善き人のためのソナタ(ドイツ映画・2006年) |
<角川ヘラルド試写室>
2006年12月13日鑑賞
2006年12月14日記
『グッバイ、レーニン!』は1989年のベルリンの壁崩壊に焦点を当てた名作だが、この映画は「共産国家」東ドイツの恥部、国家保安省(シュタージ)による盗聴の実態に焦点を当てたもの。監視する人間と監視される人間が交わることは本来ありえない話だが、ベルリンの壁の崩壊によって、そんな人間の間に人間の善意や人間の絆が存在していたことが明らかに・・・。タイトルの奥深さを感じながら、じっくりとその感動を味わってもらいたいものだ。それにつけても「グッバイ、フセイン!」が実現した今、1日も早い「グッバイ、金正日!」と北朝鮮版『善き人のためのソナタ』の誕生が待たれるところ・・・。
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監督・脚本:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
ヴィースラー大尉(国家保安省局員)/ウルリッヒ・ミューエ
ゲオルク・ドライマン(劇作家)/セバスチャン・コッホ
クリスタ=マリア・ジーラント(ドライマンの恋人、女優)/マルティナ・ゲデック
グルヴィッツ(国家保安省部長)/ウルリッヒ・トゥクール
ヘムプフ(国家保安省大臣)/トーマス・ティーメ
アルベルト・イェルスカ(演出家)/フォルクマー・クライネルト
アルバトロス・フィルム配給・2006年・ドイツ映画・138分
<『グッバイ、レーニン!』も良かったが・・・>
1989年11月9日の「ベルリンの壁」崩壊を、母を思う息子の愛という面白い(インチキめいた?)物語として構成し、さまざまな賞を受賞した名作が『グッバイ、レーニン!』(03年)だった(『シネマルーム4』212頁参照)。『善き人のためのソナタ』はこれと同じようにベルリンの壁崩壊をテーマとするものだが、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督は『グッバイ、レーニン!』のようにユーモアを交えてそれを描くのではなく、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツ最大の「恥部」であった国家保安省(シュタージ)による国家的監視体制と公式および非公式の協力者による密告体制を赤裸々に描くという手法をとった。すると、そこに描かれるのは全編これ人間不信、すなわち、権力による統制下に置かれた人間はなりふり構わず何でもしてしまうものだということ・・・?
しかし、それでは人々に感動を与える映画にならないこと確実。やはり映画は、人間の善意や人間同士の絆を感じさせるものでなければ・・・。そこで、この映画のタイトルをよく味わってもらいたいもの。人間不信を助長させるだけの作品であれば、こんなタイトルがつくはずはない。そう、この映画は、シュタージによる監視体制の中でも、こんな美しい人間ドラマがあったのだということを、静かに、しかししっかりと観客に訴えてくる感動作。2時間18分と少し長いが、観終われば「やっぱり人間っていいものですね。捨てたもんじゃないですね」という感動で心がいっぱいになるはず・・・。
<ベルリンの壁崩壊とソ連邦の崩壊>
20世紀末に起きた世界史的大事件が、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊と1991年12月25日のソ連邦の崩壊。ソ連邦崩壊は、1985年にソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフによるペレストロイカ(社会主義の範囲内での自由化・民主化)がボディブローとして効いたが、ベルリンの壁崩壊がそれを加速させたことはまちがいない。その点については詳しく解説しないが、是非そのお勉強を・・・。
他方、ベルリンの壁は、1945年にナチスドイツが無条件降伏した後、1948年から49年にかけてつくられたものだが、これによってドイツは東ドイツ(ドイツ民主共和国=DDR)と西ドイツ(ドイツ連邦共和国=BRD)に分断されることになった。1950年から53年の朝鮮戦争の後、朝鮮半島が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)に分断されたのと同じような悲劇を味わっていたわけだ。
<国家保安省(シュタージ)と協力者・・・>
東ドイツはいわゆる共産国家となったため、ドイツ社会主義統一党(SED)が一党支配することになったが、一党独裁国家特有の必要不可欠な組織として登場したのが、国家保安省(シュタージ)。プレスシートによると、シュタージ正規局員9万1千人の内、上級局員が1万3千人、加えて17万人のIM(インオフィツィエル・ミットアルバイター)(公式協力者。正規のシュタージ局員ではなく、人知れず家族や友人のことをシュタージに密告していた人たちのこと)が存在し、社会全体をSEDや国家の監視下に置いていたとのこと。つまり東ドイツでは、1949年の東西ドイツの分断から1989年のベルリンの壁崩壊に至るまでの40年間、シュタージによる強力な国家監視体制に置かれていたというわけだ。この映画を理解するためには、そこらあたりのお勉強もきっちりと・・・。
<一方の主人公は、劇作家>
この映画の一方の主人公は、人気劇作家のゲオルク・ドライマン(セバスチャン・コッホ)。小説家、音楽家、画家そしてドライマンのような劇作家など「芸術家」と呼ばれる人たちは、本来自由を求めるもの・・・?しかし、芸術もすべて国家や党の統制下に置かれる共産国家の下では、その体制に合わせて自らの芸術をつくっていかざるをえないことに。つまり、反体制・反国家的な芸術を目指すことは命取りとなり、亡命でもしない限り不可能なことは明らか。そこで、自らの芸術に忠実であろうとすれば反体制・反国家的になってしまうタイプの芸術家は、そのジレンマに悩むことになる。
優秀な演出家だが、反体制と見なされたため今は完全に干されてしまっているイェルスカ(フォルクマー・クライネルト)はその典型だし、ドライマンの誕生日祝いに集まった芸術家仲間の中にも程度の差こそあれ、反体制色を色濃く出す人も・・・。しかし、今日新作劇を上演し、その後のパーティーでもシュタージ担当のヘムプフ大臣(トーマス・ティーメ)から祝福の言葉を述べられるドライマンは、体制下にある成功者と見られていたよう。したがって、その「監視」は必要ないわけだが、それを疑ったのがシュタージのグルヴィッツ部長(ウルリッヒ・トゥクール)。果たして、ドライマンは体制下の芸術家、それとも反体制的な芸術家・・・?それが大問題・・・?
<もう一方の主人公は、党とシュタージに忠実なヴィースラー大尉>
2時間18分のこの映画のほぼ9割を占める物語は、もう一方の主人公ヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)によるドライマンの完全な監視・盗聴体制の下で進んでいく。もちろん、盗聴されている当の本人はそれを全く知らないもの。盗聴されているかもしれないという危機感の下、監視の有無を確認するべく友人の亡命劇を仕組んだところ、まんまとそれが成功したため、その後は盗聴されていないという確信を持つことに・・・。
しかし実は、誕生日パーティーとその後の様子についても「パーティーは早朝に終わり、ドライマンとクリスタはプレゼントを開けた後セックスした」と時刻を含めて詳細に報告されていた。このように、ヴィースラー大尉による盗聴システムは完璧なもので、日々作成される報告書も膨大な量。誰にでも大なり小なり「覗き趣味」はあるだろうが、よく考えてみると、他人の生活を秘かに覗き見るのが仕事となれば、それはかなりイヤな仕事・・・?もちろん、党とシュタージに忠実な働き手としてグルヴィッツ部長に信頼されているヴィースラー大尉はそんな風には全く考えなかった。そして、ドライマンが反体制的な芸術家という証拠を掴めば出世が待っていたのだから、一生懸命その任務に取り組んだのは当然・・・。
<この映画のポイントは・・・?>
しかし、そこからのヴィースラー大尉の心の動きと具体的な行動がこの映画のポイント・・・。ある日、聴こえてきた1曲のピアノソナタの旋律、ドライマンの部屋から持ち出してはじめて読んだブレヒトの詩集、ドライマンとクリスタが語り合う愛や自由そして芸術にかけた思い。盗聴という任務遂行の中、そんなものに触れ、感じていく中で変わっていったのは、監視される側のドライマンではなく、監視している側のヴィースラー大尉の方だった。
そんな複雑な人間の気持の動きを、静かな演技の中で見せる東ドイツ出身の俳優ウルリッヒ・ミューエは、プレスシートによれば、自らも自身の妻であり女優のイェニー・グロルマンに十数年間密告され続けていたとのこと。そんな体験も、この映画でこんな役を得て、演技に深みを加えているのだろうか。何ともお見事と言う他ない。膨大な報告書の末尾に必ず記載されている彼のコードナンバー(?)は「HGW XX/7」。この映画はそんなヴィースラー大尉に対する人間讃歌ともいえるものだ。すると、この映画のタイトル『善き人のためのソナタ』とは、何を意味するのか・・・?それはすぐにピンとくるはず・・・。
<ここまでやるか大臣が・・・>
共産国家の国家保安省を担当する大臣といえば、何でもやり放題の権力を持っている人物。そんなヘムプフ大臣がドライマンの舞台初日のパーティーで目の当たりにしたのが、ドライマンと一緒に踊る魅力的な女優であり、ドライマンの恋人のクリスタ=マリア・ジーラント(マルティナ・ゲデック)。ヘムプフ大臣は権力は持っているものの、腹の出っ張った好色そうな男で、カッコいいドライマンとは比べものにならないから、ダンスに誘われてもクリスタがそれを断ったのはある意味当然・・・?しかしそれが、権力者の頭にカチンときたからたまらない。
数日後、歩いているクリスタの側に車を寄せてきたヘムプフ大臣から「車に乗れ」と命じられると、クリスタはそれを断ることなどできるはずがない。すると車の中では・・・?さらにヘムプフ大臣の要求はエスカレートし、次回は○○でとの強引な約束まで・・・。ここまでやるか大臣が、と思ったのは私だけ・・・?
<ヴィースラー大尉の気持の動揺は・・・?>
ドライマンの自宅での動きが100%監視されているということは、そこで一緒に過ごすクリスタの動きも同様。したがって、ヘムプフ大臣の車からクリスタが降り立とうとする姿は、バッチリとヴィースラー大尉の監視カメラに・・・。それを見れば誰でもコトの成り行きにすぐに気づくはず。そこで、ヴィースラー大尉がとった行動とは・・・?
さらに、「行くな」というドライマンの声を振り切るように、ヘムプフ大臣の要求どおり家を出ていったクリスタの後を追いかけたのは、ヴィースラー大尉。そして、そこでヴィースラー大尉がクリスタに対してとった行動とは・・・?
こんなヴィースラー大尉の動きを見れば、明らかにドライマンとクリスタを監視していく中で、ヴィースラー大尉の気持が大きく動揺していることがわかる。しかし、ヴィースラー大尉には当然果たさなければならない任務が・・・。そんなジレンマの中、今後ヴィースラー大尉は一体どのように自分の気持を整理していくのだろうか・・・?
<ドライマンたちがやろうとしたのは・・・?>
活動を禁止されていた演出家のイェルスカが自殺した!それほどまでに追い詰められていたことを、あらためて認識させられショックを受けたドライマンは、遂に反体制の立場に立った仲間たちと共に、ある行動をとることを決意した。その行動とは・・・?
それは映画を観てじっくりと・・・。もちろんそれは、劇作家としての生命を賭けた危険を伴う行動であることは明らか。ところが、友人の亡命をうまくバレないで成功させたため、ドライマンの自宅は監視されていないと確信しているドライマンたちが部屋の中でとっている行動は、実はヴィースラー大尉に筒抜けに・・・。
ドライマンたちの行動に不可欠だが、絶対に隠しておかなければならない小道具はタイプライター。ドライマンたちの仲間はその隠し場所をクリスタにも見せないようドライマンにも命じたが、それはクリスタを信用しないからではなく、危険を分散させるため。そんな生命がけの作業はスリル満点だが、実にあちこちに穴も・・・。しかして、その目的はうまく達成できるのだろうか・・・?そして、それが達成できた後の権力側からの反撃は・・・?
<「グッバイ、金正日」は・・・?>
拉致問題の解決に執念を燃やす安倍晋三総理が誕生してから早くも3カ月が経ったが、郵政民営化をめぐる造反議員の復党問題や道路特定財源の一般財源化をめぐる「妥協」によって、その支持率は低下気味・・・。また、就任直後の電撃的中国訪問と胡錦涛国家主席との会談そして靖国問題についての「あいまい戦略」は成功しているようだが、北朝鮮の核開発問題をめぐる6カ国協議の進展は望み薄・・・。
イラクの独裁者フセインについては、11月5日に「死刑判決」が下され、高裁で確定すればすぐに死刑執行ともささやかれているため、イラクの治安問題は深刻ではあるものの、少なくとも「グッバイ、フセイン」が達成されたことは明らか。したがって今望まれるのは、数年後の「グッバイ、金正日」と南北朝鮮の統一だが、さてそれは・・・?近い将来それが実現した場合、そこからさらに15年後には、北朝鮮における国民監視体制の実態がこの映画のように白日の下にさらされると共に、北朝鮮版『善き人のためのソナタ』が製作されることを期待したいものだ。
2006(平成18)年12月14日記