシにピエールの(性の)面倒をみてくれるように頼んだらしい。ヘレンも変わり者だったが、このアンシも変わり者だったようだから、2人の性的関心の行方は・・・?これではどんどんピエールは退廃し、堕落していくばかりだが・・・?
<いよいよクライマックスへ・・・>
ヘレンは1人どこで何をしていたのか?それは映画を観てのお楽しみだが、いつまでもヘレンとピエールが離ればなれになっていたのでは、映画本来のテーマが盛り上がらないまま終わってしまうから、当然ヘレンはピエールの元に帰ってくるはず・・・。そう思っていると案の定、ヘレンは自宅に戻ってきたが、そこでヘレンが確認できたのは既にかなり性的に成長したピエールの姿。そこでヘレンがピエールに求めたものは・・・?そしてピエールがそれにどう応えたのか、さあいよいよこの映画のクライマックスへ・・・。
<思いがけない結末へ・・・>
「<エロス>は<死の意識>と結びつき、タブーを犯すことから生まれるという思想」は、観念的にわからないでもないが、実践するのはきわめて危険・・・?もちろん、一般人がそんな実践をすることは厳禁だが、ごくまれにそれを自ら実践しようとしたり、実践している人間の姿を文学の形で表現しようという人がいる。したがって、一般人はそれを読んで楽しむことだけで十分・・・。
そんな人間がこの映画の原作者ジョルジュ・バタイユなのだろうが、残念ながら私にはそれは理解の範囲外・・・?しかし、それと共通するのが彼の影響を強く受けた三島由紀夫の世界だと言われれば、なるほどと納得できる。もちろん、それは『潮騒』などの清純ドラマの世界ではなく、『金閣寺』や『憂国』など露骨に彼の思想哲学を反映した作品についてだが・・・。母子の近親相姦の姿も意外だが、快楽の限りを尽くし終えたと実感している母親ヘレンがその後に取った行動は実に意外なもの。さらに、遺体が眠るケースの前で息子ピエールがとった行動とは・・・?これにはあなたも大きな衝撃を覚えるはず・・・。
人間の本性とは?とりわけ男と女の性的欲望の本性とは?それを突き詰めていくと、場合によれば、このような何とも意外な結末になるのだろうか・・・?しかし、まあこの映画を観終わった感想をひと言で述べれば、「あー、疲れた」ということ。さて、あなたは・・・?
<黒沢清×イザベル・ユペールの対談は・・・?>
『キネマ旬報』9月上旬号には、「フランスを代表する女優である」イザベル・ユペールと、「日本を代表する監督である」黒沢清との対談が掲載されている。その中では、黒沢清監督の最新作『LOFT ロフト』(05年)のヒロインにイザベル・ユペールを想定していた(?)という話を含めて、さまざまな興味深い「女優論」が展開されている。
もちろん、私がイザベル・ユペールを見たのはこの映画がはじめて。カトリーヌ・ドヌーヴのような美人とは思えないが、映画の中でみせる眼の力は印象的で、その存在感のたしかさはよく実感できるもの。したがって、こんな小難しい(?)フランス映画の主役には適任だし、17歳の息子を持つ母親としての色気も十分・・・?そんな彼女がこの映画についてどう語っているかは、是非本文で・・・。
2006(平成18)年10月5日記