子宮の記憶/ここにあなたがいる(日本映画・2006年) |
<角川ヘラルド試写室>
2006年12月19日鑑賞
2006年12月21日記
産みの母親でもなければ育ての母親でもない、「子宮の記憶」。そんなものがホントにあるのだろうか・・・?そんな微妙な母子関係の展開がこの映画の焦点。そして17歳の少年を柄本佑が、かつての新生児誘拐犯を松雪泰子がそれぞれ表現力豊かに演じているのが見どころ。少し状況設定が異様すぎる(?)面があるものの、母と息子の関係について考えさせるいいネタであることはたしかだ・・・。
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監督:若松節朗
原作:藤田宜永『子宮の記憶/ここにあなたがいる』(講談社刊)
桜井愛子/松雪泰子
真人/柄本佑
愛子の夫/寺島進
桜井美佳(愛子の義理の娘)/野村佑香
沙代(真人の友人)/中村映里子
愛子の親友/余貴美子
トルネード・フィルム配給・2006年・日本映画・115分
<何とも生々しいタイトルだが・・・>
何とも生々しいタイトルの映画だが、これは藤田宜永の原作と全く同じ・・・。ある病院で1人の新生児が連れ去られるという事件が発生した。その犯人は40日後に逮捕され、無事その男の子は両親の元に戻ったため、以降順調に成長し、幸せな家庭の中で育っているものと思われたが・・・?
今17歳となった男の子の名前は真人(柄本佑)。父親は医師。その裕福な家庭は何不自由ないものと思っていたら、実はそうではなく、父親と母親の愛情を感じることなく育った真人は家庭内で母親と衝突ばかりの毎日。遂に今日は、バットを持って母親が大切にしている水槽をぶち壊すわ、食卓をひっくり返すわ、そして挙げ句の果てに、必死で阻止しようとする母親を暴力的に押さえつけ、大金を持ち出して1人バイクに乗って沖縄への旅に。さて、真人の向かう沖縄には一体何が待っているのだろうか・・・?
<沖縄には愛子が・・・>
真人が沖縄に向かったのは、新生児の時に連れ去られた経験があるという自分の過去を知ったうえ、その犯人の女性が今沖縄に住んでいるという情報を入手したため。しかし、それは一体なぜ・・・?それはこの映画の謳い文句とされている「僕は、“ほんとうの母親”に会いに行く」ため。つまり、真人はなぜか産みの母親をホントの母親と思ったことがなく、死んでも涙を流さない対象・・・?それに対して、なぜか真人は、新生児の自分を病院から連れ去り40日間一緒に過ごした女性がホントの母親だと思っているため・・・。
こりゃどう考えても、17歳まで育ってきた家庭における両親、とりわけ母親への反発の裏返しとしか考えられず、あまりまともな感情とは思えないもの・・・?しかし、この映画はそれがテーマ。そして、そんな真人が持っている感覚を、今は沖縄の海辺で食堂を経営している誘拐犯の愛子(松雪泰子)の感覚から捉えたのが、この原作と映画のタイトルである『子宮の記憶/ここにあなたがいる』。そんな思いで沖縄にやって来た真人を、愛子はどのように受けとめるのだろうか・・・?
<今ドキの17歳は結構策略家・・・?>
母親に対してあれだけ無茶苦茶な家庭内暴力を振るっていた真人も、1人沖縄にやって来るとそれなりに大人の雰囲気・・・。愛子がいる桜井食堂をまず訪れた真人は、まずしっかりと愛子を観察。そして、急にバイトの子に辞められたため1人てんてこ舞い状態にあることがわかった真人は、「ボランティアで手伝います」と言って皿洗いへ。そして夜には、愛子の親友の女性(余貴美子)が経営しているバーに行って、ちゃっかりと「住み込みのバイト先を探してくれませんか」というお願いまで。
そんな真人の策略(?)が功を奏し、真人は、かつて愛子が赤ちゃんにつけた良介という名前を名乗って、日給3000円という劣悪条件(?)ながら、住み込みで「愛子さん」の食堂でアルバイトすることに・・・。
<愛子の家庭にも問題が・・・>
今年の日本映画を代表する名作『フラガール』(06年)ですばらしい演技力を見せ、12月19日、日本アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた松雪泰子が、この映画でもちょっと複雑で微妙な愛子役を好演している。桜井食堂を1人懸命に切り盛りしている愛子だが、その表情はどこか憂鬱で投げやりな感が・・・。その原因の第1は、夫(寺島進)の問題。今夫は交通事故でケガをして入院しているが、かなりの関白亭主で、言うことなすことが横暴かつ憎らしい限りのイヤな夫。こりゃ愛子も大変・・・。そして第2の原因は、夫の連れ子の美佳(野村佑香)のわがまま・・・。今日も桜井食堂にやってきたかと思うと、チンピラまがいの口調で小遣いをせびりとったうえ、良介に対しても悪態を・・・。これでは愛子が毎日憂鬱そうな顔をしているのも当然・・・。
<愛子に変化が・・・>
どこか孤独で寂しげそして他人に対して心を開かない愛子だったが、良介=真人が住み込みでバイトを開始してからは少しずつ変化が・・・。それは良介が陰日向なくよく働いてくれるうえ、「愛子さん、愛子さん」と呼びかけながら、少しずつだがごく自然に愛子の心の中に入り込んできたから。最初はちょっとした触れ合いだけだったが、友人の店では酔っぱらった愛子が良介にチークダンスを求めたり、愛子が風邪で寝込んだ時は添い寝を求めたり(?)、愛子と良介の雰囲気はかなり微妙な領域に・・・?桜井食堂がある海辺は小さな村。そんな2人の微妙な雰囲気が村に伝わったら大変だが、その前にそれを感じとったのは美佳。そんな美佳がとった行動とは・・・?
<多感な美佳も不満がいっぱい・・・>
夫の連れ子である美佳が継母の愛子に対してどんな不満を持っているのかは、この映画からは必ずしも明確ではないが、反抗期にあることはたしか。そして、微妙な年頃の女の子だけに、義理の母親に対するイヤ味やあてつけにはきついものが・・・。そんな美佳がターゲットにしたのが、何となく怪しい雰囲気にあった良介。
ある時、良介が自分の部屋に戻ってくるとリュックの中が荒らされ、17年前の事件を報じた新聞記事とともに両親の家から持ち出した札束がなくなっていた。こりゃ大変、一体誰が・・・?と思っていると、そこにかかってきたのが美佳からの電話。呼び出された社(やしろ)の中で、美佳は良介に対して、一体何の目的でここにやってきたのかと問い質すのだが、それに対する良介の答えは良介流の感覚による言葉だから、なかなか美佳には理解できないもの。そんな混乱した状態(?)の中、若い2人は・・・?
この若者同士の本音の議論(?)と若い男女だからこそ当然に行き着く成り行き(?)は、結構この映画のみどころの1つ・・・?
<沙代の登場にみる今ドキの男女関係・・・>
この映画の本筋は真人(良介)と愛子との関係、そしてその間に介在するのは愛子の夫、連れ子の美佳そして愛子の親友だが、映画後半に至って、突然東京から真人を訪ねてきた友人の沙代(中村映里子)が登場する。わざわざ東京から真人を訪ねてくるのだから、誰が見てもそれは真人の恋人だろうと思うのが当然だが、実はそうではなく真人の友人。つまり、沙代にはれっきとした恋人がいるわけだ。こうなると、今ドキの若い男女関係は沖縄のおじさん、おばさんにはサッパリわからないのが当然・・・。
そして、相談したいことがあってやって来たという沙代が、宿泊したホテルの部屋の中で真人に語った相談とは・・・?また、それに対する真人の回答とは・・・?さらに沖縄にやって来た目的を達成し、1人また東京に帰るはずの沙代が選んだ行動とは・・・?それは映画を観てのお楽しみだが、やはり今ドキの若い女の子のやることはよくわからん・・・?
<帰ってきた夫が見たのは・・・?>
愛子の表情が少しずつ明るくなっていることに、入院先でくすぶっている夫も感じたよう。ジロジロと愛子の顔を眺め、「お前、化粧してるのか?」との問い(指摘?)に思わず愛子は恥じらい戸惑ったが、夫にはそれはなぜかということがビビビときたよう・・・。そんな夫は、カーテンで仕切られたベッドの上に愛子を抱き寄せちょっとエッチな行動に及んだが、ここではっきりと「あのバイトの若造め!」という感情が芽生えたよう・・・?
そんな夫がある日、秘かに様子を探るために(?)自宅に戻ってきた時、その目ではっきりと見たものは・・・?それは誰がどう見てもヤバイ状況・・・。しかし、夫の追及に対して良介が明確に反論したのは、「僕たちは何もやってない!」ということ。さらに、「お前知ってるのか!こいつは犯罪者だぞ!」との罵声に対する良介の答えは・・・?
さあ、ここで一気に17年間の秘密が解き明かされることに・・・。そしてそれと同時に、愛子の「子宮の記憶」が明確に甦ることに・・・。そして、夫の暴力を払いのけた良介は、愛子の手をとって「一緒に逃げよう」と迫ったが・・・。
<さあクライマックスでは・・・?>
そんな良介の告白と決断に思わず逡巡した愛子だったが、結局は良介のバイクの後ろに乗ることに。後ろの座席から良介の腰に両手を巻き、顔をその背中に押しつける愛子の表情は幸せいっぱい。まさに母親の顔。そして、バイクを停めて沖縄の海に向かって語り合う2人だったが、「これからどうする?」という現実の選択に対して、愛子が出した結論とは・・・?また、それを聞いた良介の決断とは・・・?
<多感な真人=良介役を柄本佑が好演!>
柄本佑は『美しい夏キリシマ』(03年)でデビューした1986年生まれの若手だが、私が強く印象に残っているのは『17歳の風景 少年は何を見たのか』(05年)での思い詰めたような目をした少年の姿。決してハンサムとは思えないが、陰のあるその表情は、多感で傷つきやすい少年の姿にピッタリ。したがって、その柄本佑にはこの映画での真人=良介役はまさにはまり役・・・。
まずは産みの母親に対する反抗ぶりがすごく、ハンパではない。そして、メインとなる母親に対する感情と女に対する感情が微妙に入り交じりながら愛子への愛情が少しずつ深まっていく過程を、実に感性豊かに演じている。愛子の方は良介があの時の新生児であることは知らないのだから、良介が少し理性を失えば(?)男と女の一線を超えてしまう可能性が十分にあるもの。しかし、それでは母子相姦という恐ろしい結果となり、全く別の物語になってしまう。その限界線を微妙なところで守り、良介からは「ほんとうの母親」=愛子からは「子宮の記憶」というテーマで踏み止めているのは、柄本佑の演技力によるところ大・・・。もちろんそれに成功したのは、良介の思いを受け止める松雪泰子の、母親のようなそれでいて生身の女のような微妙な演技力があったからだが・・・。
今後もこの柄本佑の成長ぶりには注目したいものだ。
2006(平成18)年12月21日記